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 エクサの道案内は、本人が言うだけあってひどく拙かった。

 それでも「あっちです」「こっちの、ちょっと右側」「あー、ちょっと通り過ぎた!」などと言われるまま屋根を跳べば、そう時間をかけずに目的の学び舎へとたどり着いた。


「これがそうか」


 ぐるりを囲う塀の外から見上げた建物は、周囲の家や建造物と比べて背が低い。

 代わりに、学び舎に張り巡らされた塀がどこまでも伸びている。たどり着くまでのあいだに雨がやみ、視界は悪くないというのに、その果ては見渡せない。

 

「そうです、そうです。ここがかの有名なテン・フライト学園。の、裏門です! 表は守衛さんがいてじっくり見られないので、ひとの少ない裏門は観察のためのおすすめスポットなんですよー! もうね、なかはめっちゃくちゃ広いんです。こんな街中で二階建て、しかもそこらじゅうに木を植えてるなんてぜいたくでしょう? しかも地面は全部、芝生だなんて手入れも大変。なんでも移動が大変だからって、動く道路があるらしいんですよ!」


「ここに、魔女が……」


 柵が閉まったままの裏門とやらにへばりついて、やけにうれしそうなエクサの声を聞きながら、レイドルフはつぶやく。

 

 魔女の時が満ち、界を渡ってから半日も経っていないうちに、魔女の居所を突き止められたのははじめてだ。


「助かった。約束どおり対価を」


 レイドルフが言いかけたとき、かすかな足音が聞こえてきた。


「それで、こんなところに呼び出してどうなさったの? 藪小路やぶらこうじくん」


 足音がやんで聞こえたのは、鈴を転がすような澄んだ少女の声。

 けれどそこに含まれる下心を聞き流すようなレイドルフではない。


 間違いない、魔女だ。


 エクサに倣って門に身体を隠し、頭だけを出して柵の隙間から学び舎の敷地内をうかがう。

 すると、裏門からほど近い建物の影でこちらに背を向けて立つ男女の姿が見えた。


「ねえ。みなさんがいるところでは言えないことって、なにかしら?」


 首をかしげた動きにあわせて、女の長い髪がゆれる。此度は桃色の髪の毛か。覚えたぞ。

 

「ピンク頭お嬢さま喋りヒロインちゃんきたー! 髪の毛腰まであるって、なんという乙女ゲー! しかもさらっさらストレートを結びもせず流したままにするとか、邪魔じゃないんすか! 風にそよいでも顔にかからない、主人公補正ですか!」


「吾が契約者、意味不明ぞ」


 真下ではエクサが小声で喚くと言う器用なことをしながら高速筆記を行ない、熊のぬいぐるみに取り憑いた悪魔がエクサから距離を取ろうと反対側の肩は移動するが、レイドルフは柵の向こうの男女に注意を向けていた。


「オレ……」


 魔女に背を向けていた藪小路と呼ばれた男が不意につぶやいて、こぶしを握る。

 

「オレ、お前のことが好きだ! くれ!」


 叫ぶと同時、魔女に向き合った藪小路の顔が見えた。

 短く刈られた髪は海の青、整ってはいるがつり気味の目は白眼が目立つきつい顔立ちで、着崩した制服と思しき衣服が彼の印象をより近寄りがたくさせている。


「うひょう! あれは一匹狼くんかな? ヒロインちゃんに落とされて告白の真っただ中ってわけですね! 照れ混じりの強面サイコーか!」


「吾が契約者、この者を遠ざけよ」


 しゃかしゃかとうるさい筆記音や、珍しく感情的な悪魔の声は幸いなことにきづかれていないらしい。魔女は藪小路の剣幕に臆することもなく、ころころと笑う。


「もう、いやですわ。わたくしのことは愛璃咲めりさって呼んでくださいな。わたくしたち、友だちでしょう?」


 魔女は、今世の名をくれ愛璃咲めりさというらしい。

 甘い声をあげた愛璃咲めりさが藪小路との距離を一歩詰めるのを見て、レイドルフは身体を強張らせた。


「ね。三那乃みなのさんのことは名前で呼んでるじゃありませんの。そんなの不公平ですわ。もしかして、三那乃さんに脅されてたりするのかしら⁉︎」


 藪小路の顔を下からのぞきこむようにした魔女が「でしたらわたくしが助けて差し上げますわ! ほんとうの友だちなら当然ですもの!」と声を弾ませる。

 それを見守るレイドルフの下で、エクサがぶつぶつ騒ぎ出す。


「んん? 一匹狼には名前呼びする女友だちがいる? そこに謎理論で自分こそが味方だと主張するということは……この子、ヒロインじゃない! 悪役令嬢だ! それならこの口調も納得納得」


 わけのわからないつぶやきに気を取られたそのとき、禍々しい気配を感じてレイドルフは、はっと顔をあげた。

 よもや魔女が藪小路を魅了しにかかったか、と思いきや、ようすがおかしい。


 魔女は藪小路に手を出すどころか、男から距離を取るように後ずさっている。

 うつむいた薮小路が一歩踏み出した瞬間、禍々しい気配がぶわりと膨れ上がった。


「いま、三那乃の話なんてしてねえだろ! オレの想いを……無視するなぁあアアア!」


 叫び声とともに、藪小路の身体がメリメリと音を立てはじめる。制服を引き破り巨大化する身体とともに、裂けたくちの端からするどい牙が伸び、つり気味だった目もこめかみのあたりまで深く切れ上がる。


 そして何よりも明らかな変化は、額の左右に生えた角だ。

 じわりじわりと赤く色を変えた皮膚を突き破り、見る間に生えた角は鋭く、藪小路がひとにあらざるものだと示していた。


「あれは、一体……」


「うおー! あれはおそらく、鬼ですね! 日本古来の妖怪の一種。ジャパニーズフェアリーですよ! うひょう! 各地に伝承は数あれど、ホンモノを拝めるなんて今日はなんてラッキーデイ! あ、だめだ。興奮しすぎて鼻から熱い想いがほとばしる……!」


 レイドルフのうめくようなつぶやきに対し、エクサは早口で反応する。

 喋りながら鼻を抑えたエクサの指のあいだから、赤いものが伝い落ちるのが見えたかと思うと、ヒビ割れた声が鋭く飛んだ。


「血ガ匂ウゾ、ダレダ!」


 エクサの鼻血が地に落ちるよりもはやく、異形と化した藪小路がレイドルフたちの姿をとらえる。


「ちっ、悪魔! 力を貸せ!」


「吾が契約者、此は契約者の願いにあらず。故に吾が応うるに能わず」


 愛らしい熊のぬいぐるみの形をしながら、悪魔は憎らしいくちを聞く。けれどそんなのはいつものことと、レイドルフは鼻で笑う。


「俺が死ねば、お前は再び契約者を探すところから始めねばならないんだぞ。姿なき悪魔の声に耳を貸す者がそうそういると思うか?」


「ぬ、ぬぬ! 悪魔を脅すとは、ひとの風上にも置けぬ振る舞いよ」


 悪魔は悔しいのだろう。取り憑いた熊のぬいぐるみがくちをへの字に曲げて、短い腕でレイドルフの肩を叩く。

 いくら叩かれようとも、ぽてぽてと間抜けた音でぶつかる綿入りの布など痛くもない。


 それよりも「不可視の悪魔イン動くぬいぐるみ! あっひゃー、これは盛り上がってきましたね! クール系イケメンが悪魔と契約してるとか、それなんてラノベ! メモを取る手が追いつかないぜえ!」と鼻に詰めたうすい紙を赤く染めているエクサの視線のほうが、よほど突き刺さる。


 そうこうしているうちに異形が突進してくるのが見えて、レイドルフは右手でエクサの首根っこをつかんで跳んだ。


「つべこべ言わず、力を寄越せ!」


 轟音とともに、無残にひしゃげた柵が悪魔の取り憑いたぬいぐるみの足をかすめて飛んでいく。

 そのせいか、それとも契約者探しのほうが面倒だと判断したのか。


 熊のぬいぐるみが両手をぽふんと合わせると、レイドルフのほほの契約紋がじくりと熱を持ち、全身に悪魔の力が満ちるのがわかった。

 レイドルフはにぃ、とくちの端をつり上げて笑う。


「これでお前の夢が叶うといい、なッ」


 振り向きざま、レイドルフは異形の拳を撃ち落とす。

 形を持たない悪魔の力は『不可視の領域』となってレイドルフを包み込んでいる。


 領域内での空間操作は自由自在。今のように物理攻撃を弾くこともでき、また領域に入った者を傷つけることも可能だ。


「まったく、便利な力だ。これを失ってでも形を得たいなどと……俺には理解できない望みだな!」


 悪魔をからかうようにしゃべりながらもレイドルフは異形の拳を弾き、踏み込んできた異形を切り裂こうと不可視の力を振るい、領域ごと学び舎の敷地へと跳びこんだ。


「信じがたい豪腕だな。『不可視の領域』ごと殴りつけて衝撃を与えるとは……」


 悪魔の力を持ってして、異形に対抗するのは容易ではない。思わずつぶやいたレイドルフの耳に、ころころと笑う場違いな声が届く。


「まあ、あなた。レイドルフじゃない。またわたくしを追って参りましたの? これで何度目かしら。しつこい殿方は嫌われましてよ」


 いつの間にそこに居たのか。女生徒の制服をまとった魔女が領域のすぐそばでほほ笑んでいた。


 ひどくきれいなその笑顔に、レイドルフは眉をつり上げて返す。


「これで三度目だ。お前が男遊びをやめるなら、金輪際会わずに済むとわかっているだろう」


「いやだ。あなたこそ、わたくしは男遊びをしているのではないのだと、何度言えばわかるのかしら。これは楽しいゲームですのよ。邪魔しないでくださる?」


 くすくすと笑う魔女の胸元に、きらりと揺れるちいさな水晶。見せつけるように指でつまみ上げたその水晶を見て、レイドルフは歯を噛みしめる。


 そこへ。


「オマエ! オレカラ呉ヲ奪ウ気カアァァ!」


 絶叫しながら異形が地を蹴った。

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