第9話 恋?
帰宅した私は真っ先に自室に入り、ベットにうつ伏せで倒れ込んだ。
……頭が痛い。
精神的な意味でも、物理的な意味でも。
実は帰宅途中、ショックで前を見ていなかった私は電柱に頭をぶつけてしまった。
もう心も体もボロボロである。
頭の外にあるのはたんこぶ。
一方、頭の中にあるのは、師匠の言葉と、道場を出るときすれ違った彼女の哀れみを含んだ微妙な表情。
本当に……無様で、惨めだ。
情けないことこの上ない。
――ドキッ。
……くそっ、こんな時までも。
――ドキッ。ドキッ。ドキッ。
……止まって、早く止まって。
ショックで頭はほぼ埋め尽くされていたが、片隅に彼女の笑顔が残っていた。
小さいながらもこうして時々脳内のスポットライトに当てられ、胸の高鳴りが止まらない。
どうしてしまったんだ……私は……。
抱きかかえるようにして枕に顔を埋め、とにかく今はなにも考えないよう努めた。
考えれば考えるほど、自分がおかしくなりそうだったから。
・・・
少しだけ、落ち着いた。
窓の外を見ると真っ暗。もう夜だ。
私は立ち上がりカーテンを閉めた後、鞄の中のスマートフォンを手に取る。
そして再びベットに横になった。
この胸の高鳴りはなんなのか。
考えたくないし気も進まないが、ほったらかしというわけにはいかない。
原因の解明だけはしておこう。
検索アプリを開け……はて、どんな言葉を入れて検索すればいいのだろうか?
今の感情を言葉に表すのが難しすぎる。
私はしばらく迷った後、『胸 ドキドキ』と言葉を入れ、検索ボタンを押した。
ずらりと並んだ検索結果は、『心臓』『不整脈』『パニック障害』など穏やかじゃない単語で埋め尽くされる。
嘘だろう……。
心臓の病気や精神の病気なんて、大事じゃないか……。
顔を青ざめさせつつ、別の軽い病気はないのかと祈るように画面をスクロールさせた。
すると、とある言葉に私の目が留まる。
『恋』
「……恋」
思わず声に出して読んでしまった。
恋とは……。
あの、人を好きになる、あれだ。
あの、キスしたいとか思う、あれだ。
……いやいやいやいやいや! ないないないないないない!
人と無意味に関わりを持つことを疎ましく思い、友達すらひとりも作らない私が恋なんてするはずがないだろう。
それに、だ。
私は女で、あの子も女。
女が女に恋するなど、おかしいではないか。
いや、そういうのが存在することは知っている。
でもまさか、私が?
え? 私、女の子が好きなの?
……いやいやいやいやいや! ないないないないないない!
手に持っていたスマートフォンをベッドに置いて、きちんと座り直してみた。
私はあの子とキスをしたいとか、思っているのか……?
乏しい想像力をフル稼働させる。
あの子の頬に手を添え、唇に目を向ける。
どんどん近くなる二人の距離、どんどん強くなるあの子の匂い、そして目をつむり、唇と唇を……。
「あ、あ、あ、あわわわわわわわわわー!」
変な声を出した後、枕を手に取り、顔をゴシゴシとこすりつける。
想像の世界なのに恥ずかしくてキスまでたどり着けなかった。
胸が大暴れしている。顔からは火。みぞおちからはすうっと何かが落ちた気がした。
なんてことだ……。
本当になんてことだ……。
キスをしたいかと問われたら……したくないわけではない。
自分からするかは分からないが……もしあの子から迫ってくればそれを拒まない。
では、結局のところ私はあの子のことが好きなのか?
私はあの子に恋をしているのか?
「ううう……」
唸る。頭を悩ませる。そして、
「はあ……」
糸が切れたかのようにため息をついた。
こんなに悩むのなら、いっそ病気とはっきりわかった方が楽だったかもしれない。
病院に行くだけで解決までの道筋を医者に丸投げできるんだから。
私はボーッとしながら、もうそのまま考えることをやめた。
これ以上頭を張り巡らしているとほんとに精神の病気になりそうだ。
ノイローゼか、なにかその類いの。
なにかを振り払うようにぶんぶんと頭を振ってから、ゆっくりと立ち上がった。
足下がおぼつかない。今日はもう疲れた。今すぐにでも寝てしまいたい。
そう思った私は風呂場へ直行。
その後は食欲もなかっため、夕食も取らずにそのまま床に入った。