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第8話 それは全てを変える出会い

 ユスの木刀を握り、道場に埋められた太い木の前に立つ。


「型は素振りと同様に。木を敵だと思って右に左にたたき込むのじゃ、よいな?」


「はい!」


「では始めよ」

 

 

 私は蜻蛉を取って、まず一振り。


――ゴン。

 

 二振り。


――ゴン。

  

 

 なるほど、空気を相手にするのと全然違う。

 反動がある分、身体への負担も大きい。

 感覚を確かめながら剣を振る。


「ふむ、その調子じゃ」

 

 師匠から貰ったお褒めの言葉に嬉しく思う。

 こうやって木刀を振っているときがなにより楽しく、充実している。

 やはり、私にはこの道しかない。

 他には、なにもいらない。

 

 



 立木打ちに没頭し、振りが五百を超えたあたり。

 それはなんの予兆もなく、あまりに突然やってきた。



「おじいちゃーん、道場にいるのー?」

 


 まず、高く澄んだその声に、


――ドキッ。

 

 心が動いた。

 

 思わず剣を振るう手が止まり、声のする方を見る。

 母屋につながる方の戸口。

 その扉の向こうに、声の主がいる。

 いったい誰? 

 そしてこの胸の高鳴りはなに?

 

「入るよー」

 

 考える間もなく、扉が開き、ノブを持つ小さく細い手に、


――ドキッ。

 

 また心が動いた。


「あ、やっぱりここに……」

 

 スカートの下から伸びた足、思わず守りたくなるような華奢な身体。


――ドキッ。

 

 雪のように白く、花が咲いたように可憐で、天使のように幼い顔立ち。


――ドキッ。




「……ってあれ? お客さんがいたの?」


 


 そして、目が合った。


――ドキッ。ドキッ。ドキッ。ドキッ。

 

 ちょっ、止まって……。


――ドキッ! ドキッ! ドキッ! ドキッ! ドキッ! ドキッ! ドキッ!

 

 

 いくら止まってと願っても、原因不明の胸の高鳴りは収まるどころか加速するばかり。

 苦しい。

 まるで心臓が後ろから握りつぶされるように苦しい。

 

 だけど、心が躍るような高揚感で満たされていく気分でもある。

 いったいどうしてしまったというのだ? 私の身体は? 私の心は?


璃莉(りり)ではないか。どうしたのじゃ?」


「お母さんが、近所の人にいちごをたくさん貰ったからおじいちゃんの家に持って行けって。おかげで家に帰ってからまた同じ方向の電車に乗ることになっちゃったよ」


「それはそれはご苦労じゃったの。で、そのいちごはどこじゃ?」


「え? ……あっ! 持ってくるの忘れちゃった!」


「璃莉よ……これではなにをしに来たのか分からんではないか……」


「えへへへ……で、おじいちゃん、その方は?」


「ああ、そうじゃったな……ん? どうしたのじゃ京花? 胸を押さえて」




「……え? あ、はい! はい! はい!」

 

 

 突如現われた美少女を眺めながら、ただ立ち尽くしていた私は、木刀を持つ右手と胸を押さえていた左手を太ももにぴったりくっつけ、気をつけをした。


 師匠は呆れたように「返事は一回で十分じゃ」と私をたしなめた後、美少女に向かって、


「こやつは客ではなくわしの弟子じゃ」


「弟子⁉ おじいちゃんの弟子ってことは示現流だよね⁉ こんな綺麗な人が⁉」


 綺麗な人、その言葉に自然と顔が緩んだ。

 幼い頃から親戚や近所の人に『京花ちゃんは綺麗な顔立ちをしているね』と言われることがよくあった。

 その時はなにも感じず、どうでもいいとしか思わなかったが、今回は違う。

 なにも感じない、どうでもいい、そんな心中とはかけ離れた位置にいて……。

 

 嬉しい。


 どうして同じ言葉なのにこの美少女から言われるとこんなにも嬉しいのだろう。

 なぜか胸の高鳴りもさらに加速しているし、理解不能だ。


「見た目で判断してはいかん。こやつの剣への情熱はすさまじく、潜在能力も光るものがあるわい。引き締まった表情がなによりの証拠……んん⁉ なんじゃ京花、その締まらない表情は?」


「……あ! すみません!」


 師匠の言葉で我に返り、にやけを抑え、必死に無表情を作る。


「まあ……よいが……とりあえずおぬしにも紹介しておこう。こやつはわしの孫の璃莉。今は息子夫婦と共にここと少し離れたところで暮らしておる。と言っても電車で三十分程度じゃから会おうと思えばこうしてすぐに会えるのじゃがな」


 璃莉。

 イメージ通りというか、目の前のかわいい女の子にはぴったりな名前だ。

 

 璃莉、璃莉、璃莉、璃莉、璃莉、璃莉、璃莉……。

 心の中で名前を連呼する。なんの意味も無い行為なのに、なぜか夢中になってやめられない。


「おじいちゃん、璃莉も道場に入っていい?」


 一人称が自分の名前なのか。

 なんだかその幼さがかわいい。

 

 だが道場には入れないだろう。

 部外者は道場に入るべきではない。

 わざわざ許可を取ろうとしていることから剣道をやるつもりはなさそうだし、いくら懐が深い師匠でもさすがに今回は……。


「よいぞ。裸足になってな」


 あ、いいんだ。

 藩外不出に異を唱えたり、寛容な心を持っていらっしゃるだけのことはある。

 

 ……今回はただ孫に甘いだけかもしれないけど。


 まあこれだけ可愛ければ甘くもなるだろう。

 それにしても、道場に入ってなにをする気……⁉

 

 彼女は裸足になった後、私を一瞥したと思いきや、そのまま視線を固定しこちらに近づいてきた。

 肩まで伸ばした髪が揺れ、私の胸がまた高鳴る。

 近づくにつれ強くなる甘い香りが鼻を通って脳まで満たす感覚で、クラクラしそうにもなった。

 そして彼女は手を伸ばせばその肌に触れる距離まで来たところで足を止め、


「初めまして! 城之園(じょうのその)璃莉(りり)です!」


 私を見上げ、笑顔を向けてくれた。

 

 わざわざ私に自己紹介するために道場に入ってきたのか。

 ああ、その行動も笑顔も、全てが可愛い。

 

 ……って、さっきから『可愛い』と何回思ったのだ?

 

 語彙力が麻痺してしまった私は、自分も名乗ろうと試みる。

 だが目を合わせて名乗ろうとしても、笑顔の彼女を前にすると、なぜか目が合わせられない。

 目が勝手に逃げていく。

 その上、顔が火照っているのか、火が出たように熱い。

 

 なんで……? なんで名乗るだけでこんなことになるのだ。

 原因不明の状態に苦しむ中、『ええい!』と勢いだけで口を開いて言葉を発した。


「つ、つ、つ、つつつつつ月上京花です!」

 

 めちゃくちゃ噛んだ上に早口になってしまった。名前より『つ』の方が多かったし。

 ……ただ名前を言うだけなのになぜこんなにも冷静さを欠いているのだろう?


「あははは、おじいちゃんの孫だからって緊張しなくていいですよ。璃莉は剣道なんてまったくできませんから」


 私の変な自己紹介を聞いた彼女はそう言って笑った。

 緊張? 私が冷静さを欠いているのは緊張しているからなのか? この胸の高鳴りも? 思わず赤面してしまうのも? 


 ……緊張とは少し違うような気がするけれども。

 

 緊張なら今までにしてきた。

 中等部一年生の頃初めて出場した剣道の大会では胃の中がひっくり返るような思いをしたし、二年生で全国大会に初出場したときも、朝食べたものを全部戻してしまいそうな気分になった。

 

 それらと今を比べたらまったく症状が異なる。

 おかしいのは胃ではなく心臓だし、そもそも緊張では赤面なんかしないだろう。

 むしろ青白くなるのでは。

 

 なんてドキドキしながらも少し過去を振り返っていると、彼女は「それに」と前置きし、


「月上さんの方が璃莉より年上でしょうし」

 

 たしかに背や顔立ちから鑑みるに、私の方が年上であることは間違いなさそうだ。

 彼女は見たところ小学校四、五年生くらい。


 ……ん?

 

 ふと、今まで気にとめなかった彼女の服装が目にとまった。

 彼女の服装、ワンピースの上にセーラーを纏った珍しいタイプの制服。

 小学校の制服には見えない上、それに、なにより、その制服はすごく見覚えがある。


「そ、それ、五木学園中等部の制服よね……」

 

 チラチラと目を合わせたり逸らせたりしながら尋ねた。

 五木学園とは私が通っている中高一貫校。

 見覚えがあったのは自分が去年まで着ていたからであり、てことは……この子は後輩ってわけ⁉。


「そうですよ。もしかして、月上さんも五木学園なんですか?」


「え、ええ、私はこの春から高等部に上がったけど……」


 同じ学園に通っているとは思いもよらなかった。

 五木学園に初等部はないから、この子は中等部一年生というわけか。

 なんて見た目だけで学年を判断していると、彼女は興奮気味に、


「うちの学園、高等部に上がると制服が替わってブレザーになりますよね! 璃莉も来年着るのを楽しみにしているんですよ!」


 ……ん? 来年高等部の制服着る? 


「えーと……いま中等部三年生なの?」


 尋ねると、彼女は元気よく「はい!」と頷いた。

 私とひとつしか変わらないじゃないか……。

 とてもそうは見えないのだけど……。

 

 見た目とのギャップに困惑していると師匠が口を開いた。


「ではもうそろそろ稽古を再開するかの」

 

 そういえば今は立木打ちの真っ最中だった。

 示現流のことを忘れてまで目の前の彼女のことが気になっていた。

 師匠と出会ってからはいかなる時においても示現流が頭から離れなかったものなのだが……。


 やはり、今日の私はどこかおかしい。

 

 ここからは気持ちを切り替えて稽古に集中、と思い木刀に視線を移したとき。


「おじいちゃん、璃莉も後ろで見学していい?」


 え⁉ と再び視線が彼女に釘付けになる。

 見学ってことは、私の立木打ちする様を眺めるってこと⁉

 師匠、それは断って! 

 なんとなくだが、断ってほしい!


「うむ、邪魔はせんようにな」


 案の定断らないですよね! さすが師匠! 寛大だ!

 

 

 こうして彼女の前で立木打ちすることになった私は頭を抱えたい気持ちになりながら木刀を握りしめ、木の前に立った。

 

 後ろからの視線を強く感じる。

 見られていると思うと胸の高鳴りが止まらない。

 とりあえず今は彼女のことを忘れなければと、深呼吸をして頭の中を落ち着かせる。

 大丈夫、いつも通りやれば上手くいくはずだ。

 

 

 

 一振り。


――ベコン。

 

 二振り。


――ベコン。




「ちょ、ちょっと待てい!」

 

 三振り目にいこうと思ったところで師匠からストップがかかった。

 こんな始めてすぐに止められるなんて今までになかった。しかも慌てたような声で。

 一体なにがあったというのだ?

 私は師匠に目を向ける。


「ど、どうしたのですか?」

 

 すると師匠は困ったように、


「どうしたもこうしたもあるか。おぬしがどうしたのじゃ?」


 ……え? 

 言っている意味が分からないと、表情で説明を求めた。


「太刀筋がかなり乱れておる。いや、乱れるなんて言葉では済まされんぞ。腰は砕け、頭は揺れ、剣を振るのではなく、剣に身体が振られておったわい」


 そ、そんなにひどいのか……。

 たしかに彼女に見られていると思うだけで胸が高鳴るし、それが今もまったく収まっていない。

 こんな状態で剣を振っても上手くはいかないだろう。

 精神がいつも通りとはかけはなれているのだから。


「し、師匠……もう一度、もう一度、お願いします」

 

 どうにかして打開策を見つけようとした私はすがる思いでそう申し出た。

 しかし、師匠は首を縦には振らなかった。


「今日はもう帰って頭を整理し、身体を休めてこい」

 

 ショックだった。

 口調は優しかったが、その中身は『話にならんから去れ』ということである。


「……はい」

 

 私はその帰宅命令に黙って従うしかなかった。



ちなみに五木学園中等部の制服は『ゆるゆり』の制服をイメージしています。

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