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第69話 アルバイト終了

 12月12日 土曜日


 懸命に働き続け一週間と少しが経過した今日、この日はアルバイトの最終日だ。

 つまり、目標金額である35000円を稼ぎきったわけで、これでネックレスが購入できることになる。

 

 夕方、一日がかりの業務を終えた私は、着替えを済ませ意気揚々と事務所へ向かう。

 扉を開けると、私の姿を見た社長が笑顔で出迎えてくれた。


「お疲れさん。今日までありがとう」


「こちらこそありがとうございました」


 軽く礼を交わし合った後、社長は引き出しを開けて封筒を手に取る。

 おそらくそこには約一週間の努力の結晶が封入されているはずだ。


「面接の時は悪かったね。君を見くびるようなこと言っちゃって」


「いえ、全然気にしていませんから」


「そう言ってもらえると私もホッとするよ。君は素晴らしい人材だった。力はもちろん、やる気もある。今となっては手放すのが惜しいくらいだ」


 言いながら、社長は封筒を私に差し出した。


「はい、お給料。きりのいい数字になるよう色をつけておいたよ」


「そんな。受け取れません」


 固辞しようとしたが社長は首を横に振って封筒を押しつけてくる。

 

「いやいや、頑張ってくれた君へ、ほんの少しばかりの気持ちさ」


「でも……」


「ふふふ、これ以上私のメンツを潰さないでくれ」


 社長が先輩の姪と発覚して以降、どことなく気まずかった空気は払拭された。

 それどころか剣道や先輩の話をしたりして、良好な関係が築けたものだ。

 その社長は今にっこりと笑い、押しつけた封筒を微動だにさせない。

 

 うーむ……ここは……お言葉に甘えておくもの悪くない。


「ありがたく頂戴します」


「うんうん、それでいいんだよ」


 私は封筒を受け取った。瞬間、社長が口を開く。


「でもその代わり、もしアルバイトしたくなったら、またうちを選んでね。いつでも歓迎するよ」


「それはもちろん。むしろこちらからお願いしたいです」


 ここはいい職場だった。贈り物をするときはまた働かせてもらおう。

 

 外見は薄汚れているが中身は人情に溢れた温かな工場。

 そんな勤め先に愛着を湧かせていたとき、


「よう月上、今日でお勤め終了か?」


 まるで服役していたような言い回しと共に事務所に入ってきたのは剣崎さんだ。

 

 ちなみにだが、剣崎さんの業務は今もなお先輩の家庭教師。

 夕方になる今まで家庭教師を務め、先輩を帰した後ここにやって来たようだ。


「はい。今までありがとうございました」


「今までと言っても一緒に働いたのはほんのわずかじゃないか」


 剣崎さんは「ふっ」と笑ったあと、不敵な笑みを浮かべる。


「でも、また来るんだろ?」


 どうやら外から先程の会話を聞いていたようだ。

 そして、言わんとしたいこともなんとなく伝わる。


「はい。またアルバイトをしようとなったときは。そのときはお願いしますね」


 剣崎さんが浮かべた表情と同じものを返す。

 その『お願いします』は業務に関することではない。


「また勝ちますから」


「ほう、言ってくれるじゃねえか。俺だって負けねえぞ」


 互いに再戦を望む言葉を交わし、視線で火花を散らし合った。

 


 そして、社長と剣崎さんに今一度別れの挨拶を告げ、いよいよ事務所を出ようとしたとき、


「あ、そうだそうだ」


 剣崎さんがなにか思い出したようにに私を見た。


「月上、レインとかやってるか?」


「はあ、やってますけど」


 一応やっている。

 連絡先が璃莉と両親の3つだけのシンプルなアカウントだ。


「なら俺と連絡先を交換してくれ」


「ええ? 剣崎さんとですか?」


「嫌そうな顔するな。俺だって別にお前と雑談したいわけじゃねえよ」


 そっちから誘っておいてなんだその言い草は。

 睨む私を他所に、剣崎さんは少し恥ずかしそうに告げる。


「ほら、(みやび)のやつ、スマホどころかガラケーも持ってないだろ」


「……雅? 誰ですか、それ」


 思い当たる節はない。知らない名だ。

 首をかしげると、剣崎さんは「ええ……なんでだよ……」と困惑し、やけくそ気味にその名前を連呼する。


「雅だよ、雅! 勅使河原(てらしがわら)(みやび)!」


「……ああ!」


 ようやく思い出した。


 勅使河原(てらしがわら) (みやび)


 このおしとやかで品のある名前の主は先輩である。

 イメージにまったく合わないし、いつも『先輩』と呼んでいたので頭から抜け落ちていたのだ。

 てか……。

 

「下の名前で呼んでるんですね、先輩のこと」


「え⁉ いや⁉ そんなことどうでもいいだろ!」


 強引な先輩が呼べと強要したのかもしれないが、そうであってもこの中学生男子のような慌てぶりを見るにまんざらでもなさそうだ。恋愛慣れしていないこともわかる。さすが剣道バカ。


「で、この前、み、み、み、雅と!」

「落ち着いてください」

「うるせえ! ニヤニヤすんな!」


 先輩、この様子だと、大学合格後の期待は大ですよ。


「み、雅と連絡取れなくて困ったときがあったから、せめて学校にいるうちはお前に中継役を担ってほしくてな」


「はあ、そういうことですか」


 事情はわかったが、はっきり言って面倒くさい。

 だって剣崎さんからメッセージが来たら、それを届けにわざわざ先輩がいる教室まで出向かなきゃならないのだろう? 私だって暇ではない。


 ……とは言いつつ。

 

 先輩には恩義がある。

 ここは中継役という名の恋のキューピットを努め上げ、少しでも恩を返すのが筋というものだ。


「ま、いいですよ」


 私はスマホを取り出して、レインを開いた。


「ええと、フレンド登録ってどうするんでしたっけ?」

「それならここのページを……ん⁉⁉⁉」

「どうしたんですか?」


 剣崎さんはこの世の物とは思えないような物を見る目を画面に向けている。


「フレンド数が3人⁉」


 はあ、そんなに驚かなくても。


 大事なのは数じゃなく中身だろうに。

 たとえば璃莉の連絡先1つと、数えきれぬ数の有象無象達の連絡先。

 どちらに価値があるかは明白だ。


 



次話、なにかが起こり始めます。

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