第7話 先輩との仲違い
帰りのホームルームが終わった。
このあと向かう先は道場。
今日から立木打ちの稽古が始まる。
本当は朝稽古のときやりたかったが、師匠から『初めてじゃから夕稽古の時じっくりとな』とおあずけをくらってしまった。
だから今日一日身体がうずきっぱなし。
早く剣を打ち込みたくてたまらない。
いつもと同じく即座に席を立ち、颯爽と教室から退出する。
そして足早に……。
「京花ちゃん!」
足早に廊下を歩いていると後ろから私を呼ぶ声がした。
私を呼び止めるなんて一体誰だ? ちゃん付けだから教師ではないし……。
自慢じゃないが私には友達が一人もいない。
小学生の頃も、中等部の頃も、高等部に入って一ヶ月たった今でもそうだ。
今日だって一人で昼食を取ったし、体育の時間に『二人組をつくれ』と言われ、相手がおらず結局教師と組むことになった。
だが群れるよりも今の方が楽だし性に合っている。
振り返ると、見慣れた人が立っていた。
よく考えたらこの学校で私に声をかける生徒など、ひとりしかいない。
「なんですか、先輩」
そう、私が剣道を始めるきっかけを作った人であり、現在は生徒会長も務めている先輩だ。
会うのは入学式の日以来、だから一ヶ月ぶりになる。
「なんですかじゃないよ! 放課後いつもいないから今日こそは絶対に捕まえてやろうと走ってきたんだよ!」
捕まえてやろうって……私は動物か……。
「わざわざ放課後に来なくても休み時間に来たらいいじゃないですか」
「十分の休み時間じゃ一年生のところまで来て話なんかできないし、昼休みは生徒会の業務に追われていてね。忙しいんだよほんとに……。今京花ちゃんに一時間くらい愚痴を聞いてもらいたい気分……」
頼むから勘弁願いたい。
ところで先輩は私となにを話したいというのだろうか。
まあ、なんとなく想像つくが。
「ねえ京花ちゃん、剣道部はどうしたの?」
やはりか。
たしかにもうGW明け。仮入部期間も終わり、一年生が続々と本入部する時期だ。
そして私は現在、どこの部活動にも所属していなかった。
理由は言うまでもない。
示現流を会得する目標があるのに、部活動なんかしている暇はないからだ。
だからここは先輩にはっきりと言おう。
「先輩、私は剣道部には入りません」
その言葉を聞いた先輩は驚きの表情を浮かべた。
しかしなぜか、すぐに表情を笑みに変えて、嬉しそうな様子で、
「え⁉ じゃあ別の部活に入ったんだ⁉ なに部⁉ もしかして団体競技⁉」
と食い入るように尋ねてきた。
ちょっ……近い近い。
それになんでこんな嬉しそうなんだ?
「いえ……そうではなくてですね……」
「え⁉ 部活やらないの⁉ ……あ! もしかして!」
先輩は両手で口元を押さえながら高速で後ろに下がり、
「恋人でもできた⁉ そして毎日のように放課後デートしているとか⁉ いいなー! 京花ちゃんは美人さんだから本気出せば恋人のひとりやふたりくらい簡単に作れそうだもんね!」
なにを言っているんだこの人は?
それにひとりやふたりって、そんなに不誠実に見えるのか? 私は?
「先輩、恋人ができたわけではありません。あと剣道部には入りませんが剣道は続けています」
「……え? それってどういうこと?」
先輩はようやく落ち着いたのか、語気を弱める。
「実は、より実戦に近い剣術を教えてくださる方がいて、弟子入りしたんです。今はその方の指南の元、日々稽古に明け暮れています」
包み隠さずそう伝えると、先輩はうつむき、
「そうか……結局京花ちゃんは剣のことしか興味がないんだね……」
どこか悲しそうな、落ち込んだ様子で呟いた。
その反応に少し苛立ちを覚える。
それのなにがいけないというのか。
先輩に悲しげに言われる筋合いなどない。
気持ちが顔に出てしまったのだろう。顔を上げた先輩が慌てた様子で、
「あっ……ご、ごめん! 怒らせるつもりじゃなかったんだ」
私そのものを否定するようなことを言っておいて、なにが怒らせるつもりはない、だ。
「……もういいですか、先輩」
言い訳を聞く時間ですら惜しい。私は早く剣を握りたいのだ。
理解できないのならしなくていい。だが余計な口出しはやめてもらいたい。
今の先輩は、はっきり言って鬱陶しい。
「あ、うん……。あの……ごめんね……。がんばって……」
私は先輩と目を合わせぬままきびすを返し、歩を進めた。
・・・
……少し言い過ぎた。
電車を降りて、道場へ向かう道中、私は先ほどの行いを後悔していた。
いくら気に障ることを言われたからって、あの態度は褒められたものじゃないだろう。
それに相手は年上であり、剣道に出会うきっかけを作ってくれた恩人でもある。
もう少し大人な対応ができていたら、もう少し冷静になれていれば、もう少し先輩の話に耳を傾けていたら。
などとたられば考えながら、うんうん唸っていると、いつの間にか道場の前にたどり着いていた。
ちなみに師匠の家に来たときは母屋からではなく、道場の正面口から入るようにしていた。
稽古前の着替えは母屋でするため、不効率に思えるが、最低限の礼儀というわけである。
ここに来れば切り替えて、剣に集中しなければいけない。
私は深呼吸をして道場の扉を開けた。
「帰ってきたか、京花よ」
目の前には師匠。自然と背筋が伸びる。
「夕稽古もよろしくお願いします」
剣を握る前に礼を取る。示現流のルールにも慣れたものだ。
「うむ、では予定通り、立木打ちを行うぞ。さっそく着替えてこい」
「はい! 師匠!」
先輩のことなどすっかり忘れ、私の頭は立木打ちのことでいっぱいだった。
やはり自分は剣のことしか興味がない。