第61話 稽古休止令
剣崎さんの会社案内を受けた私は事務所に戻り、社長と面談。
一切働いていない本日分のバイト代をふんだくることに成功した。
ネックレスの代金である35000円に合わせたシフトも組み終わり、今日のところは業務終了。
お疲れ様でした。
今日は面接と試合と、戦闘ならぬ銭闘しかしていないが、明日の土曜日からはしっかり働こう。
お金を頂くんだ。責任を持ってやり遂げないと。
それくらいの自覚はある。
二十時を過ぎた帰り道。
電車に揺られて自宅近くの駅で下りた私は、真っ直ぐ帰らず師匠の家に寄る。
若干失礼を感じる時間帯だが、アルバイトのため、しばらく夕方の稽古は休止し、朝稽古のみでお願いしようと訪れたのだ。
インターホンを押すと玄関扉が開いて師匠が現われ、そのまま居間に通された。
お茶を煎れようと急須を手に取った師匠に、朝稽古のみでお願いしたいことを告げる。
しかし開口一番、
「ならん」
待っていたのは拒否の言葉だった。
「し、師匠、相談もなく急にこんなことを決めてしまって申し訳ございません」
お茶の入った湯飲みが手元に置かれたと同時に、私は頭を下げてまずは謝罪した。
昇る湯気が目に入り、思わず顔をしかめた。
「で、ですがどうしてもアルバイトをしたくて、しばらくの間、夕稽古は休止でお願いできないでしょうか?」
顔を上げ、諦めきれず再度お願いしてみると、師匠は怪訝な表情を浮かべた。
「ん? いや、そういう意味ではない。アルバイトは大いに結構。若いうちから社会の苦労を知るのは良いことじゃ」
茶をすすりながら告げた。
私がアルバイトを理由に稽古をないがしろにしたことを怒っているのかと思ったが、どうも違うようだ。
「では、なにが『ならん』のですか?」
「放課後や休日にアルバイトをするなら、朝稽古もしばらく休止じゃ。しばらくは剣を握るでない」
「ええ⁉」
目が丸くなった。
朝稽古も休止でしばらくは剣を握れないなんて腕が落ちてしまうではないか。
つい数時間前『フィールドのプリンスなら三日で抜く』なんて剣崎さん言われて、稽古をさらに精進して取り組もうと意気込んでいたのに、これでは肩透かしもいいところだ。
「たしかにアルバイトでは力仕事をします。ですが以前と比べて体力もかなり付きましたし、そこまでする必要はないかと……」
私の体力を案じていると思い、そう食い下がると、師匠はひとつため息をついた。
「では問うが、おぬしはいつテスト勉強をするつもりじゃ?」
「テスト勉強? ……あっ!」
師匠のジトーっとした視線が刺さる。
そう、よく考えたら期末テストに挑むのは璃莉だけでない。
私も相手にせねばならないのだ。
普段から勉強しているのならたやすいが、あいにく私はテスト直前、己を追い込み必死に詰め込んで結果を残すタイプ。
したがってテスト前の勉強時間の確保はかかせない。
璃莉が頑張って良い点を取り、逆に私が赤点など取ろうものならシャレでは済まないだろう。
璃莉が悲しむ、というか幻滅される。
『お姉様、それはないでしょ』なんて冷たい口調が向けられたとしたら、泣く。
それを避けるために、今は稽古よりも勉強を優先させなければならない。
「朝は勉学に励め。休日も、アルバイトの時間以外は勉学に当てよ」
「……はい。承知いたしました」
ああ、こればかりは全国模試で一位を取ったというフィールドのプリンスの天才的な頭脳が羨ましい。
学力は間違いなく完全敗北だ。
それだけは認めてやる。
「そんなに悲しそうな顔をするでない。しばらく剣を持たないこともたまにはいいものじゃぞ。心が新たになり、違った景色が見えるかもしれない」
師匠はそう言うが、本当だろうか。
剣を持たないことが、はたして良い結果を招くのだろうか。
にわかには信じられなかったが、
「わかりました。アルバイトが終了次第、またよろしくお願いします」と一礼する。
師匠は優しい笑顔を向け、「おぬしは素直ないい弟子じゃ。京花よ」と頷いた。
その褒め言葉は、素直に嬉しかった。
こうして私は日々の稽古をしばらく休止。
朝はテスト勉強、学校で授業を終えた後はアルバイト。
家と学校とバイト先の工場を行き来する、いつもと少し変わった日常が始まった。




