第58話 圧倒し示現流
社長が所有する道場は、工場から歩いて数十秒、目と鼻の先にあった。
建物自体は少々古い。
だが埃ひとつ落ちていない衛生面と、下手くそだが丁寧に修繕された跡からは剣道への愛を感じられる。どうやら剣道が好きという言葉に嘘はなさそうだ。
私はそこで借り受けた防具を着込んで竹刀を手に持ち、剣崎と対峙していた。
それにしても板の間の道場は久しぶりとなる。
素足に触れる木の感覚は懐かしいが、同時に品が良すぎて若干気持ち悪い。
土の上で剣を振るうことになれてしまった。
「試合は一本先取、でよかったね?」
審判を務める社長が私と剣崎の中間に立ち、問う。
「はい」
「もちろん。それ以上やる必要なんかないですから」
静かに、簡潔に返事をしたのは私。
一方の剣崎は憎たらしい理由を付け加える。
己が勝ってさっさと決着を付けられると信じ込む口ぶりだ。
「では始めるよ。両者互いに、礼!」
その言葉を受け、浅く頭を下げた剣崎は、面の中で目線を上げて怪訝な表情を覗かせる。
ひとまず竹刀を床に置いて、それから礼をした私が気になったようだ。
「……よくわからんことをするやつだ」
私は気にすることなく再び竹刀を手に取って三歩前に出る。
『始め!』の合図がかかると試合開始となるが、その前に相手と剣先を交えるのが剣道の公式ルールだ。
腰骨の位置で竹刀を伸ばし、剣崎も無論それに応じた瞬間、
「始め!」
試合が始まった。
刹那、私は後ずさって構え直す。
肩を大きく回して竹刀の切っ先を真上に。
天を突き刺すようなこの構えは、示現流の蜻蛉だ。
「なんだその極端な上段構え……ふざけてるのか?」
剣崎がまたも怪訝な表情を浮かべた。
試合開始の合図がかかっているにもかかわらず苛立ちを交えて口を開く。
「小手封じだとしても胴ががら空きだ。防御がまるでできていない」
黙る私に、剣崎はまるで指導者のような口ぶりで言った。
どちらが上か、まだわかっていないようだ。
「そんなノーガードが通じるほど、剣道は甘くない。攻防のバランスこそが――」
評論家にでもなったつもりなのか。疎ましい。
防御の必要性を説く剣崎を振り払うかの如く、私は、一言。
「そんなもの、いらないわ」
言葉に乗せた威圧感に剣崎が怯み、月上京花はその一瞬の隙を見逃さなかった。
『一の太刀の疑わず、二の太刀要らず』
先制攻撃に全てをかけ、電光石火の一撃で相手を仕留める。これが示現流の信条だ。
その攻撃特化の剣術に防御など不要。息絶えた相手に攻撃の余地などないのだから、至極当然のことである。
江戸時代、かの新撰組の隊長を務めた近藤勇は隊員達にこう話したという。
『薩摩藩士と斬り合うならば、初太刀は意地でも避けろ』
そうしなければ、頭の上から振り下ろされた太刀に頭蓋骨ごと叩き切られて即死。
たとえ受け止められたとしても、ユスの木刀で鍛え上げられた強靭な腕力に力負けし、自身の剣ごと頭に一撃を受け致命傷。
薩摩藩士は皆、そんな必殺の剣術を身に付けていたのだから恐ろしい。
そして月上京花の実力はすでに、かつてその剣術で新時代を創った彼らの域にあった。
無論男子大学生などおそるに足らず。
城之園に代々受け継がれし武士の魂が、時代を継いで、京花に宿る。
「い、い、い、一本!」
唸りを上げた竹刀は、剣崎の面を砕く勢いで打ちのめした。
本来ならパアンと乾いた音がするはずだが、道場に響いたのは威力を表したかのような重い音。
唖然とした社長は、京花の目配せを受けてから震えた声で、試合終了の合図を告げた。
勝者、月上京花。
それはまさに電光石火と呼ぶべき一撃だった。
瞬きの時間すら置き去りにする一瞬で雌雄は決し、勝者は敗者に目もくれず、竹刀を眺めてひとつ小さくつぶやく。
「竹刀、折れちゃったわ。ごめんささい」
また投稿間隔が空いてしまいましたね……申し訳ないです。ちょっと最近バタバタしてまして……。
でも次からは週一間隔で投稿できそうです。できなければ……そのときはごめんなさい。
まあ、完結を前に投げ出す、このようなことは私が死んだりしない限り絶対にないので、その点はご安心頂けたらな、と。
今までは押しつけがましいかなと思い、ここでは言ってきませんでしたが、皆様のブックマーク、評価、感想、本当に力になっています。
特に感想は……これがなければ筆を折っていたかもしれません笑
ちょっと執筆の気乗りがしない日でも、皆様の感想を見返すとモリモリと力が湧いてくるんですよね。本当に、ありがたいです。
これからも皆様からの感想、お待ちしております。もちろん懐疑的な内容でもお気軽にどうぞ。




