第52話 璃莉と会えない日々
11月29日 日曜日
夏休みから行っていた技の稽古。
そのときは重いユスの木刀ではなく竹刀を持ち、防具を着けて師匠相手に打ち込んでいた。
そして今まさにその稽古の真っ最中なのだが、
「京花、いつものキレがないぞ」
手を止めた師匠から注意を受けた。
璃莉と距離を置いて五日目。
私は無気力症候群のような症状に陥っていた。
当然この場に璃莉がいないことは言うまでもなく。
昼食は璃莉の手作り弁当からコンビニのおにぎりへとすさまじい格下げが起こるし。
おはようとおやすみのレインすらできないし。
璃莉の笑顔が見れない。
璃莉の声が聞けない。
璃莉の肌に触れられない。
璃莉とキスできない。
璃莉と――。
クリスマスイブまで遠すぎて、なにを生きがいにしていいかわからない。
今日だって、大抵日曜の昼間はデート中なのになんで稽古なんかしなければならないのだと、心の中でふて腐れる始末。
いっそ偶然を装って会おうか。
たとえば朝稽古を休み、校門で璃莉がくるのを待ち構えるとか。
璃莉のクラスの時間割を入手して、音楽や美術の時間に共同校舎で待ち構えるとか。
いや、それよりクラスに突撃するのが一番手っ取り早いか。
「京花よ、聞いておるのか」
「……はーい」
らしくない、覇気のない、形だけの返事をする。
それを聞いた師匠は「はあ……」とため息をついて、
「この姿を璃莉が見たらどう思うかの」
厳しいまなざしを私に向けた。
「あっ……」
その威圧感に自然と背筋が伸びる。
そして、気付かされた。
今の私を璃莉が見たら、きっと幻滅してしまう。
無気力状態で稽古に身が入らないなど、璃莉が好きと言ってくれたかっこいい姿にはほど遠いからだ。
璃莉はきっと勉強を頑張ってる。
清々しい気持ちでクリスマスイブを迎えられるように。
だから私もそれまでに研鑽を積んでおきたい。
一ヶ月後、より誇れる恋人になれるように。
示現流の教えのひとつ、剣を握れば礼を交わさず。
私は竹刀を置いてから礼を取る。
「すみませんでした。もう一度お願いします」
「うむ」
師匠は厳しい目つきに、優しさをほんのり混ぜて頷いた。
・・・
「感情が剣に乗ったいい太刀筋じゃったぞ。安定しておるし、完成が近いかもしれぬな」
稽古が終わったとき、師匠からお褒めの言葉を頂いた。
自分でも良い出来だったと自負できる内容だったから満足だ。
「ありがとうございます。完成を目指してなにか意識することはありますか? たとえば地道に稽古を重ねるほか、それ以外の行いなどでも」
「ううむ……稽古以外か……真剣を使った実戦などすれば劇的に進歩しそうじゃが……そんなこと無理じゃし……てか、わしもしたことないから憶測に過ぎんし……」
そりゃ無理だ。真剣なんて使えば警察が飛んでくる。
一応、それらしい物はこの道場の奥、板の間に置いた台の上に鎮座しているが、真剣だろうと竹光だろうと、所詮はただの飾りだ。
「ま、やはり地道に稽古を重ねるほかないであろう。他に聞きたいことはあるか?」
璃莉がこの場にいないからか、示現流の話が弾む。
というのも、璃莉がいると師匠が私を弟子ではなく孫の恋人として扱うから話の内容も雑談多めになるのだ。
それはそれで楽しい。だが示現流のためにはならない。
いい機会だ。ささいなことだが聞いておこう。
「技の稽古をするようになってから、師匠の太刀筋を見ることが増えました。ですがそれを見極めることが難しくて、なんだか竹刀の動きに目が置いて行かれるような感覚がするんです」
「うむ」
師匠は頷いて、告げる。
「それは動体視力が関係しておるな」
「動体視力、ですか?」
「動いているものを見極める目の良さの度合いじゃ。はっきり言ってこれは才能によるものが大きい。じゃが進化しないわけでもないから、地道に稽古に励むことじゃな」
なるほど……才能か……。
でも鍛えて伸ばせるものならまだありがたい。師匠の言うとおり地道に励もう。
「他にはあるか?」
「あとはとくに……あっ」
師匠に一言謝っておきたいことを思い出した。
「どうした?」
「いえ、示現流とは関係ないですけど……」
「申してみよ」
「今回、私と璃莉が一ヶ月距離を置いたことで、結果的に師匠も璃莉と一ヶ月会えなくなったことに申し訳なさを感じておりまして……。巻き込んでしまって申し訳ありません」
「なんじゃ、そんなことか。わしの方から会いに行けばいいだけの話ではないか」
あ、たしかに。
『璃莉がここに来ない=師匠も璃莉と会えない』と早とちりしてしまった。
「それにおぬしと知り合う前は一ヶ月頻度ですら会えてなかった。だから申し訳なく思う必要はない。……祖父の扱いなど恋人と比べたら遙か小さきもの……孫と会える頻度が増えたのは嬉しいが、目当ては明らかに京花じゃからな……まったく……ブツブツ」
「あ、あの……師匠……?」
なんだか私に対する恨み節が炸裂している気がするが……。
もしかして、これも一種の嫉妬なのだろうか。
しばらくして師匠は「ウオッホン」と咳払いで仕切り直し、
「一ヶ月後は必ずやってくる。だから喪失感に暮れるのではなく、前向きに日々を過ごすことじゃな」
と、私を励ます言葉を送った。
そう、クリスマスイブには璃莉と会えるのだ。
絶対、会えるのだ。
だからそのときを楽しみに、前向きに過ごそう。




