第51話 一ヶ月なんて
璃莉が見ている中での稽古をつつがなく終え、今は璃莉を家まで送って行く最中だ。
ちなみにこれは稽古終了後の日課になっている。
遅い時間だし、さらに最近は日が沈むのも早いから用心のために。
まあ、太陽がさんさんと光を照らす真っ昼間だとしても、私は璃莉を送って行くが。
そこにあるのは璃莉への想い。
結局のところ、私は璃莉と少しでも同じ時間を共有したいのだ。
だから璃莉の家の最寄り駅で電車を降りて歩きながら、
『ああ、あと数分で一ヶ月も会えない日々が始まるのか』
『特例日をもう少し置いてもよかったかも』
などと少し後悔をしていた。
そんなとき、
「お姉様、公園で少しおしゃべりしない?」
璃莉が思い出の詰まった公園を指さしてそう言った。
「ええ、もちろん」と当たり前のように二つ返事で了承。
公園に入り、これまた思い出の詰まったベンチに腰かける。
しばし見つめ合い、どちらかが声を発する前に唇を重ね合った。
幸せだった。
そして私はキスをしながら、ある想いに駆られる。
『やっぱり、距離を置くなんてやめよう』
これからも毎日璃莉と会いたい。
成績なんてどうでもいい。
もし璃莉が他所の高校に行くようなことになれば、私がその高校に転校すればいい。
そんなことを考え、声に出して伝えようと思った。
やがて唇が離れる。
「璃莉」「お姉様」
同時に名前を呼び合った。
意味もなく呼び合ったのではなく、璃莉も私になにかを伝えようとしたのが感じ取れた。
「あっ、お姉様から言って」
「いや、まず璃莉から」
「それじゃあ……」
互いに譲り合った後、璃莉は一呼吸置いてから私に向かって、
「お姉様、ありがとう」
ありがとうと、お礼を言った。
面と向かってお礼を言われるようなことをした覚えのない私は、少し困惑。
璃莉はそれを察したのか、付け加えてもう一度伝えてくれた。
「一旦距離を置こうって言ってくれてありがとう」
「……え? それがありがとうなの?」
「うん。おじいちゃんが言っていたように、お姉様は璃莉の成績を心配してくれたんだよね。だから、ありがとうだよ」
「璃莉……」
大人だ。
一ヶ月会えなくなるのが嫌なだけで、後先考えず自分が打ち出したことを撤回しようとした私と比べてずいぶん大人だ。
「すごく寂しいけど、勉強頑張って、一ヶ月でグンと成績上げてみせるから。だからお姉様は待っててね」
「……ええ、待ってるわ」
「それと、お姉様は璃莉になんて言おうとしたの?」
「あっ、えっと、勉強頑張ってねって」
「うん! 頑張るね!」
決意に満ちた表情と言葉に、先ほどの想いは押し殺された。
璃莉は努力しようとしている。ならばそれを止めずに応援するのが私のすべきことだ。
「じゃあそろそろ……あ!」
「どうしたの?」
「お姉様に貸したいものがあるんだ」
そう言って璃莉は鞄を探り、なにかを取り出した。
璃莉が手に持つ四角い物体を目をこらして見てみると、それはアニメチックな表紙の本。
「あっ、これは……」
表紙のキャラに見覚えがあった。
「オレ様王子の異世界転生物語じゃない」
そう、付き合う前、璃莉から借りて読んだ小説。
一巻と二巻を読了し、とても面白かった記憶がある。
「うん。昨日三巻が発売したんだ。まだほとんど読んでないけど、先にお姉様に貸すね」
「どうして先に? 璃莉が買った物なのに」
「この一ヶ月は勉強に集中したいから。返すのはクリスマスイブの日でいいよ」
「……わかったわ。そういうことなら先に読ませてもらうわね」
これは嬉しい。
璃莉と会えない淋しさを紛らわす存在になるし、あと単純に続きも気になっていたからだ。
私は璃莉から本を受け取り、自分の鞄にしまった。
「じゃあお姉様、そろそろ行こうか」
「ええ」
ゆっくり立ち上がり、ギュッと手を繋ぐ。
そして公園から歩くこと数分、璃莉の自宅にたどり着き、璃莉が玄関扉に手を掛けた。
「じゃあね。お姉様」
「ええ、璃莉」
互いに手をひらひらと振った後、璃莉は玄関扉を閉める直前に顔だけ覗かせた。
「だ・い・す・き」
小声だが、しっかりと耳に届いた。
「わ・た・し・も」
言葉を返して微笑み合う。
玄関扉が完全に閉まる最後の最後まで手を振り続けた。
いつも名残惜しく感じる姿だが、今日はその想いもひとしお身にしみる。
ああ、璃莉としばらく会えない。
でも、一ヶ月後には絶対会えるから。
そう、絶対に。
己を納得させ、私も帰路についた。
一ヶ月なんて、きっとすぐやってくる。




