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第5話 剣を握れば礼を交わさず

「では早速稽古を始める。木刀を持ってくるから靴を脱いで素足になり、少し待っておれ」


 師匠はそう言って、奥の戸口に向かった。

 

 ……あっ。ちょっと待って。


「師匠!」


「なんじゃ?」


「あの……私……ジャージのままなのですが……」


 これから稽古だというのに、こんなだらしない格好では失礼だろう。

 家に帰れば道着があるから、走って取ってこよう。

 そう考えたのだが、師匠の返答は意外なものだった。


「そのままでよい」


「え? でも失礼では……」


「他の流派は知らんが、示現流では何時でも敵と対峙できるよう、平服でも稽古に参加してよいとされている。だからおぬしがのぞめば、学校の制服でやってもかまわんぞ」

 

 そんな風な教えがあるのか。

 ここはそれに乗っかるとしよう。

 さすがに学校の制服ではやらないけど。


 師匠は告げた後、戸口を開けて道場から出て行った。

 

 その間に、私は言われたとおり靴と靴下を脱いで素足になる。

 

 うううっ……当然だが新感覚だ。


 素足で土の上に立つなど、小学生の頃課外活動でやった田植え体験以来ではないか。

 だがあの時は嫌々、今は望んで土を踏んでいる。

 だからこの感覚が早く当たり前になるよう、稽古に励まなければ。

 

 そう決意を新たにしていると、師匠が戻ってきた。

 

 手には木刀が……え? それ木刀?


「師匠、それ木刀ですか……? なんというか……ただの木の棒に見えるような……」

 

 そう、さっき公園で振った棒とは大きさも太さも段違いだが、ただの木の棒にしか見えない。

 刀とは思えない雑な作りで、『さっき庭の木から切り落としてきたのですか?』と尋ねたくなる物だ。


「立木打ちにはこれを使うと決まっておる。『ユス』という木を乾燥させたもので普通の木刀や竹刀より遙かに大きく太く重いぞ。試しに持ってみなさい」


 師匠からユスの木刀を手渡される。

 重いといっても知れているだろう……うっ!

 高をくくった私の手に衝撃が走る。


「お、重い……こんなのを勢いよく振るのですか……?」

 

 竹刀と比べたら倍……いや、三倍の重さはありそうだ。


「そうじゃ。まあ振る前に、まずは基本となる蜻蛉と教えよう」


「は、はい! よろしくお願いします!」


 私は礼をとった。

『礼に始まり礼に終わる』という言葉もある通り、武道では礼節を大変重んじる。

 三年間剣道に没頭していた私にとっては、もはや当たり前の行動だ。


「むっ。京花よ、それはいかんな」

 

 しかしながら、なぜか師匠からは渋い表情。

 ん? 私のどこに至らないところがあったというのだろうか。

 もしかして、示現流はもっと深く礼をするものなのか。


「よろしくお願いします!」

 

 私は腰をほぼ九十度にして礼をとった。

 これなら大丈夫なはず。しかし、


「ああ、違う違う。どうやら勘違いしておるようじゃの」


「じゃあ土下座とか……ですか?」


「なぜそうなる」


 師匠は私の肩を持ち上げ、九十度に曲げていた腰の角度をなくす。


「京花よ、礼をしてはいかん」


 ……はい?

 

 意味が分からなかった。

 礼をするのは武道の常識だろう。

 

 困惑する私に向かって、師匠が口を開く。


「示現流では剣を持っての挨拶は禁じられておるのじゃ。『剣を握れば礼を交わさず』といって、たとえ稽古であっても剣を握れば実戦同様。斬るか斬られるかの実戦で礼を交わす余裕などないじゃろ?」


 なんと……そんな考え方が……。

 

 道場、服装自由もそうだが、示現流はとにかく実戦にこだわった流派のようだ。

 スポーツの剣道との違いがまざまざと感じられる。


「では気を取り直して、蜻蛉を取ってみなさい」


「取る……ですか?」

 

 小さなことだが、言葉の言い回しが気になった。

 普通『構える』ではないのか。あるいは『構えを取る』といったところか。


「示現流は攻撃に全てをかけた流派。だから防御を意味する『構え』という言葉はできるだけ使わないのじゃ。これはさっき話した他流派の方が厳しいじゃがな。我が示現流では『取る』でも『構え』でも好きな方を使うとよい」

 

 そうなのか。

 なんとなく、『取る』の方を使いたくなった。

 とにかく今は新しいことに身を埋めたい、そう思ったのかもしれない。

 

 私は蜻蛉を取る。


「そう、右手を自然に上げ、左手を添える。足は一足半くらい開いて……うむ、それが蜻蛉じゃ。蜻蛉がしっかりしていないと、技の全てに狂いが生じる。しっかり身体にしみこませるように」


 師匠は私の隣に位置を移し、

「では振ってみろ。右から左に斜めに叩き降ろすようにな」



――ブン。

 

 うーん。なんとなく違う気がする。

 公園で棒を振ったときもそうだったが、この違和感の正体は何だろう……。


「京花よ、もっと切っ先を意識するのじゃ。しなりを超えて、剣の先を伸ばすような感覚で」


 剣の先を伸ばす? こうかな?



 ――ビュン。

 

 あ、これだ! さっきまでとは全然違う、スポーツの剣道にはなかった感覚だ。


「おぬし、なかなか筋がよいの」


 師匠も唸る。

 手応えを感じると共に、その言葉で少しいい気分になっていると、


「これなら立木打ちまで一ヶ月といったところか」


 ……え? 


「あの、立木打ちまで一ヶ月というのは……?」


「言葉の通りじゃ。おぬしはこれから一ヶ月、素振りのみをやってもらう。まさかすぐ立木打ちができるなどと、思ってなかっただろうな」


「い、いえいえ! 全然! まったくもって!」


 めちゃくちゃ思っていました。

 

 でも、よく考えたら示現流での私はピカピカの一年生。

 そんなすぐ本格的な稽古をさせてもらえるわけがない。

 これがトイレ掃除からとかなら文句の一つや二つ言いたくなるが、木刀を握らさせてもらっているだけでありがたいと思わなくては。


「中にはすぐに立木打ちをさせる指導者もいるが、わしから言わせればせかし過ぎじゃ。木を打つ前にもっと基本から固めんとな」

 

 もっともだ。

 基本をおろそかにしていては進歩はない。

 スポーツの剣道だって素振りから始めたのに、私はあの頃の気持ちを忘れかけていた。

 今となっては、いきなり立木打ちができると思っていた自分が恥ずかしい。


「とりあえずこの場で百回、素振りしてみろ。途中根を上げそうになっても、なんとか続けるのじゃ。いいな?」

 

 ……百? 

 

 その回数に拍子抜けした。

 いくらなんでも少なすぎじゃないか。百回の素振りなんて、ウォーミングアップにもならない。

 とは思いつつも、


「はい! 師匠!」


 私は言われたとおり素振りを始めた。


   

・・・



「はあはあはあ……百!」


 言われた回数が終わると同時に、私は地面に倒れ込んだ。

 土の地面だからジャージがドロドロになってしまう、なんて言ってる余裕などない。

 身体中の筋肉が悲鳴を上げる。

 普通の竹刀より重いユスの木刀を使っている上、先を伸ばすような感覚で振るなんて今までの剣道ではやってこなかったから勝手が違うのだ。


「ふむ……さすがじゃ。見所があるわい」


「ど、どこがですか……?」

 

 なおも手を土に着けたままの私は師匠を見上げて尋ねる。

 褒め言葉を頂くのは嬉しいが、たった百回でこのざまなのになぜ……。


「志の弱い人間は疲れたら少しでも楽をしようと、振りを意図的に弱めたりするもんじゃ。だが京花、おぬしにはそれが一切なかった。最後の方はボロボロの振りじゃったが、それでも最後まで全力でやろうという意思が感じ取られた」


 い、意識の問題か……。


「……当然ですよ師匠」


「なに?」


「私は本気で強くなりたいと思っているんです。全力でやるなど当たり前、そのようなことで褒めないでください」


 師匠はそう言う私をジッと見た後、「ふっ」と笑みを浮かべた。


「どうやらわしの目に狂いはなかったようじゃ。では京花、今日は素振り百回をあと三セット。日を追うごとに徐々に増やしていき、一ヶ月後には千回を三セットできるようにまでなってもらう。それができるまで立木打ちはなしじゃ」


 せ、千回を三セット⁉

 それにできるまで立木打ちはなしって……。


「ほら! いつまで休憩しておる気じゃ。早く始めんか」


 ……上等だ。


 強さが簡単に手に入らないことなど重々承知。

 スパルタどんとこい、だ。

 

 私は蜻蛉を取り、


「一、二、三、四……」

 

 素振りを再開した。


 

・・・



「ぜえぜえぜえ……百」

 

 肩で息をしながらも、なんとか百回三セットをやり遂げた。

 倒れ込む私に、師匠から声がかかる。


「良くやり遂げた。少し休憩したら土を払って母屋に来なさい。茶でも入れよう」

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