第44話 先輩の流儀
人の囲いをなんとかかいくぐり、逃げるように走ること数分。
マンションの一室である先輩の家におじゃました。
「ゆっくりしていって。夜中まで私ひとりだからさ」
先輩は真っ暗な部屋の電気を付け、エアコンのリモコンを操作しながら話す。
「両親、仕事で遅いんですか?」
私と同じ境遇なのかな、と思い尋ねた。
すると先輩は「あー」と返答に迷うような素振りを見せてから、
「そんな感じ。でも両親じゃなくて母親ひとり。うちは母子家庭なんだ」
「……すいません。なんか気に障ること聞いちゃって」
「気にしなくていいよ。今飲み物を用意するからふたりともそこに座って待ってて。暑いし、ジュースでいい?」
ふたりで「はい」と返事をして、先輩が指差した食卓テーブルの椅子に隣がけで座る。
一方、先輩は冷蔵庫からジュースを取り出しながら、
「私、お母さんにほんと迷惑掛けてんだ」
その心中を吐露し始めた。
「お父さん、私が中等部二年の頃病気で亡くなったんだ。悲しいのはもちろんだったけど、お金の問題も深刻でさ、世帯収入が激減するわけだよ。そしてうちの学校は私立でしょ。せっかく友達もできたのに、つらいけど公立に転校しなきゃなって覚悟してたんだ」
私と璃莉は、先輩の後ろ姿を見ながら、話を聞く。
「でもお母さんはそうはさせず、私を高等部卒業まで通わせてくれるって約束してくれたんだ。高等部に進学して『アルバイトをしようと思う』って話したときも、『剣道はどうするの⁉ 高校生なんだから今しかできないことに打ち込みなさい!』って怒鳴られたよ。昼は会社で働いて、夜は居酒屋でアルバイトするなんて無茶してるのに、よく言えるなって驚いたな」
先輩は私と璃莉の前にジュースの入ったコップを置いて、まっすぐこちらを見た。
「そんな無茶なお母さんだからこそ、感謝は計り知れないんだ。私は絶対いい大学に入って、そこで学費免除受けられるくらい懸命に勉強して、いい企業に入って親孝行する。それがお母さんにできる最大の恩返しだから」
その光輝く志を聞いて、素直に『かっこいい』と思えた。
私は師匠のことを一番に尊敬しているが、この先輩にも同じくらいの念を抱く。
「……って私のことはどうだっていいや! ふたりのこと聞かせてよ! 付き合ってるんでしょ⁉ どっちから告白したの⁉ 初デートはどこ⁉ キスはもうやった⁉ あっ、もしかしてそれ以上のことも⁉ ふおー!」
意味不明な雄叫びを上げながら、私達にグイグイ接近する先輩。
それに伴い、師匠に並んでいた尊敬度がワンランク下がる。
非常に短い同率一位の期間だった。
「あれは花火大会のときでした。お姉様が急に璃莉の頬を撫でて――――」
「うんうん! それでそれで⁉」
「璃莉、話さなくていいから! 先輩も離れてください!」
頬を赤らめる璃莉を口止めし、先輩を制止させる。
というか、なんのためらいもなく突っ込んできたが……。
「あの、先輩」
「なに?」
「先輩は女の子同士の恋愛を変だとは思わないんですか?」
変、と返ってきたところでなにかを変えるつもりはないが、一応先輩の考えを知っておきたかった。
「変だなんて思わないよ。だってお互いに好きなんでしょ? それが一番じゃん」
あっけらかんと、即答した。
そして言葉を続ける。
「てかね、私、今すっごく嬉しいんだ」
「どうして先輩が?」
「それはね……それは……だって……グスッ」
「え?」
先輩は目を潤ませて少し泣いた。
泣くほど嬉しいなんて、どういうことだ?
「だって、あの京花ちゃんだよ。あの京花ちゃんに恋人ができるなんて……」
「えっと、『あの』って、どの?」
「剣道にしか興味がなかった京花ちゃんだよ。京花ちゃんは剣道のことしか頭になくて、恋人はおろか友達すら一切作らなかったじゃん?」
「ええ、まあ……」
「それ、私のせいじゃないかなって思ってさ」
「ど、どうして先輩のせいになるんですか?」
「私が京花ちゃんから剣道以外のすべてを奪っちゃったからさ……。私が剣道部に誘わなかったら、友達と遊んだりして、楽しい学校生活が送れたかもしれないのにって。申し訳なさを感じてたんだ……」
だから春に『高等部では剣道部には入らない』と告げたとき、あんなに喜んだのか。
私が剣道以外のなにかを見つけたと思って。
「それは違います」
そう、私が友達を作らないのは元々の性格の問題であり、剣道は関係ない。
もし剣道に出会わなければ、なにも持たずなにも得ず、身体だけ大きくなっていたあろう。
「私は剣道漬けの中等部時代が楽しかったです。それに――」
隣にいる、私の大好きな人に向けて微笑む。
するとその人もまた、私に笑顔を向けてくれた。
「剣道と出会わなければ、璃莉と出会うこともなかったですから」
剣道と出会わなければ、示現流に興味を示すこともなく、師匠とも出会っていない。
そうなれば璃莉との接点が生まれず、こうして付き合うこともなかっただろう。
「だからあのとき、強引に剣道部に誘ってくれた先輩には感謝してます。本当にありがとうございました」
感謝の言葉を伝えると、先輩は目に溜めた涙をポロポロとこぼして感極まった。
「くぅ~。我ながらいい後輩を持ったものだ。こちらこそありがとうだよ。教えたこと全部吸収して、根は素直な京花ちゃんと一緒に剣道ができて楽しかった。それに今日は想いを打ち明けてくれて嬉しかったよ。トイレの前で再会したとき、そうとう焦ってたよね。必死になって探してくれたんじゃないの?」
「はい、それはもう」「あの、そのことなんですが……」
「「ん?」」
口を開いた璃莉へ、私と先輩の視線が集まった。
「連絡先を交換していたらこんなことにはならなかったんじゃ……。たしかお姉様のレインに会長さんの名前はなかったですけど、なんでふたりはお互いの連絡先を持ってないんですか?」
「それがね、先輩とのレイン交換ならしていたけど、いつの間にかフレンド欄から消えてたのよ」
私は璃莉から先輩へと視線を移す。
「なにかあったんですか?」
「いやー実は高三に進級して間もない頃にスマホが壊れちゃってさ。データも見事にふっ飛んじゃって」
「そうだったんですか。じゃあ今――」
再び連絡先を交換しようとスマホを取り出そうとしたが、先輩の一言で手が止まる。
「私、今スマホはおろか携帯持ってないんだよね」
「え? ガラケーもですか?」
「うん。受験があるし、これをいい機会と捉えて一年間携帯なしで過ごすことにしたんだ。ガラケーでも友達とのメールや電話に時間を費やしちゃったら意味ないし、徹底的にやろうとね」
改めて、先輩の受験への意気込みを痛感した。
娯楽を絶って、ここまで己を律することができるなんて敬服する。
「でも来年になってもスマホは考え物だよね。あれは依存性がやばいからさ。買ってもらったばかりの中一の頃の話なんだけど、ソシャゲのリセマラが中々終わらなくて、気付いたらなんと明け方。学校に行くまで仮眠しようしたのはいいものの、起きたのが昼過ぎで大遅刻。それを知った両親から大激怒されて一ヶ月スマホ没収されたっけ。今となってはお父さんとのいい思い出でもあるけどね。あははは!」
……やっぱり敬服するかどうかは微妙なラインだ。
どうもこの人は中身に幅がありすぎる。
「おっ、もうこんな時間か。ふたりとも、私の手作りでよければ晩ご飯食べていきなよ。料理は慣れてるから、味の期待はしていいよ!」
時計を見た先輩はそんな話を切り出した。
「え、でも迷惑じゃ……」
「全然。むしろ私がお願いしたいくらいだよ。学校がないからひとりの食事が続いて寂しかったし、勉強の息抜きにふたりの馴れそめとか聞きたいし!」
私達の思い出で息抜きを画策しないでほしい。
「は、ははは……」
「ま、とにかく食べていきなよ! いいでしょ?」
私と璃莉はお言葉に甘えることにした。
先輩は「よーし」と満面の笑み浮かべ、冷蔵庫へ向かい、扉を開ける。
「ふたりには得意料理のオムライスを……あっ、卵がまったくないや。ちょっと近くのスーパーに行ってくるから、五分くらい待ってて……」
先輩は私達をチラチラ見たあと、「あー」と声を出してわざとらしく額に手を当てた。
「私、優柔不断なんだよねー」
うそつけ。そんな風には見えない。
「で、スーパーに行ってから献立を考えるから三十分くらいかかるかも!」
おい、オムライスはどこいった。卵を買いに行くだけだろ。
「というわけでちょっと時間かかるけどゆっくりしてて。さっきも言ったようにお母さんが帰ってくるのは夜遅くだし、来客が来たとしてもセールスだろうから無視してくれてかまわないよ」
念押しも抜かりない。
ここまでくると先輩の意図は図らずとも読めてくる。
「じゃあ行ってくるね。じっくり楽しいイチャイチャタイムを!」
せめて最後まで演じきれよ。
優柔不断などの余計な設定はなんだったんだ。
先輩はバタバタと小走りで部屋から出て、すぐのちに玄関扉と鍵の閉まる音が聞こえた。
やれやれ、こんな風になにもかもお膳立てされては逆にムードが出ず、イチャイチャタイムにはならな……⁉
目の前に、少し赤みが差した可憐な顔がある。
璃莉が私の太ももの上に乗り、向かい合うようにして座ったのだ。
「お姉様」
「な、なあに、璃莉……ふあ!」
思わず変な声が出てしまったが、無理もないだろう。
璃莉は私の背中に手を回し、胸に顔を埋めるようにして抱きついた。
「駅でのあれ、恥ずかしかったけど、すごく嬉しかったです」
バクバクの心音はもろに聞かれているだろう。
駅でのあれは、璃莉に泣き止んでほしいという想いで勢いそのままにやれたが、へたれの本質は変わっていない。
でも、へたれは治らなくても、あの時湧き出た力をほんの少しだけでも思い出して……。
左手は璃莉の背中に回し、右手は璃莉の頭に添えて抱きしめる。
「璃莉のことが大好きだからできたわ」
「璃莉もお姉様のこと大好き」
「なら私は大大好き」
「なら璃莉は大大大好き」
璃莉の柔らかな肌を身体全体で感じ取り、互いに大好きだと愛を伝え合う。
ああ、愛おしくてしかたない。
この時間が、永遠に続けばいいのに。
「璃莉……」
「お姉様……」
「璃莉……」
「お姉様……」
意味もなく名前を呼び合う、私達だけの愛の時間。
やがて璃莉と私は見つめ合い、どちらからともなく距離を縮め、再び唇を重ね合った。
少し慌ただしかったファーストキスとは違い、二回目のそれはゆっくりと溶けてひとつになるような感覚に陥る。
長い長いキスは続き、互いに他の一切合切をシャットアウトするほど夢中になる。
それは玄関扉の開く音が聞こえず、卵を持った先輩を廊下で待ちぼうけにさせるほどだった。




