第42話 その想い、唇に乗せて
「璃莉……ごめんね……」
「いえ……璃莉の、方こそ、ごめんなさい。気にしなくて、大丈夫って、言ったのに。お姉様の、本心は、分かっているのに。さっきのが、嘘だと、分かっているのに。つらいことなど、ないはずなのに、泣いちゃって、ごめんなさい」
依然として涙を流しながら、途切れ途切れに言葉を紡ぐ璃莉。
その涙は収まることを知らず、どんどん溢れてゆく。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。つらくないのに、泣いちゃって、ごめんなさい」
涙を流しながら謝る璃莉を見て、胸が張り裂けそうになった。
悪いのは、私だ。
璃莉につらい思いをさせている原因は、私だ。
どうにかして、涙を止めてあげたい。
なんとかして、涙を止めてあげたい。
この涙を止めるためなら、なんだってする。
どうしてそこまでって?
そんなの決まってる。
――――璃莉のことが、好きだから。
~~~
『ふうん。好きだから涙を止めてあげたいの』
ええ、そうよ。好きな人の涙を見るのが、こんなにもつらいことだとは初めて知ったわ。
『本当にそれだけ? また周りの目が気になるから涙を止めたいだけじゃないの?』
それはないわ。だってそうなら感じるのは恥じらいでしょ。私が感じるのは悲痛だもの。
『へえ。よく言うじゃない。で、涙を止めるためになにをするの? どんな言葉をかけるの? 生半可なことでは泣き止まないと思うけど?』
その通りだわ。璃莉の涙を止めるには、私が根本から変わる必要がある。
『あなたが変わる? いったいなにをするつもりなの?』
簡単なことよ。薔薇の棘、あなたを斬るの。
『大きく出たわね。でも人はそんな急に変わりは……ってなにその剣⁉ どこから湧いて出てきたの⁉ あと刃に書いてある『普通は人それぞれ違う』ってなに⁉』
言葉の通りよ。剣道の基礎だけじゃなく、こんなことまで教わるなんてね。先輩には感謝だわ。
『ちょっ、蜻蛉を取らないで⁉ 待って⁉』
消えなさい。そして二度と顔を見せないで。
~~~
棘が、消えてなくなる。
薔薇が、百合へと変わる。
人それぞれ違う普通。
その中で、私の普通が見つかった。
「璃莉、ごめんね。周りの目を気にする私で」
璃莉はうつむいて涙を流しながら、首を大きく横に振った。
「璃莉、ごめんね。勇気のない私で」
また、璃莉は首を大きく横に振る。
「璃莉」
私は璃莉の顎に手を添える。
手首を上げると同時に、璃莉の顔が上がった。
……この方法が、正しいかどうかはわからない。
……でも、少しでも愛の証明になるのなら。
璃莉の唇を見る。
そして、躊躇いなく一直線に、自分の唇をそこに重ね合わせた。
柔らかな唇。
いつもの璃莉と、プールの塩素が混ざった不思議な匂いに包まれて――。
人がごった返す駅のホームで、私と璃莉は初めてキスをした。
「ごめんね。こんなムードのないファーストキスで」
その味は、かつて口にしたあれとよく似ていた。
飴の部分がなくなって、甘酸っぱさが際立ったリンゴ飴である。
でも、どうしてだろう?
飴も、リンゴもないのに、あのときよりも甘酸っぱい。
「あっ……えっ……あ……」
璃莉の目から涙が止まり、代わりに顔が紅潮する。
それはまるで、真っ赤に熟れたリンゴのようだ。
なんだ、リンゴはここにあったのか。
「璃莉」
まるで王子様がお姫様にするかの如く、私は片膝を着いて璃莉の手を取った。
そして短く簡単だが、想いが凝縮された言葉を送る。
「好き。璃莉のことが、大好き」
へたれな私が、正面からはっきりと好きを伝えるのは、花火大会のとき以来だった。
「えっ……あっ……璃莉も、好き。お姉様が、大好き」
「ありがとう」
重なり合う手と手を弄る。
指を交互に絡ませて、仕上げにギュッと強く握る。恋人繋ぎの完成だ。
「今から少し走るけど、ついてきてくれる?」
大きく縦に振られた首を確認し、私は璃莉をつれて走り出した。
普通は人それぞれ違う。
それを教えてくれた先輩に、私の普通を伝えたい。




