第41話 『普通』の意味
「……先輩?」
電車の中でぶつかってしまった人。
それは偶然にも、中等部時代、剣道部でお世話になった二つ年上の先輩だった。
この人は私が剣道を始めるきっかけを作った人であり、私のことをよく気に掛けてくれていた人でもある。
ただ高等部に進学して間もない頃、ささいなすれ違いがあって、それ以来疎遠になっていた。
「やっぱり京花ちゃんだ! 久しぶりだね! 元気してた?」
すれ違いなどなかったかのように、相変わらずのハイテンションを見せつけてくる。
ちなみにここが電車だということはわかっているのだろうか?
声のボリュームを下げてほしい。
「元気ですよ」
体調は。
「そう! ならよかった! ところでどこかに行ってたの?」
「ええと……江戸サマーランドに……」
「江戸サマーランド⁉ あそこってプールと遊園地が一緒になったテーマパークだよね⁉ 京花ちゃんもそんなところで遊ぶんだ⁉」
「まあ……はい……」
「はえー! へえー!」
リアクションが大きすぎる。
私がテーマパークで遊ぶことがそんなに意外だったのだろうか?
まあ璃莉と出会わなければ縁のなかった場所であることはたしかだ。
「で、その子と行ってたの?」
先輩の目が璃莉へと移る。
どことなく嫌な展開が広がりそうな予感はしたが、嘘をついても後々困るだけなので肯定しておく。
「まあ……はい……」
「へえー! 何年生かなー?」
私の返答を受けた先輩は、まるで子供を相手にするかのように璃莉に尋ねる。
璃莉は先輩の圧の強さにひるみながら、
「ちゅ、中等部三年生です」
「そう……って、え⁉」
いちいちリアクションは大きいが、驚くのはしかたないことかもしれない。
「い、意外と歳が近かったね。しかも『中等部』って言い方で、京花ちゃんと一緒にいるってことは、五木学園の生徒?」
「はい。生徒会長さんですよね?」
「そうそう! 代替わりしたから今は『元』だけどね! でも私のこと知ってくれてたんだ! 嬉しいなあ! 京花ちゃんなんか私が生徒会長やってること、高等部の入学式で知ったらしいからね! ほんと薄情だよ! 中等部の頃は剣道のこと色々教えてあげたのに! あっ、私、京花ちゃんが剣道部に入ってた頃の先輩なんだ! よろしくね!」
早口で一気にしゃべらないでほしい。
これがマシンガントークというやつかと思いながら、これ以上璃莉に関わられると嫌な予感が現実になりそうだから、こちらが質問に回ることにした。
「ところで、先輩はどこに行ってたんですか?」
「ああ、私は塾だよ! 朝から夕方までは塾で勉強! そして夜は家で勉強! 丸一日勉強漬けさ!」
この手の返答は予想していた。
なにせ先輩は高等部三年で、おそらく大学受験を控えている。
それに今、受験モードの表れなのか見慣れないメガネ姿だし、移動時間も無駄にしないよう英単語帳を片手にしている。
あとなにより、
「顔から疲れが出ていますよ 無理しないでください」
先輩は態度こそハイテンションだが、顔に疲れを滲ませていた。
目の下には隈があるし、少し痩せたのではないか。
顔面のすべてから元気はつらつオーラを出していた以前と比べれば、その差は一目瞭然だ。
「あーやっぱりそう見えちゃうかー。でも受験生の夏だからね。多少は無理しないと」
先輩はそう言って、控えめに笑った。
「でも……」
「心配してくれるのはありがたいけど、これが普通だから」
「普通には見えないですよ……」
あの先輩が疲れを見せているのだ。
いくら受験生といっても明らかにオーバーワークではないのか。
しかし、先輩は首を横に振ってにっこり笑った。
「普通だよ。受験生である私の普通」
「『私の』普通、ですか?」
「そう。普通は人それぞれ違うんだよ」
その言葉に、ささるものを感じた。
受験の話をしているはずなのに、なぜだか。
「実は私、今のままだと志望校合格には少し厳しくてね。ランクを下げることも考えたんだ」
「……でも、そうしなかった。と」
「うん。志望校のランクを下げたら今よりは楽をすることができる。でもそれじゃあ私が納得できないから、望んで辛く厳しい道を選んだんだ。たとえボロボロになろうとも、誰でもない私自身が選んだ道だから、そこで精一杯の努力をすることが私の普通なんだよ」
先輩は依然として顔に疲れを残したまま。
だが、その目の奥にはメラメラと燃えたぎるものがあった。
その決意の強さにしばし圧倒されていると、
『次は~○×駅、○×駅』
車内アナウンスが告げた次の停車駅に、先輩が「あっ」と声を上げた。
「私、次で降りるから。こんな話聞かせた後にあれだけど、京花ちゃんは夏休み楽しんでね。あと、ええと……」
「城之園璃莉です」
「璃莉ちゃんか。璃莉ちゃんも夏休み楽しんでね」
先輩は英単語帳を鞄にしまい、降車の準備をする。
一方私は、嫌な予感が杞憂に終わりそうで少しほっとしていた。
電車はスピードを緩め、完全停車一歩手前。
もう心配する必要はないだろうと思っていた矢先だった。
「そういや京花ちゃんと璃莉ちゃんって、友達なの? それとも親戚とか?」
先輩の口から、嫌な予感を的中させる一言が放たれた。
「ええと……」
ゆっくりと先輩から目をそらす。
電車は駅に完全停車し、扉が開かれる。
そこまで返答に時間をかけておいて、
「……友達……って感じです……」
恋人です、とは言えなかった。
璃莉の目の前で、恋人であることを隠してしまった。
「そうかそうか! かわいい友達ができてよかったね! じゃあね!」
電車を降りて、去って行く先輩。
乗車する人の波が重なり、先輩の後ろ姿を見れた時間はほんのわずか。
だが、その間の後悔は果てしなかった。
ちゃんと真実を伝えられたらよかったのに、と。
けど後悔したところで、もう手遅れ……⁉
璃莉を横目で一瞥した後、その衝撃の光景に思わず二度見した。
「ちょ、ごめんなさい!」
璃莉の手首を掴んで、電車の外に連れ出そうと試みる。
出発寸前の混雑した車内で人の波をかき分け、なんとか扉が閉まる寸前で連れ出せた。
走り出す電車。
その風を肌に受けながら、璃莉に向かう。
「璃莉……ごめんね……」
璃莉は、唇を強く結んで泣いていた。




