第4話 新たな一歩、その先には、土
「ついてきなさい」
また、同じ言葉をかけられた。
しかし今度は拒まず、ただその背中を追う。
なにが起こったのか、完全に理解するまでにはまだ至らない。
だがこの城之園老人についていけば、私の求めるものが手に入る気がした。
しばらく追い続け、軽自動車がギリギリ通るか通らないかの狭い路地に入ったところで、
「あの……どうして私に示現流を?」
不可解要素を一つずつ潰していこうと、とりあえず一番気になったことを尋ねてみた。
城之園老人は歩みを止めることなく口を開く。
「それはな、おぬしが夢中だったからじゃ」
そして、少し間を置いて言葉を続ける。
「最初はただ『奇妙な光景じゃの』としか思わなかった。童なら分かるが、おぬしのような若い娘が木の棒を必死になって振っているのじゃからな」
うっ……できればもうその話はやめてほしい。黒歴史確定だ。
「だがおぬしは、夢中で棒を振り、夢中で思案していた。そしてその時の目つきは強さに飢えた獣のようじゃった。あんな目をした若者に出会ったのは久しぶりじゃ」
城ノ園老人の言う通りかもしれない。
力はもちろん、技も、美しさでさえ、突き詰めた先にあるのは強さだ。
私は、強さを欲している。
他のだれでもない、自分という人間の成長のため。
「だから放ってはおけなかった。迷惑じゃったか?」
「い、いえ……そんなことは……」
「ならよい」
狭い路地をしばらく進む。
するとその先に、家が見えた。
大きな敷地の中にある、平屋の一戸建て。
近くに民家もなく、この家だけ別世界にあるような雰囲気だ。
近辺を通学路としていた私だが、こんな所に家があったとは知らなかった。
城ノ園老人はそこに足を踏み入れて、
「ここは我が家じゃ。裏へ来なさい」
言われるがまま、私もその背中を追う。
そして、
「ここじゃ」
城ノ園老人の足が止まった。
私は目の前の建物を見て驚く。
「これは……道場……?」
木目が露わになった建物、道場だった。
まさか個人宅に道場があるなんて……。
「そういえばおぬしの口からはっきりとは聞いておらんかったな」
呆然と道場を見上げる私に、城之園老人が口を開く。
その目は鋭く、私を射貫くような目だった。
「おぬしに問う。示現流は古流剣術のひとつで、おぬしがやっていたスポーツの剣道とは大違い。生きるか死ぬかの実戦を視野に入れ、心身ともに磨き上げるのが示現流じゃ。そのためこの扉の先に足を踏み入れれば、待っているのは厳しい鍛錬。示現流会得のためにその鍛錬に耐える覚悟はあるか?」
答えなど決まり切っていた。
生きるか死ぬか? 厳しい鍛錬? 上等だ。
その先に強さがあるのなら、喜んで受け入れよう。
私は腹の底から声を出す。
「はい! ……師匠!」
師匠は口の端を少し上げた。
「良い目をしておる。では京花、扉の先に行くがいい」
こうして私は師を得て、示現流会得への第一歩を踏み出した。
・・・
扉が開き、道場の中に通され……んんんん?
その異様な光景に私は驚いた。
片膝を着いて、床を触る。
いや、床と言っていいのだろうか。だってこれは……。
「土……どうして……」
道場の床は普通板張り。
どの武道でも、それが常識のはずだ。
しかしこの道場は板張りではなく、大部分に土が敷かれてある。
板張りなのは段差を越えた奥の一部のみ。
そこには母屋に繋がっていると思われる別の戸口と、大層丁寧に飾られていた刀があった。
真剣だろうか?
「そう、示現流の道場は板張りではない。実戦を意識するためにな」
「実戦って……」
「生きるか死ぬかの斬り合いを、板の上ではやらんじゃろ?」
た、たしかに……。
まあ、現代では土の上でもやらないけど……。
「あと、あれを立てるためじゃな」
師匠が指さす先に『あれ』があった。
土中に埋め立てられた太い木。
動画では青年があの木に向かって、右に左にと木刀を打ち込んでいた。
「あの木を使って行うのは『立木打ち』という稽古じゃ。木刀を持ち、あの木に向かって激しく打ち込む。達人ともあれば煙が出るほどの勢いでな」
なるほど……『立木打ち』か……。
ここでふと、疑問が湧いてくる。
「師匠、少しよろしいでしょうか?」
「なんじゃ?」
「私は立木打ちの他に、細い木の束を横に置いて、それに打ち込む稽古も見たのですが……」
そう、公園で見た動画ではその稽古を行っており、私は混乱を招かされたものだ。
見たところこの道場にそれらしき稽古用具はないようだが……。
「ふむ、それは『横木打ち』じゃな。同じ『じげんりゅう』ではあるが、流派が違うのじゃ。だからここでは行わん」
ふむ、流派が違うのか。
武道において流派とはものすごく重要なこと。
他流派を区別するだけでなく、敵視したり、毛嫌いする武道家もいるし、今後『横木打ち』の話はしない方がいいだろう。
「まあ、おぬしがやりたいのならやってもいいが……」
思わずずっこけそうになった。
いいの⁉
流派ってそんなに軽んじていいものだったの⁉
「わ、私は純粋な示現流を会得したいのでやらなくて大丈夫ですが……随分と他流派に寛容なのですね……少し驚きました」
私がそう言うと、師匠は顎に手をやり、
「……そうじゃな。おぬしの強くなりたいという真っ直ぐな想いに応えるためには、これもひとつの手かもしれない思ってな……。わしも丸くなったものじゃ。昔はこんなこと絶対に許さなかったのに……」
そう言う師匠の顔は、心なしかどこか寂しそうに見えた。