第36話 エロボート
更衣室だけで色々なことがあった気がする。
水にはまだ一滴も触れていないのに。
青空の下のプールに出ると、まずその広さに圧倒された。
両端が確認しきれない距離にあり、その中には一周するのにかなりの時間を費やしそうな流れるプール、そびえ立つように存在する数種類のウォータースライダー、あと巨大なドーム型の室内施設。あの中にはなにがあるのだろう?
ちょうど全体マップがあったのでそれを見てみる。
なになに……人工の波が起こせる疑似ビーチ、それに百以上のメニューがあるフードエリア。これらがあのドーム型の施設にあるらしい。
うーむ。規模の大きさが半端じゃない。
これに加えて遊園地もあるから、一日では到底回りきれない広さだ。
「お姉様、あれ、やりましょう」
璃莉の指差す方を見る。
そこには数ある中でも一番大きいのではと思うウォータースライダーがあった。
「いきなりすごいのに乗ろうとするわね……」
「あの二人乗りウォータースライダーはここの看板なんです。だから比較的空いてるうちに乗っておきたいなって」
たしかに、今から午後にかけて来場者は増える一方だろう。てかすでに人が多い。
平日といっても夏休みだから、みんなこぞって涼しく遊べる場所にくるというわけだ。
「そういうことなら早く行きましょう」
「よーし! じゃあ競争しましょう!」
「あっ、走ったら危ないわよ」
はやる気持ちの璃莉を押さえる保護者のような役割を担いながら、ウォータースライダーに到着。
そして私は、入り口の階段横にある注意書きが目に入った。
『お年寄りや小さなお子様、心臓の弱い方はご遠慮ください』
ほほう。ずいぶんとスリリングなスライダーらしい。
「璃莉、こんなこと書いてあるけど大丈夫? 怖くない?」
「平気ですよ。そういうお姉様こそ怖くてドキドキしてるんじゃないですか?」
「余裕よ、こんなの」
かわいらしく煽ってきた璃莉へ、自信満々にそう返答する。
ウォータースライダーは初めてだが、こんなものに怯える私ではない。
というわけで、ふたりして「楽しみ」と余裕を見せながら階段を上る。
この時の私は、違う意味でドキドキすることになるなど知るよしもなかった。
・・・
階段の中腹あたりで人が列を形成しており、待つこと二十分ほど。
いよいよ私達の番がやってきた。
ちょんまげのカツラを被った監視員を見て、ここが江戸を舞台にしたテーマパークだったことを思い出す。こうして実物を見ると、よけい不自然さを感じるものだ。
その監視員が二人乗り用ゴムボートをスタート位置に置いて、あとは私達が乗り込むだけで準備完了。
「璃莉が前でいいですか?」
「ええ、いいわよ」
これ奇数人で来た場合はどうするのだろうと思いながら、ゴムボートに私から乗り込む。
すぐに璃莉も私の前に乗り込……え? え⁉ え!
予想してなかった事態にものすごくドキドキする。
恐怖心からではない。思った以上に私と璃莉の距離が近いからだ。
私の股の間に璃莉が座り、私の膝付近と璃莉の肘付近など、身体のあちこちが密着している。
しかも璃莉はなぜか身体を後ろに倒し、私の胸を枕にしている。
これではゴムボートではなくエロボートじゃないか。
「あっ、やっぱりドキドキしている。怖いんですね?」
胸を枕にしたのは私の心音を聞くためだったらしい。
しかし璃莉よ、このドキドキは恐怖心ではなく、あなたのせいだぞ。
もし正直に答えたら璃莉のニヤニヤした顔も赤くなるのかな、なんて思いつつ、そんなことは到底できっこないので、
「そ、そうよ……い、意外と高いところから滑るのね……」
こうやって誤魔化しておく。
そんなやりとりをしていると、ちょんまげカツラの監視員がエロボートを後ろから押してスタート。
螺旋状のコースを滑りながら璃莉が「キャー」なんて叫んでいるが、私も別の意味で叫びたくなる。
なにせ右に曲がるときは左半身がしっかりと密着し、左に曲がるときは右半身がしっかりと密着する。
こういうのなんて言うんだっけ? 内輪差? いや違う、フレミングの法則か。
慣性の法則が思い浮かばないほど思考力を奪われながらもエロボートは進み、あっという間にゴール。
待機していた別のちょんまげ監視員がボートを先導し、陸地へ上がる。
「ちょっと怖かったけど、楽しかったですね」
「ええ、そうね……」
まあ、楽しかったといえば楽しかった。璃莉とは少しベクトルが違うが。
「じゃあもう一回いきましょう!」
「え⁉ ……い、いいわよ」
完全にエロボートの虜になってしまった私は、もう一度あれが味わえるのかと悶々しながら入り口へと向かい、再び注意書きを目にする。
心臓の弱い方はご遠慮ください、か。
ここに『場合によっては健康な若者でも注意が必要です』と追記したくなった。




