第34話 ふたりきりの公園にて
映画が終わり、場内が明るくなった。
「いい話でしたね。璃莉、感動しました」
「ええ、そうね……」
さりげなく、手を緩めていく。
終盤はまったく映画に集中できなかった。
今だって物語の余韻に浸る余裕もなく、この手をどうしようか、なんてことを考えているし。
「この後どうしますか? 晩ご飯にはちょっと早いですし」
「ええと……そうね……」
デートプランにまで気が回らず、考えるふりをする。
そうしていると、スマホの電源を入れた璃莉が「ん?」と声を上げた。
「どうしたの?」
「ママからレインが入ってたんですけど、なぜか文面が怒り気味なんですよ。ほら」
そこには『どこにいるの? 早く帰ってきなさい!』とあった。たしかに怒り気味だ。
返信するためだろう。ふれ合っていた互いの手は、璃莉によってほどかれた。
そして私は、内心ホッとしてしまった自分にショックを受ける。
ああ、やっぱり、だめだったか。
「昨日話したお姉様とデートだよー。晩ご飯いらないからねーっと」
「……え?」
「え? なんですか?」
なんですかって、とんでもないことをお母さんに報告していないか?
「お母さんに話したの? その……私の存在と、関係を」
「はい、ママには話しましたよ。パパやおじいちゃんには伝えてないですけどね。ダメでしたか?」
「いや……ダメじゃないけど……ちなみにお母さんはなんて?」
「『あら、良かったじゃない。相手も女の子だとママも安心だわ』って言ってました」
軽い。軽すぎる。
え? みんなそんな感じなの? 私の考えすぎ?
……いや、違う。考えすぎなどではない。
映画の客層からも分かることだし、それにうちの両親は私に恋人ができたと判明しただけでフリーズしていたではないか。
もし相手が女の子だと知ったらそのまま後ろに倒れて大惨事になっていたかもしれない。
おそらく、璃莉のお母さんが軽いだけだ。
その反応を当たり前だと思ってはいけない。
しかし、それにしても、
「……璃莉は、強いわね」
「強い? それってどういう……あっ」
璃莉はスマホの画面を見てうなだれる。
なにをお母さんに言われたのだろうか?
「今日から体験入塾するの、忘れてました……」
「学習塾に通うの?」
「はい……まだ決定ではないですけど……ママに無理矢理入れられたんです……」
「大変ね、璃莉も」
「うう……なんで夏休みに勉強なんか……そうだ! ここから直で行くと嘘ついて、サボっちゃいましょう!」
「塾から家に電話されてバレたら、とんでもないくらい叱られるわよ……」
「ひぃ! たしかに……。ここは素直に従うしかなさそうです」
というわけでるるぽーとを後にすることになった。
なお、駅までの道で、私達が手を繋ぐことはなかった。
・・・
璃莉を家まで送って行くことにした。
家と反対方向の電車に乗らなければならず、寄り道みたいになってしまうのだが、別に私はこの後予定もないし、なにより花火大会のときのお返しをしておきたかった。
あと、家まで送って行くと告げたときの璃莉の笑顔。
それだけで余分にかかった電車賃など優に超えて、莫大なおつりが出る収穫だった。
電車を降りて、夕日に照らされた帰り道を歩いていると、
「お姉様、もう少しお話しませんか?」
璃莉が公園のベンチを指差してそう言った。
あの公園のあのベンチは私達が恋人になった思い出の場所。
一昨日のことなのに、ずっと前のことのように思える。
それだけこの二日間は充実していた。
「私はいいけど、塾の時間は大丈夫なの?」
「ちょっとだけなら平気です」
そう言うので、二人並んでベンチに腰を下ろした。
夕暮れの閑静な住宅街。
その中にひっそりとある、人気のない公園。
ゆっくりと時間が流れていき、ふたりだけの世界が構築されたような錯覚に陥る。
璃莉が私の腕を取り、身体を密着させた。
「ねえ、お姉様」
「なあに、璃莉」
「今日の朝、お姉様が駅で不機嫌になったとき、璃莉はむしろ嬉しかったって言いましたよね」
「ええ、そうね」
璃莉が私以外の人と手を繋いだと知って、得も知れぬイライラとモヤモヤに包まれた今朝。
そのあと立ち直った私が『変な空気にしちゃってごめんね』と謝ると、璃莉からはなぜか『嬉しかった』との返答が。
真意を尋ねると『内緒』とのことだったが……。
その内緒を、璃莉がここで明かしてくれた。
「あれ、嫉妬していたんですよね」
「嫉妬……」
聞いたことはある。
意味も知っている。
でも体験したことはなかった。
そうか。あのイライラとモヤモヤは嫉妬によるものだったのか。
「よほど好きじゃないと嫉妬なんかしませんからね。だから嬉しかったんです」
「そう言われると、なんか恥ずかしくなってくるわね……」
だが紛れもない事実。私は璃莉のことがよほど好きだ。他の何よりも。
「えへへ、恥ずかしがらないでもっと嫉妬してください。と言いたいところですけど、それじゃあお姉様が苦しいですから……」
璃莉は腰を少し上げて、私の耳元でささやいた。
「嫉妬しなくて大丈夫ですよ。璃莉はお姉様だけのものですから」
キューっと、胸が熱くなる。
璃莉は私だけのもの。
友達も、親も、全部抜き去って、私が一番。
嬉しい言葉の贈り物をくれた璃莉へ、私もお返しする。
「私も……その……璃莉だけの……ものよ……」
何度も頭も悩ませているが、もう少しはっきり言えないのか。
相変わらずこういった場面はとことん弱いなと、自分で自分が少し嫌になった。
でも、璃莉は大切に受け取ってくれたみたいで。
「えへへ、嬉しいです。じゃあ璃莉がお姉様を独り占めしちゃいますからね」
「ええ、思う存分、独り占めして」
ギュッと、璃莉が私の腕を取る力を強めた。
力の強さは、想いの強さと比例しているのだろうか。
だったら、もっともっと強く、私の腕を抱きしめて。そしてずっと離さないで。
「お姉様、恋人同士じゃないとやらないこと、やりませんか?」
「え? それってどんな……!」
璃莉は目を瞑った。昨日と同じように。
そして既視感があるその行為だけでなく、顎を上げ、唇を少し突き出している。
昨日は気付けなかったが、ここまでアピールされたらさすがに気付く。
そう、璃莉はキスを求めている。
すぐそばで待ち構える璃莉の唇に、私の胸は爆音を鳴らす。
私が唇を近づけて、璃莉の唇と合わせれば、璃莉とキスしたことになる。
念願の璃莉とのキス。
ずっとしたいと思っていた璃莉とのキス。
まさか璃莉から求められて、こんなに早く機会が来ようとは夢にも思わなかった。
加速する胸の鼓動が収まらぬまま、私は少しずつ、璃莉との距離を詰める。
あと十センチ、あと数センチ、あとほんの少し……そして、
「り、璃莉、そろそろ塾の時間じゃない?」
へたれた。最悪だ。
寸前でこんなことになるなんて。きっと璃莉は前と同じように拗ねるに違いない。
そう予想していると、しばらくして璃莉が目を開けた。
どんなことを言われるのかと待っていたが、
「……」
璃莉はなにも言わず、悲しげな表情を浮かべた。
予想と違う展開に、私はしばらく面食らっていると、
「そうですよね。そろそろ塾に行かないといけないですね」
璃莉はやっとのことで声を絞り出し、私の腕から手を離し、立ち上がった。
「じゃあお姉様、また明日」
「え、ええ……」
言葉が思い浮かばず、ただ座ったまま、去って行く璃莉を見つめる。
そして姿が見えなくなってからやっと、自分がしたことの愚かさに気づいた。
「ああ……もう!」
己のふがいなさに苛立つ。
そんな風に声を張り上げたって、璃莉は戻ってこないだろうに。
正直、あの悲しげな表情を見るのは拗ねられるより辛かった。
あんな顔をされるくらいなら、『もう! お姉様!』と言って首をプイッと横にされる方がマシだ。
「はあ……」
ほんとうにもう、肝心な場面で弱すぎる。
あと少し勇気を出せていたら、今頃は璃莉の悲しげな表情を見ることなく、互いの好きがもっと深まっていたのに。
それに、結局璃莉を家まで送っていけなかった。
有言したことを実行できず、璃莉がお膳立てしてくれたキスも寸前でへたれる。
なんだこのざまは。こんなのが王子様だなんて笑わせる。
頭を抱え込みながら、このあとどうしようかと考える。
レインを送ろうか?
それとも学習塾に行く璃莉を駅で待ち伏せしようか?
……で、そのあとは?
謝るのか? そしてキスをするのか? 駅で? 人目もはばからず?
……無理だろう。
覆水盆に返らずとはこのことだ。取り返しがつかない。
散々考えて、選択肢がひとつしかないことに気付く。
それは今日のところは帰るという消極的な手段。いや、ただの逃げ。
でもこれで終わらせるわけにはいかない。次の機会もきっとやってくると信じたい。
だから、その時は必ず。
・・・
翌日、『また明日』との言葉通り、璃莉も師匠の家にやってきた。
私は昨日のことが尾を引いたり、唇をつい意識してしまったりしたので、最初はどことなくぎこちない感じになってしまった。
しかし一方で璃莉は、まるでなにごともなかったかのような態度で接してきたので、しだいに私も昨日のことを忘れ、楽しくおしゃべりができた。
そして、
「お姉様、江戸サマーランドには明日行きましょうね」
「ええ⁉ ちょ、ちょっとペース詰めすぎじゃない?」
「おじいちゃん、明日稽古お休みね」
「うむ、わかった」
我が師匠よ、それでいいのか。
最近稽古がどんどんないがしろになっているような気がする。
当然私も璃莉とのデートの方が楽しい。
でも、あまり稽古をサボりすぎると不安になってくるのだが。
「えへへ、お姉様とこんなにお出かけできて、璃莉は幸せです」
……まあ夏休みだし、これでいいか。




