第33話 いや、薔薇
予約のチケットを発券し、お手洗いも済ませ、ジュースを購入。
準備万端だ。
「……実は私、映画館初めてなのよ」
「そうなんですか。エンドロールが流れたとき、スタンディングオーベーションで賛辞を送るのがマナーですから忘れないでくださいね」
「え⁉ そんな海外のコンサートみたいなことするの⁉」
「冗談ですよ、冗談」
「もう、璃莉ったら!」
「えへへ、さっきのお返しです」
なんて他愛もない会話でキャッキャウフフしながら入館。
璃莉が予約した後ろの方の席に座り、なんとなく周りをさっと見渡してみる。
平日とあって客入りはまばらだ。
一人客なのか複数人で来たのかがよく分かる状況である。
……あれ?
そして背もたれの先から伸びる頭の形を見て、少し違和感を覚えた。
男女、男同士、男ひとり、女ひとり。
組み合わせ様々だが、ひとつだけ欠けている。
『女同士』で観に来ている人が、どこにも見当たらない。
恋愛映画って、女同士では観ないのか?
むしろよくある組み合わせだと思っていたのだが、違ったのか?
「お姉様、スマホの電源切りましたか?」
「あっ、そうよね。今切るわ」
まあ、客層などどうでもいいことだろう。
些細な疑問を胸にしまい、スマホを操作して電源を切る。
すると劇場が暗転し、数分間予告が流れた後、ビデオカメラのかぶり物を身に付けた人間がくねくね踊る気味の悪い映像を見せられた。
うーむ。注意喚起のためとはいえ、もう少し柔らかな表現にできなかったのか。あれでは本編に尾を引きそうだ。
そんな感じで、インフルエンザ発症時の悪夢に登場しそうな生物を頭の片隅に残したまま、本編がスタートした。
舞台は由緒正しきお嬢様学校。
学校の制度によって引き合わされたふたりの女子生徒が、互いに友情とは違った想いを抱くようになり、制度を超えた仲になってゆく作品だ。
ふむ。
とりあえず屋上での告白シーンまで進んだが、おもしろい。
私は上映前の怪しいビデオカメラ人間の存在を忘れ、作品に見入っていた。
運命的な出会い、すれ違い、ちょっとした三角関係など、恋愛ストーリーとして王道な部分も多い。
だが、女の子同士の恋愛という禁断の果実の甘さに酔いしれ、周りの目を気にしながらも想いを止められずにいるふたりの姿は、この物語特有で……。
あっ……。
画面から一瞬目を逸らし、璃莉を一瞥する。
昨日の朝の、両親とのやりとりを思い出した。
『彼氏じゃないわ。彼女』
言いたかったけど、言えなかった言葉。
そう、あのとき、私は女の子同士の恋愛が普通じゃないことを痛感した。
そして今、映画に感情移入することで、痛みがよみがえる。
客層の謎も解けた。
恋愛映画なのに、女同士が私達を除いて一組も見られない理由。
それは物語で普通の恋愛をしていないから。普通の恋愛映画じゃないから。
女友達同士でこんなの観たら、関係がギクシャクしてしまうに違いない。
今日のデートを振り返る。
恋人繋ぎでいた時間は少なくなかった。
もしかしたらふと知れず、周りから異質なものを見る目を向けられていたのではないか。
女同士なのに恋人繋ぎ? と。
そして今後は、後ろ指を指されているかもしれないと分かった上で、私は璃莉の手を握れるのだろうか。
視線を、肘おきに置かれた璃莉の手に移す。
ここは暗いから、誰にも見られることはない。
伸ばしたその手で、璃莉の手をギュッと握る。
今は手を握るから、劇場を出た後、もし手を握れなかったとしても許して。
積極的な行為の裏で、そんな消極的な思いを込める。
すると璃莉は頭を私の肩に寄せて、
「だ、い、す、き」
私がギリギリで聞き取れるくらいの超小声でささやいた。
やめて。喜ばないで。愛をささやかないで。
この行為は、罪滅ぼしの前払いみたいなものだから。
女の子同士の恋愛を百合というらしい。
でも実体は百合ではなく、薔薇。
綺麗な花の下に鋭利な棘を隠し持つ薔薇は、
我が道を行く私にも、重く、深く、突き刺さり、
心に、大きな傷を与える。




