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第3話 怪しい老人

 目的地は学校の道場だ。

 そこに行けば竹刀がある。

 誰がいるとか、そんなの今はどうでもよかった。

 とにかく一秒でも早く剣を握りたいと、私の足がスピードを緩めようとしない。

 

 このまま走って駅まで行って電車に飛び乗ろう。

 

 それにしても、いつもと同じ通学路なのに、今日は足が軽く走りやすい気がする。

 きっと私の気分が高揚しているから……あっ!

 

 己の右肩、いつも鞄がかかっている場所に目をやると、今日はその場所になにもなかった。

 鞄を忘れたことにようやく気付いた。

 すなわち財布も定期券も家に置きっぱなし。

 足を止め、膝に手を当てうなだれる。

 

 バカなのか私は……。

 しかもジャージ姿のままだし……。


 冷静な心も武道には必要なのに、これでは新しい剣の道を模索する以前の問題だ。

 己の愚行を恥じ、一旦家に引き返そうと顔を上げる。

 さっさと取りに帰ろう……ん?

 

 その時、ふと隣の公園が視界に入った。

 いや、正確に言うと隣の公園に落ちてある一本の木の棒が視界に入った。

 

 ここは元々人通りの少ない往来で、公園の中も含め、周りに人は誰一人として見当たらない。

 そして、まるで振り回すために存在しているかのような丁度いいサイズの木の棒。

 条件は揃っていた。

 

 ……これはつまり、そういうことか?

 

 ……いやいやいや! そんな小三男子みたいなことやってどうするんだ! 

 

 中学生でさえ『そんなガキみたいなこと……』とか言いそうなことだぞ! 


 もっと自制心を持て私!

 

 さっき冷静な心を持たない己を恥じたばかりなのに、これでは先が思いやられる。

 さあ、さっさと家に帰って……帰って…。

 

 なぜだか足が動かない。

 まるで足が意思を持って、あなたの行き先はそっちじゃないでしょうと、拒んでいるような感覚だ。

 そしてチラチラと、どうしても木の棒を見てしまう私本体。

 

 ……す、少しくらいなら。

 

 フラフラと、木の棒に向かって歩を進める。

 自制心より、欲求の方が上回った瞬間だった。


    

    ・・・


 

 木の棒を手に取り、動画で見たとおりの構えをやってみる。

 棒を持った手を顔の側面に持ってくる独特の上段構え。

 

 こんな感じかな……はっ!

 

 力を込めて一振り、だがまったくしっくりこない。


 ……もう少し右肘を上げてみようかな?

 

 少し持ち方を変え、もう一度振ってみる。

 しかし、またしてもしっくりこない。

 そうやって持ち方を変えつつ、何回か棒を振ってみた。だが一向にコツを掴む気配が見えない。

 

 そうだ。もう一度動画を見て確認してみよう。

 幸いなことに、スマホは無意識のうちにジャージのポケットへ放り込んでいたようで、取り出して再び動画検索してみる。

  

『示現流』(じげんりゅう)っと……あれ?

 

 検索結果を下にスクロールすると、最初に見た真っ直ぐ立てた太い一本の木を打ち込む動画の他に、細い木々を束にして横に置いたものを打ち込む動画もあった。

 試しに再生してみると、剣士の構えも少し違う。

 どっちが正解なんだろうか?

 うーん、と頭を悩ませる私。

 低く響く声が飛んできたのはそんな時だった。





「おぬし、さっきのは示現流の蜻蛉(とんぼ)ではないのか?」

 

 



 声のする方に視線を移す。

 そこにいたのは立派な髭を蓄えた老人だった。

 歳を感じさせぬ威厳に満ちあふれた精悍な顔つきで、和装に身を包み、両手を左右の袖に入れている。

 たたずまいだけ見れば、ただ者じゃない雰囲気がしないこともない。

 正体不明の老人に警戒しつつも、質問には一応答える。


「ええ、示現流はそうですけど……」


 蜻蛉ってなに? 

 今は桜が咲き蝶々が舞う季節であって、蜻蛉が飛ぶような季節じゃない。


「その様子じゃ蜻蛉を知らんようじゃな。蜻蛉とはさっきおぬしもやっていた示現流独特の上段構えの名称じゃ」

 

 なんと、構えにそんな名称がついていたのか。

 新たな知識を手に入れた私は、『蜻蛉』という名称を意識しながら再び構える。

 

 ふーむ、これが蜻蛉……。

 

 たしかに剣が真っ直ぐ伸びるから蜻蛉に見立てられなくもない。

 普通の剣道の構えならカブトムシ……あっ。

 目の前に老人がいることを忘れ、つい自分の世界に入ってしまった。

 会話中に棒を構えるなんて、これじゃあ私の方がよほど警戒すべき人物である。

 老人は私を射貫くような目で見据えた。


「どうやら示現流に興味津々のようじゃな。よかろう、ついてきなさい」


 ……はい?

 

 老人はきびすを返し、歩みを進める。

 状況が読めない私はただ呆然と突っ立つのみ。


「どうした? なぜついてこん?」


 老人は数歩進んだ後、振り返り、ついてこない私に向かって尋ねた。

 

 いやいやいやいや、行くわけないだろう。

 知らない人についていくなと言われた幼稚園児ではないが、怪しいにおいがプンプンする。

 どうやら老人も察したみたいで、


「ふむ……おぬしこう思っとるな。何者だこのじいさん、と」

 

 そう言って顎に手を当てた。

 大正解だ。理解が早くて助かる。

 

 すると老人はなにを思ったのか、足を止めたまま、ジッと私の身体を見る。 

 気味の悪さに思わずにらみ返すと、老人は再び口を開いた。


「伸びた背筋……」


 ……ん?


「そして凛々しい顔つき。随分と鍛錬を積んできたように見受けられるが、武道の心得が?」


 なにを急に、と思ったが言葉を返さないとこの場が終わりそうにないので。


「……あるわよ。ここ数年は剣道ばかりの毎日を送ってきたわ。と言っても『示現流』なんてものではなく、学校の部活動だけど」


 警戒レベルが最大限だったため、ぶっきらぼうな態度で返す。

 老人はその言葉を確認した後、私に近づきながら、


「ふむ、十分じゃ。ではこの方法で権威付けするとしよう。その棒を貸しなさい」

 

 そう言って手を伸ばしてきた。

 私は警戒を最大限に維持しつつも、言われるがままに棒を手渡す。

 

 もし襲ってきたら左腕で棒を払いつつ、右手で目を狙う。

 そんなことを考えていた。


「しかしその辺の木の棒を剣に見立てるなど、何十年ぶりじゃろうか。歳が二桁になる頃には卒業しとったと思うがの」


 お? それは私への嫌味か?

 警戒がいらだちへと変換されるのを感じながら、老人を見据える。

 一方で老人はそんなこと気にもしないようで、棒を握り、その手を顔の側面に……ああ!

 

 その瞬間、周りの空気が一変した。

 老人が示現流、蜻蛉の構えをしてみせたのだ。

 しかしながらテレビの役者はもちろん、動画に出てきた青年ともレベルが違う。

 あまりに勇ましく、貫禄に満ちあふれ、並々ならぬ気迫が感じ取られた姿。

 足が自然と後ろに動く。

 この私が、思わずたじろいでしまったのだ。

 ただの木の棒が日本刀に見える。

 剣の間合いに入ってしまえば容赦なく斬られるのではないかと、背筋が凍りついた。

 誰かと対峙してこれほどの恐怖を覚えるなんて、今まで記憶にない。


「きぇぇぇぇぇい!」

 

 相手をさらに威圧するような低く重い叫び声と共に、老人が木の棒を振り下ろした。

 その風圧を感じ、私はその場にへたり込む。

 

 間違いない……これが本物の示現流……うっ!

 

 唖然とし、そして驚く。

 なんと老人と私の間隔が十メートルは開いていたのだ。

 つまりそれほど後ずさりしたというわけで、ここまで間隔が開いていたのに風圧が届いたというわけで……。

 

 へたり込んで動けない私。

 老人が近寄り、じろりと目を向けた。


「おぬし、名は?」


「月上京花……です……」


「ふむ、いい名じゃ。わしの名は城之園(じょうのその)重慶(じゅうけい)、好きに呼ぶとよい」


 

 出会いは、どこに潜んでいるかわからない。

 

 もし先輩と自主練していたら、もしテレビをつけなければ、もし鞄を忘れなければ、もし公園に木の棒が落ちてなかったら……。

 

 ひとつでも歯車が狂えば、本物の示現流を持つこの老人とはもちろん、ほんの少しだけ未来に起こる、あの出会いもなかったことだろう。



「月上京花、これより示現流元師範のわしが、おぬしにその極意を授ける」


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