第26話 泣き虫王子様
両親を見送った後、道場へ向かうため私も家を出る。
さきほど抱いた謎の罪悪感は陰を潜め、道中での私はすっかり浮かれていた。
恋人として璃莉に会える、この幸せな予定が罪悪感をいつのまにか吹き飛ばしていたからだ。
「ふんふんふーん」
サビだけ知っている有名な恋愛ソングを鼻歌交じりに、軽い足取りで歩く。
浮かれ具合が頂点に到達するとこんな柄にもないことをしてしまうものなのか。
夏の暑さなどなんのその、ジメジメしているはずの空気が清々しく感じられ、いつもより青い空へこのまま飛んでいけるのではないかと思った。
もし空を散歩するのなら、そのときは璃莉も一緒に。
突拍子もない空想の中でも、璃莉は私の隣で笑っていた。
・・・
道場に着いて扉を開ける。
中にいたのは師匠と……璃莉はまだ来てないようだ。まあ家から遠いので仕方ない。
いずれ来るだろう。
「おはようございます! 師匠!」
「うむ、おはよう。……ん?」
「どうされたんですか?」
師匠はなにか言いたげに私をジッと見ていた。
「いや、なんでもない。稽古を始めるぞ」
「は、はい」
少し不思議に思いながらも、母屋に行って着替える。
今日は道着を持ってきた。
洗濯事情を鑑みたローテーションでいくと今日はジャージの日なのだが、来る前に浴室乾燥とドライヤーの両刀で強引に乾かした。
少しでもかっこいい姿を璃莉に見せたいからだ。
道場に戻って木刀を握りしめ、立木打ちを始める。
璃莉のことを想いながら、丁寧かつ大胆に一振り一振り。
剣を持つ手が軽い。
いつもより力が素直に伝わっているように感じた。
・・・
「よし!」
しばらく立木打ちに没頭したのち、師匠からストップがかかった。
なにかなと師匠を見ると、力強い目線と少し上がった口角が目に入る。
そしてその口から、
「京花よ、今日は午後から技の稽古をするぞ」
新たな段階への道が示された。
「技……ですか……?」
「うむ。示現流を初めてまだ四ヶ月も経っていないが、それだけおぬしの進歩がめざましいということじゃ。今後は午前に基礎となる立木打ち、そして午後には技の稽古を行う」
技の稽古。私の実力も実戦レベルになったということだろう。素直に嬉しい。
「分かりました! それで、さっき午前とか午後とかいう話が出ましたが……」
「なんじゃ?」
「稽古の時間をもっと増やしたいです! 従来通りだと休日は午前九時から稽古でしたが、夏休み中は毎日午前六時から稽古がしたいです!」
午前六時は学校がある日、朝稽古を始める時間だ。
夏休み中もその時間から始めて、一日中稽古がしたいと思ったのだが、
「ならん」
師匠の返答は早かった。
「どうもおぬしは己を追い込む癖があるな。そんなに稽古をして疲労を溜め、身体を壊したりしたら元も子もないわい。夏休み中の稽古は平日・土日問わず午前九時からとする。よいな?」
「は、はい……分かりました……」
「それと、休みが欲しければいつでも言うとよい。せっかくの夏休みなのじゃから、稽古以外のこともしたいじゃろう」
ハッとさせられた。
半年前の私なら、剣の道を極めること以外興味のなかった頃の私なら、きっと首を横に振っていただろう。
でも、璃莉と恋人同士になった今は違う。
この夏は璃莉とたくさんお出かけしたい。
いろんな所に行きたい。
デートをしたい。
それは紛れもなく、稽古以外にしたいことだった。
デートといえば、遊園地、映画館、動物園、水族館。
夏だから海やプールもいいな。
そんな風に思いを馳せているとき、道場と母屋をつなぐ扉が開いた。
私の脳内と現実世界がマッチしたのかと思うほどのタイミング。
荘厳な道場に一輪の花が咲いた瞬間。
「お姉様、おはようございます」
私のお姫様がやってきた。
「なんじゃ璃莉、来たのか」
「えへへ、お姉様に、会いたくて……」
視線を落として顔を少し赤くし、モジモジする璃莉。なんてかわいらしいのだ。
もし世界かわいさランキングがあったら、『璃莉のかわいさ』は何位にランクインするだろうか。うん、間違いなくダントツの一位だ。議論の余地もない。
「おはよう璃莉、私も……その……あ、あ、会いたかったわ……」
我がことながらもう少しはっきりと言えないものなのか。
堂々とかっこよく振る舞えば、璃莉も私のことをもっと好きになってくれるだろうに。
璃莉は靴下を脱いで裸足になり、私の方へ駆け寄ってきた。
トコトコと小走りする姿のかわいさといったら地上に舞い降りた天使の如く。
視覚はもちろん、段々と強くなる璃莉の匂いで嗅覚までもが天国に誘われそうになる。
「お姉様、昨日は楽しかったですね」
「ええ、とても楽しかったわ」
昨日のことを思い返す。
屋台を巡って、花火を見て……。
告白して、逃げて、泣いて、公園で合流して、告白されて、小説の内容に衝撃を受け、私と璃莉が同じ想いだったことに気付いて、また泣いて、付き合うことになって……。
って、激動じゃないか。
得られた結果は最高のものだが、楽しいと呼べる時間は前半だけだったような気がする。
璃莉から『お姫様にしてください』と言われて以降は記憶すら曖昧だし。
「ねえ璃莉、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
「なんですか?」
私は璃莉を隅の方に連れて行って、師匠に聞かれないように小声で尋ねた。
「昨日の私、どうだった?」
「どうだったというのは?」
「どうやって家に帰ったか、などの記憶が曖昧なのよ……」
「あー、大変でしたよ。ずーーーっと泣いていましたから」
「ずーーーっと?」
璃莉は師匠をチラッと見た後、さらに小声になって昨日のことを話してくれた。
「さすがにもう帰らなくちゃって時間になっても、お姉様が泣き止まなくて……璃莉、心配になってお姉様のおうちまで送って行きましたからね」
「え⁉」
「電車に乗っているときも泣いていて、周りから注目の的になっていましたし」
「え⁉」
「駅に着いて電車を降りると『ここで大丈夫だから』と言いながら反対側の電車に乗ろうとしていましたし」
「え⁉」
「全然大丈夫じゃなかったので、おうちまで送っていこうと道を尋ねたら『私の家、どこだっけ?』と右往左往し始めますし……最後はなんとかたどり着いたものの、とにかく大変でした」
頭を抱えるしかなかった。
なんて情けない王子様だ。
泣き虫なんて言葉じゃ収まりきらない上、単純にかっこ悪い。
「璃莉、京花、もうよいか?」
師匠から稽古再開の声がかかった。
璃莉は「はーい」と返事して師匠の隣へ。
私は木刀を握りしめて木に向かう。
せめて今、この場では、かっこいいところを見せたい。




