第22話 その想い、花火と共に
ただ眠気を誘うだけの学校行事である終業式も終わり、今日から夏休みがスタートした。
璃莉と花火大会に行く予定があるとはいえ、約束の時間は午後六時。
というわけで時間までは稽古に勤しもうと、いつものように道場で汗を流す。
そして今は休日稽古恒例である師匠お手製の昼食を食べているところなのだが、そこで師匠がこう告げた。
「京花よ、今日の稽古はここまでじゃ。昼飯を食べたら帰宅して花火大会に行く準備をするとよい」
「え……。約束の時間は六時ですから、少なくとも四時くらいまでは大丈夫なのですが」
「ならん。くたくたのまま行っても楽しめんじゃろう」
「ですが……」
「ですがですがうるさいのう。弟子は師匠の言うことを聞くもんじゃ」
「は、はい……」
こうして私はまだ日が高いうちに帰宅した。
そしてシャワーを浴び、服を着替え、中学入学時に買ってもらったほぼ新品のショルダーバッグを引っ張り出して準備万端。
時計を見ると、まだ二時前だった。
待ち合わせ場所である会場付近の駅までは遠くない。
いつも学校へ向かう方向とは反対の電車に揺られて二十分。だから五時半前後に家を出れば六時には間に合う。
さて、あと三時間以上なにをしようか?
一応、夏休みの宿題なる面倒な存在を片づけるという選択肢もあるのだが、なんだかそわそわして手に付きそうにない。
……ところで、なぜ私はそわそわしているのだろうか。
きっと初めての花火大会が待ち遠しいのだ。
けっして璃莉との初めてのお出かけを待ち遠しにしているわけではない。
そんなことを考えながら時計を見て、目を離して、時計を見て、目を離して……。
やっと三時。
ああ、時間の進みが遅い。
意味もなく立ったり座ったりする。
汚れている箇所など特にないのに部屋の掃除をする。
既に読んだことのある本を開いたり閉じたり。
なにをやっても身が入らない。そわそわは取れるどころか増すばかりだ。
ようやく四時。
どうしてこんなに落ち着いていられないのだろう?
やはり花火大会が待ち遠しいのか? それとも……
「璃莉……」
ハッとなって咄嗟に口を押さえる。
頭をぶんぶんと振ってため息をつく。
部屋の中で独り言。しかも内容が大変よろしくない。
家にいてもいいことはなさそうだ。
かなり早いがもう出発しよう。
先に行って待っていればいい。
まだ夕暮れと呼ぶには外が明るすぎる時間帯。
私は待ち合わせ場所へと向かった。
・・・
着いた。
時刻を確認すると五時前。
あと一時間以上も待たなくてはいけない。
道中意味もなくコンビニに寄ったり、わざとノロノロ歩いてみたりもしたが、それでも早く着きすぎた。
待ち時間なんてただ無駄なだけなのに、時間の使い方が非常に下手である。
でも、気分自体は悪いものじゃない。どうしてだろうか?
考えて、最初に脳を照らしたこと。
それが、
「璃莉……」
また独り言となって出てしまった。
……なにを呟いているんだ私は。
しかも今回は駅前だから余計にたちが悪い。
誰にも聞かれていないだろうかと周りを見渡す。
まったく視線を感じなくて一安心する。
「ふう」と息を吐いて気持ちをリセット。
それにしても、花火大会があるせいかやけに人が多い。
立ち止まってスマホをずっと気にしている人もいるし、皆同じように駅で誰かと待ち合わせしているのだろうか。
私も璃莉と連絡を取ろうと思い、スマホを取り出しレインを開ける。
そして目印になるようなものはとキョロキョロ周りを見渡し……一旦やめた。
だって待ち合わせの時間までまだ随分あるから。
今連絡を取ると璃莉を急かしてしまうことになるし、それに、なんだか変に思われるかもしれない。
『こんなに早く来ているなんて、意識しているんだな』と。
……いやいやいや! 意識ってなんだ意識って! 私はなにを意識するんだ!
胸に手を当て、一旦深呼吸。
連絡は待ち合わせの五分前でいい。
そう思ってスマホをしまう。
・・・
しばらく外から駅の出入り口をボーッと眺めていると、その時は訪れた。
電車が到着するたび、人が波のように駅から外へ流れ出る、ここへ来て何回も見た光景。
面白みも刺激もなにもない光景だったが、何回目かわからない今回は大きく違う。
連絡を取る必要など一切なかった。
ひときわ輝く存在に、一瞬で目を奪われたからだ。
「あっ! お姉様!」
そこには璃莉がいた。
璃莉もまた私の存在に気付き、人混みをかき分け私の元へ駆け寄る。
一方、私は璃莉を目前にしてもなお、輝くその姿に目を奪われていた。
というのも、
「浴衣、着てきたのね……」
璃莉は浴衣を着ていた。
白地に色とりどりの花が咲いた、笑顔の璃莉によく似合う浴衣を。
ふと視線を上げると髪型もいつもと違っていて、頭上で纏めて大きなお団子を作っている。
「はい! お姉様を驚かせようと黙ってたんです!」
なお浴衣など頭になかった私の服装は白のTシャツにデニムパンツ。
髪型もいつもと同じように長い黒髪を櫛でといただけ。
「どうですか? 驚きましたか?」
「え、ええ、すごく……」
ジーッと、璃莉から目を離せられない。
「えへへ、そんなに見られると恥ずかしいです」
「あっ! ごめんね……」
「いえ、でも浴衣って綺麗で思わず見とれちゃいますよね」
浴衣に見とれる? それは少し違う。
「私は……」
「ん?」
「な、なんでもないわ。それより行きましょうか」
思わず声に出してしまいそうになったのを直前でこらえた。
お姉様がこんなこと言ったらおかしいものね。
私は浴衣姿の璃莉に見とれている、だなんて。
・・・
「そういえばお姉様はいつ駅に着いたんですか? 璃莉も早めに着いたのに既にいたので意外でした」
ふたりで並んで川沿いの道を歩いているとき、璃莉が尋ねてきた。
「ええと……」
一時間前だとは、なんとなく言いたくない。
「璃莉が来た時間の少しだけ前よ」
だからこういうぼやかした言い方になってしまった。
ここはさっさと話題を変えてしまおう。
「それより璃莉はよく私に気付いたわね。駅にあんなに人がいたのに」
「えへへ、お姉様がかっこいいからすぐ気付きました。お姉様は私服でも素敵ですね。今日の服装似合っています」
「そ、そうかしら……」
特にこだわりを持って選んだわけではないシンプルな服装だが、璃莉に褒められると照れる。
「そうですよ! 璃莉が同じ服を着ても、絶対に似合いませんから」
まあ、華やかでかわいらしい服装の方が似合うことはたしかだと思う。
たとえば今日の浴衣なんかその典型……ん?
もしかして、ここは璃莉の浴衣姿を褒めるタイミングじゃないのか?
「たしかにそうね……えーと……」「あっ! リンゴ飴!」
そう言って屋台を指差す璃莉。
話が変わってしまった。
『でもその代わりに璃莉は華やかな服装が似合うじゃない。たとえば今日着ている浴衣なんか、とてもかわいいわ』
こう続ける予定だったのに!
もごもごしてすぐに言えなかった私も悪いが、なんだか悔しい!
くそっリンゴ飴の分際で!
リンゴ飴に璃莉を取られた気分になりながら、指差す方を見る。
そこにはのれんに大きく『りんごあめ』と書かれた屋台が。
ちなみにその隣には『たこやき』、さらにその隣には『わたがし』
歩いているうちに、いつの間にか屋台通りにたどり着いたようだ。
「璃莉、リンゴ飴大好きなんです! ちょっと買ってきますね!」
璃莉は屋台へ小走り。
……ここは奢った方がいいのだろうか。
でも恩着せがましいと思われたら嫌だし。
いや、璃莉ならそんなことは思わず素直に喜んでくれるかな?
うーむ。と悩んでいる間に璃莉がリンゴ飴を持って帰ってきた。
どうも今日は決断力に欠けている。
「おいしいのに屋台でしか売ってないからレアですよね」
すぐその場で食べ始めた璃莉。
私はそれをジーッと見て、
「……リンゴ飴って、リンゴそのものなのね」
「え⁉ もしかしてお姉様、リンゴ飴食べたことないんですか⁉」
「ええ、まあ……」
そう、私はリンゴ飴を食べたことがない。
もっと言うと間近で見たのも今日が初めてだ。
リンゴ飴と言っておきながら、飴は表面部分に薄くコーティングされているだけで、全体の大部分は丸々一個のリンゴが占めている。
私は今まで、全体が飴で出来ているのかと思っていた。
「リンゴが嫌いなんですか?」
「いえ、そうじゃないわ。……たまたま食べる機会がなかっただけよ」
機会などあるわけない。なにせこのような屋台が並ぶイベントに来るのは初めてだから。
「そうなんですね。じゃあ、はい」
璃莉はリンゴ飴を私に向けた。
はい、とは?
「ええと……なにをすればいいの?」
「食べるに決まってるじゃないですか。あーんしてください」
耳を疑いそうになった。
私が? 璃莉に? あーんしてもらう?
「え、遠慮しておくわ……」
「どうせ璃莉ひとりじゃ食べきれませんし、はい、あーん」
恥ずかしくて断ったが、璃莉はその手を引こうとしない。
……まあ、ただリンゴ飴を食べるだけよね。
そう思い込むように心がけ、リンゴ飴を食べることにした。
璃莉のかじった跡があるが、そこは避けて、かじりつく。
「どうですか?」
「……おいしいわ。甘酸っぱくて」
「えへへ、ならよかったです」
嬉しそうな璃莉はリンゴ飴をひとかじり。
そして再びそれを私に向けて、
「はい、あーん」
はい、あーんということは……また食べるの⁉ 一回で終わりじゃないの⁉
動揺しながらも、璃莉が差し出してくれたのでまたかじりつく。
もちろん璃莉のかじった跡は避けて。
その後も璃莉がかじりついて、
「はい、あーん」
続いて私がかじりついて……。
交互に何回か繰り返すうち、ついに飴部分がなくなってしまった。
つまりどこもかしこもかじった跡だらけ。
これでは避けることはできない。
「はい、あーん」
それなのに璃莉はまだ食べさせようとしてくる。
断ろうか……でもここで断ったら意識していると思われかねないし……。
……いやいやいや! 意識ってなんだ意識って! 私はなにを意識するんだ!
これ本日二度目だなと思う余裕など、私にはない。勇気を出してかじりつく。
――シャリ、シャリ、シャリ……
さっきより甘酸っぱさが際立ったのは、飴の部分がなくなったせいだろう。きっと。
花火が始まるまでの間、璃莉と屋台を巡った。
「あら、焼き鳥もあるのね」
「お姉様、焼き鳥が好きなんですか?」
「ええ、私はお肉が好きなの」
「へえ~。ちなみに芋羊羹とどっちが上ですか?」
「え、ええと……」
「こんなペラペラの紙で金魚なんてすくえるのかしら?」
「お姉様、こっちを見てください」
「どうしたの?」
「えへへ、お姉様とおじいちゃんの真似!」
(な⁉ ポイで蜻蛉を取る璃莉……。なんて愛らしいのかしら……。どんな武術の達人でもこのかわいさを前にしたらひれ伏すしかないわ……)
「たこ焼きとお好み焼き……どちらも食べたいけどちょっと重いですよね」
「炭水化物ふたつはさすがにね」
「あっ! そうだ! ひとつずつ買ってシェアして食べましょう!」
「え⁉ シェアってことはまた……」
「かき氷っておいしいですよね!」
「ええ、さっぱりしていて。喉も渇いていたし丁度いいわ」
「あ! そんなにかき込むように食べたら……」
「え……あ⁉ 頭が……キーンと……」
「あーあ」
「ふう、お腹いっぱい。もうすぐ花火の時間ですね」
食べて遊んで。
屋台を満喫した私と璃莉の次なるお目当ては花火。
川沿いのこの道も、気付けばかなりの人の量だった。
それにしても、もう花火が打ち上がる時間なのか。
璃莉といると時間の流れが早い。
待っている時間とのギャップを感じながら、お腹いっぱいと腹部を撫でる璃莉を見ていた時、彼女の目がこちらを向いた。
「お姉様、もしかしてですけど……」
なんだろう? 少し言いにくそうにしているが。
「花火大会や夏祭りって、今日が初めてですか?」
「え⁉ ……どうしてそう思ったの?」
「反応が新鮮でしたから……」
たしかにそうだったかもしれない。
リンゴ飴、かき氷、たこ焼きは今日初めて口にしたし、金魚すくいも初めてでまったくすくえなかった。
璃莉はとても上手で店番のおじさんに『勘弁してくれ』とまで言わせていたのに。
ちなみにその金魚は『飼えないですから』と言って小さな女の子にあげていた。
なんて優しい璃莉……。
いやいや、今はそんな感想を抱いている場合じゃない。
さあどうしようかと考えたが言い訳など思いつかない。
それに花火大会に来たことがないという事実はマイナスイメージになりうるのだろうか。
……たぶん、ならない。
「ええ、初めてよ。少なくとも物心がついて以降は」
「へえ~……初めてが璃莉と一緒で、よかったですか?」
どんな反応をするのかとドキドキしながら璃莉を見ていた中、返ってきたものは不安げな顔と『よかったか』という問いだった。
正直に答える。
「ええ、とっても」
シェアでは一部心労も感じたが、それらも含めて全てが楽しかった。
璃莉と、いるからだ。
「なら璃莉も嬉しいです!」
不安げな顔が笑顔に変わる。
ああ、来年も浴衣を着た璃莉の笑顔が見たい。
これくらいなら望んでもいいだろうか。
――ドン!
その音に、璃莉が空を見上げ声を上げた。
「あっ! 花火!」
私も釣られて見上げると、光の花が夜空を彩っていた。
「お姉様、あっちの橋の上に行きましょう! ここより見やすそうですよ!」
「あっ! ちょっと!」
言われるがまま、駆け出した璃莉の背中を追う。
たどり着いたのは橋の上の中央部。たしかに見やすい。
角度的なもの? それとも空が少しだけ近くなったから?
「わあ……綺麗……」
璃莉の感嘆の声を受け、自然と私の目は花火から璃莉へ。
照らされ、よく映えたその横顔を見て、想う。
来年も璃莉と花火を見られるだろうか。
もしかしたら、璃莉は私ではなく他のだれかと来るかもしれない。
女友達……いや、彼氏なんか作ったりして……。
その正体はかつて夢に出てきた王子様か、あるいは顔も名前も知らないフィールドのプリンスか。
璃莉の隣に立ち、腹立たしい微笑みを浮かべるそいつら想像して、涙が出そうになった。
嫌だ……そんなの嫌だ!
来年でも再来年でも、璃莉の隣は私のものだ。
なにも花火に限った話じゃなく、どんなときでも璃莉の隣で微笑むのは私で、璃莉も私の隣で笑っていてほしい。
次々と花火が上がる中、無意識に伸びた私の右手が、璃莉の頬に触れる。
当然、璃莉の視線は花火から私へと。
姉のような存在、それで十分だと納得するよう努めた。
でも、やっぱり無理だ。
私は璃莉の姉にはなりたくない。
じゃあなにになりたいのかって?
そんなの決まっている。
もっと特別な関係になりたい。
愛し、愛される関係になりたい。
璃莉の恋人に、私はなりたい。
だって、私は……
私は――
「好き。璃莉のことが、大好き」
想い人の視線を受けながら、それはまるで夜空に咲く大輪のように。
蓋をしたはずの想いが、打ち上がってしまった。




