第20話 リアルプリンス
想いに蓋をして六日経った。
今日は璃莉と会う日だ。
道場の扉を目前にして、気持ちを入れ直す。
さあ、璃莉のお姉様として、振る舞わなければ。
思えばこの一週間、時の流れが前よりも早く感じられた……たぶん。
璃莉と会うことを楽しみにしていないわけではないが、きちんと想いに蓋ができた証拠かもしれない……おそらく。
いいことだ……うん、いいことだ……。
道場の扉を開けた。
視界に、璃莉が飛び込んでくる。
今日も静かに本を読みながら私を待っていてくれて……あれ?
いつもは板張りの部分に腰掛けて本を読んでいる璃莉。
しかし今日は師匠となにやら熱心に話し込んでいた。
その白熱さゆえに、私に気付かないほど。
しばらく呆然と立っていると、璃莉と目が合った。
「あっ! こんにちは、お姉様!」
ようやく気付いてくれたか……。
あなたの『お姉様』なんだからもう少し早く気付いてほしかったな。
「こんにちは、璃莉」
挨拶を返し、ふと師匠に視線をやると、驚いた顔で璃莉を二度見三度見していた。
そりゃそうだ。自分の孫が自分の弟子をお姉様と呼んでいるのだから。
しかし師匠は、
「よく来たの、京花」
と言って妙な追求はしてこなかった。
ありがたいことだ。私自身、璃莉のお姉様呼びはどこからどう説明していいか分からない。
というか、説明を追求したいのは私の方だ。
「師匠、今日もよろしくお願いいたします。ところで、さっき璃莉となんの話をしていたのですか? 随分話に花が咲いていたように思われたのですけども」
その問いに、璃莉が答えた。
「今話題の天才サッカー高校生についてですよ」
……ん? なんだそれは?
知らない、ということがふたりに伝わったのだろう。
「え……? まさか知らないんですか⁉ あんなに今有名なのに⁉」
「浮世離れしとるの……」
驚く璃莉と呆れる師匠。
たしかに私はテレビや新聞をほとんど見ないし、見たとしても視界に入れる程度。
したがって流行り物や社会情勢にものすごく疎い。
そんなことをしている暇があれば、稽古に時間を割きたいと思っているし、まさに我が道を行く、浮世絵離れそのものであろう。
「えーと、それってどんな高校生ですか?」
サッカーなどまったくもって興味ないが、璃莉と共有できる知識が欲しい。
……お姉様だからね。
「有名になったきっかけは夏のインターハイ神奈川県予選じゃ」
師匠はそう前置きして、無知な私に教えてくれた。
それは一回戦、海帝山高校VS秀明高校のカードで起こった。
海帝山高校は三度連続インターハイ本戦出場、うち一回は優勝というサッカーの名門校。
一方で秀明高校は偏差値だけが取り柄でサッカー界では無名の高校。
前評判では当然の如く海帝山高校の圧勝だと言われていたらしい。
ところが…。
「蓋を開けてみれば秀明高校の圧勝。それも十点という大量点を海帝山高校からもぎ取ってな」
「十点ですか……」
サッカーのスコアとしては異次元である。それくらいの知識ならあった。
師匠は頷いて言葉を続ける。
「勝利の立役者となったのが、今話題となっている天才サッカー高校生じゃ。やつは一年生ながらエースストライカーとして、あろうことかその十点をひとりで取ってしまったのじゃ」
「ひとりで……。すごいですけど、かなりのワンマンプレイというか……」
師匠は私のワンマンプレイという言葉に、首を横に振った。
「後から映像で見たが、あれは独りよがりを遙かに超越しとった。場を支配、とでも言うべきかの」
場を支配、凄みと同時に恐ろしさを感じさせる言葉だ。
それにしても畑違いではあるが、師匠にそこまで言わせるなんて……。
「勢いに乗った秀明高校はあれよあれよと夏のインターハイ本戦へとコマを進めた。もちろん、その要因が天才サッカー高校生の圧倒的な得点力だったことは言うまでもない」
「もうすぐ始まるけど、今年はテレビ中継があるんだよね」
口を開いた璃莉へ師匠が頷く。
「うむ、地上波でな。冬の選手権大会なら毎年放送しておるが、夏のインターハイでは異例のことじゃ。なんでもあやつの話題性のすごさに急遽テレビ局が放送を決定したらしい」
それもすごい話だ。
今年の夏、世間が熱狂するのは甲子園よりもサッカーかもしれない。
「やはり実力があると、桁外れの話題性になるんですね」
「うーん、実力だけじゃないと思いますよ」
「え? どういうこと?」
璃莉に尋ねる。
すると彼女は「ふふっ」と口に両手を重ねて笑った。
お姉様として、なんてかわいらしい仕草だと心を満たす。
「その人、とってもイケメンなんです! 『フィールドのプリンス』と呼ばれているくらい!」
その瞬間、璃莉がスッと離れていくように感じた。
フィールドのプリンスと月上京花。
ふたりを比べて、心の中でむなしく笑う私がいる。
ああ、やはり、私はなれない。
プリンス、つまりは王子様。
璃莉の王子様にふさわしいのは、きっとそういう人なのだろう。




