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拝啓スノードロップ  作者: 梨乃実
第1章 千三百三回目の春
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濃紫編 #1 方略 Ⅶ

 それは神憑った親切心だった。

 いや、単に孫にするみたいな至れり尽くせりであった、という解釈もできる。


「大量大量。あたし、アルマスのこと好きかも」

「うん」

「あ、もちろん、おじいちゃんみたいで、って意味ね。異性として好きなのはロラン」


 別にアピールされたところで、シェリルから距離を取るべきだという結論は揺らがない。けれどシェリルは懲りない。今も、僕の服の裾をがっちりホールドしている。


 古の堕ちたドラゴン、アルマス・ヴァルコイネン。御伽噺の登場人物であり、実在の人物である。彼とショッピングモールで遭遇したのは、今では遠い昔の様にも感じられるが、つい数時間前の出来事である。


 昼食、額縁、写本が複数冊、ベリータルト。そして対を成すピアス。僕やシェリルが口を滑らせるたびに、アルマスさんは台所に行ったりよく分からない空間に手を突っ込んだりしていた。あまりにもさりげないのと断りづらいのとで、気づけば大荷物になっていたのである。シェリルから話を聞いた時は、ピアスだけありがたく頂いて帰ろうと呑気なことを考えていたが、あの御仁相手に楽観が過ぎた。


 透明な光を放つピアスが、シェリルの両耳で輝く。外からは、僕と彼女がお揃いのピアスをつけているように見えるだろう。お揃いとは、時に男女の仲を周囲に顕示するための手段となるから、僕としては不本意な状況だ。しかし、僕が堕ちた時、シェリルに危険が及ばないことを思えば、至極合理的である。


 魔道具のピアス。シェリルが魔力を流し込めば、対になったピアスで僕は気絶させられる。精神に干渉するのか、それとも魔力回路を巡る循環魔力を乱すことによって、意識を揺さぶるのか。内部に書き込まれた術式について、詳しい話を聞けなかったのは残念だ。

 けれど外観だけでも充分に興奮できる。術式を記述する魔石と、エネルギ源となる魔素の保存装置が一体化しているなんて。魔法工学的観点から見て、非常に美しいつくりだ。


「シェリル、本当に美しいよ」

「え!? あ、そう!? あ、ありがと、う?」


 何故かシェリルがお礼を言う。きっとピアスを貰う約束を取り付けたことを、誇りに思っているのだろう。


「――それにしても重いなぁ」

「八割がたロランのせいだけど」

「魔法のドアみたいな銀細工、欲しいって言ったのはシェリルだよね」

「そうだけど。でも理論が気になるとか言って食いついたのはロランだよね」


 シェリルは痛いところを的確に突いてくる。学園女王の名は伊達ではなくて、相応に勘が良い。


「言っとくけど、量的にも質的にもロランの方常識外れなんだからね! ていうか重いし!」


 シェリルが一つ、僕が両手に二つずつ。中身は平均して四冊。その上、お腹の中にはたっぷりのベリータルト。おまけに分厚いバインダーを大量に括りつけられ、きしきしと悲鳴を上げるキャリーカートを引き連れて、予定外の散歩中である。

 アルマスさんは親切な人なので比較的僕の自宅に近い場所から帰してくれた。だが、彼はどこか抜けたところがあるので――いや意図的にかもしれないが、荷物を軽くしてくれる魔法とか、そういった慈悲は一切与えてくれなった。


「もー! 全部ロランが持ってよ!」


 シェリルが持っていた手提げ袋を振って、僕の背中に当てる。肺の空気が無理やり押し出されるのと同時に――


「うわっ、ちょっ!」


 突然、視界が傾いた。僕の筋力は、この写本を持ち歩くのもままならない程度だったようだ。シェリルが僕の腕を引っ張るが、時すでに遅し。膝と手のひらが酷く痛む。それに、僕の肩に紐を掛けたままの手提げは、僕が踏ん張った程度じゃ動いてくれそうにない。


「あぁ……ごめんね。ロラン、荷物二つ頂戴」


 シェリルがひょいと僕の荷物を持ち上げる。結果、僕はシェリルより写本四冊分、楽をすることになった。少々複雑な心境だが、取り返すのは厳しいものがある。


「ありがとう脳筋武闘派(カンフーマスター)

「どういたしまして根暗伊達眼鏡野郎」

「それとお付き合いの件は諦めてくれるかな」

「残念ながら永遠にそんな気分にはなれないの。ごめんあそばせ」


 自然な罵倒を交わして、その後はしばらく無言で歩いた。

 真面目に切り出せば話し合ってくれるだろうか。それとも、茶化す茶化さないに関係なく、取り付く島もないのだろうか。

 少し橙色を帯び始めた街並みが、ゆっくりと流れていく。


「シェリル。何で僕なんかと付き合うことを期待するの?」

「顔が好みだから。育ちもいいし。あと猫毛」

「それは有難いけど、探せばどこにでもいるよ。シェリルが付き合っている彼だって、僕より遥かに格好いいじゃないか」


 確か、ジェイといった。今はどんな関係なのか分からないが、シェリルの彼氏だ。僕なんかとつるむのに時間を使うより、きっと彼と一緒にいる方が有意義だろう。何より、彼は堕ちないし、暴れない。

 するとシェリルは僕の意図を察したらしい。黙り込んで歩調を早める。


「逃げないでよ。僕には、シェリルが馬鹿みたいな理由で人生を棒に振る人だとは思えない。なのに、何故僕を? 僕のことを認めてくれているというのは知っているし、嬉しいことだ。でも、まだ、わからない。堕ちて暴れるかもしれない僕のことを、わざわざ好きって言う理由は何?」

「ロラン知ってるでしょ? あたし、かなり衝動的なの。一目惚れしたから好きってだけ」

「違う。シェリルは一連の意思判断が早いだけで、決断に気まぐれが介入したところは見たことがない。何か僕の知らない、乱数に頼らない条件分岐が存在するはずなんだ」


 するとシェリルが一瞬歩調を緩める。しかし僕が彼女の横に並ぼうとすると、唐突に走り出した。


「ばあああああか!」


 僕より五十フィートほど前方に到達したシェリルは、振り返って叫ぶ。そのまま全力疾走して角の先に消えていった。


 何だったのだろう。

 多少攻撃的な会話をしたのは解っている。だがその中に、即座に彼女が憤慨し走り去るような文言は含まれていたのだろうか。


 否定したのが駄目だったのかもしれない。或いは、偉ぶってシェリルに対する考察を主張したのが、彼女でも我慢ならないほど厚かましかったのかもしれない。いやそれとも脳筋扱いからの非衝動的宣言という流れの中に矛盾を見出して、それを指摘した……?


 やはりわからない。

 シェリルの真意はどこにあるのだろう。

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