濃紫編 #1 方略 ⅩⅢ
ロランがくちばしを開けて、魔力を込める。ひらひらと空中を舞っていた火の粉が、口の前で青い球に集束していった。対策軍を倒すときのと似ているけど、感じる空気は全然違う。ロランの体中にあった結晶という結晶は全部引っ込んで、その分だけ青紫色の光が強くなる。
まずい。あれは学校のグラウンドを滅茶苦茶にした攻撃。とんでもなく危ないやつ。お願いだから、そんなものを人に向けないで。
でも、何でも思い通りになるはずのシェリル・キングストンの願いも、今は叶えられない。完全に無力。声を出すな、隠れていろ、なんて言われたからには、ロランを慰めることも怒ることもできない。できるのは、他人に頼って合図を待つだけ。そんなことしかできない自分に腹が立つし、そんなことしかさせてくれない神様にもムカつく。
あたしのことをドラゴンにしてくれてもいいのに。そうしたらあたしがロランのことを止めにいけるのに。
「あははははははははははははは!!」
ロランは高笑いをして、魔力の青い球を吐き出した。すると球から青紫の炎が一直線に伸びて、アルマスを襲う。強風のときみたいに音が鳴って、熱が押し寄せる。あたしはアルマスが全力で障壁を展開してくれたおかげで平気だけど、彼はバーナーみたいな攻撃の中に飲まれていった。
アルマスはものすごい勢いで飛ばされて、三階の店のウィンドウに突っ込む。ガラスが盛大に割れる音がして彼が視界から消えた。
負けないで。アルマスがいないと、きっと説得もできない。
ロランは大きく羽ばたいて離陸する。一時的なんだろうけど、羽根の隙間に金属の結晶は生えていない。
アルマスが突っ込んだ店に、ロランはキャンピングカーくらいある大鷲の体をねじ込んだ。鉄骨にかぎ爪をかけて、もう何もはまっていない窓枠のその奥を覗く。
その時、不思議な言葉が聞こえてきた。
「《不幸な鉄よ、粗暴な火に焼かれる鉄よ。まだお前には何かが欠ける。水の中に漬けずして、お前は硬くなりはしない。灰の溶けた灰汁の中、お前は浸されねばならぬ》」
アルマスの声だ。何語だろう、あたしには全然分からない。でも歌うような、唸るような響きは神秘的。離れているのに、不思議とはっきり聞こえる。
あれ、もしかしてこれ、魔法なの?
周りで倒れていた鉄骨が少し光っている。雪の粒みたいな、真っ白で柔らかな光。それが鉄骨に入り込んでいって、淡く輝かせているんだ。空気中を舞っているこれは、明らかに魔力。
けどこんなに大量の魔力の粒なんて、正直見たことない。まるで吹雪。こんなのあり得ないに決まっている。
「《鉄は火の中鉄滓となって、金床に伸びて鎖となった。鋼となった哀れな鉄よ、呪法を宿した強固な鎖よ、激しく怒る鉄よ!》」
アルマスの声はだんだんと力強くなっていく。それに呼応して、鉄骨はどろどろに熔けて床に広がった。それもすぐに空中へ伸びはじめ、短く千切れる。できあがった短い鉄の棒は、赤熱したまま一個一個丸まって繋がっていく。
鎖だ。しかも、ものすごい本数。
アルマスの変な呪文のせいで気が立っているのか、ロランは一瞬顔を引くとまた勢いよく突っ込んだ。ばさばさと壁を翼で叩きながら何度もそれを繰り返す。中がどうなっているのか分からないけど、あたしにはくちばしでつついているように見えた。
それでも、アルマスの声は途切れない。
「《さあ縛れ、一本の長い鎖よ。留めろ、二本の強い鎖よ。留め置け、三本の魔法の鎖よ! あの大鷲が羽ばたいただけ、その翼に絡み付け。あの大鷲が首を振るだけ、その頭に絡み付け!》」
アルマスが叫ぶと、鎖が一斉にロランの方へ飛び出す。ロランは金属のぶつかる音に気付いて振り返るけど、もう遅い。数えきれないほどの鎖がロランを拘束していく。鎖はロランを一階まで引っ張っていって、地面に縫い付けた。
ロランは絶叫しながら暴れる。でも炎を出して熔かしたりはしない。
「ぁあああ、放せぇ!」
ロランがもがく度に鎖が翼や足に絡みついて、動きは小さくなっていく。ロランは地上で息を切らし咳込んだ。首に巻き付いた鎖が喉を圧迫して少し苦しそう。
そんなロランに気を取られていると、頭の上から声が降ってくる。
「――防御が手薄だぞ。攻撃手段を失ったときは常に警戒しないと」
アルマスは脇腹を押さえてロランを見おろしていた。彼は黒いカーディガンに浮いた埃を軽く払いながら、あたしと目を合わせる。
そして全力で合図をした。
「ここからはお前の出番だ。呼び戻せ!」
あたしは大きく頷く。
そう、ここからはあたしの戦い。あたしがいかにロランを助けたいのか、どれだけ戻ってきてほしいのかを伝える戦い。
アルマスに着せてもらったロングパーカーのフードを脱ぐ。肩から降ろし、床に落として、鎖で縛りつけられた黒い大鷲に近づく。ロランはあたしに気づいて、もがくのをやめた。瞳は魔力で強烈な青紫色に光っているけど、あたしと目が合うと、それがちょっとだけ穏やかになる。
「シェ、リ、る……、いるの……?」
「うん、ここにいるよ。まだロランと行きたいところがあるから、用事が終わるまで待ってたの」
良かった。こんなに辛い状況でも、ロランはあたしのことを思い出してくれる。これなら、また今まで通り過ごすことだってできる。
あたしは、もう一歩、ロランに近づく。
するとロランは目を見開いて、また暴れ出した。
「こ、来ないで! シェリ……」
急に動き出すからびっくりしたけど、全然攻撃されそうにない。きっとロランが怖がっているんだ。あたしにはそう見える。なら、もっと近くに寄って安心させてあげなくちゃ。
「――ねぇ、何をそんなに怖がってるの? 教えてよ」
「シェリルが燃え、燃えて燃えて燃えて、っ、あ……」
ロランは呻きながら目を瞑る。あたしは項垂れたロランの額に、そっと触れた。指の間を羽毛がすり抜けて、ロランの体温が伝わってくる。
「ゆっくりでいいよ。あたしがどうしたの?」
「僕が、シェリルの日常を、壊した。けれどシェリルは、気を遣ってくれる。……全部、僕のせいなのに」
そうだったんだ。ロランは、あたしが思っている以上にたくさんのことを心配してくれていたんだ。それがすごく申し訳なくて、でも嬉しい。
「壊れてないよ。全然壊れてない。これからも壊れたりしない」
「でも……、シェリルに迷惑ばかりかけて……!」
あたしはロランの額を撫でながら、自分の心を決めていく。
「ううん、迷惑でも何でもないよ。一緒にいられるの嬉しかったもん。ロランのこと、好きだから。そばにいられるだけであたしはしあわ……」
「幸せ」。
それがトリガーだった。




