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拝啓スノードロップ  作者: 梨乃実
第1章 千三百三回目の春
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濃紫編 #1 方略 Ⅺ

 ロランは紫色の翼を広げ、飛翔する。あたしは遠く離れた通路からそれを見ていた。

 けど、ものすごく熱い。


 ロランはキャンピングカーくらいの大きさの鷲。その巨体が翼を広げて、ショッピングモールの柱の間を縫っていく。羽毛の表面では青紫色の火が発火しては消えてを繰り返していた。ロランが一つ羽ばたくだけで辺りが火の粉だらけになるし、もう立っていられないくらいの突風になる。


 あたしは咄嗟に、通路に置かれていた観葉植物の陰に隠れた。あんまり前に出ると危ないんだろうけど、あたしはできるだけロランの様子を見ていたかった。


 あたしが対策軍のことを頭上から見下ろしていと、ロランはショッピングモールの奥の方に消えていく。でもすぐに熱風がこっちへ向かって吹いてきて、続いてロランが(きり)()みしながら姿を現した。


「あはははははは!」


 ロランは、普段からは考えられないくらい上機嫌で笑い声を上げる。竜災対策軍が陣形を組んでいる背後から、彼らを掠めて上昇した。すれ違う瞬間、羽の間から金属の雫が落ちていくのが見える。


 まずい、あれは簡単に人を吹き飛ばせる。実際あたしも吹き飛ばされたことがあるし。


「危ない……!」


 あたしは何とか声を殺す。ここで騒ぐわけにはいかない。ロランや対策軍に見つかったら、余計この戦いが混乱する。


 案の定、垂れた金色の雫は空中で爆発する。青紫色の強い光が眩しい。火は爆風で鉄さえも捻じ曲げて、どんどん建物を破壊していった。


「――障壁展開!」


 対策軍の誰かが慌てて指示を出すけど、あんまり隊が機能している印象は受けない。ロランの攻撃を受けて倒れた人が多すぎる。

 それでも対策軍の人たちは障壁の魔法を発動させる。ガラスの様な半球がいくつも重なってロランを取り巻いた。大きいものと小さいものが互いを支え合うようにしてくっつきあっている。


 あたしは対策軍に向かって祈る。


「お願い、ロランにあんたたちを傷つけさせないで……!」


 じゃないと、もしこの場から逃げきれたとしても全然意味がない。

 でもあたしの願いなんて、ただの夢想だった。


 通路をちょっと進んだところで、アルマスはあたしと同じように観葉植物にまぎれている。彼はずっとロランを目で追っていたけど、いきなりこっちを振り返って「引っ込め」とジェスチャーした。


「え?」


 彼はすぐロランの方を見て、右手を真横に突き出す。すると手のひらから光の糸が噴き出して、半透明な剣が形作られた。先に向かって細くなっていく、彼の片腕より少し長いくらいの剣。まるで水のように表面が波打って、照明の光をゆらゆらと地面に投影した。


 彼はそれを床に突き刺す。

 真っ白な光が模様になって建物の壁や柱に奔り、あたしの方にも迫ってきた。


「うわ、何を――」


 瞬きをするその刹那、ロランの姿が目に入る。ロランはくちばしを開けていて、口の中で青い光が練り上げられていった。


「下がれ!!」


 アルマスが叫ぶのと同時に、大量の障壁が目の前に現れた。

 直後、視界の全部が紫色になる。嵐の日みたいに風がごうごうと障壁を叩いて通り過ぎていく。


 ――怖い。


 あたしはつい目を瞑ってしまった。何一つ取りこぼすことなく認めて、ロランのことを受け止めてあげなきゃいけないのに。


 瞼を開けるとそこは、まるで絵で見た煉獄みたいになっていた。あらゆるものが青紫色に燃えている。アルマスの作ってくれた障壁は、最後の一枚だけになっていた。それもすぐに細かい粒になって消えていく。


「撤退! 撤退! 無理だ! 逃げろ!」


 対策軍はもうボロボロだった。ロランにひどいことを言った奴は必死に叫び、隊員を引き連れてばらばらと引き返していく。動けなくなった人たちを抱えて、急いでショッピングモールから退去していった。


「ロラン、攻撃しちゃダメ。お願いだからじっとしていて……」


 幸いロランはまだほんの少しだけ理性を残しているみたいで、床に頭をこすりつけて呻いている。


「ぁあ、だ、め、死んじゃう……。楽し……。あぁっ、にげ、て、あはは、い、シェリ――」


 ぶつぶつと呟くロランを警戒しながら、アルマスは燃える瓦礫の山へと歩いて行った。一部が融けて斜めになった鉄骨に飛び降りて、バランスよく登っていく。途中まで来ると、大ぶりな黒く丸い石を掴み、剣を差し込んで鉄柱から引き剥がした。きっとあれが監視用の魔石なんだろう。アルマスは赤く発光しだした魔石を投げ捨てると、ロランのいる方へ歩いてく。


 彼は携帯端末を操作しながらあたしに呼びかけた。


「対策軍は完全に撤退した。今から七分以内に片をつける。合図をしたらすぐに来られる位置にいろよ」

「わかった。お願いね」


 彼は一階からあたしの方を見上げて、軽く手を振る。それは了承の合図だ。

 じゃあ、あたしはある程度近くで見ていてもいいってことか。依然、合図があるまではロランに何にもしてあげられない。けど見守ることもできないよりは、かなりマシ。


 あたしはアルマスの後ろを、彼が見えるか見えないかのギリギリの距離で追いかけた。止まったエスカレーターを転びそうになりながら駆け下りて、壁沿いに身を隠す。


 アルマスは操作していた携帯端末を空中に投げ上げる。すると飛んでいった先で端末が消え失せた。空いた右手に剣を持ち換え、それを慣れた手つきで軽く回す。水みたいな外見であまり刃物っぽくないとはいえ、さっき床へ簡単に突き刺さった剣。刃が彼自身に当たらないか、ちょっとドキドキする。


 彼はロランを目で捉えながらゆっくりと足を進めていく。彼が剣を回すごとに透き通った音が鳴って、うずくまっていたロランはようやく顔を上げた。


 ロランの羽の膨らみ具合を見れば、ものすごく警戒しているのがわかる。アルマスがすぐそこまで接近すると、ロランは軽く飛んで距離を取った。


 ロランが着地し、彼を睨んだ瞬間。

 彼の剣がぴたりと止まる。切っ先はロランへと真っすぐに伸びた。


「――対策軍はもう撤退したぞ。安心していい。今ここにいるのはお前の彼女と俺だけだ」

「誰誰誰誰誰誰。燃やせる人ですか。燃やします」

「怖いことを言うじゃないか。だがそう簡単にはやられないぞ?」


 アルマスが挑発するように剣を揺らす。ロランはクラスの不良に絡まれたときみたいに、不快そうに顔をそむけた。その間にも、羽の隙間からのぞいている黄金の結晶はどんどん成長している。ロランは結晶を使って大爆発させる気みたい。きっと後ろの方で控えているあたしも、余裕で巻き添えに吹き飛ばせるくらい強力な魔法。


 あたしはお腹の火傷痕(ケロイド)を思い出して後ずさる。わざとやったんじゃないにしろ、あのロランの攻撃はすごく強烈だった。もう二度と、ロランがあたしを攻撃しないって信じている。けど、信じていたって逃げたくなるくらい、今のロランの姿は怖い。


 それでも、アルマスはお構いなしに一歩踏み出した。

 彼の靴底のゴムが甲高い音を鳴らす。


 ――それが合図だ。


 ロランは大きく翼を広げて、熱風とともに金属の結晶を飛ばす。アルマスに降り注ぐ黄金色の薄い結晶は、空中でほとんど溶けていた。金色の粒が空間に広がってあたしたちの方へ迫ってくる。


 その瞬間、アルマスは剣を軽く横に振った。


「……波よ(アーロット)


 海の香りがして、青白い光とともに大きな波が現れる。大量の水はアルマスの足元からロランへと、うねりながら進んでいく。壁のように立ち上がった波はあたしの視界を遮って、ロランが見えなくなった。


 そして――彼は吹き飛ぶ。

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