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拝啓スノードロップ  作者: 梨乃実
第0章 空転
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運命の境界編 #1 泡沫の夢 Ⅱ

 過去の僕の視界には、二十五になり一層綺麗になった姉さんがいた。


 道端には戦争に備えて荷車がいくつか置かれているし、皆少し痩せてきている。まともな服もいよいよなくなってきて、縫い跡だらけのシャツの上に、毛羽立ったウールの上着を着て寒さを凌いでいた。冬のこの時期は日が短くて陰っているというのもあるが、人々の纏う空気そのものが暗い色をしている。開戦からいくらか時が経ち、直接的な攻撃がないとはいえ町全体が疲弊(ひへい)していた。


 それでも姉さんだけは生命力に溢れ、町の皆の心を支えていた。

 いや、町の皆だけじゃない。


 近くを駐留軍の兵士が通りかかる。基地のエースと付き合っている姉さんは彼らの間でも有名で、兵士たちは見かけると必ず敬礼をしていく。姉さんも、駐留軍の敬礼を可愛らしく真似て返した。


「――ふぅ、姉さんお待たせ」


 雪が降り積もった石畳の上で、僕は姉さんに駆け寄ってそう言った。随分と淑やかになった姉さんは、街路樹を鉢のように囲むレンガに優雅に腰掛けている。僕も彼女の隣に座った。姉さんは木の下で近所の学生たちと語らいながら僕に問いかける。


「いいのよ。アルマスにとって大事なことじゃない。それで、先生はなんて?」

「まだしばらくは大丈夫だろうって。臓器の近くに大きな()(せき)はできていないみたいだし、採血がてら魔力を随分抜いてきたからね」

「それは良かった。でも無理しちゃだめよ? あんまり運動すると抜いた意味がなくなっちゃう」


 彼女は優しい笑顔で僕の体を労わる。すると僕の持病について理解できていない町の少年たちは、僕に問いかける。


「何、アルマスまた調子悪いの?」

「確かアルマスって十九だよな? 兵役免除されてるけどホント大丈夫か?」


 彼らのその様子に苦笑を浮かべた姉さんは、穏やかに諭す。


「今は大丈夫よ。でも病気がひどくなるといけないから、アルマスはあんまり激しく動いちゃだめなの。体内で魔力が作られて内圧が上がっちゃう。それで魔石がお腹の中にできてしまったら、また手術。――できるのはお散歩くらいね。兵役なんて無理よ」


 それを聞いて一人の少年が悔しがる。もう一人もむくれた表情で続いた。


「はー、アルマスが前線に出れば無双できんのにね」

「アルマスの魔法に勝てる奴なんて絶対いないっての」

「同感。白銀の死神とか異名つきそうだよね。帝国と協力すればもう、なんていうの? 連邦なんてズバっ、と!」


 僕は手刀で空を裂いた少年の姿が可笑しくて、つい吹き出しそうになる。


 ――ああそうだった。こんな時代だった。燃え尽きそうな薪の下に隠れて、小さな炎が煌々と輝く。絶望の淵にありながら誰も諦めていない。


「流石にそれはないかな。……僕もみんなのために戦いたいけど、こればっかりは駄目なんだ」


 かつての僕は両手を振って苦笑いする。不満そうにしながらも彼らは頷いた。


「うぇ、わたしアルマスにいとあそびたい……」


 しかし学生たちにまぎれていた幼い少女はふるふると頭を振る。彼女はどうしても僕と遊びたいようで、目に涙を溜めて頬を膨らませていた。そこであの日の僕は提案する。


「じゃあ、歌を歌ってあげようか。きみと遊べない分だけ、たくさん!」


 すると幼い少女の顔が歓喜に染まった。彼女は大はしゃぎで雪の中を跳びまわる。


「うた! うた! やった! アルマスにいのうた、だいすき!」


 そうしてひとしきり嬉しがると今度は期待を込めた瞳を僕に集める。

 かつての僕は額に手をやった。照れ臭くなった証拠だ。歌には多少の自信があったが、これほどまでに賞賛されると今となっても恥ずかしい。だが駄々をこねているわけにもいかない。記憶の中の僕は葛藤を乗り越え、羞恥心を押し込めて息を吸った。


「――――――――」

「キエロねえさま、このうたなにー? よあけーだって! きれい!」


 聞き慣れた童謡でないことを不思議に思った少女は問いかける。姉さんは彼女の頭を優しく撫でて、僕の心中を代弁してくれる。


「これは願いの歌よ。今は苦しいけれど、いつか夜は明ける。でしょ、アルマス?」


 僕は歌いながら頷く。


「くるしい?」

「大好きなお菓子はあんまり食べられないし、あなたのお父さんも含め男の人たちはみんな戦いに行っているでしょう? あなたは物心ついたときからそんな中で育ってきたけれど、もっと温かで、穏やかで、幸せなときもあったのよ。またそうなってほしいね、ってこと」

「ふーん、じゃあたいせつなうただね!」

「そうね、大切な歌。誰にだって、……幸せでいてほしいもの」


 彼女は歌う僕を横目に、そう呟く。凛とした(まなじり)に珍しく憂いを浮かべながら、確かに呟いた。そしてあの時の僕は同意するように瞬きをして歌い続ける。


 しかし、記憶を傍観する僕は今にも崩れ落ちそうなほどの憤りに襲われていた。

 ――僕のささやかな幸せを奪ったくせに。

 何度もぶつけようとして、それでも終に出てくることはなかった言葉。僕は未だに苛まれている。




 そんな穏やかで残酷な場面もすぐに切り替わる。

 ドラゴンの襲撃だ。

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