二千年前の手紙編 #2 縷々 Ⅳ
「――悪かったな。流石に大人げなかった。だが心が軽くなったよ。ありがとう」
アルマス・ヴァルコイネンは私をそっと押し離して微笑んだ。
だいぶ長いことハグをして彼もいくらか落ち着いたらしい。ローレント・D・ハーグナウアーがやっていたように、彼は空間にできた謎の歪みからティッシュペーパーを引き出して涙を拭く。使用済みのものも同様に、彼が投げ込む動作をすれば消えてなくなった。
「いいんじゃないですか? ドラゴンは見た目もそうですが、精神年齢も固定だと聞いたことがあります。そうやって考えると二つしか変わりませんよ? 全然大人に含まれないでしょう」
「精神年齢に関してはその通りだが、なめてんのか」
「人種、性別、年齢、そんなものは誰かの都合に合わせてカテゴライズされているに過ぎません。したがって、私は相手が誰だろうが一定以上の敬意は払いますし、逆に言えば過剰に敬ったりはしません。ご承知おきください」
彼は呆れたといった顔をしているが、声には多少の生気が戻ってきた。泣き腫らしてはいるがどこか清々しい様子である。
彼は大きなため息をつくと、「ちょっとそこ座れ」と言う。私の制服の、涙で濡れた場所に手を翳して彼は呟いた。
「――其を戻せ」
すると彼の瞳が碧く光り輝いた。涙の粒が布から空へ上昇しては消えていく。染みは時間を巻き戻すように縮小していき、最後にはまっさらな状態に戻った。
「おお……、すご」
「まあ何だ、元の状態にして返すのが道理だろう? お前相手なら通報もされないだろうし」
「優しいですね。やっぱり」
「……んん」
慣れないのか、彼は恥ずかしそうに顔を赤らめてそっぽを向く。そして話題を完全に挿げ替えた。
「――ところで、だ。ロランが紹介するくらいだから、お前の目的はお礼だけじゃないだろう。あいつはメリットとデメリットを病的なまでに勘定するからな。メリットのある何かを持ってきているはずだ」
長年一緒にいると、息をするようにお互いが分かるようになるのだろう。病的という言葉に苦笑しながら私は答える。
「はい、私にはやりたいことがあります。そのためにあなたと一度お話ししなければならない。あなたにとってメリットになるとお約束はできません。ですがハーグナウアーさんからは及第点を貰いましたし、私自身、あなたに報いることができると思っています」
「そうか。じゃあ話してみろ」
「あなたが何のために罪を犯したのかを知りたい。そして『理由なき暴虐』というステレオタイプからあなたを解放したい。この街で日常的にあなたと接している人たちは、きっとあなたが理性的な人間であると知っている。けれど今のままでは集団の母数が少なすぎる。――だから、真実をたくさんの人に知ってほしい。その方があなたにとって生きやすいはずだから」
私の思いを、彼は目を瞑って聞いていた。すべて聞き終えると慎重に言葉を紡いでいく。
「真実を……多くの人間が知ったとき、何が起きるか……。いや、そんな初歩的なことで躓いているようならロランが許さないだろう」
「私は、あなたの行動理由を知った人々の善意を信じます。本来、信じるだけでは駄目なのでしょう。しかし私は人間の本質に賭ける」
私が言い切ると、彼は少し驚いた顔をして、にやりと口角を上げる。
「そうか。責任は重いぞ?」
「ええ。だからこそ行動を起こさなきゃいけない。思い立った『誰か』に与えられる使命ですよ、それは」
「その考え方、面白いな」
彼はカウンターに肘をつき、ふわりと微笑む。
「ならまあ、その点はいいさ。どうしてもやりたいんだろう? お前は好きなように探ればいい。未来を転がしていくのは若者でなくちゃな。――だが一つ確認しておきたい」
彼は切ない表情になってガラスの向こうを眺める。私は彼の作り出した沈黙に身を委ねる。
「まず、俺は自分語りをするつもりはない。はっきりいって、語りたくなんてない」
「わかりました。無理にほじくりかえすつもりはありません。本当はあなたの口から聞きたいけど……。気が変わったらでいいです。永遠に気が変わらなくても構いませんし」
「ありがとう。それと――」
彼は寂しそうに礼を言う。一つ深呼吸をして、それでやっと、無理矢理に言葉を押し出した。
「……お前は、俺のしたことが正義だと思うか?」
彼は否定されるためにそう発言している。とはいえ、面と向かって正しくないと言われるのは辛いだろう。それでも彼は言い切った。私は彼の意図を汲んで――きっぱりと否定する。
「いいえ。あらゆる戦争は正義ではありません。あなたが戦争を起こしたうちの一人であるなら、あなたは戦犯です」
「よく言った。それが分かっていれば――」
「なにそこで終わらせようとしてるんですか? 続きもちゃんとありますよ」
彼は暗い顔で勝手に結論に達しようとするが、私がそれを看過するはずがないだろう。彼は間の抜けた表情で振り返った。
「あなたは戦犯です。同時に、罪を覚悟したうえで最善を尽くした善意の人です。違いますか? だったら、罪を背負い償う姿勢は評価されていいはずです。ハーグナウアーさんからは戦争の原因がなにやら物騒なものだったと聞いていますよ。正義か否かなんて単純な話じゃないんでしょう」
「だが俺は――」
「もっと建設的な方法で過去を見ましょうよ。前回までがどうなのか知りませんが、三度目の戦争が起こらないための努力に、もっと世界中巻き込んでいいんじゃないですか? 一部の人間だけが苦しむなんて不公平です」
彼は額に手を持っていく。そして熟考ののち、徐に口を開いた。
「はぁ……、物凄い熱量だな。何かを成し遂げるには丁度いい。俺の勘はよく当たるんだ。お前、そのうちなんかやらかすぞ」
「やらかすって、なんか嫌な響きだなぁ。でも納得しました?」
「残念だがその問いにイエス、ノーでは答えられないな。まあ、好きなように、存分にやれ。俺は文句は言わん」
私は喜びのあまり飛び上がる。彼は必死になって私を制止した。
「喜ぶのはいいが、ちょっとは環境を考えろ!ここ図書館だぞ!」
「女子高生に抱き着いて泣いてた人に言われたくありません」
「なっ! おま――」
彼はこの期に及んで私のことを「お前」なんて呼ぶのだ。
私は意地悪く笑って、彼に名乗った。
「お前じゃありませんよ。私はイーリス・ポルクネン。あなたの過去を世に広めるメッセンジャーです!」
それを聞いて彼は困ったように微笑む。
私は確信した。この優しい笑顔こそが彼の真の姿なのだ。




