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拝啓スノードロップ  作者: 梨乃実
第X章 伝承
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二千年前の手紙編 #2 縷々 Ⅱ

「――さて、もうそろそろあなたがしたいお話をはじめましょう」


 ローレント・D・ハーグナウアーはそう言い、ラズベリーとチョコレートホイップがたっぷりのクロワッサンを口に突っ込む。何故このタイミングで口いっぱいに頬張るのだろうか。この爺さんは本当に話す気があるのか疑わしい。


「それは、私から話せってことですか」


 彼はうんうんと首肯する。


「そうですか。――私は、アルマス・ヴァルコイネンが本当に悪者なのか、隠された歴史を暴いてその真偽を証明したいんです」


 沈黙が訪れる。彼は口の中のクロワッサンを嚥下し終えた後もすぐチョコレートケーキに着手して、まるで応答する様子がない。


「特定の団体との接触の有無。さっきそう言いましたよね。『特定の団体』があなたたちの敵、私にはそう聞こえました。過去に、そして今も、その敵と暗闘をしているのではないですか?」


「……その通りです。今も影で存分にやりあっていますよ。そしてこの戦いは、二度の『大回帰』の残りかすでもあります。どうやら人々はあちらの思想に魅入られてしまうようで、僕らがどれだけ消し炭にしても湧いて出てくるんです」


「魅入られる?」


「人類の悲願なんでしょうね。いつの時代も一定の支持があるものです」


 ローレント・Ⅾ・ハーグナウアーははぐらかす。微笑んでケーキを口に入れるばかりだ。


「シュバリエさん、その悲願が何なのか教えてください」


「ノエ・シュバリエはそんなもの知りません」


「じゃあハーグナウアーさん。どうして――」


 私がテーブルに乗り出すと、彼はそれを制止する。そして真顔になった。


「別にあなたが口外しないのなら教えても構わないのです。ただ、もしその情報がよそへ出たとき社会にどんな影響を及ぼすか、そこまで頭が回っていないのならお教えできません。少なくとも今のあなたに開示できる情報はもうない」


「じゃあ何故、私をここに呼んだんですか?」


「あなたがアルマスの優しさに報いようとするのと、僕がアルマスのためにあなたを利用するのとは、切り離された問題です。混同されては困る」


 そうきたか。許されたから呼ばれたわけじゃなかったのだ。なら考えろ。私が彼に利用されるにはどこをクリアすればいい。彼から情報を得るためには、私の野望のためにはどうすればいい。


「わかりました。――私がそれに見合う人材だと納得すれば、過去を教えてくれると?」


「あなたが僕の私益に資する人間ならもちろん。じじいは長話が好きですから、幾らでも語って差し上げます」


 私の返答を聞き彼はどこか上機嫌だ。彼が最後のスイーツを片付けている間、私は必死に頭を働かせる。


 ――人類の悲願。そう表現するくらいだ。現実となるならそれが大多数にとって良いことであるはずだ。


 しかしアルマス・ヴァルコイネンやローレント・Ⅾ・ハーグナウアーはそれを阻止している。つまり彼らにとってそれは叶えられてはいけない願いだということ。二人とも偏屈ではあるが自分勝手を働くようには見えなかった。それが何故、悲願の達成をやめさせる?


「人類の悲願だったとして、それを達成するのはごく一部……、とか?」


 いやそれだけじゃ動機として弱い。デメリットが大きいのか?


「例えば、犠牲……?」


 そんな私の独り言に彼が返事をする。


「犠牲は出ますよ。それはそれは沢山の犠牲が」


 人類の悲願とやらを達成しようとすると多くの代償が必要となる。ならば確かに、それは止めなくてはならない。


 だがそれならば、先の戦争の情報を開示したとして人類の悲願とやらが是とされることはあるのだろうか。私の考えが甘いだけかもしれないが、一人一人の命が重いこの時代に、犠牲は容認されたりしないだろう。


「でもきっと、真実を知れば社会が犠牲を許さない。皆が歴史を知っているからこそ、食い止められることもあるはず」


「社会が犠牲を許さない……か。まあいいでしょう。もう一息ですが、及第点にということにしておきます」


 彼は足を組みかえて穏やかな笑みを浮かべた。そして瞳の紫色を強める。


「こんな子があの教会の長になったら、世界が大きく動きそうですね」


「言っときますけど、とんでもない競争倍率ですからね」


「それでも、()()()()()()()()()んでしょう?」


 私が抱いていた通りの言葉を、彼はなぞる。大方私の思考でも読んでいるんだろう。ならばと決意を込めて告げる。


「――言うまでもなく」


 すると彼は立ち上がる。娘でも見るかのように優しい眼差しで私を見て頭を撫でると、不敵に微笑んだ。


「では約束しましょう。僕が知りうるすべてを教えます。そしてアルマスの心を少しでも楽にしてあげてください」


 彼は会計を手早く済ませてテラス席に戻ってくると、最後に一つ付け加える。


「――アルマスは休日の午後、大学図書館にいるはずですよ。傷心のお爺さんを慰めるのにちょうどいいと思います」


「それも知って――」


 彼は何も言わず、優雅に一礼して歩み去った。



 ――私の手には、新たな手掛かりが握られている。


 与えられたまたとないチャンスに想いを馳せ、私は残されたエクレアを平らげた。



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