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拝啓スノードロップ  作者: 梨乃実
第X章 伝承
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二千年前の手紙編 #2 縷々 Ⅰ

 ローレント・Ⅾ・ハーグナウアーは、カフェがよく似合う青年だ。


 私がメモの文面から店を割り出して訪ねると、彼は宣言通りテラス席で一人待っていた。天気の良い昼下がり、パラソルの下で優雅に足を組んで本を読むさまは、どこかのハイソな映画に出てきそうなほど洗練されている。その背景がお手頃な店であるがゆえに、彼の煌びやかなオーラが余計に強調されていた。


 ――畢竟、えらく近寄りがたい。


「だいぶ悪目立ちしていますね」


「ええ、そうでしょうね。僕は何をしたって悪目立ちするようですから、気にかけないことにしているんです。おかげですぐにわかったでしょう?」


「まあ、そりゃあ……」


 彼は赤髪を色っぽくかき上げ、私を上目遣いに見る。心なしか、彼は昨日よりも穏やかな表情をしていた。


「どうぞ座って。料金は気にせず好きなものを選んでください。それともレストランの方が良かったですか? 移動することも可能ですよ」


「いえ、結構です。このままで」


 レストランに行った方が美味しいものにタダでありつけそうだが、VIPの個室か何かに連れ込まれそうで怖い。私は提案を拒否し、彼の対面に座った。彼は織り込み済みといわんばかりに微笑む。もしかすると、テラス席を指定したのは気遣いからだったのかもしれない。


「ではそうしましょう。ちなみに、ここで話していることは洩れませんからご安心を」


「流石ですね」


 彼にかかればなんだって思い通りらしい。


 私はその艶やかな笑みが癪なので、あえてセットメニューは選ばない。キャラメルマキアートと、苺たっぷりのエクレアを選んでやった。そして彼が何を選ぶのか注意深く観察する。


「――もしやシュバリエさんは甘党ですか」


「そうですね、ドラゴンに糖分は必要不可欠なので。必然的に甘いものは好物になります」


 一応偽名で呼びかけてやると、彼は意外な返答を寄越す。カフェテーブルの上には、ウエイターによって大量のスイーツが並べられていった。当然のことながら、いつもはオブジェとして飾られている卓上の花瓶は撤去される。天板が見えなくなるほどに隙なく敷き詰められた皿は狂気さえ感じるほどだ。それらが全部ドラゴンだからという名目で消費されるとは、だいぶシュールな光景である。


 彼はエスプレッソコーヒーを一口飲むと、早速ホイップの稜線を崩し始める。私も彼に続くことにした。カップに口をつけたまま、まずはキャラメルマキアートの泡を味わう。


「――ところで、パスワードを飼い犬の名前と誕生日にするのは避けた方がいいですよ」


「ぶふぉ」


 白い塊はほぼ直線に飛ぶ。私の口からキャラメルマキアートの泡が勢いよく発射されたのだ。


 まずい。彼のチョコレートケーキに、ピスタチオの粉砕物と泡がトッピングされる――、その瞬間だ。


 青紫色の火花が弾けて飛散物は全て灰になった。後にはやや焦げ臭い空気だけが残る。


「お気になさらず」


 紫の瞳の輝度を下げて、彼はしれっと言ってのけた。だが黙って引き下がる義理は、私にはない。


「いや、噴き出してしまったことは申し訳ないですけど、原因を作ったのはシュバリエさんですよね?」


「そうですね。その点に関しては謝罪します。ですが未報告なまま放置するのは良心が痛むもので」


「良心って……、一体何をしたんですか?」


 私が恐る恐る尋ねると、彼は起伏の乏しい声で言う。


「ハッキングさせていただきましたから、色々と。そして無事調査が終わり、あなたがクリーンな人間であると証明されました。僕は、お嬢さん(マドモアゼル)――イーリス・ポルクネンさんと取引することに問題はないと判断します」


「は、っきんぐ? え、ちょっと、どういう――」


「つまりこういうことです」


 彼は虚空からタブレット端末を抜き取り、その画面を私に見せた。明らかに何らかのログが並んでいる。現在進行形で行は増えていくが、これは――


「それ私の端末のですよね!?」


 既視感たっぷりのURL、身に覚えのありすぎる時刻。まさしく私の足取りだ。


「よくわかりましたね。聡い人は好きです」


「褒めるタイミングじゃないでしょう!」


「ちなみにこの端末からあなたの端末のロックを外すこともできますよ」


「ああもう、やめてください!」


 分かっているのかそうでないのか、彼は二、三度軽く頷くと自分の端末を宙に投げて空間の亀裂に収納した。そしてさっさとスイーツの解体工事に戻る。中がパンパンに詰まったピンク色のエクレアを、どういう原理か上品に切り分けて口に運んだ。


 この爺さんはかなり厄介だ。薄々勘付いていたが、まるで空気を読む気がない。あらゆることがあちらのペースで進む。


「……一体どうやってハッキングしたんですか?」


「クラウダス社とヴィデルマ社のホームページに色々仕込んでおきました。あれは僕が管理しているんですが、竜災対策軍の優秀な若手ぐらいしか検索しないんですよ。なので誰かが訪れるたびに身辺調査をさせていただいています」


 まんまと釣られたわけだ。本を渡されて条件を満たすとメモが飛び出すなんて、された側は正解を引いたと確信する。そうしたら先に進むためにあの二社を調べ始めるのは必然。彼が手をこまねいていることも知らずに、自ら罠にかかるわけだ。


「それで、クリーンとかクリーンじゃないとかって、どこに閾値があるんですか?」


「特定の団体との接点の有無です。あなたのご母堂様が()()()()の牧師長なのはなかなかに見過ごせない点ですが、アルマスの心を考慮しないのであれば問題ありません。彼からもきつく言われていましてね。自分のことを心配してくれるのは有り難いが、要らぬ波風は立てるなと」


 言い切って、彼はエスプレッソを飲む。どうやら腹心になるだけあって、彼はアルマス・ヴァルコイネンのことが大好きなようだ。


「はぁ……、もういいです。ハッキングに関してはもう何も言いません。別に変な使い方はしないんでしょう? 類を見ないほどの愛妻家だって噂ですもんね」


「当り前でしょう。シェリル以外の女性には微塵も興味――、失礼」


 私が嫌味を交えて話題を閉めると、ひどく嬉しそうな顔をして毒を吐く。おまけ程度の謝罪はついているが毛ほども繕えていない。わかっていてやっているのだろうか。


「さて、もうそろそろあなたがしたいお話をはじめましょう」



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