二千年前の手紙編 #1 遭遇 Ⅶ
道向かいで、銀髪の青年が振り向く。
「――何故あなたがここにいるのですか!」
「……はぁ」
ここ数日の私との喧嘩で気が立っているのか、エレノアは男性に突っかかっていく。男性の方は、こういった事態に慣れているのか必要以上の反応はしない。一瞥するとすぐに背を向けて自転車のペダルに力をかける。
私たちは学校から寮に戻る途中、教会の前を通る。その時にエレノアは、彼がいるのに気づいてしまったのだ。以前から彼と私たちの生活範囲が被っていることは分かっていた。とはいえこのタイミングでこの辺りをうろついているとは、相当に運が悪い。
私たちの授業の取り方的に、今日は午後に一コマしかない。こんな日に限って買い物にも行かなかった。後ろにローレント・D・ハーグナウアーとの面会が控えているとはいえ、アルマス・ヴァルコイネンのためにも多少寄り道を提案するべきだったと後悔する。
「アルマス・ヴァルコイネン! 無視するのですか? 堕落したあなたらしいですね」
「ちょっとエラ――」
「……俺に何の用だ」
彼は銀色の眉を歪め、不愛想な返答をした。碧眼がエレノアと私に向けられる。射貫くような眼光にエレノアは身を竦めるが、今日の彼女はかなり積極的で仕返しとばかりに噛みつく。
「どうしてここにいるのかとお聞きしたでしょう! 答えられない理由でもあるのですか?」
アルマスは困った――というか、呆れた様子で拳を自分の額に持っていく。そして深く息を吸い込み、きっぱりと言い放った。
「あのな。何でここにいるかなんて尋ねたところで、面白い答えは一つも出ないぞ。そんなに知りたいなら教えてやろうか? そこの中華料理屋で昼飯食ってたんだよ。俺だって普通に飯食うの」
彼は親指で背後の店を示す。少々遅めの昼食ではあるが確かにランチタイムだ。エレノアの行為がただの迷惑行為だと証明されてしまった。
しかし今日のエレノアはいつになく厄介だ。
「あなたの家は『領域』でしょう。ここからはかなり遠いはずです。なのにこんな所で昼食など、理由がなければしないでしょう!?」
「俺はそこまで説明しなきゃなんないのか?」
「何を言っているのですか! この街があなたの存在を黙認しているとしても、許されているわけではありません。みな、あなたが何をしでかすか不安に思いながら生活しているのですよ! それなのに教会の近くを嗅ぎまわっているなど!」
アルマス・ヴァルコイネンは一層表情に影を落とした。
無理もない。エレノアの言い分はあんまりだ。私はアルマス・ヴァルコイネンの側に、にじりにじり立ち位置を変えて、エレノアを落ち着かせようと試みる。
「エラ、ちょっと考えなおそう。この辺りにいるからって、必ずしも教会に用があるわけじゃないでしょ? きっと別の用事があったんだよ、ね?」
「お前の言うとおりだよ。俺は役所にい――」
「役所など知りません!」
いやそこにある。五百メートルないくらいのところに建っているから、役所。種々の手続きをしにみんな足を運んでいるから。
思わず私はアルマス・ヴァルコイネンと顔を見合わせてしまう。彼は私の困り顔を見て、説得は厳しいと悟ったらしい。急に情けない表情になった。本当に役所に用があっただけなのに、と副音声が聞こえてきそうなくらいだ。
「結局、ここに何をしに来たのですか? 堕落した悪魔が!」
「ちょっとエラ、そこまで言う必要ある?昔はどうだかわからないけど、今はこの人、悪いことなんてしてないじゃん!」
「いいえ、アルマス・ヴァルコイネンは悪です! それは変わらぬ真理です!」
いつもは優しい聖女様のくせに、どうしてこういう時だけ暴言を吐けるのだろう。エレノアは、どうして無神経にこんな中傷を浴びせることができてしまうんだろう。
流石に腹が立ってきた。
私はエレノアに真っ向から対立する。
「で? 悪事を働いた証拠はなんかあるの? 言っとくけど私、この人がハンバーガー食べてるところとか、観光客に道教えてるところとか……、それしか見たことないよ」
「そんなものは欺瞞よ! イーリスは誑かされているんだわ!」
「でも、私は事実しか信じられない馬鹿だから。エラの忠告に従えない阿呆ですいませんね」
私のことを言いくるめられないと分かって、エレノアはすぐさま矛先を変えた。アルマス・ヴァルコイネンをきつく睨みつけて、罵詈雑言を捲し立てる。
「どうせ恨みをぶつける方法でも画策しているんでしょう? 教会には偉大なお姉さまが眠っていますものね!」
「違う、俺は恨んでなんか――」
「やめて、エラ!」
私がどんなに壁となって受け止めようとしても、言葉は無慈悲に彼に襲い掛かる。私はエレノアに掴みかかって止めようとするが、強い意志で反発されもみ合いは決着しない。
「かかってきなさい、私たちはあなたから彼女を守るためにいるのです! あなたを教会へ近づけないためにいるのです! 『スズランの手記』にも書かれています! 彼女はあなたがのうのうと暮らしていくことなど望んでいない! 今すぐこの街から去りなさい!」
その時、弱々しく震える声が一筋、騒音の中を縫って聞こえてきた。
「――そんなこと、ずっと前から分かっている……ッ!」
彼は自転車から降りて乱雑に方向転換をすると、足を強く踏み出した。
瞬間、地面に稲妻のような輝きが這う。白い光が幾何学的な模様となって広がり、彼はその中心で忽然と姿を消した。
光の残滓が薄れ静まり返る道端で、私とエレノアは向かい合う。
「……イーリス、私たちの勝利よ」
「ありえない。なんであんな風に追い詰められるの?」
「だって悪は淘汰されるべ――」
「エラ、私、今日は実家に帰るから」
エレノアは事の重大さが分かっていないのか、すっとぼけて私に注意してくる。
「駄目でしょう。寮の規則に――」
「ママに電話すればどうとでもなるから」
「でも考え直す時間を取るためにも」
「――そんなもん、クソ食らえだ」
これは、しばしの別れだ。決別ではない。そして決別にならないために、私は立ち向かわなくてはならないんだ。
私は踵を返し、横道に逸れる。するとエレノアは未練がましく後ろから叫んだ。
「今日のことは園長先生に報告するわ! いくらなんでも許されるべきじゃないもの!」
「勝手にしなよ。ママもまとめてねじ伏せてやるから」
今のままお互い理解しあうなんて無理だ。私の考えが甘かった。
お互い理解しあって手を取り合うなど、今のエレノアとは不可能だ。こびり付いた差別意識から対処しないと、また今日のようなことが起こる。
――なら私が変えてやろう。
まずは事実と感情の分離から。そして牧師長になって、差別を生む教義は根本からひっくり返してやろう。全員の目を、過去の罪から今の彼に向け直してやる。
カフェで待つ青年の元へ、私は進路を取る。




