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拝啓スノードロップ  作者: 梨乃実
第X章 伝承
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二千年前の手紙編 #1 遭遇 Ⅴ

「その……、出来ることならお礼がしたいんです……。命の恩人に!」


 私がそう叫ぶと、ローレント・D・ハーグナウアーは首を傾げる。そして彼の瞳に宿る紫の光が強まった。


「お礼……?」


「はい。謝意を述べるだけでは私が満足できないので、何か、救ってくれたことに報いたいんです」


 私の本意はひどく説得力に欠ける。疑いの言葉が重ねられるのを私は身を固くして待った。ところが返ってきたのは意外な呟きだ。


「まさか、あの女の子……?だとしたら――」


「ん?」


 訳が分からず私は呆ける。


 彼は私を縛っていた不可視の魔法を解いた。そして少しかがんで私と目線を合わせると、ゆっくりと言葉を並べていく。


「この際、はっきり言います。あなたのその行動は全てエゴで成り立っています。アルマス・ヴァルコイネンは、あなたの言う証明とやらを求めてはいません。彼自身、このままの方が都合がよいと判断しているんです」


「確かに私のエゴです。私がお礼をしたいだけ」


「お礼を押し付けるつもりですか。彼の善意は、あなたが報いることを前提としたものではありません。受け取るだけにとどめるのが、最も平和なやり方ですよ」


 ローレント・D・ハーグナウアーの言葉はどこまでも辛辣だ。しかも立場上、彼の言うことがまるっきりアルマス・ヴァルコイネンの真意と考えることもできてしまう。


 だんだんと嫌気がさしてくる。エレノアも、ローレント・D・ハーグナウアーも、どうしてか私を止めようとする。どうやらそれほどまでにアルマス・ヴァルコイネンに近づくことはご法度らしい。


 そんなの、私の知ったことか。


「それでも私はアルマス・ヴァルコイネンについて調べます」


「もはやお礼とさえ呼べない傲慢な行為ですね」


「そうですよ。私が満足したいだけ。最初から言っているじゃないですか。私はどんなに否定されようと、アルマス・ヴァルコイネンの善意に報いたいと行動し続ける。この行動が、いつかアルマス・ヴァルコイネンへの謝意になると信じて、好き勝手に暴れまわるだけなんです。悪いですか?」


 私は紫に輝く瞳を覗き込み、鼻息荒く返事を待つ。


 ――返ってきたのは、優しげな溜息だった。


「……いいんじゃないですか。自分勝手に報いてください。僕にそれを止める義理はないようですから」


 彼は指輪をいじりながら、一歩下がる。拍子抜けだが、私の台詞の中には彼の妥協点に達する言葉があったらしい。孫を見守るような穏やかな表情の彼に、私は胸を張って告げる。


「言われなくともそうします」


「こんな爺さんにも物怖じしないとは、将来大物になりそうですね」


「じゃあ大物になれたら、ご飯奢ってください」


「あなたは本当に、いい意味で厚かましい」


「では――」


 ヒントでも貰おうかと切り出した時だ。彼はからからと笑いながら、先程棚に平置きした本を手に取る。そして私に向けて差し出した。


「――『竜災対策軍概略』。まずは各年の決算報告について読んでみることをお勧めします。勿論、読んでいただかなくとも構いませんが」


 反射的に私は受け取る。彼は不敵に微笑むとすぐに背を向けた。


「今日はこの辺で。機会があればまたいずれ」


「ちょっと、まっ――」


 含みのある言葉を残して、彼は歩み去っていく。私は慌てて追いかけるが、書架の森に繰り出した彼はもうどこにも見当たらない。


 古びた布張りの本一冊、それだけを残して彼は忽然と消えてしまった。まずは目を通せと言いたいのだろう。


「竜災対策軍……?」


 表紙の金の文字は、彼が読み上げたとおりの題名を記している。だが、国家機関とアルマス・ヴァルコイネンに関係などあるのだろうか。


 ばらばらとページを捲り、流し読む。だが特に変わった様子はなく、沿革だの組織構造だのといった項目が書き連ねられているに過ぎない。


 これでは埒が明かないので、助言に基づき読み込むのが吉だ。私は決算についての記述がどこにあるか、目次をさらう。さほど厚くない本の中ほどを開き、数字と文字が入り乱れる紙面を眺める。


 その瞬間、私は違和感を抱いた。


「桁数、おかしくないか……?」


 出版年前年の監視ネットワーク運営に係る支出、そして装備品等購入費の欄。この二つが、素人目に見てもあり得ないほど少額だ。支出の推移のグラフを見ても、その二項目だけはほぼ直線で低空飛行している。


 私は再び目次まで戻る。調達品目の入手先を知るためだ。


「……ビンゴ。取引先みっけ」


 監視ネットワークはクラウダス社、装備品の仕入れ先はヴァデルマ社。軍と取引するくらいだからさぞ大きな会社なのだろうが、両社ともはじめて見る名だ。


「……ん?」


 ふと、視界の端を落ちていくものがある。


 落下地点は私の足元、古びた本の直下だ。最初にざっと目を通したはずなのに、一体どこに挟まっていたのだろう。


 なにやら意味深なので、私は拾ってみることにする。質のいい紙に綴られているのは繊細な筆記体だ。


『マドモアゼル。チョコレート菓子はお好きですか? よろしければ明後日、テラス席にて』


 差出人は書かれていないが、こんな厭味ったらしい色気のある文を考えつくのは彼しかいない。


 まったく意地の悪い爺さんだ。


 指示どおりのページを開いただけでは駄目で、調達品目の章まで足を伸ばさなければこの紙片は現れない。そんなところだろう。


 私は今、試されているのだ。


 好奇心が、かつてない程に沸き立つ。


「さて、はじめるとしますか」


 私は魔法の鍵を手に、一歩、踏み出した。

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