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拝啓スノードロップ  作者: 梨乃実
第X章 伝承
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二千年前の手紙編 #1 遭遇 Ⅱ

「ただの研究と考察だよ」


 私は早々に退却してくれないものかと祈る。しかしエレノアは興味津々で問いかけた。


「何の?」


「……アルマス・ヴァルコイネンについての」


「やめなさい」


 エレノアは間髪入れずに言う。だがその反応は予想通りだ。


「何で? 別に崇めたてるわけじゃない。それに資料を漁るだけで、突撃取材するつもりはないし」


「駄目なものは駄目よ」


「駄目とか駄目じゃないとか、そんなことよりもエレノアの意図が分かる言葉をくれない? 疑問しか残らないんだけど」


 私が先程のエレノアの言葉を借用すると、ブーメランに気づいた彼女は顔を顰める。


「そういう言い方は好きじゃないわ」


「知ってる」


 私は手に持っていた下着を籠に放り込んで、どかっと椅子に腰かける。深く寄りかかって足を組むと、エレノアは眉間の皺を更に深くした。


「はしたないわ」


 彼女は抱えていた紙束を箱に入れて、入念に整えられたベッドに座った。私への当てつけなのか、足を揃えて膝に手を置く。まったく美しい姿勢だ。私の対面に来たエレノアははしたないと言ったきり、黙ったまま私を睨む。


「アルマス・ヴァルコイネンはエラの親の敵なの?」


「いいえ違うわ。でも牧師を目指す私たちにとってはそれに等しいものがある。分かっているでしょう? アルマス・ヴァルコイネンは悪よ」


「分かってる? 分かってないから調べたいって言ってんの」


 教えにどっぷりのエレノアとは、この点で相容れないのは織り込み済みだ。


 ノウム教に所属する私たちの教会はドラゴンを毛嫌いしている。ドラゴンの筆頭たるアルマス・ヴァルコイネンともなればまさに悪の象徴。エレノアにとってアルマス・ヴァルコイネンはこの街に暮らす一人の人間ではなく、悪魔そのものなのだ。


 だからこの口喧嘩はいかに早くお開きになるかに争点がある。エレノアを怒らせることに照準を合わせて私がいくらか挑発的に指摘してみると、彼女は部屋着のスカートを強く握りしめて叫ぶ。


「分かっているのよ! アルマス・ヴァルコイネンは悪! アレから遠ざかれば、私たちには安寧が与えられる!」


「根拠はどこ行ったんだろね。確かに悪役扱いされてるよ、彼は。でも、バイアスを排除したら本当にそう言えるの?」


「それを研究したいっていうの? 無駄よ。アレは紛れもなく悪。根拠を挙げればいいの? ならそうするわ。まず思い出してみて。二度の大回帰、あの戦争を起こした戦犯はアルマス・ヴァルコイネンよ!」


 確かに語られている歴史はそうだ。


 しかしあらゆる政治的な思惑や大衆心理を省いたら、一体真実はどこにあるのだろう。私たちが知っているのは戦犯が誰なのか、ただそれだけ。戦争の発端も、推移も、現代には何一つ伝わってはいない。ただ私たちが知るのは、世界中に蓄えられた知識がアルマス・ヴァルコイネン率いる一団によって強制破棄させられたということだけだ。


 勿論戦争を起こしたことは正義だったなどと言うつもりはない。しかしアルマス・ヴァルコイネンが世に語られるようなサイコ野郎でないのだとしたら、未来のためにも戦争のすべてを探求しなくてはならない。あれが思想戦争であったのなら、どこかしらに落としどころが存在するはずなのだ。アルマス・ヴァルコイネンらにとって、文明を後退させざるを得ないことがあったのかもしれない。


 何にせよ、探求しなければすべてわからずじまいだ。残された数少ない情報にしがみつくだけでは道は拓けない。幸いなことに、この街には世界最大規模の古公文書館や古代資料館がある。大学に行けば未解読の古文書に大量に触れられる。それにもし文書が見つからなかったとしても、アルマス・ヴァルコイネンも、腹心のローレント・D・ハーグナウアーもいる。危険度からして最終手段ととらえるべきだろうが、接触を図るのもまた一つの手だ。


 二度世界を襲った災厄が再び起こされる可能性も、あるいは極限まで抑えることができるのではないか。


 私はそんな確信でもってエレノアに反論する。


「既に手元のあるものだけで判断したって、何も進まないんだよ。突飛に聞こえるだろうけど、私は……、私は事実を集めて前に進みたい。アルマス・ヴァルコイネンが何のために罪を犯したのかを知りたいの」


「そんなこと、あなたが進めなくたって誰かがやるわ!」


「だったら逆に、私が諦めなくたって構わないってことになるでしょ。要は誰でもいいんだから!」


 いよいよ言葉の尽きたらしいエレノアは、勢いよく立ち上がる。強い怒りを伴ったまま部屋を仕切るカーテンに手をかけると、最後に一つ、私を怒鳴りつけた。


「今日のことは園長先生に報告させてもらうから。もうあなたのことなんか知らないわ! 少し早いけれどおやすみなさい!」


 そこまで一息に言い切ると、エレノアは強引にカーテンの端を引っ張った。レールが大きな声で悲鳴を上げても彼女は気に留めない。部屋の壁までしっかりとカーテンを引ききって、私とエレノアの部屋を分断した。


「はあ……。はいはい、またあとで」


 エレノアのことは元々怒らせるつもりでいたが、少々やり過ぎた気もする。だが、これでいろいろと余裕ができたのも確かだ。


 ――やっと、調べられる。


 私が幼いころに見た銀髪の青年は何者だったのか。森に迷い込んだ私を助けたのは悪者だったのか。


 知りたい。彼の本当の姿を。


 小さなころから胸に燻っていたある種の野望に、私は今、着火剤を投入する。


 この火種が燃え広がるか、吹き消されてしまうか、それは私次第だ。ならうまくやろう。私がきっと、大きな炎にしてみせる。



 熱い希望を胸に深呼吸する。


 そして、私はひとまず、エレノアを夕飯時にどう言いくるめるか画策するのだった。

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