01 目覚めた前世。
20190303
ある日、目が覚めた。
溢れだした涙が頬を伝う。
酷い夢を見た。それがただの悪夢なら、どんなによかったか。
それは、記憶だった。
前世の記憶。
まるでホラー映画を観ているようだった。平凡な女の子がたった一つの選択を誤ったことで、引き起こってしまった事件。
日本の田舎でも都会でもない平凡な街に住んで、家庭の事情なんて見ぬふりで女子高校生として日常を楽しんでいたあたしは、高額アルバイトをした。離婚の話をしていた両親にお金を要求できず、お金欲しさに高額報酬をちらつかせた一つこそが、あたしの命を奪った。
アレルギーの新薬を試すために被験者になるアルバイト。たった一週間のはずが、一ヶ月もあたしは監禁されモルモットにされた。アレルギーの新薬なんて真っ赤な嘘。生物ウイルス兵器の被験者にされたのだ。薬を投与されて二日後、自分の異変に気付いた。自分の身体が、薬に蝕まれるのを、感じていた。
怪物に変えられる。
戦慄した。早くそこから逃げ出したかった。帰りたかった。
だからだからだから、必死に足掻いて足掻いて足掻いた。
同じく騙されて被験者になった人達と共に暴動を起こして脱出を図った。
目も当てられない惨劇。辺りは赤黒く染められ、炎が肉を焦がす臭いだけを鮮明に覚えていた。吐き気が込み上がらなかったのは、呼吸も出来ないくらいの深傷を負ったからだ。
全て明確に思い出せなかったが、あたしは脱出に失敗してしまった。
顔がよく見えない少年が、あたしを呼ぶ。彼も血塗れだった。
必死に彼が何か叫ぶが、あたしの耳には届かない。涙を流す彼を見つめながら、あたしは死んだ。
死んでしまった悲しみか、それとも哀れみか、はたまた少年の涙のもらい泣きか。
よくわからない涙を拭って、壁の穴に布団を敷いただけのベッドから降りた。
カーテンのない窓は、単なる穴だけれど、そこから顔を出す。
何処かの家が焼き上げたパンの匂いを、風が運んできた。森を挟んだ少し離れた先には、ベージュ色の壁と褐色の屋根の建物が並ぶ街が見える。
私は地球とは、全く違う世界に生まれた。
「……こんな記憶、なんで思い出したんだろう」
ペリドット色の髪を掻き上げて、はぁーと重たいため息を零す。
カラフルな髪色も、この世界では別に不思議ではない。襟足の長い髪を、スーッと指の間に通して胸の上に落とす。
「何が原因で……?」
きっかけ次第で前世が過ぎるということも、聞いたことがある。
そのきっかけはなんだったのだろうか。
昨日何かあったっけ……?
思い返したけれど、特に心当たりはない。
そう言えば、この街を横切るようにエメラルド色のドラゴンが、大きな翼を羽ばたかせて飛び去ったのを、昨日見たっけ。
朝蜘蛛が縁起がいいように、あのドラゴンを朝から見られるのは縁起がいい。
そう、ここはモンスターが溢れる異世界。
ここが今、私が生きている世界だ。
中世風と中華風が絶妙に混ぜ合わせられた感じの服装や街並み。
それから昨日は買い出しのために街を歩いていたけれども。
コンコン。
「……!」
ノックされたドアを開こうとして、手を伸ばした途端にドアが開いた。
まるで、見えない誰かがドアノブを回して先に開けたよう。
驚いていれば、ギイッと押し開けられた。
「おはよう、ビビ」
「おはよう、アリー……今ドアを開けた?」
「え? ビビが開けてくれたんでしょう?」
ドアをノックした幼い女の子アリーは、ただ押し開けただけのようだ。
私は放心して自分の手を見た。
ビビ。それが今の私の名前だ。ファミリーネームはない。
何故なら、私は孤児だからだ。
そんな私を拾ったのは、この崖に住まう盗賊。もちろん、不憫に思い拾ってくれたわけではない。雑用に使おうと拾ったのだ。アリーも、その一人。
そのうち、私達も盗賊の仕事を強いられるに違いない。
「どうかしたの?」
「あ、ううん、なんでもない」
「そっか。ブラシして、お願い」
私が首を振ると、毎朝の日課を頼むアリー。
癖っ毛の茶髪を、ブラシでとかしてあげる。
ブラシを手に持って、ベッドに腰を下ろして、私は手招く。
小さなアリーは弾むような足取りで、私の前まで来た。
無防備に背中を預けてくれるアリーの髪をとかしてやる。
「いつも、ありがとう、ビビ」
「いいのよ。ほら、出来た」
その茶髪を三つ編みにして完成だ。
「ビビがまだ着替えていないなんて、変だね。どうしてなの?」
「あー……前世の記憶を見てて、いつもより起きるのが遅くなった」
三つ編みを触って確認していたアリーは、バッと振り返った。
この世界の常識は、以前の世界とはかなりずれている。ドラゴンがいる時点で定義がずれているのは当然。
前世の記憶がある人間は、稀にいる。ほとんどは朧げな記憶で、それを機に前世で名を馳せた騎士だった人がまた騎士になることもあれば、なんの影響も受けない人もいるのだ。
それが当たり前の世界。
「ビビに前世っ!? どんなの!? ビビ……変わっちゃうの?」
目を輝かせて食い付いたかと思えば、前世の記憶を思い出して変貌するケースなのかとアリーは不安を目に浮かべた。
「んー……変わらないんじゃないかな」
自然な仕草で、アリーの頭にキスを落とす。
「本当? よかった! じゃあ買い出しの時にまた聞かせて!」
アリーは私に与えられた部屋を飛び出していった。
「……変わらない、か」
私はしかめた顔をして、試してみることにする。
掌の上のブラシを、木造の机の上に置く。
ベッドから離れることなく、ブラシを机へ移動させた。
コロンと転がるブラシ。
「っ……!」
なんで、使えるのだ。
私は頭を抑えた。この力は、魂にまで植え付けられたのだろうか。
モンスターがいるこの世界には魔法がある。でも今のは魔法ではない。この世界の魔法は、呪文や魔法陣を必要とする。
前世で身体を改造されて、得てしまった力。念動力。
いやもしかして、脳が使い方を思い出したのかもしれない。
「……忌々しいっ」
爪が食い込むほど、きつくその手を握り締めた。
怪物に変えられるという恐怖心が蘇り、私は頭を振ってそれを払う。
早く支度をしないといけない。
くすんだ白のワイシャツを着て、お腹に使い古したブラウンのコルセットを巻いた。
黒いズボンを履いて、肩が露出したデザインのドルマン風パーカーに腕を通す。黒のブーティーを履いて、慣れた服装の出来上がり。
軽く髪をとかして、部屋を出た。
「ビビ姉!! 遅いよ!」
朝でも仄暗いのは、ここが崖を掘った盗賊の根城だからだ。
そんな廊下を進んで、キッチンに入ると、赤毛の男の子に怒られる。
「ごめん。おはよう、バーシャン」
グリグリっと赤毛を撫でて、私はすでに蒸された芋を潰す作業をした。
バーシャンは、トマトで作ったスープを掻き回しているところだ。
お互い黙って作業をしていれば、ダイニングルームとして使っている空間に、盗賊達が集まり始めた。アリーがとことこやってきて、お皿に盛り付けたスープを運んでくれる。私も蒸した芋に塩を添えて、それを運んだ。
「なんだよ、またこれかよ!」
「全く、味が薄いんだよな!」
文句を言われるけど、それは聞こえないふり。
渡されるお金は、ごく少ないものだ。食費をケチって、他のことに浪費しているせいだろう。手を上げられてしまうだけだから、私達は黙り込む。前に言ったら、盗んでこいなんて言われたけれど、それは出来ない。良心が咎める云々の前に、顔を覚えられたら二度と買い出しが出来ないからだ。
盗賊達が食事をすませたら、今度は私達の番。
お腹を空かせたアリーとバーシャンは、ガツガツと食べた。私も芋とトマトをゆっくりと味わう。
そのあとは、お皿洗い。そして、昼食の用意を始める。パサパサしたパンに挟むために、スクランブルエッグを作った。
それを置いて、私達は街に出掛けて明日の食材を買いに行く。
平凡な田舎街。市場は賑わっていて、見ているだけで楽しくなるのか、アリーはいつもはしゃいで歩く。盗賊から離れられるこの時間は、楽しいものだ。
盗賊のところにいる子どもなんてこと、少しでいいから忘れたい。
私は多分、十六歳になる。前世があんな最期だったのに、どうしてこんな人生にされたのだろう。まぁ両親の顔を知らないのは、幸いかもしれない。恨む顔が浮かばないのはいいことでしょう。
それに喧嘩する両親をもう見ることもないのだ。幸せだろう。
前向きなことだけを考えて、アリーの後ろを歩いていたら。
「おはよう」
そう声をかけられた。
見れば、同い年くらいの少年が立っている。青空のような澄んだ髪色なのに、金箔の粒が撒き散らされていた。青空というより、明るい夜空みたいだ。そんな前髪を自然な風に上げた短い髪型。ややつり上がった瞳は青い。
黒の長い手袋をつけて、半袖の襟付きシャツを着ている。どっしりとした印象の革のブーツを履いていて、そんな足で私の横に立っていた。
一応周りを確認して、私に挨拶したのかを確かめる。
どうやら私に挨拶をしたらしい。
「おはよう?」
私は首を傾げた。覚えのない少年だ。それに今は昼前。挨拶をするなら、普通は「こんにちは」だろう。
「……どこかで会った?」
「覚えてない?」
笑みを浮かべていた少年は、少し悲しげな表情となる。
すると、私の後ろをついて歩いていたバーシャンが、私の腕を掴んだ。
「昨日倒れてた、にいちゃんだ」
「倒れ……? ああ」
思い出す。昨日買い出しに出掛けた時に、振り返ると青い髪の少年が頭を押さえて蹲っていたのだ。人集りが出来ていた。その時の少年だ。
あの時は遠巻きに見て、そのまま盗賊の根城に戻った。だから、知り合ってはいないはず。
「ビビ!」
「……!」
私の元へ駆け寄ろうとするアリーが、呼んだ。
そんなアリーの後ろに、駆ける馬が走ってきた。
誰も乗っていない。暴れているのだと悟った。
アリーが危ない。
私は咄嗟にアリーを掴み、道の端に転がる。
その拍子に、頭をぶつけてしまい、意識が途切れた。