表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

死が二人を分かつとも

 いつだって別れは突然だ。

「私はこの国を出ようと思う」

 リラ=ホワイトはぽつりとつぶやいた。

「どうして?」

「このアヴァロンは私たち妖精の国だ。大森林によって守られているこの地において外敵はいない。森に張り巡らされた迷いの結界を解くことができる種族はどこにもいないからな。食事だって森の恵みだけで腹を満たすことができる」

 ぼくたち妖精の身体は人間が手のひらで握り潰せる程度の大きさだ。しかし、代わりに二枚の翼によって空を飛べる。加えて全ての妖精は魔法への高い適性を持っている。だから、ぼくたちの先祖はその能力を用いて魔法で国を造った。

「完璧な国だよ、この国は」 

「それが気に入らないんだ」

 昔からリラはぼくとは意見を違える。この幼馴染は向上心を持ち、ひるがえってぼくは現状で妥協しがちだった。

学び舎においてもリラは常に満点を目指して一位をキープしていた。リラとともに勉強することが多かったぼくは高い成績を保持していたが、一位のリラから大きな差をつけられた上での二位であった。

「私は、外の世界に行く」

「外へ?」

「ああ」

 彼女は完璧主義者ではない。単純に規定された最大値を超えようとしているに過ぎない。クラスでの一位では満足せずに学年での一位を目指し、学年での一位になれば学校内での一位を目指す。彼女の向上心は終わりがない。だからこそ、ぼくは彼女を尊敬するのだ。

 そして今回も前進を止めない彼女は妥協で縛られているぼくの先へ行ってしまうのだろう。

「ミズキ、お前はあの大樹の頂上を知りたいとは思わないか?」

 リラは国の中心にそびえたつ大木を指差す。

 

「長老たちは語り続けた、かつてあのご神木の先へと昇っていった妖精がいたと」

 無謀にも大樹の先を目指した彼は、頂上へ到達する前に太陽によってその身体を焼き尽くされた。

 だから、長老たちは最後にこう結ぶ。

 『身の程をわきまえない者にはいつか悲惨な結末を迎えることになる』と。

「たしかに無謀かもしれない。無茶かもしれない。無理かもしれない。でも、無駄じゃないはずだ」

 ぼくは彼女になにも言えなかった。

 きみの生きる道は他にもある、なにもたった一つしかない命をわざわざ賭けるほどではない、きみに死んでほしくはない。

 言いたいことはいくらでもあった。

 だが、所詮は願望でしかない。

「そこでお前だけに言うんだがな」

 リラはその手をぼくに差しのべた。

「お前もいっしょに行かないか?」

 けれど、ぼくはその提案を一度拒んだ。


「……っていうことがあったんだけど」

「なに寝ぼけたこと言ってんだ」

 ぼくと同じくらいの大きさのテディベアがぼくに説教していた。それはぼくの腹話術ではない。

 このテディベアは生きている。

 中に詰まっているのは肉ではない。表面をおおっているのは皮ではない。人形らしく布と綿と糸で構成され、そこには骨格も筋肉も皮膚も血液もない。

 しかし、それでもこのテディベアはたしかに生きているのだ。

「アタシの名前を言ってみな」

「ニコチアナ、かつてこの国を飛び出した、最悪にして災厄の大魔女」

 ニコチアナは、ぼくが生まれる前に数十人の仲間を引き連れて外の世界を荒らしまくった。本人曰く、あの頃の自分は目につく全てにかみつく狂犬のようだったという。

「なつかしいねえ、地上で暴れ回った日々が」

そんなニコチアナだったが、戯れに一つの国を消し飛ばすようなドラゴン相手に仲間とともにケンカをふっかけた。そのせいで大けがを負い、ついには魔力を使い果たして死を迎えた。しかし、あらかじめ準備していた魔法を発動させ、完全に死亡する前に魂だけをまるで幽霊のように自我を保ったまま肉体と分離させた。

 まさに大魔女と呼ばれるだけのことはある。

「もっとも、そのせいでぼくの使い魔になっている訳だけど」

「そうさ、こんな身体にしやがって」

 不運なことに彼女の魂はぼくのテディベアの中に入り込み、しかも完全に適合してしまった。これは母さんがこの人形に悪霊に対する術式を組み込んでいたからだ。その術式は保護対象であるぼくに近づいた霊体を人形に封印し、さらにはそれを使い魔としてぼくに使役させるというものだった。本来の計画ではニコチアナはぼくの肉体を乗っ取るつもりだったのに、母さんのせいでテディベアに封印されてしまったということなのである。

 細かい事情はともかく、母さんのおかげでぼくの身の回りの世話を全て使い魔であるニコチアナがやってくれている訳だ。そして、家を留守にしている母さんの代わりにぼくに説教することもある。

「それで? 幼馴染が外の世界に出ていくことにお前はどう思う?」

「そりゃあ、まあ……それが彼女の夢なら……」

「バカヤロウ!」

 テデディベアがぼくを殴る。綿でできた拳だが、ニコチアナのそれは長い長い人生で培った魔法と体術の賜物だ。

「……何度殴られても、痛いね」

「ったりまえよ、五百年の大魔女の拳、なめんなよ」

 頬はまだ痛みを訴えている。だが、この痛みは必要なものだ。彼女の説教にはこれが必要なのだ。この痛みこそが論理を架空のそれではない重みを与えてくる。

「つまんねえ嘘なんて吐くなよ。そんな安っぽいもので本音を包み隠してどうする」

 その言葉は決して荒々しいものではない。普段こそ高圧的な態度を取っているが、ぼくを正すべきときには静かに諭してくれる。

「正直言って、困惑と歓喜の二つの感情が心の中で同居している。二つとも、同じくらいの割合、同じくらいの熱量で」

「まあ、長く親しんでいた友人がいなくなることはつらいことだ」

「ぼくにはこれ以上を求める強い欲がない。そこそこがんばって、そこそこ幸せならいい。わざわざ外に出たいだなんて思わないし、思えない」

「この国じゃそれが普通だ。悪いことじゃない。それと同時に、幼馴染がこの国から出ていきたいことも悪いことじゃない」

「それじゃニコチアナはこのままあいつを放っておけってこと?」

「そうは言ってない」

 五百年の時を歩んだ大魔女は過去を懐かしむように語りかける。

「お前はきっと思っているんだろう。自分なんかがいっしょにいて足手まといになってしまうのではないか。そして、自分よりもはるかに高みにいる者が自分を認めてくれたことがうれしい、と」

 ニコチアナの言葉は全て正しい。

 ぼくには向上心がない。それがこの国ではおかしなことではなくとも、現状で満足せずにその先を追い求めようとする彼女の隣に立つ資格などない。

 だが、こんなぼくを彼女が誘ってくれたことに喜んでしまう。彼女が見ようとした光景を共有できることがうれしい。彼女に置き去りにされないことに浮かれてしまう。

 未熟だ。

 こんなことを考えてしまうことは、精神が未熟だということなのだ。

「だから、こう思うんだ。ぼくはやはりなにも言わずに彼女から遠ざかるべきなのだと……」

「ドアホ!」

「ひでぶっ!」

 テディベアの鉄拳が顔面に突き刺さる。

「男っちゅうのはたいがいめんどくせえが、お前は特に面倒だな」

「いやだって、大事な人の邪魔になんかなりたくないんだよ。なんにもできないなら、せめて迷惑はかけたくない。マイナスになるくらいならゼロにする」

「その考えそのものが既に後ろ向きなんだよ、お前は。俺の女になれ、くらいのわがままを言ってみろよ、一人の男ならな」

「だけど、これはぼくの本心だ。役立たずなりのけじめのつもりだよ」

「お前が考えているのは、お前のことだけだ。残された人間のことを考えたことがない」

「残された、者……」

 考えたことがない。考えようもない。考えられるはずもない。

 ぼくが弱くて、彼女が強い。そんなことはぼくにとって前提条件であり、ぼくがいないことで彼女が困ることなどないと思っていた。

「いくら向上心にあふれ、いくら実力を持っていても、お前の幼馴染は無敵でも最強でも絶対でもない。死ぬときは死ぬし、負けるときは負ける」

「彼女が死ぬことなんて想像できない」

「それがお前の、この国で一生を終えるだろうお前の限界だ。この国で天才と呼ばれたアタシでさえも死ぬときは死んだ。簡単に国を滅ぼせるドラゴン相手に戦ったのはさすがにバカだったが、原因不明の病や不可避の事故によって生死の境界をさまよったことは何度もある。それこそ腐るほどな」

 今こそぼくの使い魔として使役されているが、それはつまり彼女は自らの魂を操る絶技を駆使したからこそテディベアの中に封印されたということだ。それはまさしく一人前だとか一流の域を超えている。ごくありふれた言い方をすれば天才という他ない。けれど、その禁術とて彼女が死んだからこそ発動したものだ。

 すなわち、その天才でも死んだということだ。

 強かろうが弱かろうが、賢がろうが愚かであろうが、富んでいようが貧しかろうが、男であろうが女であろうが、関係ない。

 死ぬときは、死ぬ。

「お前はたしかに弱いかもしれない。足手まといかもしれない。邪魔かもしれない」

 経験者は語る。

「それでも、お前が幼馴染から逃げる理由にはならないんだよ」

 その言葉には重みがあった。深みがあった。

 結局、ぼくの行為は逃避に過ぎないのだろう。彼女の言う通りなのだろう。

 だが、ぼくは知らない。

「……じゃあ、結局のところ、ぼくはどうすればいいっていうんだ……?」

 答えは、まだぼくの手にはない。

「……アタシは外の世界で死にかけるたびにこの国のことを思い出した」

「……この国が嫌いで外に出たんじゃないの?」

「もちろん、そうだ。安全と健全の国。あらゆる負の可能性を排除した、潔癖すぎる国。そんな故郷が嫌で飛び出していったんだ」

「じゃあ、なんで……」

「結局、アタシにも未練があった。故郷に残してきたアタシの肉親は、兄弟は、友人は、恋人は、どうなっていただろうか。そんな不安があった。けれど、身勝手に国から出ていった手前、無事に国に帰れるとは思えなかったんだよ」

 だから、彼女は魂が国に帰ってきても誰にもそのことを話さないのか。

「でも、お前とお前の幼馴染はまだ間に合う。サヨナラの前に言っておけよ」

 その言葉を聞くと同時にぼくは走り出した。

「急げよ若人、時間は有限だ」


 走る。

 矢も楯もなく走る。

 筋肉が悲鳴を上げても走る。

 魔法で強引に組織の再生と強化を繰り返して走る。

 痛みなどどうでもいい。

 そんなことよりも彼女と決別してしまうことの方が苦しかった。

「ミズキ!」

「リラ!」

 彼女は既に旅の準備をしていた。必要な持ち物は全て用意してあり、後は国を出ていくだけであった。

「答えを聞こう」

「ああ、ぼくはいっしょには行けない」

「そうか」

 リラは驚くほどにあっさりと受け入れた。彼女も予想していた解答だったのだろう。それをわずかに悔しく思ったが、ぼくが口にするべきはそんなくだらないおのれの矜持のことではない。

「ぼくはきみの横に立つことはできない。ただ……」

「ただ?」

「いつまでもきみの帰りを待っているよ」

 一瞬だけ、リラは驚いた。

 けれど、そんなちっぽけな驚愕もすぐに消え去る。

「ミズキのくせに」

 そう言って彼女は微笑んだ。


 どうも、キタイハズレです。

 知り合いの誕生日プレゼントのお題は『○○のくせに』『オカン属性の元ヤン』『テディベア』。キャラの名前は花から名付けました。

 ミズキはハナミズキより。花言葉は、『私の想いを受けてください』。

 ニコチアナは、ニコチアナより。花言葉は、『あなたがいれば寂しくない』『援助』『保護』。

 リラ=ホワイトは、ライラックより。白いライラックの花言葉は、『青春の喜び』。

 青春の離別に関して、私なりの解釈です。

 それでは皆様、またご縁がありましたら。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ