第6話 ティファ、普通のダンジョンを初体験する
「なによもう! なんでワタシが怒られるのよ!」
ダンジョン実習があった日の放課後。ようやく先生方からの説教が終わったエフィニアは、教室に戻るなり非常に不機嫌そうに叫んでいた。
「あれは、怒られて当然だと思う」
「俺もそう思う」
「というか、むしろ俺達までとばっちり受けたよな」
そんなエフィニアに対し、同じように居残りで担任のエマ先生から懇々と説教を受けていたクラスメイト達が白い目を向ける。
エフィニア達妨害グループが詠唱中のティファに対していろんなものを投げつけ、それをティファがすべて叩き落としたり打ち返したりした結果、ダンジョン実習はなかなかの大惨事となってクラス全員が何らかの形で説教を受ける羽目になった。
実習中に他人の邪魔をすること自体が言語道断であるが、投げつけたものの中には普通に命にかかわるものもあったため、どうしても軽い説教で済ます訳にはいかなかったのだ。
死人はおろか怪我人も出なかったのは、ひとえにティファが冷静に危険物を安全に叩き落としたからであり、そうでなければ今頃説教だけでは済んでいなかった。
「ワタシは何もしてないし、アイツが反撃したから悪いんでしょうが!」
「どさくさに紛れてノックスさんも何か投げてたのはみんな見てるし、手を出さなきゃ反撃なんかされないし、そもそもベイカーさんは飛んで来たものを反射的に打ち返しただけだったよ」
言いがかりも甚だしいエフィニアの言葉に、神経質そうな眼鏡の男子生徒、ヨハン・ベルトナムがびしっと言い切る。
そのヨハンの言い分に、クラスの半分以上が賛同する。
「大体、詠唱中は離れた場所で見学して、物を投げつけたり大声を出したりして邪魔するのは禁止されてたんだから、ノックスさん達が怒られるのは当たり前だよ」
「何回も先生から注意されてたのに、堂々と言いつけを破るんだもんなあ。それに巻き込まれて一緒に怒られるおれたちがいいめーわくだよ」
ヨハンの言葉にのっかり、やんちゃそうな男子がエフィニアと同じぐらい不機嫌そうに言い放つ。
「おれ、何度もそういうことはやるな、っていったのに、なんで止めなかったんだって怒られなきゃいけないんだよ」
「まったくだよ」
「しかも、ベイカーさんより前に順番が回った子以外、全員が合格もらえなかったし」
ヨハン達の言葉をきっかけに、クラス中からエフィニア達妨害組に対して非難の声が上がる。
エフィニアの妨害が冗談では済まされないレベルにエスカレートしていたため、ダンジョン実習は即座に中止されてしまい、順番が回ってこなかった生徒は後日やり直しになってしまったのだ。
なお、妨害に対して冷静に対処したティファは、リミッター付きの術式を使うなどの裏技に頼りながらとはいえ、きっちり必要十分な規模の魔法を使って課題をこなしたので、普通に合格をもらっている。
いくつか投げた相手に直撃するように打ち返した件に関しては、根本的に妨害のために物を投げつけたほうが悪いこと、危険物を叩き落とした流れで無理なく杖を振り回した結果だったこと、そもそもティファは誰が投げたかを確認する余裕などなかったなどを踏まえてお咎めなしである。
「ワタシばかり責めるけど、アナタ達だってあの子のことバカにしてたじゃない!」
「ああ。確かにバカにはしていたよ。使えもしない魔法をひっしになって練習して、魔法が使えなかったら役に立たない座学だけ点数高い頭でっかちってね」
「だったら、アナタ達もワタシと同じじゃない!」
「バカにしてたことも、ものすごい威力の魔法が使えるようになって焦ったことも認める。けどね、ノックスさんみたいに邪魔して潰したいとは思ったことはないし、ましてやベイカーさんが失敗して死んだら嬉しいなんて、考えたこともなかったよ」
「なによ、嘘つき」
ヨハンの言葉を、嘘つきの一言で切って捨てるエフィニア。その言葉に、ヨハンの神経質そうな顔が赤く染まる。
エフィニアには、自分と同じ立場のヨハンがティファの存在を疎んでいることも、いなくなってくれれば喜ばしいと思っていることも、よく分かっていた。
実際、エフィニアとヨハンの違いなど、積極的に排除したいと思っていたか否かと、その結果実際に行動に移したか否かだけである。
そもそも魔法学院なのだから、特待生で入ってきておきながら魔法が使えないとなれば当然ではあるが、何らかの理由で特待生資格を剥奪されたリカルドのような生徒以外、度合いの差はあれ皆ティファのことを馬鹿にしていた。
特に特待生資格を持ちトップ争いをしているヨハンやエフィニアになると、そのエリート意識から、馬鹿にするというより同期の汚点だとばかりに憎悪していたといってもいい。
大人から見ればたとえティファが魔法を使えなかったとしても、ヨハンやエフィニアとティファの差などあって無きがごとしなのだが、この年でエリート意識を持ってしまっている子供にはそんなことは分からない。
もっと言うなら、使えないなりに様々な努力と工夫を重ね、何とかして現状を打破しようとしているティファのほうが、ちょっとばかり同年代より魔法の扱いが上手いだけで他人を見下しているエフィニアやヨハンより、学院側の評価が高いことも分かっていない。
分かっていないからこそ、教師から怒られたことを反省せずに、こんな低レベルな言い争いをしているのだ。
「……反省文終わったし、ぼくも練習しに行ってきていいのかな?」
「いいと思う」
ヨハンとエフィニアのどっちもどっちな感じの言い合いにうんざりして、足をぶらぶらさせながらリカルドが隣の席の女子であるリオ・メイヤーとそんな話をしていた。
「今日だけは、ティファちゃんがすごくうらやましいよ……」
「奇遇ね。あたしもそう」
いると揉めごとが制御不能になる、という理由で隔離され、現在何人かの先生の指導のもと様々なタイプの魔法に挑戦しているティファを、心底羨ましいと思ってしまうリカルド。
クラス委員であるためどうしても抜けられないリオも、リカルド同様ティファのことを心底羨ましいと思っている。
無論、二人ともダンジョン実習を合格したことや先生達に直接指導を受けていることを羨んでいる訳ではない。
この不毛でギスギスした空間から隔離されている、という一点において、どうしようもないほどティファが羨ましいのだ。
「そういや、リオちゃんはティファちゃんをそんなにバカにしてないよね」
「バカにしてないとは口が裂けても言えないけど、見方は変わった、かな」
リカルドの言葉に、柔らかく微笑むリオ。ストロベリーブロンドの髪が、柔らかく揺れる。
「そういうリカルド君は、最初からティファさんのこと全然バカにしてなかったよね」
「魔法使えないのと、魔力を暴走させまくるのって、そんなに違いないよね?」
「……確かに、そうかも」
リカルドの正直で真っ直ぐな言葉に、すごいなと尊敬の目を向けながら頷くリオ。
魔力量と制御能力の問題で、現状あまり大きな規模で魔法を使えないリオは、実は自分もリカルド達の側なのではないかと思い始めているのだ。
「とりあえず、リカルド君はもう出ていっていいと思う」
「うん。リオちゃんは?」
「あたしはクラス委員だから、最後まで残ってないと」
「そっか、がんばって」
「がんばれるようなことって特にないけど、まあ、座学の苦手なところでも勉強してる」
「うん。じゃあ、また明日」
反省文をリオに預け、前のほうでいまだに続く揉めごとをスルーして、自身の体力づくりの師匠である冒険者のもとへ向かうリカルド。
そんなリカルドと対照的なヨハン達を見てため息をつくと、早く終わらないかなと思いながら気合いと根性で勉強に集中するリオ。
結局ヨハンとエフィニアの喧嘩はエマ先生が様子を見に来るまで続き、その後エマ先生だけでなくリエラからも雷を落とされることでようやく終わるのであった。
☆
「最近、クラスがすごくギクシャクしてます」
「ふむ……」
それから数日後。ダンジョン実習のやり直しの日。
既に合格していることと前回の揉めごとの原因だったこととで受講を禁じられたティファは、ユウ達にこのあたりのことを相談するため、いつもの朝のトレーニングが終わってからも麗しき古硬貨亭に残っていた。
なお、現在ここにはユウの他に、カレン、バシュラム、ベルティルデ、マスターの四人がいる。他の冒険者は既に仕事に向かっており、カレンは学校に行く前の後片付けの最中である。
「正直なこと言っちゃうと、私はそうなるの予想できてたかな~」
「俺もだな」
朝食を食べながら、そんなことを言い切るカレンとバシュラム。ユウも黙って頷いている。
「えっと、それはどうしてですか?」
「そりゃまあ、こう言っちゃあなんだが、嬢ちゃんは落ちこぼれだった訳だ。それも、魔法学院って環境で見ると致命的なレベルで」
「うう、そうですね」
「それが、突然魔法が使えるようになったかと思ったらシャレにならないレベルで、とくれば、今までエリート気取りだった連中が面白い訳はないわな」
「そうなんですか?」
「嬢ちゃんは、ここに来るまでちやほやされた経験無さそうだから、分からんかもなあ」
不思議そうなティファの表情に、思わず苦笑するバシュラム。
ずっと見てきて分かったことだが、ティファは他人と比較したりされたりということに対して、かなり関心が薄い。人よりできないことに対するコンプレックスは確かにあるが、それも人よりできないというより、みんなが当たり前にできるべきことが最低水準を満たしていないことに対するコンプレックスが強い感じである。
また、上には上がいるということをよく知り尽くしているからか、自身の持つ何かしらの要素が人より優れていても、そのことにはまったく関心を示さない。
ティファは総じて、そのあたりに執着が薄い少女だと言えよう。
「ティファちゃんは、自分が他の人からどう言われてるかとか、あんまり気にならないほう?」
「気にしてたらキリがないので、ずっといろいろ言われてるうちに気にならなくなりました」
「あ~、なるほど……」
「ただ、あんまり不出来だと、ユウさんに見捨てられるんじゃ、って不安になることはあります」
「俺が、か?」
「はい。さすがに、ユウさんに見捨てられちゃうとこの先やっていけない気がするので……」
あまりいい傾向とは言えないティファの言葉に、思わず渋い顔をするユウ。
頼られるのはともかく、依存されるとちょっとどころでなく困る。
「……別に、そう簡単に見捨てたりはしないが……」
「でも、あまり出来の悪い弟子だと面倒を見るのが大変だから、教えても意味ないって途中で投げ出されちゃうんじゃないかって……」
「まあ、教えられることがなくなるか、逆にどう頑張ってもこれ以上は無理となれば、そこで指導は止まりはするが……」
ティファの不安を聞き、さらに顔が渋くなるユウ。これはもう、間違いなく割と洒落にならないレベルで依存され始めている。
「まず最初に言っておくが、指導が止まったからといって、そう簡単に師弟関係というのは解消されたりしない」
「でも、絶対じゃないんですよね?」
「俺がティファを破門にするとしたら、前に来ていたキャットとかいう女ぐらい人として見過ごせん人間になってしまったときだけだ。ここに出入りしている新人や若手ぐらいの問題児度合いなら、わざわざ破門になどせんから安心しろ」
依存されるのも、見捨てられないように過剰にいい子でいようとされるのもたまったものではないので、とりあえずこれくらいまでは大丈夫、というラインを示すユウ。
ベテラン冒険者の質がいいからか、麗しき古硬貨亭に出入りする新人や若手の冒険者は、全体的に行儀がいい。
これに関しては主人が元貴族で幼いころからカレンが出入りしており、最近ではティファが出入りするようになったことが良い方向に影響している。
キャットのように悪質な冒険者は主人がまともに仕事を斡旋せず、そうでない冒険者達は子供に行儀の悪いところや格好悪いところを見せられぬと自制するため、あまり下品で性格の悪い冒険者は居心地が悪くて近寄らないのだ。
中にはジェームズのようにいろいろ怪しい人物もいるが、本当にアウトなのはすべて淘汰されているので、まだここに来ている冒険者はどれほど怪しくても基本的には無害だ。
無害な範囲である程度変な人間も入れておかなければ逆に教育に悪い、という暗黙の了解でジェームズを見逃しているあたり、やたらと子供の養育に熱心な冒険者の酒場だと言えよう。
「それで、話を戻すが、最近クラスがギクシャクしている、ということだったな」
「はい」
「それについてどうにかできんか、という話ならば、現状ティファにできることは何もないぞ」
「えっ!?」
「さっきもバシュラムさんが言ったように、原因は馬鹿にして見下してたやつにあっさり逆転され、引き離されたことだからな。その見下していた相手であるティファが何をしたところで、火に油を注ぐだけだ」
「そうだね~。できるとすれば、格の違いを徹底的に見せつけて心をへし折って軍門に下らせるぐらいだろうけど……ティファちゃんにそんなことできる訳ないだろうし」
「まあ、魔神の前にでも引っ張り出してやれば、自然と嬢ちゃんに負けを認めるだろうけどな」
まるでサル山のボスザルでも決めるかのごとき理屈に、戸惑った顔を浮かべるティファ。
話し合いでどうにかなるとは一切思っていないにせよ、もう少し穏便なやり方が聞けるのではないかと思っていただけに、全力で投げたようなユウの意見もアグレッシブかつバイオレンスなカレンとバシュラムの意見も想定外だったのだ。
特にカレンがそこまで好戦的な意見を言ったことには、ティファに少なからぬ衝撃を与えている。
さらに言うと、本当になったらまずいにもほどがあることをバシュラムがしれっと口にしたことも、ティファにとっては驚くべき事態だ。
実際に魔神を目の当たりにし、相手がどれほど危険か身をもって体験した冒険者が、たかが子供の喧嘩に魔神を持ち出すなんて、想像の範疇を超えている。
「それにティファ、お前今さら、クラスメイトにリカルド以外の友達が欲しいか?」
「……仲良くなれるならそれに越したことはないですけど、別に無理してまでは」
「だろう? そもそも、お前が動いてどうにかできるのであれば、今日のダンジョン実習でわざわざ隔離するような真似はせんだろうよ」
「……あう……」
「学院側としても、これ以上事態を抉らせんためにお前を隔離している節があるから、しばらくはおとなしくしておけ」
「そうですね……分かりました」
ユウにたしなめられ、しょんぼりと頷くティファ。
自分が原因でクラスの雰囲気が悪くなったのに、何もしてはいけないというのは針の筵だ。
「で、カレンはまだ学校はいいのか?」
「もう行くよ~。洗い物だけ済ませてから」
「そうか。バシュラムさんは、今日の仕事は?」
「『堕ちた遺跡』の表層を巡回して軽く掃除ってところだな。一週間ほどは帰ってこない予定だ」
「なら、フィールドワーク実習の予習のために俺達も一緒に行っても大丈夫か?」
「駄目ってことはないが、移動にそこそこ時間がかかるぞ?」
「帰りに関しては、帰還陣を使うから問題ない。行きのほうはどれくらいかかる?」
「航空機で乗り降りも入れて一時間、車両なら三時間から四時間、歩けば二日ってとこだな。俺達は車両、というか定期便のバスを使う予定だ」
「出発までに、まだ時間はあるか?」
「ああ。今日は十時の便が始発だからな」
「だったら、リエラ殿に確認を取ってくる」
ユウの言葉に小さく頷き、ベルティルデに軽く目配せをするバシュラム。
バシュラムの目配せに頷くと、立ち上がって自室に戻るベルティルデ。昼食用の弁当の準備を始めるマスターと、学校に行く前のひと仕事とばかりに書類に必要事項を書き込んでいくカレン。
それに気がついて首をかしげるティファを促し、学院に向かうべく麗しき古硬貨亭を出るユウ。
こうして、学院でナンバーワンの落ちこぼれだったはずのティファは、誰よりも早くフィールドワーク実習の開催地である遺跡へと足を踏み入れることになるのであった。
☆
これが、『堕ちた遺跡』か」
「ああ。すごいだろう?」
午後一時過ぎ。バス停近くの休憩所で弁当を広げながら、目的地の遺跡を眺めて確認の言葉を口にするユウ。
ティファは想像以上に立派で風情のある遺跡群に、感動のあまり声も出ないようだ。
「これだけ立派だと、壊さないように注意して戦わんといかんだろうから、戦闘にも気を使うな」
「それが、な。一区画吹っ飛ばした程度じゃ三日もせずに復元されるから、かなり派手に暴れても大した問題にならないんだ」
「そうなのか?」
「ああ。やっぱり、そういうところはダンジョンなんだろうな」
バシュラムの言葉に、なるほどと感心の声を漏らすユウ。
この手の表層までダンジョンになっている遺跡型ダンジョンは、エルファルド大陸にはなかったた。そのため、ユウに限らずアイアンウォールの隊員は、こういう場所での戦闘経験はない。
因みにダンジョンになっている遺跡自体は普通に存在しており、遺跡内部に魔神が出たケースに関しては、調査中で人がいるような状況を除き、大抵はそのまま放置している。放置できない場合でも遺跡の外に釣って手際よく仕留めるので、やはり遺跡の中では戦闘にならない。
そもそも遺跡の中に魔神が出現すること自体相当なレアケースなのだが、それについてはここでは置いておく。
「やはり、下見と予習は大切だな。ぶっつけ本番で引率など、とてもではないが無理だ」
「だろうな。悪いがユウ、ここでは俺とベルティルデは先輩風を吹かさせてもらうから、お前と嬢ちゃんは基本的に絶対服従な」
「分かっている。土地鑑も何もないところで、現地をよく知っていて信用できる人の指示を無視するほど傲慢ではないつもりだ。が、一つだけいいか?」
「魔神、もしくは俺達の手に負えん類のモンスターが出てきた場合、だろう?」
「ああ」
「そのときは、お前の判断で自由に行動してくれ。俺だって、自分より実力が上の人間のとっさの判断を無視するほど、傲慢でもなければ自分に自信がある訳でもないからな」
弁当を食べながら、軽く打ち合わせを進めるユウとバシュラム。
その間も、ティファは遺跡に見入っている。
「ティファちゃん。ちゃんとご飯を食べなさい」
「あ、ごめんなさい」
「別に、謝らなくても大丈夫よ。初めてこの遺跡に来る学生さんは、割とみんな同じような反応をするから」
「やっぱり、そうですよね。見ているだけでわくわくします」
「まあ、三回か四回でいろいろ慣れちゃって、場合によっては勝手なことを始めちゃう困った子も出てくるんだけどね」
「あ……そうなんですね……」
微笑みの中に微妙に黒いものをにじませたベルティルデの言葉に、若干引き気味になるティファ。
冒険者としてベテランの彼女は引率としてもベテランらしく、数々の困ったちゃんを見てきているようだ。
「そういえばリエラ殿から聞いていないんだが、フィールドワーク実習ではどんなことするんだ?」
「えと、内容はわたしも知らないです」
「そうか。では、ここがどんな場所か、何が出てくるか、それに対してどう対処するか。それらを実際に体験しておけば、何をするにしても対応はできるな」
「そうですね」
ユウの言葉に頷き、せっせと弁当を食べ始めるティファ。
そんなティファにどことなくなごみつつ、もう少し打ち合わせを続ける冒険者組。
「一応言っておくが、実習の内容は俺達も知らないぞ」
「正確に言うと、毎年内容が変わるし学年によっても違うから、今年ティファちゃんの学年が何をするかは知らない、ってことね」
「なるほど。となると、ティファに戦闘を経験させておく必要もある、ということか?」
「そうね。さすがに罠に関するお題が出たことはないから、そっちは除外しても大丈夫。といっても、無防備に歩いていいっていう訳じゃないから、警戒はちゃんとしないと駄目よ?」
「それぐらいは言われずとも分かっているさ。なあ、ティファ?」
「はい!」
ユウに確認され、口の中のものを飲み込んでから元気に返事をするティファ。
どうやらこれから遺跡に入るということで、徐々にテンションが上がってきているらしい。
「とはいえ、学生のフィールドワーク実習に関しちゃ、うろつく場所はそこまで深くない。例年二泊三日の日程だが、あそこに見えてる宿に帰ってこれる範囲しか動かないからな」
「なるほど。出てくるモンスターは?」
「いろいろいるが、表層はどれも駆け出しでもやれる範囲だ。注意が必要なのは、インプやグレムリンなんかのデーモン系だな」
「やはり、遺跡でダンジョンだけあって、そのあたりは普通に出てくるか」
「ああ。魔神騒動のときにばらまかれたクレイルインプやドラドグレムリンみたいなややこしい性質のない、普通のインプやグレムリンだがな。その分魔法抵抗が高いから逆に厄介かもしれん」
「ふむ、注意しておこう」
バシュラムの情報に、小さく頷くユウ。
クレイルインプは普通のインプと違い、物理防御と光、および聖属性に対する耐性が高く五十センチ以下の距離を無詠唱で瞬間転移する面倒な性質を持つインプだ。
ドラドグレムリンは普通のグレムリンが苦手とする風属性と光属性に絶対的な耐性を持ち、こちらは本人が転移しない代わりに攻撃を転移させてくる。
どちらも通常種より魔法防御と魔法抵抗が低いが、属性体制そのものは大差ないため、そこまで倒しやすいモンスターでもない。
が、魔法学院の生徒からすれば、火力の高い炎属性の魔法が弱点になっている分、弱点が特殊な通常種より倒しやすい。
余談ながら、クレイルインプはトライオン共和国の南東部にあるクレイル谷で発見されたため、ドラドグレムリンは主にエルファルド大陸のドラド地方でよく出没するため、ともに地名が名前につけられている。
「他に、注意すべきモンスターはいるか?」
「地下の第三層ぐらいまでは明確にエリア分けや階層分けがされてるタイプのダンジョンじゃないから、入口付近に妙に強いやつがいたり、唐突に場違いな強さのやつが転移してきたりってのがごくまれに起こる。ユウ一人ならともかく、今回や本番では嬢ちゃんを連れてるんだから、そこは注意が必要だな」
「分かった。警戒はしておこう」
「まあ、つってもそうそう起こるようなことでもねえし、その対処のために本番では腕が良くて信用できる冒険者をかき集める訳だしな」
「なるほどな。とはいえ、仮に起こったとしてどの程度のものが来るのか、一度確認しておきたいところだが……」
「無茶言うな。そんな都合よく起こることでもねえし、嬢ちゃん連れて下の層まで行く訳にもいかんだろうが」
バシュラムにたしなめられて、小さく頷くユウ。できることなら、というだけで、積極的に確認に行く気はさすがにない。
「トラップに関しての注意事項は?」
「表層だと特にないな。トラップの位置は固定で配置図も出回ってるし、テレポーターやアラームみたいな厄介なものも発見されてない。あるのは基本的にスネアトラップばかりでたまにアロートラップと地雷があるぐらい、それもちゃんと足元を見ていれば分かる程度には露骨だ」
「アロートラップと地雷の威力は、どんなものだ?」
「アロートラップは夏物の学生服ぐらいは貫通するが、臓器に届くほどの長さも威力もない。目にさえ当たらなければ致命傷にはならないだろう。地雷は運が悪くても骨折で済む威力だ」
「落とし穴の類はどうだ?」
「二カ所ほど。ただし偽装されてない上に無駄にデカいから、よほど慌てて逃げ回りでもしない限りは問題ない。間違って落ちても地下一層に落とされるだけで、仲間に上から引っ張り上げてもらうか浮遊系の魔法を使えば、その場で上がるのも難しくないな」
「なるほど。表層はインプとグレムリンだけどうにかできれば、素人でも何とかなる訳か」
「おう。だからこそ、魔法学院が本物のダンジョンで実習なんてことをできるんだよ」
あまりにも都合のいい難易度に、バシュラムの言葉に頷きながらも、思わず何か見落としがないかと休憩所から見える範囲でじっと観察してしまうユウ。
弁当を食べる手を止めず、黙って観察を続けること数分。食事を終えると同時に結論を口にする。
「この遺跡、最大の罠は距離感と位置感覚が乱されることにありそうだな」
「ほう? そう思う理由は何だ?」
「バシュラムさんやベルティルデさんなら惑わされはしないだろうが、存在している建造物の形状が、遠近感を惑わす形状になっている。しかも、ここから見える範囲の建造物がまた、ちょっとずつ形状が違いながらも全体的な印象は変わらないものばかりが並んでいるのが分かる。こうなると建物は目印として役に立たんから、徐々に道が曲がっていたりすると、あっさり現在位置を見失いかねん」
「そうね。バシュラムと初めて来たときも、表層で若干現在位置を勘違いしそうになったわ。私が森の中での活動に慣れてて、こういう場所での位置の覚え方に心得があったから大丈夫だったけど」
「一度慣れれば、迷うことはないんだがな。実際のところ堕ちた遺跡初心者は、慣れるまでここが見える範囲で表層の歩き方を覚えるのが無難ではあるな」
「この遺跡が最初からここにあった人工物か、それともダンジョンが発生した際に現れたのかは分からんが、人工物だったとしたら作った存在はいい具合にひねくれているな」
遠目に観察しただけでそのあたりの問題を見破ったユウに、どことなく当てが外れたという表情を浮かべるバシュラムとベルティルデ。初心者が必ずといっていいほど浴びる堕ちた遺跡の洗礼に、ユウが多少なりとも右往左往するのではないかと少しばかり楽しみにしていたのだ。
「ユウはそういうところまで、隙がねえんだなあ……」
「気づかずに深入りして現在位置を見失って焦る、くらいの可愛げは見せてほしかったわね……」
「そう言われてもな、俺に限らず、どころかベルファールに限らずエルファルド大陸の騎士は、大抵がダンジョン踏破の訓練と実践を行っているからな。経験の差で気がつくまでの時間は変わるが、これぐらいは普通に見抜けるぞ」
「エルファルド大陸で冒険者が廃れる訳だ……」
「ダンジョン踏破を騎士様がやっちゃうんだったら、私達の出番はないものね」
ユウが口にしたエルファルド大陸の騎士事情に、思わず天を仰ぐバシュラムとベルティルデ。
冒険者としては、街中の雑用や採取、護衛依頼などでも食ってはいけるが、ダンジョン探索がなければ儲けが少ないのだ。儲からない仕事に人は集まらない。
しかも、エルファルド大陸、それも特に東部は騎士だけでなく兵士も異常に強く、街道などの治安が驚くほどいいため、そもそも討伐や護衛の仕事がない。
これで、冒険者が廃れないはずがないのだ。
「譲ってもらった地図と今の目視範囲を照らし合わせた限り、恐らく中心部の一部分はちゃんと探索できていないと思うが、さすがに今日それを確認する余裕はないな」
「初心者がいきなりそんなところを確認しようとするな。嬢ちゃんだっているんだから、フィールドワーク実習で見て回る範囲だけにしておけ」
「分かっている。しかし、ここまで惑わされるとなると、コンパスもあまり当てにならない気がするな」
「中心に近くなるとズレるらしいからな。それもあって、ちゃんと探索できていない疑惑は常に出てくるが、たまに無鉄砲なのが調べに行って惑わされて戻ってくるぐらいで、今は誰も調査しようとしていないな」
「とりあえずそこは、今後の課題としておくか」
「そうしとけ。せっかく来たんだ。時間はないが、宿を確保したら日が暮れるまで軽く見て回るぞ」
「ああ」
バシュラムの言葉に頷き、弁当箱その他を片付けて立ち上がるユウ。
この日の探索の成果はインプ二十体とグレムリン十八体、それから日暮れ近くになって出てきたリビングメイル二体であった。
☆
「どうしてですか!」
「ノックスさんはともかく、ボクまでフィールドワーク実習の参加資格なしというのは納得がいきません!」
ユウ達がティファの魔法制御訓練もかねてインプの群れと戯れていたのと同時刻。
アルト魔法学院ではエフィニアとヨハンが不合格を言い渡されていた。
「これは我が学院の総意です。納得できるかできないかは関係ありません」
不合格にされた理由も考えずに喚き散らす二人に、冷たい表情と声でばっさり切り捨てるリエラ。
温厚なリエラがそこまで腹を立てるくらいには、今日のエフィニアとヨハンの、もっと正確に言うなら二人が率いていたグループの実習はひどかったのだ。
「おうぼうです!」
「あなた達の行動のほうが、よほど横暴ですよ」
「半数近くを不合格にするなんて、学院の恥になるんじゃないですか!?」
「先生の指示を無視して味方を巻き込むように魔法を撃つような生徒を、なんのお咎めもなしに本物のダンジョンを使ったフィールドワーク実習に送り込むほうが恥です」
あの手この手でリエラにプレッシャーをかけて翻意を促すも、所詮は子供が思いつく程度の駄々と変わらぬやり口。リエラの考えを変えるには至らない。
「だったら、議員のおじ様に頼んでアナタを首にしてもらうわ!」
「どうぞ、ご自由に」
「本当にやるからね!」
「ええ。好きになさい。私が職を失ったところで、あなた達がフィールドワーク実習に参加できないことに変わりはありませんから」
どうせそう来るだろうと思った、としか言いようがないエフィニアの脅しに、淡々と拒絶を伝えるリエラ。
『堕ちた遺跡』でのフィールドワーク実習は、あと二カ月後に迫っている。リエラを学院から追い出したとしても、その程度の期間で不合格者を合格にするような手続きはできない。
それ以前に、リエラが失職するような状況では、フィールドワーク実習どころではないだろう。学院長を年度の途中で強引に解雇などした日には、引き継ぎにカリキュラムの再編成にといった雑事に手を取られて、それ以降の行事の大半は手が回らなくなる。
現政権の干渉をはねのけられなかったときに、リエラはもし自分が辞めさせられたら生徒達や父母達にすべての情報を開示するよう教員達に指示を出している。
そうなると、きっかけとしてエフィニアが行った一連の行動も普通に公表されるため、行事を潰された恨みはすべてエフィニアと、それをある意味で煽ったヨハンに向くことになる。
子供のやることに対して大人げないとかえげつないとか言われそうだが、子供のやることだからこそ、しっかりと自分の行いによる結果を理解させる必要があるのだ。
「話はそれだけですか? では、さっさと退出して、なぜ不合格にされたのか、己の行いを振り返って反省なさい」
あくまでも譲る気配を見せないリエラをにらみつけると、悔しそうに出ていくエフィニアとヨハン。それを見送った後、早くも引き継ぎの準備に入るリエラ。
「あの、よろしいのですか?」
隣の部屋で聞いていた副学院長のカイルが、恐る恐るといった風情で聞いてくる。
「ええ。どうせ早いか遅いかと、何がきっかけかの違いだけです」
「ですが、本当に辞めさせられることになるのでしょうか? 言っては何ですが、子供の筋の通らないわがままでしかありませんよ?」
「現政権は、私のことを疎んじています。たとえそれが理のない子供のわがままでも、情報操作をすれば立派な口実に使える以上、強引にでも行動に移すでしょうね」
やたらと割り切ったリエラの未来予想に絶句するカイル。
「そろそろ隠居しろ、ということでしょう。私もいい加減年ですし、ちょうどいい機会ですね」
「ちょうどいい機会ですね、ではありません!」
腹をくくったリエラの、いっそのんきにすら聞こえる言葉に、カイルが悲鳴を上げる。
最近の現政権がらみの出来事で後退した生え際が、さらに後退しそうである。
「今学院長が更迭されれば、この学院は大混乱に陥ります! 新たな学院長がどのような人物でも、確実に教員達は従わないでしょう!」
「さすがに、筋の通った指示や生徒達のためになる指示であれば従うでしょう。なんでもかんでも反発するようでは、それこそ現政権のやり口と変わりませんから」
「ですが、あの政権が送り込んでくる学院長など、十中八九碌な人物ではありますまい! そんな人物に好き放題されれば、教員達が従おうが従うまいが、確実に生徒達が振り回されます!」
「そこは心が痛みますが、更迭されてしまった時点で、私にはどうすることもできませんよ」
どこか他人事のように語るリエラに、再びカイルが絶句する。
リエラの中では、子供達の教育に対する情熱はともかく、アルト魔法学院に対する情熱や愛着は急速に薄れつつあった。
己が半生をかけて築き上げた学院が、たかが愚か者が政権を取って調子に乗っただけでいいようにもてあそばれ、さらには子供のわがままに振り回されるのだ。
いくら教育というのは利益が出るようなものではなく、資金的にあちらこちらの寄付などに頼らざるを得ない宿命にあるとはいえ、これはあまりにも情けない。
その程度のものしか作れなかったと思い知り、今さらどうする時間もないとなったところで、リエラの中の何かが完全に折れたのだ。
「俸禄も退職金もなくなりはするでしょうが、老後資金は十分にあります。どこかで小さな部屋でも借りて、私塾でも始めますか」
そう口にした途端に、何やらわくわくするものを感じるリエラ。その様子に戦慄し、慌てて隣の部屋に戻ってどこかに連絡を取るカイル。
「学院長。あなたはご自身の影響力をもう少し自覚するべきです」
魔導通信を使い各所に連絡を入れ根回しを済ませたところで、リエラにそう苦言を呈するカイル。
そんなカイルの言葉を、アルカイックスマイルを浮かべることでスルーしてのけるリエラ。
こうして、エフィニアの悪あがきは確実に規模を大きくしながら、場外乱闘の様相を見せつつあるのであった。
☆
「リビングメイルのおかげで、完全に宿代含む必要経費はプラスになったな」
「ああ。正直赤字の前提だったから、かなりありがたかった」
その日の夜。
宿で最初の乾杯を終えたユウ達は、この日の収穫に対して嬉しそうに話をしていた。
「それにしても、アイアンウォールの使う技って、不思議なものが多いのね」
「ほとんどが気で行う技だから、こちらではなじみが薄いかもしれんな」
「なじみが薄いどころか、魔力も何も使わずに、素手で軽く表面を叩いただけでリビングメイルを仕留めるなんて、そんな技見たこともないわ」
「あれは気脈崩しと呼ばれる系統の技でな、普通の生き物に叩き込んでもしばらく身動きが取れなくなる程度だが、アンデッド、特に幽霊系やリビングメイルのような憑依系には、致命的な効果を発揮する」
「便利な技ね……」
「その分、扱うにはとてつもなく難易度が高いがな」
そう言いながら、このあたりの珍味であるインプの尻尾のバター焼きをかじるユウ。
生息数の問題で普通の土地では料理に回ることなどないインプだが、ここでは階層に関係なくワラワラ出没するため、研究用や魔道具作りの触媒だけでは使い切れず、普通に料理にも使われているのだ。
「なんにせよ、リビングメイルが生物系ではなく憑依系アンデッドで助かった。生物系だと、蒸し焼きにするなりなんなりが必要で非常に手間だからな」
「生物系のリビングメイル、なんているのか?」
「ああ。いわゆる貝の一種でな。板と板の隙間に筋肉のように身を張り巡らせ、まるで鎧だけが動いているように擬態する」
「なるほどなあ。もしかして、ターンアンデッドとか聖属性のがまったく効かないやつってのは、抵抗力が強いんじゃなくて生物系だったのかもしれないな」
「かもな」
野牛と根菜のシチューを味わいつつ、バシュラムの推測に同意するユウ。
なんだかんだといいながら、意外とモンスターについては知られていないことが多い。
特にリビングメイルのように同じ外見で違う種類のモンスターがいたり、見て分からないレベルの亜種が非常にたくさんいたりするとややこしいことになる。
「にしてもユウ、あの魔剣、本当に要らないのか?」
「ああ。ああいう普通の魔剣は、気を通す技と相性が悪くてな。その癖、あのレベルでは非実体のアンデッドは斬れても魔神は斬れんから、いっそ普通の剣のほうがマシでな」
「ならいいんだが……」
リビングメイルのドロップ品である二本の魔剣に関して、いまだにさくっと売り払うという判断が腑に落ちないらしいバシュラム。
それもそのはずで、ユウの使っている剣は、非常に頑丈な名品ではあってもごくごく普通の鋼の剣なのだ。
所詮遺跡の表層で手に入るような低ランクの魔剣ではあるが、普通の武器を使っている真っ当な戦士なら、喉から手が出るほど欲しい性能は十分にある。
その証拠に、この魔剣は買えば普通に一本で非課税枠を超える値段となる。それがただで手に入るのだから、バシュラムが何度も念を押すのも当然であろう。
「それにしても、このあたりも意外とちゃんとしたものが食えるのだな」
「わたし、ダンジョンのそばって、食べるものはそんなにないと思ってました」
麗しき古硬貨亭のシチューに比べれば劣るものの、野生の牛を使ったとは思えない味わい深いビーフシチューに、驚きと感心が入り混じった感じでユウが言い、今までの会話に疑問はあれど、あえて口を挟まないようにしていたティファが、同意するように幸せそうな声を出す。
実際、他のダンジョンの近くにある宿場町は、『無限回廊』のそばを除いて大抵食糧事情は悪い。
アルトやその衛星都市でならワンコインで食べられるようなものですら、一日の生活費くらいの値段になっていることも珍しくない。
「まあ、ここはアルトからバスで三、四時間だからなあ」
「今日は道がスムーズで同中にトラブルがなかったけど、あったとしても大抵四時間はかからないものね」
「それに、途中で何カ所か、農村があっただろ? そこからも食材が運ばれてくるからな」
「アルトと比べればちょっと割高だけど、食べ物が手に入らない環境ではないのよ」
バシュラムとベルティルデが、意外と食生活が充実している理由をユウとティファに教える。
少々きつくはあってもアルトから日帰り可能な距離である以上、そうそうは飢える状態にはならないものである。
「それで、明日からはどうするつもりだ? 俺とベルティルデは、当初の予定通り地下一層の間引きをするつもりだが」
「そうだな。転移系が潰されている様子もないし、明日いっぱいは表層をうろつくことにしよう。人口密度も低いから、ティファの魔法の訓練にもちょうどいいしな」
「ああ、確かになあ……」
本日グレムリンの群れを焼き払ったティファの魔法を思い出し、それがいいと頷くバシュラム。
話には聞いていたが、聞きしに勝る威力にベルティルデと二人して表情を引きつらせたものだ。
「一応言っておくが、あれでも威力は絞れるようになったほうなんだぞ?」
「「え゛っ!?」」
ユウの補足に、顔と声を引きつらせるバシュラムとベルティルデ。
魔法防御と魔法抵抗が高く、属性耐性の問題もあって生半可な魔力ではまともなダメージを与えられないグレムリン。
それをファイアーボールで一気に焼き払ったのも脅威だが、ファイアーボールなのにファイアーウォールどころかファイアーストームクラスまで威力と規模を拡張させておきながら、それでも威力を絞れたほうだという制御の効かなさも怖い。
「炎の精霊が一緒に暴走しそうになるって怯えるほどの魔法が、威力を絞った結果とは……」
「一応注ぎ込む魔力量以外は制御が効いているから、暴走の心配はないんだがな」
「精霊達は、暴走手前って言ってたわよ……?」
「本来想定されていない量の魔力が投入されているんだから、ある意味当然だろう」
ユウに力強く断言されて、思わず遠い目をするベルティルデと申し訳なさそうにうつむくティファ。普段はリミッター付きの魔法を使っているのでさほど問題はないのだが、それではいつまで経っても上達はしない。
そんな訳で、今回は街中ではなくダンジョンだということで、あえてリミッターなしの術を使ってコントロール訓練をしているのだ。
「これだけ思いっきり魔法を使える環境というのも、めったにないからな。どのやり方が一番制御感覚をつかみやすいか、試せることは片っ端から試してみるつもりだ。回数をこなすことで身につくものもあるだろうしな」
「……誤爆だけは気をつけろよ?」
「ちゃんと範囲内に他の冒険者などが入ってこないよう、気配を確認しながら訓練するさ」
「本気で注意しろよ?」
しつこく念を押してくるバシュラムに、真面目な顔で頷くユウ。
誤爆でティファに人殺しをさせるなど、言われずともまっぴらごめんである。
「ティファちゃん、まだ食べる?」
「もう少し食べます!」
「デザートも頼もうか?」
「いいんですか!?」
物騒な話をするユウとバシュラムから、というより今聞いた物騒な情報から意識をそらすべく、ティファにデザートを勧めるベルティルデ。
そんなベルティルデの提案に、大人全員、それも特に師匠であるユウに確認するように視線を向けるティファ。
「デザートか。何がある?」
「今日のお勧めはフルーツタルトらしいわ」
「フルーツタルトなら問題ないな。いっそ、ホールで頼んで全員で食うか?」
「あら、いいわね。バシュラムはどうする?」
「たまには、甘いのもいいだろう」
「甘いものも好きな癖に、格好つけちゃって」
味については甘いも辛いも両刀で、ティファが来るまでは深紅の百合などがわいわい言いながらケーキ類を食べているのを密かに羨ましく見ていたことを知るベルティルデが、バシュラムに呆れたように突っ込みを入れる。
なお、ユウに関しては別に食の好みを隠すでもなく、またこれといって好き嫌いもないため、甘いものが欲しいときには素直にケーキだろうが何だろうが注文して食している。
メニューをわざわざ確認したのは、単に本日の栄養バランスを考慮するため、ティファに食べさせても大丈夫なものか否かを知るためだけである。
「じゃあ、注文するわね」
「ついでに、もう一杯頼む」
「はいはい。タルトが来たら、飲み物はお酒以外にしなさいよ?」
「分かってる」
まるで夫婦のようなやり取りをするバシュラムとベルティルデに、どことなくキラキラした瞳を向けるティファ。
長年共に行動しており、男女の仲でもあるバシュラムとベルティルデは、常日頃からこういう感じのやり取りをしている。
それに対して、どういう訳かティファは非常に嬉しそうな反応をするのだ。
「タルトが来るまでに時間がかかりそうだから、リエラ殿に連絡を入れてくる」
「あっ、いってらっしゃい」
いつも通りのバシュラムとベルティルデのやり取りを完全にスルーし、自分の分を平らげたユウが、そう断って席を立つ。
許可を得た上でとはいえ、学院の生徒をダンジョンに連れてきているのだ。ちゃんと一報を入れるのは、当然の義務である。
因みに、連絡手段は魔導通信だ。個人の家にはそこまで普及していないが、街の門をはじめとした公的機関と病院、宿などには大抵導入されており、それを使って連絡する姿自体は珍しくもなんともなくなっている。
「いい機会だからちょっと聞いておきたいんだけど、ティファちゃんはなんで私とバシュラムが仲良くしていると、そんなに嬉しそうなの?」
「そんなに嬉しそうにしてました?」
「ええ。見られてるこっちが恥ずかしくなるくらいにね。バシュラムなんて、照れてすごく居心地悪そうよ?」
「う、うるせえよ」
ベルティルデに指摘され、顔を赤くしながらそっぽを向くバシュラム。麗しき古硬貨亭一の大ベテランも形無しである。
「えっとですね。わたしこっちに進学してくる前、近所にいつも喧嘩してるご夫婦がいたんです」
「子供に夫婦喧嘩を見せるってのは、あまり感心しねえなあ……」
「まあ、犬も食わない種類の“単に惚気てるだけでしょ”って類のもあるけど……」
「えっと、すぐに殴り合いになったり、大声で喚き散らしたりするのって、惚気てることになるんでしょうか?」
「さすがに、それはないわね……」
「ねえなあ……」
どう考えても本気の喧嘩に、顔をしかめながら惚気はありえないと断言してしまうベルティルデとバシュラム。
どういう事情があるかは知らないが、さすがに子供の前でお互いに手が出るような喧嘩をするのは、さすがにどう頑張っても擁護できない。
「わたし、それを見るたびにすごく悲しくなっちゃって、どうして仲良くできなくなっちゃったんだろうって思っちゃって」
「うん、まあ、ティファちゃんだったらそうでしょうね」
「それで、バシュラムさんとベルティルデさんとか、麗しき古硬貨亭のご主人とおかみさんみたいに、すごく仲が良くてお互いのことがよく分かってて、相手のことを思いやっているご夫婦を見てると、なんだかすごく嬉しくなるんです」
「俺とベルティルデは、まだ夫婦って訳じゃねえんだがなあ……」
「実質的には変わらないのは確かだけど、夫婦ではないのよ……」
夫婦だと言われて、思わず困った顔をしてしまうバシュラムとベルティルデ。
実際のところ、夫婦同然という扱いには否定も抗議も弁明もしないが、残念ながら夫婦ではないのは厳然とした事実なのだ。
「違うんですか?」
「ええ、違うの」
「籍は入れてねえからな」
意外な事実を知って、思わず目を丸くするティファ。これだけ仲睦まじく、お互いを想い合っているのに夫婦ではない。そんな事例があるとは思わなかったのだ。
「まあ、世の中にはいろいろあるってことだ」
「特に男女の間には、好き嫌い以外のいろんな事情が絡むものなの」
「そ、そうなんですか!?」
「そうよ。もしかしたら、ティファちゃんも何年かしたら実感するかもしれないわよ」
そう言いながら、意味ありげにユウのほうに視線を向けるベルティルデ。
そんなベルティルデに対し、不思議そうな表情を浮かべて首をかしげるティファ。
どうやら、ティファにはまだまだ、恋愛がらみの話は難しいようだ。
と、そこへユウが難しい顔をしたまま戻ってくる。
「どうした、そんな顔して?」
「詳しいことは分からんが、どうにも向こうで厄介なことになっているらしい」
「ってことは、すぐ帰って来いってか?」
「いや、逆だ。事態が沈静化して状況が確定するまで、しばらくこっちでティファを鍛えておいてくれ、とのことだ」
「なんだそりゃ。なんか……えらくややこしいことになってるんじゃ……」
「ああ。そもそも、学院長であるリエラ殿に連絡を入れたのに、副学院長殿が出た上に指示を入れてきたのだから、かなり怪しげな感じだ」
どうしたものかという気持ちをストレートに見せるユウに、どうにも戸惑いの表情を隠せないティファ達。
しばらくの沈黙の後、バシュラムが口を開く。
「しばらくっていうが、具体的には何日ぐらいだ?」
「とりあえずは十日だそうだ。ある程度は経費で落とすから、俺とティファの分は領収書を確保しておいてほしい、だそうだ」
「面倒なことになってそうだな」
「まったくだ」
そんな話をしているうちに、ユウ達のテーブルにタルトが運ばれてくる。
「まあ、向こうがどうなってるかなんて、現時点では調べようもない。期間が延びたとはいえ、やることが特に変わるでもないし。ここは気分を切り替えて、せっかく頼んだタルトを堪能しよう」
「おいおい、大丈夫か?」
「一応雇い主のことなのに、それでいいの?」
「今さら動こうにも、どうにもならん」
「タルト、美味しそうです」
バシュラムとベルティルデの突っ込みに対し、やたら図太く言い切るユウ。ティファに至っては、状況を理解しつつも考えるだけ無駄とばかりに意識をタルトに集中させている。
こうして、ユウ達はいろんな意味で隔離された状態で、せっせと実地での鍛錬にいそしむことになるのであった。