第4話 壁を越えたその先
時間は少しさかのぼって、魔神が出現する少し前。
「ティファ、どちらですか?」
「あっちに一キロぐらいです!」
「分かりました」
ティファの指示に従い、短距離転移で大体の位置に移動するリエラ。
転移が終了してすぐに、気配を探るティファ。
リカルド捜索チームの面々は、誰一人としてこの森のおかしな状態に気がついていなかった。
「ティファちゃん、リカルド君って子の気配はつかめた?」
「はい。多分あっちです」
あまり騒いでモンスターを呼び寄せてもまずい。そんな配慮から、小声で話をするアイネスとティファ。周囲の警戒を続けながら、ティファの指示に従って歩いていく一行。
大きな問題もなく、リカルドはすぐに見つかった。
「無事ですか、リカルド!」
「あれ? 学長先生? どうかしたの?」
突然現れたリエラに抱きしめられ、不思議そうに首をかしげるリカルド。
どうやら、自分がものすごく危ない橋を渡っていることに、まったく気がついていなかったようだ。
「何大げさなことやってんのよ?」
そんなリエラとリカルドに対し、呆れたという態度を隠そうともせずに、子供を連れだした元凶であるキャットが馬鹿にするように口を挟む。
その態度に眉を顰めつつ、注意と挑発、半々ぐらいの態度でマリエッタが声をかける。
「レッサーデーモンが何十匹もばら撒かれた状態で、子供連れて外うろうろする危険性が分からないとか、正気?」
「正気って、失礼ね。レッサーデーモンみたいな雑魚に、アタシが後れを取ったりしないわよ」
「戦ったこともないくせに、よく雑魚とか言える」
「戦ったことがあるから言ってんのよ」
自信満々に言い切るキャットに対し、駄目だこいつと匙を投げるマリエッタ。
実際にレッサーデーモンとやり合ったことがある人間から見れば、それが嘘だということぐらい一目瞭然なのだが、キャットは気がついていないらしい。
そもそも根本的な話、レッサーデーモンが出ると分かっているのに、持っているのがごくごく普通の武器で、しかも魔力付与の準備すらしていない時点で、キャットがその手のモンスターと戦った経験がないのはバレバレである。
「とりあえず、早く帰りましょう!」
一触即発、という感じになっているキャットとマリエッタに、大慌てでティファが割り込む。
実際問題、いつレッサーデーモンの群れが襲い掛かってくるかも分からないのに、戦力外の子供を二人も抱えて揉めている暇はない。
もっとも、大の大人、それも危機管理のプロであるはずの冒険者が、素人の八歳児にこんな形で窘められるというのは、割と情けない話ではある。
「帰るんだったら、勝手に帰れば? 坊やの仕事が終わってないみたいだから、アタシ達はまだ残るわ」
「そういうことしてる状況じゃないっての! そもそも、最初から分かってる危険に依頼人をさらすとか、冒険者失格ってレベルじゃないよ!」
「……何か来ます!! 多分二体!!」
またしても揉め始めたキャットとマリエッタを制するように、ティファが警告する。
その言葉が発せられるより早く武器を構える深紅の百合と、何の対応もしようとしないキャット。
そこへ、噂をすれば影とばかりにレッサーデーモンが別々の方向から飛び込んできた。
「マジックランサー!」
そのうち一体、キャットの背後から飛びかかってきた方を、ほとんど無詠唱に近い速度で完成させた攻撃魔法で屠るリエラ。
同士討ちの危険もある角度とタイミングで、しかも高速で動く小型犬程度の大きさの的に正確に叩き込み、さらに高い魔法防御もものともせずに一撃で仕留める。
リエラが凄腕の魔導士なのは、疑う余地もない。
「ちょっと、危ないじゃないのよクソババア! 当たったらどうすんのよ!?」
「文句を言うなら、飛びかかられる前に反応しなさい!」
腕の中に抱え込んでいるリカルドの状態を確認しながら、キャットの文句を一言で切って捨てるリエラ。
「反省ですって? なんでそんなことしなきゃいけ……」
売り言葉に買い言葉という感じでキャットがリエラに対して文句を言い始めたその瞬間、二人のいさかいを一切無視して、ティファが突然何もないところにフルスイングで杖を振り抜いた。
八歳の少女が振ったとは思えないすさまじい勢いで、キャットとリエラの視界内を動いた杖は、シャレにならないほど派手な音を立てて何かを殴り飛ばしていた。
「「えっ?」」
ティファの脈略のない行動に、即座に反応できず硬直するキャットとリエラ。
「ちょっ!?」
「ティファちゃん、なんでいきなり杖を振り抜いてるの? もしかして……何かが転移してくるのに気づいたっていうの!?」
「特訓で感覚が鋭くなってるのかしら。っていうか、ホントにヤバいの転移してきてるじゃん!」
前触れもなく動いたティファに驚き、さらに突如現れた存在に再び驚く深紅の百合の面々。
そう、ティファが殴り飛ばしたのは、レッサーがつかないデーモンであった。
「ティファ! 学長先生! そいつはヤバい!」
「先生! 惚けてないで早くこっちに!」
「はっ、はい。いきなりで取り乱しました! すみません」
そんな風にすぐに気分を切り替え、デーモンを大慌てで抑え込みにかかる深紅の百合。
リエラも残身の構えのままきょとんとしているティファを抱え、大急ぎで邪魔にならない位置に離脱する。
まだ倒しきれていなかったレッサーデーモンをマリエッタに任せ、アイネスがバインド系の魔法をぶつけながら武器を片手に突っ込んでいき、他のメンバーが様々な手段でデーモンを牽制する。
「ハイエンチャント!」
その動きを見たリエラが、即座に深紅の百合全員の武器に、魔力を付与する高ランクの魔法をかける。
デーモンには単純な物理攻撃はほぼ通用しないため、武器を一時的に魔剣と同等のものにする魔法をかけたのだ。
この手の即席エンチャント、一般的に使われているエンチャントウェポンの魔法では魔剣と同等とはいかず、レッサーがつかないデーモン以上が相手となると、武器本来の切れ味や使い手の技量などが一切反映されず、付与した魔力の分しかダメージが通らない。
その問題を克服し、武器の性能と使い手の技量を十全に発揮できるようにしたのがリエラのエンチャント魔法なのだが、それだけに扱いが難しく使い手は少ない。
何より、難易度も消費魔力も一般的に使われているものとは比べ物にならないほど厳しいのに、このハイエンチャントという魔法は、普通のエンチャントウェポンと違いダメージを増やす機能が一切ないという欠点がある。
デーモンでも相手にしない限り、必要となる状況がないのも、使い手が少ない一因であろう。
「先生、ありがとう!」
「どうにも嫌な予感がします。申し訳ありませんが、皆さんだけで手早く仕留めてください。手持ちにちょうどいい攻撃魔法がありませんので、私は状況対応のために待機しておきます」
「分かってます!」
リエラの要請に応え、的確なコンビネーションで一気にデーモンを仕留める深紅の百合。二体になるとこうはいかず、三体もいれば苦戦は免れぬ相手ではあるが、リエラの補助魔法がある状態で一体を袋叩きにするのであれば、さすがにそんなに時間はかからない。
その間も完全に棒立ちのキャット。先ほどの大口はどこへやら、どう見ても怯えて震えている。レッサーデーモンだけならまだしも、普通のデーモンとなるとさすがに強がることもできなかったようだ。
「リカルド、これで分かったでしょう? ここは今、とても採取などできる状況ではないのです」
「……う、うん。……わがままいってごめんなさい、学長先生。早く帰ろう……」
キャット同様ガタガタ震えているリカルドに対し、抱きしめた手で背中を撫でながら、そう優しく声をかけるリエラ。
リエラに諭され、ぎゅっとしがみついて小さく頷きながらそう告げるリカルド。
目の前の戦闘、そのモンスターから発せられた、サイズに見合わぬ並々ならぬ迫力に、完全に心をへし折られたようだ。
「それでは、帰りましょう」
事ここに至っては、さすがのキャットも異を唱える余裕はないらしい。怯えを隠そうともせずに、何度も頷いている。
だが、すでに、引き返すには手遅れであった。
「何、これ……。やだ……、怖い……、こわいよやだよ……」
リエラがテレポートの詠唱に入ろうとしたそのとき、唐突にティファが怯え始めた。
どうしたのかと心配になりつつも呪文を完成させ、いざ発動というタイミングで、リエラも異変に気がつく。
「テレポートが、かき消される!?」
いつもなら発動と同時に転移が始まるテレポート。それが、転移を始めようと空間に干渉した瞬間、何かにはじかれるようにかき消されてしまった。
安全圏への離脱を事実上封じられたことに、頭の中で激しく動揺するリエラ。
そのタイミングで、『それ』は姿を現した。
『それ』は、周囲の樹よりも数メートル、背が高かった。
『それ』は、人型のデーモン種を数段醜悪に、かつ凶悪にした見た目をしていた。
『それ』は、立っているだけで周囲の木々を枯らし、大地を腐らせていた。
『それ』は、魔神と称されるにふさわしい見た目と力を持ち合わせ、その威を余すことなく周囲に示していた。
「……何よ、あれ……」
出てきた『それ』――魔神の姿を見て、茫然と誰かがつぶやく。
だが、それをつぶやいた誰かは、まだ精神力があったほうだろう。
さんざん大口をたたいていたキャットなどは、失禁しながら完全に気絶してしまったのだから。
「もしかして、あれのせいでテレポートが失敗した……?」
混乱から多少立ち直ったリエラが、現状を確認しつつそう分析する。
実際のところは、テレポートの発動タイミングがちょうど魔神の出現と重なった結果、次元のゆがみにより打ち消されたのが失敗の理由であり、今もう一度試せば普通に発動する。
が、テレポートの失敗と絶望的な存在の出現によりすっかり冷静さを失っているリエラには、もう一度試そうという考えすら思いついていない。
「……前に、さ」
走って逃げる、という考えも思い浮かばないほどの絶望から現実逃避するように、アイネスが乾いた声で話し始める。
「初めてティファちゃんとユウが採取に行ったとき、わざわざ帰還陣を設置して出ていく理由に、最悪魔神が出るかもしれないから、って言ってたわよね……」
「そういえば、言ってたね……」
「実際に目の当たりにすると、そんな対策で意味あるのか、って思うわねえ……」
「連絡貰っても、どうしようもないもんね……」
アイネスの言葉に、まだ意識も正気も保っている他のお姉さま達が応じる。
どうにかしてティファとリカルドだけでも逃がしてやりたいが、逃がしたところであれがいる限り、きっとアルトが壊滅するのは避けられない。今死ぬか後で死ぬかの違いでしかないだろうと考えると、悪あがきする気力すらわかない。
単なるデーモンの強化版、なんてちゃちな存在ではない。あれを見て絶望せずに挑めるなど、正気の沙汰ではない。何もかもが現実離れしており異常だった。
リカルド捜索チームの面々は、魔神殺しが極端に少なく特別扱いされる理由を、本物の魔神と遭遇したことで心底理解させられた。
(怖い……でも言わなきゃ!)
そんな中、怯え切ったティファが、
「魔神が……こっちに来ます……」
魔神から目を離さずにそう告げる。
委縮どころか、もはや心はとっくに折れているが、わずかに残った生存本能が、目を離してはいけないと告げている。
その本能に従い、飛ばしそうになる意識を必死になってつなぎとめながら、今まで培った感覚回りを総動員して、少しの兆候も逃さずとらえるべしと全力で観察を続ける。
皮肉にも、魔神という圧倒的強者を前にすることで、今まで分からなかった『気』というのがどういうものかを、はっきり認識できるようになってしまった。
「先生……。今、魔法は使えますか?」
「魔力は十分ですが、何を使えばいいのです?」
「精神防御を、全力で……」
ティファの言葉に小さく頷き、持てるすべての力と技をもって、人生で最高の精神防御魔法を発動させるリエラ。
力の流れが変わり、息を大きく吸い込む動作をしたのを見て、即座に全員に指示を出す。
「皆さん! 全力で伏せてください! そのまま、お腹に力を入れて、心を持っていかれないようにしてください!」
ティファの言葉に、反射的に従う一同。すでに気絶しているキャットは完全放置で、恐怖のあまり正気を失っているリカルドはリエラがしっかりと抱きしめて自身の体で守る。
全員が伏せると同時に、魔神が吼える。
その咆哮だけでリエラがかけた精神防御がほとんどかき消され、ティファ達の心を揺さぶる。
歯を食いしばってその衝撃に耐えているティファ達の周囲で、カモを見つけたと襲い掛かろうとしていたレッサーデーモンやインプが、無防備に巻き添えを食って精神を破壊され、バタバタと倒れて息絶えていく。
「……うう……」
ティファの警告でどうにか対応が間に合い、かろうじて耐え抜いた一同。だが、すでに起き上がろうとする気力も根こそぎ持っていかれている。
そこへ、何かが落ちてきたかのような大きな振動と衝撃波。
その衝撃波に、今度は為す術もなく吹き散らされるティファ達。飛ばされている最中に、いつの間にか至近距離まで近づいてきていた魔神の姿をはっきり見てしまう。
そう、今の振動と衝撃波は、魔神がジャンプして距離を詰めてきた際に発生したものだった。
幸か不幸か、ティファ達が伏せていた場所には直撃しなかったものの、手を伸ばせば簡単に押しつぶせるような距離にいる魔神。
それを見たリエラが、絶望的な表情でうめく。
「……なぜ、私達を狙うのですか……」
リエラの疑問に答えることができず、諦めたように魔神を見上げる深紅の百合。
魔神から放出されるエネルギーにより、近くにいるだけで彼女達の生命力が容赦なく削られていく。
(何か打つ手は……でも、わたしには何も……どうしたら)
極限の恐怖の中、どうにか生き延びることができないかと、必死になって思考を回転させるティファ。
彼女達は、実に運が悪かった。偶然とはいえ、もっとも魔神の注意を引くタイミングでテレポートを発動させようとしてしまったのだから。
彼女達は、実に運が良かった。戦闘可能な距離に、魔神殺しが存在していたのだから。
(……何か、来る……?)
ゆっくり手を伸ばしてきた魔神から目を離さず、少しでも助かる確率を上げようと必死になって起き上がったティファが、高速で接近してくる何かに気がつく。
その何かは、緑色のオーラを身にまとっていた。
空を飛んで来た緑色のオーラが、魔神を大きく弾き飛ばす。その一部始終を呆然と観察し、その正体を理解するティファ。
その見慣れた後ろ姿に安心したのか、張り詰めていたものが一気に切れる。
「遅くなってすまん。よく頑張ったな、ティファ」
「ユウさん、ユウさん……!!」
龍の形をした緑色のオーラの塊を魔神に叩き込みながら、最後まで頑張ったティファを優しく労うユウ。
一方、気力と生存本能だけで無理やり立っていたティファは、ユウの登場に完全に気が抜けて、ちょこんとその場に座り込んでしまった。
「こいつは、俺が始末する。危ないから、その特等席でおとなしく見ていてくれ」
そのまま、ティファ達を守るように魔神の前に立ち、高らかに宣言したのであった。
☆
(どうにか、間に合ったか)
至近距離で魔神を殴り飛ばし、一気に非戦闘員との距離を開かせる。そのまま攻撃の余波でティファ達を巻き込まないよう敵を誘導しながら、彼女達の救出に成功したことに内心で安堵するユウ。
「わざわざティファの方に向けてジャンプしたときは、さすがに最悪の事態を覚悟したが……」
一声吼えたと思ったら、即座にジャンプする。しかもその先が、自身の弟子や世話になった人間が無防備に集合している場所。
あのときの絶望ときたら、とても一言では言い表せない。
「さすがに俺と交戦状態になっては、ティファ達にちょっかいを出す余裕もなかろう?」
まずは火力を奪うべく腕を切り落とし、さらにこれ以上咆哮をばらまかぬよう頭を切り飛ばしながら、挑発的に魔神にそう声をかけるユウ。
魔神討伐は、完全にユウのペースで進んでいた。
とはいえ、いくら何でも魔神を一撃で仕留められるような、そんな圧倒的な火力は持ち合わせていない。
そもそも、ユウがかつて所属していた鉄壁騎士団は、火力ではなく防御力と持久力が売りの部隊だ。
しかも今のユウは、鉄壁騎士団が採用している魔神にダメージを与えやすく、かつ非常に強固な専用装備を何一つ持っていない。
地形を変えるような高威力かつ広範囲の攻撃手段もなくはないが、元々普通の攻撃ではダメージを与えられない魔神相手には意味が薄いし、何よりコストパフォーマンスが悪すぎる。
さらに厄介なことに、普通の生き物にとって致命的な弱点となる頭といった部位を潰しても、魔神にとっては大した意味がない。
結果、どうやっても持久戦にならざるを得ないのだ。
「ふむ。ここまで削られても、まだティファ達が気になるか」
相性の悪い武器と相手の巨大さゆえ、いまいち効率の悪い手刀や正拳突きといった素手での攻撃を繰り返しながら、往生際悪くティファ達にちょっかいを出そうとする魔神に対して呆れてみせるユウ。
すでに魔神は両腕両足を切り落とされており、残された攻撃手段は無差別に圧力をかけるか、強引に再生させた腕や頭で物理打撃や咆哮を叩き込むかの、どちらかのみ。
両足は再生の兆しが出るたびに即座に切り捨てられるため、今の位置からはどうやっても移動などできない。
四肢や頭を切り飛ばすたびに、切り落とされた腕や足が崩壊しながら毒やマグマ、真空状態、空間のひずみなど様々な環境被害をばら撒き、飛び散った体液っぽい何かが接触した生物を一瞬で消滅させるが、肝心のユウにはそれらは一切影響を与えていない。
魔神は、周囲の草木を枯らし大地を疲弊させながら、じわじわと消滅に向かって追い詰められていた。
「下級とはいえ、デカいタイプは削り切るのが手間で困る」
そんなことを言いながら、ユウは丁寧な仕事で三十分ほどかけて、魔神をひとかけらも残さず消滅させた。
その危なげない手慣れた様子に、ギャラリーと化していたティファ達は、ユウの前歴が盛っているどころか、逆に過少申告であったことを確信する。
それくらい不安を感じさせぬ戦いぶりではあったが、それはあくまで直接戦っているところを見ていた人間のみ。
十メートルをはるかに超える巨体を吹っ飛ばし、何度も腕や足を切り飛ばし、素手で攻撃を繰り回しては叩き付けるといった作業を三十分も続けていたのだ。
最初の位置に置き去りにされ、戦闘の様子もよく分からなかったダンジョン封鎖部隊は、生きた心地がしなかったであろう。
「とりあえず、終わったぞ」
「あ、ありがとうございます! で……もう、大丈夫なんですか?」
「ああ。心配なら、気配を探ってみろ」
自信たっぷりに言い切るユウの言葉に、小さく首を左右に振るティファ。
今のティファには探知するまでもなく、魔神の気も気配も欠片一つ残っていないことぐらいはっきり分かる。
「あの、ユウさん!」
「何だ?」
「ユウさんの全身から滲み出てる緑色の光が、『気』なんですか?」
「……そうか、分かるようになったか」
「はい!」
魔神と相対するという極限状態で、弟子が壁を乗り越えたことを察するユウ。
それ自体は喜ばしいことではあるが、結果的に最後の手段として考えていたやり方を大きく超えるレベルの、ショック療法で壁を乗り越えさせてしまったことに対しては、いろいろ複雑なものがある。
「本当は、こんな危険なやり方で乗り越えてもらうつもりはなかったのだが、結果オーライということにしておこう」
「はい!」
「恐らくだが、今まで悩みに悩んできたのだから、今のティファならすでに気を動かすことぐらいはできると思う」
「……はい。なんとなくできそうです!」
「さすがに今日はまだやることも残っているし、お前も含めて皆、心身ともに限界を超えているはずだから指導はしないが、明日からはそいつの制御方法と、鍛錬のための基礎を教える。ヘタに動かすと死にかねんから、今日はやっても感知の訓練だけにしておいてくれ」
「分かりましたっ!」
生き残れたこと、魔神殺しの意味、そして自身の新たな力。それらをかみしめながら、ユウの注意に妙にテンションが高いまま頷くティファ。
三カ月もできなかったことがついにできるようになったのだから、本当ならすぐにでも試してみたい。だが、心とは裏腹に体は正直なもので、テンションに任せて動こうにも、ほとんどまともに動けない。
せっかくユウに助けてもらったのだ。この状態で無茶をして何かあったら、申し訳なくて死んでも死にきれない。この嬉しさを後悔の記憶で上書きしないためにも、ここは、はやる心をぐっと抑えることにするティファであった。
「さて、俺はまだダンジョンの封鎖が残っているから、ティファ達は先に帰っていてくれ。先生の今の精神状態を考えると、転移魔法を使うにもかなり不安が残るから、俺が設置しておいた帰還陣を起動する」
「……申し訳ありません、ユウ殿。情けない話ですが、先ほど失敗したショックで、上手く術に集中できませんで……」
「失敗した? ……もしかしたら、タイミングが悪かったのかもしれないな」
「タイミング、ですか?」
「ああ。魔神が出てくるときは、顕現開始から完全に顕現し終わるまで、転移系や次元系の技および魔法はすべて弾かれて不発する。どこが完全に終わりかというのもなかなかに曖昧だから、姿が完全に物質化してから十秒後ぐらい、と覚えておくといい」
「……そもそも、次に同じ状況に置かれた際に、そんな時間まで生き延びていられる自信すらありませんね……」
リエラの正直な言葉に、さもありなんと頷くユウ。
彼女を馬鹿にするわけではないが、すでに老境に入って肉体が衰えている魔導士が、そう何度も魔神に遭遇して耐えられるとは思えない。
というより、耐えられなくても恥ではない。
「まあ、何にせよ、だ」
帰還陣を起動させるために、気絶しているキャットを雑に回収しながらユウが結論に話をつなぐ。
「たとえ後衛であろうと、体を鍛えて体力をつけて、そう簡単に死なないようにしておかねば、こういうときにひとたまりもない」
「ええ!? その話を今言うの? まあユウらしいけどね」
「ですが……今回、つくづく自分の力不足を思い知りましたよ」
「……まあそもそも、そう何度もあってくれちゃ困るけどね……」
ユウの出した結論に空気を読めと突っ込みを入れるマリエッタ。同意はしつつも、そう何度も魔神なんて危険物に出てこられてたまるか、という気持ちを前面に出すリエラとアイネス。
「俺だって、こんな装備で何度も手間暇かけて魔神を仕留めるなんて真似、しないで済むならしたくはないさ。では、起動させるぞ」
さすがに若干疲れをにじませながらそう言いつつ、帰還陣を起動させ全員を送り返す。
そこに、様子を見に来たレオンハルト中尉とバシュラム、ベルティルデがやってきた。
「……その様子だと、ちゃんと仕留めたようだな……」
「ああ。とはいえ、魔神用に調整された武器ではなかったから、さすがに手間がかかったがな」
「手間がかかった、で済む問題なのかよ……」
「あのタイプは、一番出現率の高いタイプの一つだからな。強さも含めて細かいところは毎回違ったが、俺も何度も単独で仕留めたし、古巣では仕留め方自体が完全に定型化されている」
「マジかよ……」
ユウの言葉に、思わずうめくバシュラム。レオンハルト中尉とベルティルデも絶句している。
一応魔神の出現も念頭に置いていたため、もし出てきたらどうするか、という作戦もバシュラムとレオンハルト中尉はちゃんと立ててはいた。
が、その作戦というのは、陸戦型ドラゴンやアルトガルーダなどの大型で高い攻撃力と生命力を持つモンスターを相手にするときと同じ、支援魔法などでガチガチに固めた前衛で抑え込んで魔法使いなどの火力で制圧する、というもの。
魔神というものを知っていたら、そもそもそんな作戦を立てることなどなかっただろう。
立ち向かう、どころか恐怖に錯乱しないようにすること自体、ベルティルデの精神防御がなければ不可能だったと断言できる。そんな数頼みの作戦では、無駄に犠牲者を増やすだけである。
なんだかんだ言って、バシュラムは初対面のときからユウが常識外れの戦闘能力を持っていること自体は認めていた。
他の人間にしても少なくとも麗しき古硬貨亭の冒険者達は、ティファという足手まといを抱えた状態でアルトガルーダを一撃で仕留めた、その実績だけでもユウが自分達とは違うと認識していた。
だが、魔神というものを見て、さらにそれと戦っている姿を見て、今までの認識ですら見積もりが甘かった、どころかユウの戦闘能力はもっとヤバい次元にあることを否応なく思い知らされた。
普通の人間なら数百メートル圏内に入っただけで何もされずとも死ぬような相手に、躊躇なく平気で殴り掛かるところ。
さらに、その環境でまったくダメージを受けず、長期戦を可能としているところ。
普通にしているだけで死ぬのに、さらに当たれば跡形も残らないであろう攻撃をブロックし、周囲に余計な被害が出ないように無効化できるところ、と、すべてが異常だ。
そして何よりヤバいのは、ベテランとか一流とかそういった冠詞がつく冒険者達ですら手も足も出なかった魔神を、定型化した工程で仕留めているということだ。
定型化に関しては、過去に所属していた古巣の功績だという意見はあろう。が、それを体に染みつくほど行っていなければ、今日のような手際の良さで仕留めることなどできない。
冒険者としての知識や常識に欠けるとはいえ、これを新米冒険者というのは詐欺もいいところであろう。
「……ユウ殿、一つ質問、よろしいですかな?」
「どうぞ」
「定型化されているほど戦っている、というのであれば、出現条件などは絞り込めてはいないのでしょうか?」
「ある程度は、としか言えん。人為的に呼び出されるケースなら、呼び出される前に普通に兆候があるが、今回のような自然現象だと、一番高いものでも数パーセントの確率でな」
ユウの説明に、どうにも腑に落ちないという表情を浮かべるレオンハルト中尉。それを見たユウが、補足説明をする。
「今回に関しては、偶発ダンジョンを見たときから魔神が出現する可能性は考慮していた。が、このパターンでは、発生を確認してすぐに偶発ダンジョンを潰した場合で3%、観察した場合でも2%強とあまり変わらなかった。また、出現するのはダンジョン発生から三日から一週間の間になる」
「その数値は、どうやって調べたのですか?」
「クリシード公爵領の中に、異常にダンジョンができやすい地域があってな。常にそれに特化した専属の監視者が見張って、データを取っていた。残念ながら、俺にはそっち方面の才能はなかったから、どうやって発生前から場所と発生タイミングを割り出しているかは分からんが、な」
別に機密でも何でもなく、守秘義務も課せられていない情報だということもあり、特に隠さずにレオンハルト中尉に教えるユウ。
「中尉殿は、出現させずに、もしくは自分達を巻き込まずに対処できたのに、わざとしなかったのではないかと疑っているのだろうが、一番弱い部類のあのタイプでも、専用装備なしで仕留めるとなるとなかなか骨が折れるのだぞ? 名を売るのであれば、一撃で簡単に落とせるアルトガルーダでも狩りに行ったほうが、正直何倍も楽だ」
「確かに、ユウ殿ならそうかもしれませんな……」
ユウの反論に、とりあえず矛を収めるレオンハルト中尉。立場上疑ってはみたが、正直なところ本気ではないのだ。
実際に魔神をこの目で見れば、名と恩を売るためにあえて放置する、などという真似ができる存在ではないことくらい、考えなくても分かる。
「まあ、中尉殿が疑うのも分からんでもない。そういう勘ぐりをする人間はいくらでも出てくるだろうし、魔神に関してはどれだけ情報があっても足りぬということはないだろうしな」
「申し訳ない、そう言っていただけると助かります」
「が、いちいち何かあるたびにとなると少々面倒だから、いっそ古巣に連絡を取って情報提供をしてもらうよう頼もうか?」
「こちらとしてもそうしていただければ助かりますが、可能なのですか?」
「絶対とまでは言えんが、まだコネは生きているだろう。トライオンが滅べばベルファールにも影響なしとはいかんだろうし、そういう意味では古巣にとっても他人事ではない」
「そうですか。可能であれば……、いや、不安定で突飛な思想の現政権下でそのお話を進めるのは、少々危険かもしれませんな」
「……ふむ、それもそうだな。では、とりあえず連絡だけはつけておいて、情勢が安定してから話を進める、という形ではどうだ?」
「そうしていただけるなら、それが一番でしょうな」
レオンハルト中尉の言葉に頷き、とりあえずこの話は終わりにするユウ。それを待っていたらしいベルティルデが、遠慮がちに声をかけてくる。
「あの、私からも質問、いいかしら?」
「ああ」
「魔神相手となった場合、私のような精霊使いはどうすればいいのかしら。正直、精霊の力がまともに通じるとは思えないのだけど……」
「残念ながら精霊使いは同僚に一人いただけだから、俺も正直ほとんど何も知らない。だから、そいつの言っていた話で覚えていることしか言えんが、それでいいか?」
「ええ、お願い」
「さっき出てきた程度の魔神なら大精霊を呼べればどうにかなるらしいが、中級以上となると精霊王を呼ぶ必要があるそうだ。それ以外の方法は、とにかく呼べる中位精霊以上を片っ端から呼んで、ひたすら物心両面に対するダメージの軽減に専念するくらいしかない、と言っていたな」
「そう、大精霊なら勝負になる、のね」
ユウの説明に険しい顔で頷くベルティルデ。精霊王はともかく、大精霊ならベルティルデの技量でもどうにかなる。
問題は、大精霊ともなると呼び出すために大量の魔力を消費するため、仕留めきれるまで召喚を維持できるか、という部分であろう。
「何にせよ、もうあのダンジョンが原因で魔神が出てくることはないから、とっとと潰して引き上げよう」
「そういうものですか?」
「ああ。理由までは分からないが、このタイプの人が入れないほど小規模なダンジョンの発生がきっかけで出てくる魔神は、一カ所につき一体だけだ」
「でしたら、今日のところはダンジョンを潰して、山狩りは明日以降にしたほうが無難ですな」
ユウの説明に頷き、さくっと方針を決めるレオンハルト中尉。
戦闘には参加していないレオンハルト中尉達も、実は魔神の咆哮などでかなり消耗を強いられている。はっきり言って、これ以上戦闘その他をするのは厳しい。
結局、明日以降の予定を決めつつ、偶発ダンジョンの破壊といったもろもろの作業を終えて解散したのは、これより三十分後のことであった。
☆
「それじゃ、ちゃんとみんな無事に帰ってきたことを祝って~、乾杯!」
「「「「「「「「「乾杯!!」」」」」」」」」
その日の夜。カレンの音頭にあわせて、全員が近場の人間とジョッキを当てる。
アルト始まって以来の大事件が、奇跡的に死者ゼロで終息したことを祝って、麗しき古硬貨亭では祝い酒が振る舞われていた。
「それにしても、本当に魔神が出てくるなんてね~。初めてだったから驚いちゃった」
「実際のところは、それほど珍しくもないんだがな」
「そうなの?」
「ああ」
よく冷えたエールをぐっとやりながら、カレンに対して頷いて見せるユウ。
そのユウの言葉に、いかに魔神がヤバそうな存在だったかを盛らずに話していた冒険者達の声が、ぴたりと止まる。
「そんなに珍しくもないんだったら、なんで今までアルトでは、っていうかトライオン国内では出てこなかったの?」
「詳しい理屈は分かっていないが、単にこの辺りが次元的に安定していて出現しづらい環境だったんだろうな。実際、よく出てくる地域とそうでもない地域といった差は普通にある」
「そうなんだ。それでも出てきたってことは、やっぱり出るときは出るってこと?」
「ああ。どんな土地でも千年単位といった長い時間で見れば、ずっと平穏だったなんてありはしないだろう。そういう意味で言えば、魔神も出るときは出るだろうよ」
ユウの言葉を聞き、この場で一番寿命が長いベルティルデに、そんなものなのかと視線で問いかけるカレン。
そのカレンの視線に、苦笑しながら頷くベルティルデ。
彼女自身には経験はないものの、故郷の古老達が子供だった頃に体験したという千年近く前の災害を、それはもう大げさに教えてくれるのだ。
それを聞いていれば、規模はともかく災害自体はどんなものでも起こりうる、という心構えくらいはできる。
因みに、ユウの出身であるベルファルド大陸とこのクリューウェル大陸は、航空機で約一日のフライトが必要となる距離がある。船だととことんまで安全な海域を選ぶ必要があるため、運が悪いと半年ぐらいはかかることもある。
それだけの距離が壁となっていることもあり、意外と両大陸での人的交流は少ないのが現状だ。
結果として、魔神の脅威については理解しながらも、その具体的な情報について欠落していることに対しては妙に鈍感、という、何とも言えない状況が形成されているのである。
「それに、こういっては何だが、クリューウェル大陸はまだまだ開拓が進んでいない。トライオンで魔神と遭遇した記録がないのも、そのあたりが大きいだろう」
「あっ、そうか。人のいない場所で魔神が出現しても、記録には残りません!」
「そういうことだ。一部例外を除き、魔神自体は一週間も放置すれば勝手に消えるから、人のいない場所でどれだけ発生していても、それ自体は問題にならん。人里が近くにない山がどれだけ土砂災害を起こしても、川をせき止められでもしない限りは俺達に何ら影響がないのと同じだな」
カウンター席でユウの隣に座り、ジョッキになみなみと入った最高級フルーツミックスジュースをちびちびと味わっていたティファが、ユウの説明に納得しつつも、ふと思い立って質問を投げかける。
「魔神って、放置してたら消えちゃうんですか?」
「ああ。これも詳しい理屈は分かっていないんだが、そもそも魔神のいる世界というのがあるらしくてな。そこからこちらに出てくること自体が相当無理をしているらしい。消えると言っても死ぬわけではなく、単にこちらに出てくるエネルギーを使い切って元いた世界に戻るだけらしいが」
「へえ、そうなんですね」
「ああ。御館様――鉄壁騎士団創設者のクリシード公爵閣下なら、このあたりの理屈をすべて知っておられるかもしれないんだが、聞いても煙に巻かれてなあ」
「知られると困ることがあるんでしょうか?」
「さてな。どっちにしても、ちゃんと自分達で裏付けを取った情報でもない限り鵜呑みにできないから、同じことではあるが」
ユウの言葉に、そういうものなのかと首をかしげるティファ。カレンもいまいち納得がいっていないようだ。
「貴族のほうには、いろいろと表沙汰にできない話があるものですよ」
「お父さんも、そうだったの?」
「ええ。墓の下まで持っていくしかない話には、事欠きませんでしたよ」
どうにも納得がいっていない様子のカレンを窘めるため、自身の経験を少しだけ話すことにする主人。
「それって今でも話せないの?」
「たとえ家督を譲って貴族籍から抜けても、違う大陸に移っても、話してはいけないことというのはあるのです。少なくとも、こんな大人数がいる酒が入った席で話していい類のものではありません」
「貴族って難しいんだ」
貴族としての生活など覚えていない娘の態度に、まあそんなものだろうなあと一つ頷く主人。
生まれた場所はトライオンではあるが、両親が貴族籍を抜ける前に生まれているので、一応カレンも貴族だった時期はあった。だが、本人は一度も両親の祖国に足を踏み入れていないので、そもそも生粋のトライオン人ではないという自覚すらない。
それでも、なんだかんだといいながら冒険者の酒場の看板娘としては妙に上品なあたり、血筋と教育はいまだに生きているようだ。
「とりあえず話を戻すが、他にも魔神がよく出てくる場所というのがある」
「あるんだ」
「あるんですか」
「ああ。それも、冒険者にとって一番重要な場所でな」
話を魔神の出没ポイントや出没条件に戻したユウの言葉に、店中がざわつく。
なにせ、冒険者にとって一番重要な場所など、思いつくのは一つしかない。
「……もしかして、ダンジョンの中か?」
「ああ。古くて規模が大きいダンジョンの、それも深い階層にはよく出てくる。うちの古巣で実際に魔神と戦う訓練を積むのは、基本的にはそういう場所だ」
「……マジかよ。ってか、訓練を積めるほど出てるのか?」
「ああ。無論、さっきも言ったように人里離れた、放置していてもまったく影響のない場所や、偶然都市近郊に発生したケース、ダンジョンができやすい場所なんかでも訓練は積むが、単に回数を稼ぐだけなら、ダンジョン一択だ」
大真面目に言い切るユウに、完全に沈黙する冒険者達。
代表して質問したバシュラムも、何を言えばいいのか分からなくなって黙り込む。
相対するだけで何もされなくても命の危機が訪れる魔神相手に訓練とか、突っ込みどころが多すぎていろいろパンクしてしまっているのだ。
「俺はまだ入ったことがないから何とも言えんが、この辺りだと『堕ちた遺跡』と『無限回廊』という二カ所のダンジョンが古くて規模が大きいんだったか?」
「……ああ」
「だったら、あまり深く潜らないほうが賢明かもしれん。ダンジョン内で魔神とやり合う場合、それはそれで特殊なコツが必要になるからな」
ユウの台詞に、コツの問題じゃないと言いそうになって黙るバシュラム。
ティファの教育と近場での採取や討伐しか行っていないこともあり、ユウにはまだまだ冒険者の常識や一般的な冒険者に関する認識が足りていないのだ。
というより、そもそも非常識の塊である鉄壁騎士団に長く隔離されすぎていて、普通は冒険者どころか軍隊ですら魔神を相手にするためのノウハウなんて持っていないことすら気がついていない。
一応除隊した際に自分達の感覚はズレているらしい、と自覚はしていたはずなのだが、それでも長年に渡って叩き込まれた価値観はそうそう是正されるものでもなく、まだまだ基準は鉄壁騎士団のままのようだ。
根本的な常識がどこまでも乖離していることに気がつかぬまま淡々と説明するユウに、そのあたりをいやというほど察して、どう納得させればいいのか、バシュラムは頭を抱えざるを得ない。
「一応聞いておくが、もしかしたらダンジョンの外でなら俺達でも魔神と戦えると思っているのか?」
「遭遇を経験したから、次からはある程度戦えなくはないと思うんだが?」
「遭遇したことがあれば戦えるなんて、そんな甘い話はねえぞ……」
「だが、バシュラムさんとベルティルデさんなら、最初さえ耐えられれば後は大精霊の召還まで時間を稼ぐだけでいけると思うが?」
「あの巨体からの攻撃をしのげるような、そんな規格外の防御性能は持ってねえよ……」
「そうか……」
バシュラムの言葉に、思わずうなるユウ。
どうやらユウとしては、最初の精神攻撃への対処とダメージを与える方法さえあれば、魔神ぐらい相手にできるだろうと考えていたようだ。
「ドラゴンと戦えるなら、十分なんだが……」
「ドラゴンと戦える冒険者がそんなにごろごろしてたら、竜殺しがサーガになんぞなるか!」
「……ああ、確かに。言われてみれば道理だな」
「俺に言われる前に、それぐらいの認識は持っておいてくれよ……」
今まで気がつかなかったズレが次々に表面化していく。その流れに、思わず頭を抱えるバシュラム。この分ではどんな爆弾が埋まっているか分かったものではない。
「ユウのズレっぷりは置いとくとして、今回は私達、反省事項が山ほどあるわね」
「うんうん。何が反省しなきゃいけないって、あたし達がティファちゃんより先に足掻くの諦めてどうすんのさ、ってことよね」
「本当に、あれは今思い出しても情けないったらありゃしないわ……」
これ以上は魔神がらみの新情報はなさそうだと判断し、今回の事件の反省会に移る深紅の百合。
とにかく今回は駄目な点が多すぎて、素直に生還を喜べないところがあるのだ。
「魔神相手に手も足も出せなかったのはともかく、相手の観察と情報収集まで投げちゃったのは、冒険者失格よね」
「……そのあたりについては、俺らも人のことは言えねえなあ……」
「今にして思えば、取り乱さないようにするのに精いっぱいで、目視で確認できる範囲ですら魔神の情報を集めようと思ってなかったわね……」
深紅の百合の反省内容に、バシュラムとベルティルデも乗っかってくる。
ユウがいなければ誰一人生きて帰ることはなかったどころか、アルトすら壊滅していたであろうことは間違いなく、どんなに反省したところで結果は同じであろう。
だが、今彼らが反省しているのはそういうことではない。
そもそも奇襲を受けたわけでもないのに、できるはずのことを何もせず全滅など、戦う者としてあるまじき話なのである。
「てか、話聞いてると、よくティファちゃんは諦めなかったよね」
「正直怖かったですし、もう駄目かもと思っていましたよ?」
「でも、冒険者の人達は、割と最初の段階でいろいろ諦めちゃってたみたいなんだけど、どうして頑張れたの?」
「単純に、まだ死にたくなかったんです。せっかくいろんな人の力を頂いてこれまで生きてこられたのに、こんなことですべてを奪われたくないって思って」
ティファの、子供とは思えないやたら根性の入った答えに、ぐうの音も出ない大人達。
本日最大の功労者がユウなのは間違いないが、もう一人MVPをあげるとすれば満場一致でティファとなるだろう。
「深紅の百合の話だと、嬢ちゃんはずっと魔神の動向を観察してたみたいだが、あれだけの存在をじっと観察するのは、普通よりさらに怖くなかったか?」
「怖かったから、観察してたんです。目を離したら終わりだってはっきり分かったから、とにかく必死で相手を見てました」
「……嬢ちゃん、将来は大物になるぞ……」
ティファの正直な答えに、ユウを相手にしていたときとは違った意味でうなるバシュラム。
死にたくないという生存本能と恐怖心に逆らうことなく、だがそれに心を持っていかれないように踏みとどまりながら、絶望的な存在を観察し続ける。
いくつもの死線を潜り抜けてきた冒険者達ですら、なかなかできないことである。
「何にしても、盗賊ギルドの人に回収されてったあの人に比べれば、アイネスさん達は十分立派だったんじゃないかな?」
「カレン……、キャットと比べるのはやめてよ……」
「魔神云々以前に、依頼人に不急不要だからって言われてる依頼を強引に進めた挙句、預かってる子供危険にさらした本人が漏らして気絶とか、新米でもやらない失態だし」
慰めようとしてズレた発言をするカレンに対し、渋い顔をしながら口々に否定の意を述べるアイネスとマリエッタ。他のメンバーも藪蛇を恐れて何も言わないが、とてつもなく不満そうである。
「ほんと、聞いたときは違う意味ですごいなあ、って思ったよ、私」
「幸いにしてリカルド君は心身ともに無事だったけどさ、場合によっては変なトラウマが残ってもおかしくなかったのよねえ……」
「まったく、盗賊ギルドはどう落とし前つけるんだか……」
「あはははは……」
突っ込めば突っ込むほどシャレになっていないキャットのやり口に、乾いた笑いを上げるしかないカレン。
一つ言えるのは、キャットは今後二度と、どこの冒険者の酒場にも出入りを許されることはないだろう、ということである。
それどころか、闇ギルドでも彼女を使おうとすることはない。それくらい、今回しでかしたことは庇いようのない問題行動だったのだ。
残念ながら、キャットにそそのかされて外に出たこと自体は自己責任の範疇に入るため、賠償金の類は取れない。
もっとも、ユウに対する情報料すら最後まで払わなかった女だ。仮に賠償金が取れたところで素直に払うとも思えず、さらに言うなら、そもそもそんな財産も持っていないだろう。
なので、結局のところは同じことである。
「そういえばティファちゃん、魔法を使うための糸口みたいなものをつかんだってユウが言ってたけど、実際のところどうなの?」
不愉快な話を切り上げるため、アイネスが話題転換を兼ねて気になっていたことを確認する。それについて、ティファが素直に頷いて肯定する。
「はい。練習しなきゃ駄目だとは思いますけど、多分なんとかなります」
「さっき現場から引き上げる前、ユウが今日は試すなみたいなこと言ってたけど、試そうとは思わないの?」
「正直、今の体調では死んじゃうので、怖くて手出しできません」
「死ぬんだ……」
「はい。十中八九死んじゃいます」
無邪気にシビアな答えを言うティファに、話を振っておきながら全力でドン引きするマリエッタ。
何がドン引きすると言って、八歳児でありながら、自分が死ぬ可能性を平気で口にするところに引く。
「なあ、ティファ」
「はい!」
「俺はそこまでお前の感覚を鍛えた記憶はないが、分かるのか?」
「なんとなく分かります。多分、魔神に狙われたからかな、って」
「なるほどな。まあ、死線を潜り抜けた結果、おかしな能力や妙な才能が花開くことなどいくらでもあるから、不思議な話でもないか」
ティファの答えに、何やら納得するユウ。言いつけを破って勝手にこっそり使って大惨事、という事態は避けられそうなので、この際細かいことはどうでもいいらしい。
もっとも、人生においては、失敗すれば死ぬと分かっていてもやらねばいけないこともないではない。そういう事態のときに、ティファのこの感覚がマイナスに働く可能性は十分にある。
とはいえ、今現在八歳の子供にそこまでの覚悟を求めるのも、おかしな話ではある。
などということを頭の中で考えているユウ。そもそも、死ぬと分かっていてやらなければいけないことなど、冒険者でもめったにあるものではないのだが、そのあたりに気がつかずそんな心配をするあたり、どこまでもズレた男である。
「ティファちゃんが魔法使うところ、見たかったなあ。どうしても駄目?」
「さすがにちょっと……」
「ユウさんが監督してても、駄目?」
「やめておけ。俺も酒が入っているし、できる可能性があるといっても魔法を使う、さらにその前段階の技能だ。今試したところで魔法まではいかん」
半年見守ってきた妹分が、ついに魔法に手を伸ばす。
その知らせに本人より浮かれている感のあるカレンが、往生際悪く食い下がってくる。
それを申し訳なさそうに見ていたティファの表情に負け、ユウが一つ妥協案を口にする。
「ティファ自身にやらせるつもりはないし、恐らくここにいる大部分にはほとんど感知もできんだろうが、明日から訓練させる技を俺が代わりに見せることぐらいはできるぞ?」
「え? 本当に!?」
「別に、常日頃からやっていることだからな。死にかけてでもいない限り、それこそ泥酔しても失敗しようがない」
「へえ~、見たい見たい!」
「さっきも言ったように、多分見ても分からんぞ?」
そう言いながらも、カレンのリクエストに応えて体内の気と周囲の気を指先に集中させるユウ。
それを練り上げて圧縮させ、指の外に緑色の炎として放出させる。
「……全然分かんないんだけど、何かあるの?」
「ユウさんの指先に、緑色の炎が灯っています」
「……う~ん、やっぱり分かんない」
「わたしも、今朝までこれが分からなくて苦労してました」
「あ~、ティファちゃんが苦労してたのって、そういうことなんだ。他のみんなは、何か分かる?」
カレンに問われ、半数以上が首を横に振る。縦にも横にも首を振らない人間は、バシュラムをはじめ本日魔神と遭遇した人間か、精霊使いの素養がある人間かのどちらかである。
「ユウの指先に、何かが集中してるってのは分かるんだがなあ……」
「そうね。逆に言うと、それ以上は分からない、って感じねえ」
「そのレベルでも、分かるだけましだろうな。というより、簡単には分からないからティファも苦労していたわけだが」
「この手の感覚的なことは、口や資料で理解できるものじゃないものね」
バシュラム達の言葉で、緑の炎が見えているのはユウとティファだけであることが判明する。
それを聞いていたカレンが、ものすごくつまらなそうに、残念そうにぼやく。
「何の訓練もしてない私が要求するのはとんでもないわがままなんだろうけど、ティファちゃんがすごく苦労して身に着けた技なんだから、もう少し見栄えのするものであってほしかったよ……」
「見栄えか。正直な話、戦闘という観点で見れば、むしろ地味なほうが使い勝手はいいんだが」
「それはもう、すごくよく分かるんだけどね」
「まあ、派手とか見栄えとかは厳しいが、もう少し圧縮すれば、もしかしたらカレンにも見えるかもしれん」
酒が入っているせいか、妙にカレンに甘いユウ。
そんなユウに、かなり心配そうな視線を向けるティファ。
ユウのことだから派手にミスしたりはしないだろうが、正直あまりいいことだとは思えないのだ。
ティファのその視線を受け、そこに込められた気持ちを察知しつつも、とりあえず手本ぐらいになってくれればいいと、さらに気を圧縮し濃度を上げる。
「うわあ……」
「これが、ティファちゃんが言ってた緑色の炎かあ……」
「すごくきれい……」
数秒後、ユウの指先には美しい緑の炎が灯り、麗しき古硬貨亭を煌々と照らすのであった。