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第3話 ティファ、壁にぶつかる

「ユウ殿。最近お嬢さんが随分とふさぎ込んでおられるようですが……」


「修行が少々行き詰まっていてな。もっとも、大抵はここで一度は行き詰まるから、別段問題ではないのだが……」


 ユウがティファの指導を開始から約半年。つまり気功の初歩を教えようとしてから三カ月。


 ティファは、いまだに気を感知することができないでいた。


「どうにかなりそうなのですか?」


「個人差が大きすぎて何とも言えないが、下地は十分にできている。そもそも、俺からすればまだ三カ月だ。別に、遅いというほどでもない。今年度中に最低限の魔力制御ができていなければティファが困るから、それに間に合うように手を出しはするがな」


「そうですか……。それで、ユウ殿はその技能の習得にどれくらいかかりました?」


「半年はかからなかったが、三カ月では無理だったな。他の同僚も大体は似たようなものだ。因みに、例外を除いて一番遅いやつで一年半、一番早いやつはその日のうちに、だった」


「なるほど、人によって差が激しいのですね」


「ああ。それに、これはティファ本人にも言ったが、ここでスムーズに行った人間は、逆に次の制御の段階で同じぐらいつまずくことが多い。そこも上手くいくと、今度は応用でという感じでな。最後までストレートに一発で進む人間なんて、うちの古巣の五千人全員の中でも、片手の指も埋まらないぐらい希少だったぞ」


 ティファの現在の状態について、ユウが麗しき古硬貨亭の主人に説明する。


 その説明を聞き、まだ焦る時期ではないと納得する主人。


 だが、大人の視線で見れば、まだまだ焦る必要はないという感覚である三カ月でも、子供からすればそうではない。子供にとって三カ月というのはとても長い時間である。ティファが深刻な表情になるのも仕方がないことであろう。


「だが、このままじゃ、嬢ちゃん潰れちまわないか?」


「さすがに、そうなる前に手は出す。が、行き詰まっているからといって簡単に手を差し伸べるのは、ティファのためにならん」


「まあ、そうなんだがよ……」


 妙に力強く言い切るユウに、微妙な反応で頷くバシュラム。自分の娘のように可愛がりたいと内心で思っているバシュラムからすれば、悩み苦しんでいる現在のティファを見ているとどうにも心が痛む。だが、師を差し置いて勝手に手出しするわけにもいかず、残念ながら現時点でバシュラムができることはない。


 それに、ユウの言葉は正論だ。すでに三カ月悩み苦しんでいるところに手を差し伸べるのが、安易に手助けしていることになるか否かには議論の余地がありそうではあるが、あまり簡単に助けてもいい事は何もない。


「とはいえ、ここまでへこむのは、今までが順調すぎたのだろうな。順調なのはある意味当たり前なんだが」


「ある意味当たり前、って意味が分からんが、順調すぎたってのは否定できんな」


「これまでやらせてきた訓練は基本的なことばかりだから、真剣にかつ根気を持って取り組んでいれば、よほどでない限り必ず成果が出る。むしろ、順調に進まないほうが問題だ」


「ああ、まあ、そりゃそうか」


 ユウの言葉に、渋い顔で同意するバシュラム。主人もため息交じりに頷いている。


「何にしても、店側としては、お嬢さんには一日も早く壁を乗り越えてくれることを祈るしかありませんな」


「だなあ。正直、嬢ちゃんが沈んでると、店の雰囲気が辛気臭くてしょうがねえ」


「俺もそうあってほしいが、本人次第だからな。とりあえす、仕事してくる」


「行ってらっしゃい」


 先ほど入った討伐依頼の受注手続きを済ませ、いつものように帰還陣を設置して店を出て行くユウ。もはや、彼が帰還陣を設置して依頼に出て行くのも、見慣れた風景となって久しい。


「どっちも何とかしてやりたいところだが、師匠が我慢して時期を見計らってる以上、俺らが下手につつきまわすのもなあ……」


「何かいいきっかけができることを祈りつつ、お嬢さんの方はカレンや店のお姉さま方に期待するしかありませんな」


 ユウが出て行った扉を眺めながら、ため息交じりにそう言う主人とベテラン。麗しき古硬貨亭の憂鬱な時間は、まだまだ続きそうであった。









 その日の午後三時過ぎ。


「うう、やっぱりわかんない……」


 裁縫仕事の合間に気の感知を試したティファは、成果が得られずにへこんでいた。


「そんなに上手くいかないんだ?」


「はい。分かることは順調に増えているんですが、肝心の事が全然……」


「そうなんだ。具体的にはどんな感じなの、とか聞いていいかな?」


「はい。……そうですね。とりあえず今だと、カレンさんが三カ月で胸が大きくなってその分体重が増えたとか、アイネスさんが最近ちょっと筋肉落ちて体重増えちゃったとか、アルベルトさんが三カ月で四センチ身長が伸びたとか、あと、たまにおかみさんがお掃除の途中でこっそり……」


「ティファちゃん、それ以上は言っちゃだめよ?」


「え? あ、はい!」


 いろいろプライベートで致命的な事を暴露しかかったティファを、笑顔でおっとり制止するおかみさん。その制止に、どうやらいけない事だと理解して素直に口を噤むティファ。


 ティファが素直におかみさんのいう事を聞いたことに対し、胸をかばいながら安堵のため息をつくカレンと、もっと早くに止めてほしかったと腹肉をつまみながらガクリとするアイネス。


 なお、アイネスは深紅の百合のお姉さまの一人で、どちらかというと頭脳労働担当の人物である。


 そんなアイネスをニヤニヤと見ながら、あえて何も言わずにマグカップになみなみと入ったコーヒーをやる冒険者達。


 余談ながら、現在早朝出発組の半分ぐらいはすでに仕事を終え、思い思いの席で昼下がりの一服としゃれこんでいる。


 酒ではなくコーヒーなのは、ティファの教育に悪いからと自制しているのと、素面のほうが面白いものを見られることが多いからである。


 最近の麗しき古硬貨亭は、かつて閑散期だったこの時間帯の席が半分以上埋まるようになっており、お茶類と菓子や軽食の売り上げが伸びているのだ。


 間違いなく、ユウとティファがやってきたおかげだろう。


「てか、それだけの事が分かるのに、その『気』ってやつの感知は上手くいかないんだ」


「はい。何度もユウさんに実践してもらってるのに感知できないので、多分これらの情報とは違うんだろうなあ、っていうのだけは分かっているんですけど……」


 とりあえず微妙な空気になったところで、先ほど背が伸びたことを話題にされた新米冒険者のアルベルトが嘴を突っ込む。おかみさんが怖くて空気を変えたかったというのもあるが、それ以上にティファが何に行き詰まっているのか興味が湧いて仕方がないのである。


「何か、できそうな兆候とかないのか?」


「分かりません。そもそも、そんなものがあるのかどうかすら……」


「そっか。でもさ、ユウさんがいない状態でそれを練習して、今まで感知できなかったものを感知できたとして、それが目的のものかどうかって分かるのか?」


「それはもう、何とも言えません。でも、違ったとしても、感知できる情報が増えるのは無駄にはならないはずですから」


 そう言って、健気に痛々しい笑顔を浮かべるティファ。それを見ていたアルベルトのパーティメンバーで、幼馴染みの女神官・レティーシアが口を挟む。


「ああ、もう。いいかげん強がるのやめて一旦ギブアップして、ユウさんに泣き落としでも色仕掛けでも何でもして突破口を開きなさいよ!」


「さすがに、ティファの色仕掛けに引っかかるようだと大問題だと思うぞ~?」


「言葉の綾よ! そもそも、あんたがいつまでもうじうじ悩んでへこんでると、ここの空気が辛気臭くてたまらないのよ! あんたはそんな顔より、嬉しそうに笑ってる方が可愛いなんて思ってるんだからね!」


「なあ、その言い回し、なんかおかしくないか?」


 レティーシアのツンデレっぽく見せかけながら無駄にテンプレートを外した台詞に、思わず突っ込みを入れるアルベルト。


 そんなアルベルトを余計な事を言うなとばかりに睨みつけると、更に畳みかけるように励ましなのか文句なのかわからない言葉をティファにぶつけようとするレティーシア。


 そんな二人を、またやってるよと見守る他のパーティメンバー達。無論、全員駆け出しの新米だ。半日で終わる仕事しか斡旋してもらえない彼らにとって、この時間帯のこういったじゃれ合いはいつもの事である。


「大体ね!」


 レティーシアがここ最近のユウとティファに対して抱いていた鬱憤、それを高らかにぶつけようとしたそのタイミングで、唐突に麗しき古硬貨亭の扉が開いた。


「いらっしゃいませ~」


「ユウは、いる?」


 入ってきたのは、まだ十七、八歳ぐらいだと思われる、やや露出過剰の若い女だった。


 身のこなしや身に着けている装備から、恐らくシーフ系であろう。容姿だけを言うなら、間違いなく美少女と呼んでいい女である。


 そんな女が馴れ馴れしくユウの名前を出す。


「今お仕事でいませんけど、どのようなご関係で?」


「アタシ、ユウのこれなの」


 カレンの問いかけに、わざと挑発的な態度で小指を立てて見せる女。


 それを聞いた麗しき古硬貨亭の冒険者達の反応は、見事に真っ二つに分かれた。


「なあ、あれどう思う?」


「騙りだろうな。ティファを鍛えるのに専念しているから目立った功績こそ挙げてないが、何気にあいつは有名人だからな」


「そうね。それに前歴があのアイアンウォールだっていうのは、調べようと思えば調べられることだしね」


 一つは、女を胡散臭い人物。もっと正確に言うと、嘘をついて既成事実を作り自分のパーティメンバーとして抱き込んで食い潰そうとしている、ゲスだと見ているグループ。


 そしてもう一つは、

「いずれ出てくると思ったぜ」


「そもそも、あの実力でしかも結構な男前だっていうのに、今まで浮いた話がまったくなかったってのがおかしかったんだよな」


「だよなあ。聞いた限りでは夜のお店にも出入りしてないって話だし、どうやって発散してるのかずっと疑問だったんだよ」


 この女とユウが肉体関係を持っており、ついにこの店に乗り込んできたとワクテカしているグループだ。


 もっとも、後者のグループにしても、本当にそうだと思っている人間はごく少数。大部分はその方が面白いと勝手に煽っているだけだ。


 そんな中、女をじっと観察していたティファが小さく首をかしげ、素朴な疑問を口にする。


「あの、カレンさん、アイネスさん」


「何、ティファちゃん?」


「どうしたの? お姉さまに言ってみなさい?」


「ああいうふうに胸に詰め物するのって、冒険者としては重要な事なんでしょうか?」


「「「「「詰め物!?」」」」」


 思わぬ方向から来たティファの爆撃に、派閥が真っ二つに分かれていた冒険者達の声がハモる。そのまま全員の視線が、女のやたら存在感を示す立派な胸に集中する。


「なによ!? てか、アタシが詰め物してるとか、ガキがいきなり言いがかり付けてきてんじゃないわよ!!」


 ティファの投下した爆弾と全員の視線の集中砲火に、思わず真っ赤になりながら怒鳴り散らす女。


 そんな女を気にせず、というより、なんとなく話を大きくしたほうが面白そうだと感じ、詰め物話を膨らませることにするカレン。


 アイネスと視線を交わすと、にやりと笑って頷いてくる。


 どうやら、全員の気持ちは同じらしいと判断して、まずはティファがなぜ唐突にそんなことを言い出したのかを確認することにする。


「ねえ、ティファちゃん。なんであの人の詰め物が気になったの?」


「ユウさんと走ってるときにも、おんなじように詰め物してる人は何人かいましたけど、こんなに大きいのは初めてなので、何か重要な意味があるのかなって」


「黙れっつってんのよ、クソガキ!」


「そっか。てか、そんなにすごいっていうと、本当のサイズはどれぐらい?」


「ベルティルデさんと同じぐらいです。でも、よく考えてみると、ベルティルデさんは詰め物なんてしてませんよね?」


 カレンに問われるまま、女の反応を完全に無視して質問に答えるティファ。


 いくら頭が良くて大人びていて空気が読めようと、所詮は八歳児。大人の女性にとって胸のサイズがどれほど重要か、それがどれほどのコンプレックスにつながるのかなど、知る由もない。話の流れで巻き込まれたベルティルデにはご愁傷様という他ない。


 因みに、ベルティルデはエルフの精霊使いで、バシュラムと長くパーティを組んでいるベテランの一人だ。


 その体型は実にエルフらしいもので、分かりやすく断崖絶壁である。


「まあ、一言で言うと見栄を張ってるってこと。ベルティルデさんはエルフだから、そういうのは気にしないかな?」


「見栄、ですか?」


「そっ、見栄」


 カレンに教えられた理由に、どうにも腑に落ちないという態度を崩さないティファ。


 そんなティファの様子を、思わずほっこりと見守ってしまう麗しき古硬貨亭所属の冒険者達。このあたりの感覚は、もはや彼らには存在しないものである。


「とりあえず、ティファちゃんもあと五年くらいして、胸が大きくなってきて好きな人ができたりしたら分かるんじゃないかな?」


「そうなんですか?」


「そうだと思うよ、多分。私だって、他の人の胸の大きさ気になるようになったの、自分の胸が膨らんできてからだった気がするし」


「なるほど」


 乱入してきた女を完全に放置して、完全に妹の素朴な疑問に答える姉の時間に突入するカレンとティファ。


 そんな未成年の様子に、乱入女がわなわなと震える。


「しかし、なんとなく不自然な気はしてたが、詰め物ねえ……」


「見栄張りたいってのも分かるが、エルフといい勝負だってのにあのサイズは、盛りすぎにもほどがあるだろうに」


「つうか、多少かさ上げするぐらいならともかく、あそこまでいくと何かの理由で胸元が破れたりしたら、普通に見えるより恥かくんじゃねえか?」


「やかましいわよ!」


 ティファとカレンのやり取りをほっこりと見守りつつ、乱入女の詰め物事件についてそんな事をひそひそと、だが乱入女本人にはきっちり聞こえるように言い合う冒険者達。


 そんな言葉にキレて、思わず怒鳴り散らす乱入女。


 そこに、女が乱入してくる直前までアイネスの腹肉をからかっていた深紅の百合のメンバーの一人が、何か思い出したように口を開く。


「今思い出したけど、あなた『嘘つきキャット』じゃない?」


「嘘つきキャット?」


「自称『キャットナインテイル』。虚言癖持ちで通称嘘つきキャット。一応盗賊ギルドには所属してるけど、すぐばれる事実無根の嘘ばっかりつくから、向こうでも下に見られてる感じね」


「へえ。まあ、少なくとも胸のサイズでは嘘ついてるのは事実だし、それもしょうがないかもしれないわ」


 深紅の百合のメンバーの一人、シーフ系の職業であるスカウトと野外活動のプロフェッショナルであるレンジャーを兼任するマリエッタの言葉に、なるほどと納得するアイネス。


 一つ補足しておくと、マリエッタが名乗っているスカウト(斥候)は、能力面だけを見る分には、本質的にはほとんどシーフ(盗賊)と同じである。違いがあるとすれば、技能の面ではスリをはじめとした非合法なことにしか使いようがない技を持っているかどうか、それ以外では非合法な仕事をしたことがあるかどうかと、前科を持っているかどうかとなる。


 スカウトを非合法寄りの存在にしたのがシーフである。


 非合法な部分が多いシーフが、なんだかんだで冒険者の職業として認められているあたり、この稼業が綺麗事だけでは済まない事を端的に示していると言えよう。


「で、嘘つきさんが何の用かしら?」


「嘘なんてついてないわよ! アタシはユウの女だし、これは自前よ!」


「初見でわからなくても、これだけ観察すれば嵩上げしてるかどうかぐらい分かるわよ。同じ女で観察力が重要な冒険者だからね。それに、ユウはあんたみたいなのを相手にするほど悪趣味でもなければ、金銭的にも時間的にも余裕はないわよ」


 にっと笑いながら、キャットをぼろくそに切って捨てるアイネス。さすがにユウの下半身の事情全てを把握しているわけではないが、彼がこの手の女に一切興味がないことぐらいはこの半年で知り尽くしている。


 正直なところ、ではユウがどんな女が好みなのか、という事に関しては、誰もよく知らない。ティファに対する配慮からか、その手の話題に一切乗ってこないのだから知りようがない。


 が、ティファに対する配慮という時点で、こういう人間的に胡散臭い相手は眼中にないだろうから、キャットはどう頑張ってもアウトである。


「アタシを相手にすると悪趣味って、どういう事よ!?」


「ねえ。あまりティファちゃんに見苦しいものを見せたくはないから、そろそろ控えてくれないかしら?」


 言いたい放題のアイネスにキャットが反論しようとしたところで、おかみさんがおっとりと割り込んでくる。その独特な威圧感に思わず黙り込むキャット。


「アイネスちゃんも、ティファちゃんが見てる前であまり挑発しないでもらえないかしら。もう手遅れなカレンはともかく、ティファちゃんに乱暴な口調が移ったらユウさんにも故郷のご両親にも、申し訳ないもの」


「お母さん、私が手遅れってどういうこと?」


「普段は気を付けてるのは分かるけど、たまにものすごく汚い言葉で乱暴に啖呵を切ってるでしょう? あれは女の子としてどうかと思うし、ティファちゃんがああなっちゃうのはちょっとね」


「も~、なんで知ってるの!?」


 カレンとおかみさんの親子のやり取りを聞き、気まずそうに視線を逸らす冒険者達。その汚い言葉遣いや乱暴な啖呵というのは、全部彼らが教えているのだ。


「えっと、あの、それでどういう事でしょうか?」


「ティファちゃんにはまだ早いから、今は気にしなくていいわよ」


「は、はあ……」


 なんとなく状況に取り残されたティファが、おかみさんに諭されて不思議そうにする。そこに、黙ってグラスを磨いていた主人が、そろそろみんな落ち着いたかと判断して口を挟む。


「それで、お嬢さんはユウさんにどのようなご用ですかな?」


「やっと本題に入れるわけね」


 主人に問われ、ほっと一つため息をつきながら用件を話そうとするキャット。周りが皆敵対的だったため、なかなか切り出せなかったのだ。


 ティファの素朴な疑問にも多に問題はあったと言えど、それに対して最初に喧嘩腰の態度を取った挙句、周囲に喧嘩を吹っ掛けまくったのは自分だという点は完全に棚上げである。


 それ以前に、最初に自分がユウの女だと宣言した時点で、すでにこの店の冒険者全員を見下したような態度を取っていたのだが、それについては一切自覚がないようだ。


 そうでなければ、ティファに喧嘩腰の態度で接したというだけで、ここまで反感を買うようなことはなかったであろう。


「ユウにちょっとお願いがあってきたのよ」


「ふむ、なるほど。その種の話は、ご本人とどうぞ」


 やたらねっとりとした口調、媚びているくせに見下して馬鹿にした態度。それらを総合的に判断し、深入りすると碌な事にならないとバッサリ切り捨てる主人。


 こういうケースでは冒険者の酒場が間に入ることもあるが、主人のこの返事により、今回に関しては麗しき古硬貨亭としては仲介も介入もしないと宣言したことになる。


 それを聞いて、舌打ちせんばかりの表情を浮かべるキャット。


 こういった交渉もプロフェッショナルでなければいけないシーフ系のくせに、実に底が浅い女である。


 そこへ、タイミングが良いのか悪いのか、ユウが帰還する。


「おや、おかえりなさい」


「ただいま。少々厄介なことになっていたから、情報の買取と緊急処理を頼みたい」


「どうしましたか?」


「依頼の通りクレイルインプのねぐらを潰したら、近くに偶発ダンジョンの入口が開いていた。今のところ人が出入りできるほどの大きさではないが、放置もできない」


 ユウの爆弾発言に、冒険者達の表情が引き締まる。


 この手の突発的に発生するダンジョンは、大抵碌なものではないのだ。


 というのも、ダンジョンというのは魔道具などを使って作る練習用のものを除き、突発的に異世界とつながることで発生するもので、中から何が出てくるか分かったものではない。


 なので、街のそばだから弱いモンスターしか出てこない、などという都合のいい話は当然なく、また、中にいるモンスターも普通に外に出てくる。ひどいケースになると、街のすぐ近くに魔神しかいない偶発ダンジョンが発生し、そこから中の魔神が出てきたというものすらある。


 聖域だろうが古代遺跡だろうが、それこそ既存のダンジョンの中だろうが新規に発生するのが偶発ダンジョンであり、また、それが定着するかどうかも分からない。


 とりあえず分かっているのは、ある種の結界を張っておけばその範囲内には自然発生はしない、という事だけ。そのため、街中に発生して大パニック、という事件は避けられている。


 故に、発見すればまず調査をし、必要であれば即座に潰してしまう必要があるのだ。


「情報の買取をしましょう。その偶発ダンジョンの場所はどこですか?」


「アルト南口から五キロ地点、森林地帯と街道の境界から百五十メートルほど森の中に入ったところに発生している。クレイルインプも、どうやらこのダンジョンから出現したものらしい」


「他にどのようなモンスターを確認していますか?」


「デーモン系の小物だな。主力はドラドグレムリン、タイニィデビルだが、小型のレッサーデーモンも混ざっていた。一通り仕留めてきたから、確認を頼む」


「分かりました」


 ユウの言葉に頷き、持ち込まれた獲物を手早く確認していく主人。どれもこれもユウの報告と相違ない事を確認すると、面倒なことになったと深くため息をつく。


「他に特筆すべきことは何かございますか?」


「時間がなかったので仕留めてはこなかったが、俺の索敵範囲内にすでに三十以上はレッサーデーモンが散っていた。移動距離から逆算して、最悪百以上は偶発ダンジョンから出て行っていると思っておいたほうがいい」


 最悪の追加情報に、思わず渋い顔をする主人。もとより、駆け出しにはつらいのがデーモン系のモンスターだ。最悪の想定とはいえ、それが百以上となるとかなり厄介なことになる。


 何より最悪だと言いたくなるのが、今からでは時間的に大規模な討伐などできないことである。どんなに急いでも、討伐隊が出られるのは明日の朝以降になる。


「ダンジョンの入口は、そのまま放置ですか?」


「いや。これ以上余計なものがうろうろしてはかなわんから、封鎖結界を張って悪化は防いでおいた。素人が簡単に解除できるものではないが、本職ではないから持って一カ月といったところだな」


「分かりました。今から、報告書とこれらの証拠を持って、役所と各冒険者の酒場を回ってきます。カレン、後は頼みましたよ」


「はーい。という訳で、悪いけどみんな、情報料払ってね~」


「分かってるって。しかし、レッサーデーモン、しかも小型の奴が出てくるってのはまた、とてつもなく厄介だな……」


「あいつら、極端にデカい場合とインプサイズ以下の場合、異常に強くなるからなあ……」


 カレンに言われて情報料を支払いながら、そんな事をぼやきあう冒険者達。


 どんな系統のモンスターも、一定ラインを超えると急に手ごわくなるものだが、デーモン系はその傾向が特に強い。


 もともと全体的に高い魔法抵抗を持つデーモン系モンスターだが、レッサーデーモンになるとそこに加えて物理耐性を持ち始める。


 物理耐性を持つモンスターは、銀製か魔法金属製、もしくは魔力が付与された武器でなければ物理攻撃でのダメージが通りにくくなる。


 レッサーデーモンクラスだと完全に無効化されることはないが、それでもおおよそ半分ほどまでダメージが減衰する。その上で、よほどの大魔力でなければ初級魔法はダメージにもならなくなるのだから、倒しづらいことこの上ない。


 その特性を持った上で小型化されると攻撃を当てるだけで一苦労となり、逆に人間より大きくなると驚異的なタフネスを発揮してなかなか仕留められなくなる。


 別に頭がいい訳ではなく、攻撃も単純な事しかしてこないため、結果的に人間サイズと呼べる範囲の相手が一番倒しやすくなるのだ。


「はい、お姉さんも情報料」


「ユウが勝手に広めたのに、なんでアタシが払う必要があるわけ? そもそも、アタシはユウのこれよ?」


「そのあたりの事情は関係ないっていうか、別に払わなくてもいいけど、その代わり何かあったときに助けてもらえなくても、文句は言えないよ?」


「何よ、その脅し」


「脅しじゃなくて社会の仕組み。それに、駆け出しの人達だってちゃんと払えるだけ払ってるのに、ごねるとか恥ずかしくない?」


 カレンにそう言われても、断固として金を払おうとする姿勢を見せないキャット。


 そのケチ臭い態度に、晩飯代を削ってひねり出した情報料を払っていた駆け出し達が、軽蔑の視線を送っている。


 それを見ていたユウが、不思議そうに首をかしげる。


「さっきから気になっていたんだが、その女は何者だ?」


「ああ、やっぱりユウさんの知り合いじゃないんだ」


「というか、俺はここの連中以外に冒険者の知り合いなどいない」


「だよね~。というか、普通の冒険者は出入りする酒場を変えるか依頼で一緒になるかしない限り、よその酒場の冒険者なんて知らないもんね」


「そもそも、こちらに来て半年しかたたん上に、そのほとんどが街中もしくは日帰りの依頼かティファの鍛錬しかしていない俺が、他の酒場の冒険者と知り合いになるきっかけなどあるわけがないだろう?」


 ユウの説得力マシマシの台詞に、そりゃそうだと頷く冒険者達。


 その日帰りの依頼の中に、ベテランでも敬遠するようなものが多数含まれているのも、他の依頼の途中に片手間で終わらせているのも、突っ込んではいけない事実である。


 とはいえ、ユウがそういう依頼しかこなしていないという事実に関しては、ティファにとって実に申し訳ない話なのだが。


「そんな! あの熱い夜の事を忘れたっていうの!?」


「熱い夜も何も、外泊したのは三度だけ、それも仕留めたモンスターの処理に手間取って帰りそびれて野宿したときなんだが?」


「そういやそうだっけ。先月のアルトベアの特異体のお肉は美味しかったよね~」


「ああ。ステーキもシチューも最高だった。買い取り値も高かったしあちらこちらの店からも感謝されたし、手間をかけてきっちり解体処理をして正解だった」


 先月、ユウが外泊したときのことを思い出しながら、うんうんと頷くカレン。駆け出しどころかベテランでも準備なしで遭遇すると危険なモンスターだけに、そう何度も出現されては困るものの、肉が非常に美味しかったのは否定できない、というか否定する気もない事実だ。


「わたし、あんなに美味しいお肉食べたの、人生で三度目でした!」


「残りの二度は、先々月のミートデビルのステーキとアルトガルーダのフライドチキンだよね?」


「はい! あんな大きな鳥がいるのにも驚いたんですけど、ユウさんがたった一撃で仕留めちゃったのもびっくりでした」


「あ~、そういえばティファちゃんはその現場にいたんだよね?」


「採取のときに、急に飛んで来たんですよ」


 ティファの説明を聞き、当時の事を思い出すカレン。


 アルトガルーダはクリューウェル大陸では数少ない、大型で肉食の飛行モンスターである。


 普段はアルト地方南部の南アルト山脈に生息しており、ほとんど人類の生息域には飛んでこないモンスターなのだが、年に一度ぐらい、気まぐれを起こした個体が飛来しては、家畜や人間を襲って大騒ぎになる。


 なので、飛来の確認と同時に軍や冒険者を総動員して、大騒ぎしながら討伐するのがある種の風物詩となっているのだが、今年に限って言えば人類の側にもイレギュラーが混ざっていた。


 結果として、飛来を確認して大騒ぎしながら冒険者達を集め、いざ討伐と斥候を放ったところで、すでに頭を落とされ解体が進んでいるアルトガルーダの死体と、それを成した冒険者が幼女相手に解体の仕方を説明しているというシュールな光景を目の当たりにする羽目になったのだ。


 招集された上に何もすることがなかった冒険者達の肩透かし感はすさまじいものがあったが、かといって単に襲われたから迎撃しただけ、というのを咎め立てするわけにもいかない。


 結局、できたら事後報告でもいいからすぐに連絡だけしてくれ、という言葉だけ残して冒険者チームは解散。顔見知りであったバシュラムをはじめとした麗しき古硬貨亭所属の数人が解体を手伝うために居残って、ティファを帰らせた後も野宿しながらずっと作業をしていたのだ。


 このあたりの話は小さめではあるが新聞記事にもなり、ユウとティファはしばらくの間、ちょっとした有名人扱いだった。記事が小さめだったのは、いろいろ眉唾なところがあったからである。


 なお、ミートデビルに関しては、名前の通りとしか言いようのない外見で、出現確率が極端に低く仕留めるだけなら子供でもできるボーナスモンスター的存在でしかないので、ここでは詳細は省略する。


「まあ、そういう訳だから。そういった類の言いがかりはよしてもらえんか? さすがに、ティファの教育に悪い」


「アタシよりそのガキンチョを取るっていうの!?」


「初対面の人間と、他人様から預かっている幼い子供。普通は預かっている子供の方を大事にするものだが、違うのか?」


「アタシは、あんたの女なの! そう決まってるの!」


「いくら俺がモテなくても、相手を選ぶ権利ぐらいはあると思うんだが?」


 面倒な女に絡まれた、という態度を崩そうともせずに、淡々とそう突っ込みを入れるユウ。自業自得とはいえ、キャットの面子も女としてのプライドもズタズタだ。


「てかさ。自分がそんなにいい女だって主張するんだったら、情報料くらいケチケチしないで払ったらどう」


「別に慣例に従っているだけだから、情報料なんてどうでもいいんだが……」


「この件に関しては、ユウは黙っていた方が賢明だよ」


 キャットのあまりの見苦しさに、同じ盗賊ギルドの構成員だと思われたくないマリエッタが苦い顔でユウをたしなめる。


 そもそもの話、今回のように確実に周知すべき内容が含まれる情報に関しては、役所からちゃんと既定の額の報奨金が支払われる。


 なので、情報料などといっているが、冒険者達が払った金の実態は情報を持ち帰ったことに対する心づけであり、無事に帰還してくれたことに対する感謝を示すための名目なのだ。


 それを支払わないという事は、重要な情報を持ち帰ってきた冒険者に対して、そんな価値などないと宣言しているのも同然なのである。


 そう判断されずに済むのは、駆け出しで本当に知らない、もしくはそれだけの金をひねり出す余裕すらない場合のみで、キャットがそのどちらにも該当しないのは確実だ。


 キャットが言っていることは、普通なら即座に殴られた上に酒場から叩き出され、どんなピンチでも誰にも助けてもらえなくなるぐらいに無礼なことなのである。


「……とりあえず、ここは任せてティファを送ってきたいのだが、問題ないか?」


「うん、行ってきて。何だったら、裏口使ってくれてもいいから」


「助かる」


「正直、ティファちゃんをこれ以上この状況に立ち会わせるのって、私が嫌だからね」


 完全にとばっちりを受けた当事者でありながら、状況的には完膚なきまでに蚊帳の外に置かれているユウが、目の前で行われている不毛なやり取りにいろいろ面倒になって、この状況から離脱を測る。


 正直、ティファが行き詰まっている現状、ユウとしては知らぬ女に関わりあっている余裕など欠片もない。


 なおこのとき、ひそかに麗しき古硬貨亭の冒険者が一人、外に出て走っていったのだが、大部分の人間は気がついていない。


「ちょっと待ちなさいよ!」


 ティファの背中を押し、裏口からさっさと出て行くユウを呼び止めようとして、完全に無視されるキャット。


 本命のユウではなく、割とどうでもいい存在であるはずのティファの方がキャットの事を気にしているあたり、いろいろと哀愁を誘う状況である。


「とりあえず、ティファちゃんを避難させられたのはいいけど、早く帰ってくれないかなあ……」


「うちのシーフがひとっ走り行ってるから、もう少しの辛抱だろうさ」


 結局この不毛な騒ぎは、連絡に走ったシーフが連れてきた盗賊ギルドの構成員がキャットを回収するまで続き、いろんな火種を残したままこの日は終わりを告げるのであった。






      ☆







 次の日。


「すまん、ティファ。悪いが今日はここまでしか見てやる時間がない」


「昨日の偶発ダンジョンの件、ですよね?」


「ああ。今日のうちに、さっさと潰すことになってな」


 麗しき古硬貨亭。普段は持ち歩かない大量の消耗品をカバンに詰めていたユウが、心底申し訳なさそうにティファにそう告げる。


 緊急事態だけあって発見者のユウが協力しないわけにもいかず、仕方なしに今日の訓練は走り込みだけで終わらせていた。


「ユウさん。質問なんですが、そもそも偶発ダンジョンって、そんなに簡単に潰せるものなんですか?」


「今回のように、入口が小さなものはやり方があってな。正直、それだけならこれほどの準備は必要ないんだが……」


「てかユウさん。それだったら、昨日のうちに潰しちゃってもよかったんじゃない?」


「こちらでの偶発ダンジョンを発見した場合の法的な扱いがよく分からなかったからな。うかつなことをして犯罪者になっては、目も当てられん」


「あ~、たしかに……」


「それにな、レッサーデーモンがどれほどの数ばら撒かれたかも、それ以上のデーモン種が出て行っていないかどうかも把握できていない。この状況でダンジョンを先に潰して、実はダンジョンがあってデーモン種がいました、と事後報告をした場合、どの程度信用されるかも分からなかった。デーモン種は、ダンジョンがなくても突発的に湧くことがあるからな」


「なるほどね。昨日の討伐証明部位だけでも十分証明にはなったと思うけど、それだけじゃ不十分かもしれないと思ったわけだ……」


 最初に質問したティファも途中から割り込んだカレンも、ユウの説明を聞いて完全に納得する。


 実のところ、下手な事を言うと本当になるというジンクスを気にして口にしてはいないが、今回のようなダンジョンの発生パターンの場合、ユウには一つ重大な不安があった。


 実際にその不安が的中した場合、偶発ダンジョンがあったことをいろんな人間に確認しておいてもらった方が後々問題にならないので、あえて対策班が作られるまでダンジョンに手出しをしなかったのだ。


「デーモン種がどれだけばらまかれているかはわからんが、インプやグレムリンも含むなら、少なくとも俺の索敵範囲内に百以上いたのを確認している。正直、その程度で終わっているとは思えんし、タイニィデビルあたりも数いるとなかなか面倒だ。なので、少なくとも、今日はおとなしくここか学院で勉強なり訓練なりをしていてくれ」


「分かりました。ユウさんも気をつけてくださいね」


「ああ」


 ユウの言いつけに素直に頷き、とりあえず素振りのために裏庭へ移動するティファ。


 気の感知は兆候すらつかめないが、杖術の訓練や裁縫など手や体を動かす作業をしていると、感覚がどんどん研ぎ澄まされていくことだけは確実に感じ取れている。


 どうせやれることなどなく、座学の類は現状復習以上のことをやる意味が薄い。そうなると結局、他にできることがないという結論に達する。


 もしかしてだんだん脳筋になっているのではないか、と思わなくもないが、数字関係の学問はともかく、国語や歴史は理解はできても納得や共感ができない内容が増えてきているので仕方がない。


 学校のカリキュラムというのは意外とよくできているものだと、最近つくづく思うティファであった。


「あと、悪いとは思うのだが、深紅の百合の面々には、いざというときのためにここで待機しておいてもらいたい」


「分かってる。そのために、昨日のうちに消耗品補充しておいたんだしね」


「あの嘘つきがティファちゃんにちょっかいかけてくるかもしれないし、他に何か厄介事が起こるかもしれないからね」


「すまん、助かる」


 深紅の百合の面々に礼を告げ、確認を終えた品物を再びカバンに詰めなおす。それと同時に入口の扉が開き、バシュラムとベルティルデが軍人を連れて入ってきた。


「ユウ、準備はできてるか?」


「ああ、いつでもいける」


「他の連中はどうだ?」


「準備は万端だぜ、おやっさん」


「なら、今すぐ行けるか?」


「「「「「おう!」」」」」


 バシュラムに声をかけられ、一斉に声を上げる麗しき古硬貨亭の冒険者達。


 何しろ、ユウの報告が正しければ、最低でも三十、場合によっては百を超えるレッサーデーモンがばらまかれているのだ。気合いを入れてかからねば、こちらが食われる。


「では、行くぞ! ユウ、先導しろ!」


「ああ」


 バシュラムに促され、先頭に立って麗しき古硬貨亭を出て行くユウ。


 その後ろ姿を見送り、カレンが小さくため息をつく。


「ユウさん達が失敗するとは思わないけど、それとは別口でなんだか嫌な予感がするよね」


「だから、ユウもあたし達に後を頼んだんでしょ?」


「だよね~……」


 アイネスの言葉に、面倒くさいことになったと再びため息をつきながら、カレンが同意する。


「まっ、何事もないことを祈っておくしかないね。カレンもアイネスも、あんまり心配しすぎると、逆に呼び寄せちゃうよ?」


「そうね……」


 マリエッタにたしなめられ、とりあえずこれ以上余計なことは考えないことにするアイネス。


 が、トラブルというのは集中するのが世の理。


 大問題が飛び込んできたのは、それから一時間後であった。



「すみません! ティファはおりますか!?」


 朝の熱気も収まり、ティファが素振りや型稽古を終えて、一息入れた頃の事。本日は休むと学校側へ連絡したカレンとともに、やや遅い朝食を食べ始めたタイミング。


 唐突に、アルト魔法学院の学院長リエラが飛び込んできた。


「先生、慌ててどうしたんですか?」


「ああ、よかった! あなたはここにちゃんといてくれたのね!」


「今日はレッサーデーモンの討伐隊の方々が出ているので、皆さんの邪魔をしないように採取をお休みしたんですけど……もしかして、わたしを心配して来てくださったんですか?」


「ええ! あなたがそんな無茶をするとは思っていませんが、所在を確認するまで安心できなかったのですよ!」


 どこかのんきなティファの言葉に、ティファを抱きしめながら血の気が引いたままのリエラが悲鳴を上げるように叫ぶ。


 その様子に、何やらただならなぬことが起こっているらしいと判断し、居残り組を代表してアイネスが声をかける。


「学長先生、いったい何があったんですか?」


「先ほど南門から連絡がありまして、ティファと同じ元特待生の一人が、軽率な冒険者に連れられて採取に出たのです!」


「えっ?」


 リエラが上ずった声で端的に告げた事情説明に、それは非常にまずいのではないかと同じぐらい顔を青くする居残り組。


 子供の無謀さや騙されやすさを考えれば普通に起こりそうな事なのに、ティファという例外が基準になっていたために、誰もがその可能性を頭から追い出していたのだ。


「先生、出て行ったのは、誰ですか?」


「リカルドです」


「リカルド君だけですか?」


「ええ。現在、学院にいない元特待生は、あなたとリカルドだけです。ですから、あなたまで出て行ったのではないかと慌てて飛んで来たのです」


「そうですか」


 説明を聞き、リエラの狼狽ぶりに納得したところで、だったらと重要そうな情報を切り出すティファ。


「先生。リカルド君なら、普段どのあたりで採取しているか大体分かります」


「本当ですか!?」


「はい。わたし達が普段採取している場所と、そんなに離れていませんから」


「この地図に場所を書いてもらっても?」


 そういって取り出した、アルト周辺が精密に描かれた地図をティファに見せる。それを見たティファが、小さく首を左右に振る。


「そんなことをするより、わたしが直接案内したほうが早いです!」


「ティファ、あなたまで危険にさらすわけには……」


「わたしだって、何の準備もなく危ないことをしようなんて思ってません! 先生、簡易帰還陣の設置はできますか!?」


「それぐらいは容易いことですし、学院の正門を帰還先に設定した帰還陣は、とっくに用意してあります」


「だとしたら、深紅の百合の皆さんと一緒に現地に向かって、リカルド君を回収して戻ってくるのが一番安全です。気の訓練のおかげで、多分近くまでいけば、リカルド君がどこにいるかある程度わかると思いますし」


「あ~、昨日の話を考えると、ティファの気配察知は本職並みって感じだもんねえ」


 ティファの提案に、昨日のアイネスの腹肉からキャットの詰め物までの一連の騒動を思い出して、さもありなんと頷くマリエッタ。


「そもそも、こんなことをいちいち問答してる暇があったら、とっとと動いたほうがいいですよ、学長先生。私達も、こういうときのために後詰として居残りを頼まれているんですし」


「だったら、ティファちゃんはあたしが負ぶってくよ。一刻を争う感じだしね」


「で、学長先生、門までは転移魔法か何かでショートカットできませんか?」


「……そうですね。この人数なら、一回で転移できますね。ティファ、門からはどれぐらいかかりますか?」


「わたしの足で、歩いて十分ぐらいです」


「そうですか。その間、ティファを負ぶっていくことは?」


「余裕!」


 アイネスの提案とティファからの情報をざっと吟味し、念のためにどの程度ティファを背負って動けるかを確認しておく。


 それらの答えに一つ頷くと、腹をくくって依頼を出すことにする。


「それでは、深紅の百合の皆さん、私とティファの護衛、およびリカルドの捜索をお願いします」


「引き受けました」


「では、転移と支援魔法をかけますから、近くに集まってください」


 リエラに言われ、いざというときのためのアイテム類や武器を手早く身に着け、彼女が示す術の範囲に集まる深紅の百合。ティファに関しては、採取作業がない限りは特に荷物はないので、護身用に練習用の杖を持っているだけである。


 全員が魔法の範囲に入ったことを確認し、まずは補助魔法をかけるリエラ。そのまま矢継ぎ早に転移魔法の詠唱に入る。


「では行きますよ! テレポート!」


「行ってきますね!」


「じゃあ、行ってくる!」


「後の連絡その他は頼んだよ、カレン!」


「は~い、行ってらっしゃい」


 第二の緊急事態対策チームの出発を見送ったカレンは、一つ気合いを入れて父の代わりに大量の料理の仕込みに入るのであった。






      ☆







 一方その頃。偶発ダンジョン封鎖部隊。


「……精霊が、いやにざわついてるわね……」


「そうなのか?」


「ええ。というか、ユウにはわからないの?」


「残念ながら、精霊使いとしての素質も能力もなくてな。おかしな空気は感じているが、これが精霊のざわつきなのかどうかまでは分からん」


「そう」


 ユウの言葉に、そういうものかと納得するベルティルデ。


 基本的に精霊というやつは、変容したものなどの一部例外を除き、特殊な素養と訓練がなければ見ることも感じることもできない。


 それを踏まえれば、ユウが精霊を見ることなどができなくても、何ら不思議な事ではない。


「それでユウ殿。おかしな空気というのがどういうものか、教えていただいてよろしいかな? 具体的には、我々が放っている緊張感とは、また違ったものなのかどうかという点を」


「明確に違う。口で説明するのは難しいが、場違いな強さのモンスターがうろうろしていたり、建物すら押し流しかねんようなすさまじい大雨がくる直前といった、はっきりとはしないがとにかく不穏な状況、もしくはその前触れという感じの空気だ」


 今回の軍側のトップ、レオンハルト中尉の質問に対し、必死になって言葉を探して答えるユウ。


 その答えに、最初から気になっていたことを確認することにするレオンハルト中尉。


「なるほど。もしや、出発前から何やら心配されていたことと、その不穏な空気とやらは関係ありますかな?」


「思い過ごしでなく、かつ外れていてほしい予想が当たっているなら、関係しているだろうな」


「外れていてほしい予想、ですか?」


「ああ。今回のような偶発ダンジョンだと、ごく低確率ではあるが最悪のケースが起こる」


「最悪のケース? ……まさか!」


 ユウの前歴と照らし合わせて、最悪の事態が何かを察するレオンハルト中尉。それに対して、小さく頷くユウ。


「もっとも、俺が発見する前に出現していた、ということはまずあるまい。この距離でそんな前に出現していたとあれば、とうの昔にアルトに壊滅的な被害が出ている」


「……そうでしょうな」


 口にすると本当になりそうだ、という理由で、具体的な名詞を口にしないユウ達。もっとも、こんなことを話している時点で、すでに手遅れであろう。


 少なくとも、ユウとベルティルデは、それを連想するような異変、というよりその前触れのような何かを察知してしまっているのだから。


「……悪い知らせが一つある」


「……今の流れでの、悪い知らせかよ……」


「ああ。それもなかなか洒落にならんぞ。何しろ、俺が張った封鎖結界が、たった今内側から力技で破られたのを気で察知した」


「……本気で勘弁してくれよ……」


 ユウの報告に、思わず頭を抱えるバシュラム。まだそうではない可能性が残っているとはいえ、最悪の想定が現実になりかかっているとなると、その反応も仕方がないところであろう。


「となると、急いだほうがいいのかしら?」


「いや、逆だ。この状況なら、むしろここで止まって、様子を見たほうがいい」


「それはまた、どうして?」


「どうやら、もう顕現が始まっている。どんなタイプが出てくるか分からんから、距離を置いて確認したほうがいい」


「魔神、っていうだけで十分絶望的なんだけど、そんなに危険なのがいるの?」


「種類によっては、半径五十メートルにいるだけで問答無用で生命力を吸い尽くす、だとか、相手の視界内にいると問答無用で燃やされる、だとか、最悪だと直視するだけで耐性のない存在は魂が砕かれる、なんてのもいるからな」


 ユウの説明に、あちらこちらから絶望的なうめき声が聞こえてくる。


 アルトに魔神が出現するのは、記録上はこれが初めて。それだけに詳しい情報などなく、これまで本能に刷り込まれた類の、漠然とした恐怖しかもっていなかったのだ。


 そこに来て、経験者による生々しいリアリティのある、それも聞くだけでも手に負えないと分かる情報だ。冒険者達、どころか軍人まで絶望にうめくのも、仕方がないことであろう。


 あまりにもたらされた情報が衝撃的だったせいか、その説明をしている最中にユウがわずかに顔をしかめたことに気がついた人間は、残念ながら一人もいなかった。


「ここで立ち止まって様子を見る、というのは問題ありませんが、ダンジョンの入口まで、どころか森の入口すらはっきりとは見えぬ距離がありますぞ?」


「魔神相手なら、これだけ近ければ十分探知できる。さすがに、アークデーモン程度だと厳しいが、な」


 レオンハルト中尉の質問にそう答えながら、険しい視線を森に向けるユウ。


 相手によっては、自分の手持ちの装備ではどうにもならないケースもある。最悪の場合、相打ちに持ち込んで道連れにせねばならない、と意気込んでいるうちに、ついに魔神の顕現が最終段階に入る。


「ベルティルデさん、全軍に精神防御系魔法を全力で!」


「了解!」


 ユウの指示に従い、精神をつかさどる精霊に働きかけ、全力でチームを守る。


 そして数秒後、ついに魔神がその姿を現した。




「何……、あれ……」


 全力で精神防御魔法を展開していたベルティルデが、出現した魔神を見て呆然とつぶやく。


 彼女の後ろでは、精神防御魔法の守りがあっても耐えきれなかった数名が、バタバタと意識を失って倒れていく。


 魔神は、一キロ以上離れていても目視できるほど、巨大な存在であった。


「また知らせだ。今度は……いい知らせと悪い知らせがあるぞ」


「おいユウ……あれが出てきた時点で、これ以上悪い話なんてねえだろうが。で、いい知らせってのは、本当にいい話なんだろうな?」


「ああ。あれは下級の一番弱いタイプで、妙な特殊能力も持っていないデカくてパワーがあるだけの奴だ。俺の手持ちの装備で、余裕で仕留められる」


「……本当か?」


「ああ」


「じゃあ、悪い知らせってのは?」


「何かあったらしくてな。ついさっき、ティファと深紅の百合が、戦闘をしながら俺の探知範囲に入ってきた。ちょうど、あれを目視できる位置に来ている。昨日酒場に来ていた女と、ティファと同じくらいの子供、それから学院長の気配もあるから、きっとそれが理由だろうな」


「なんだと!?」


 ユウの悪い知らせのほうに、思わず声を上げるバシュラム。


 どうやら、彼らにとって予想外の理由で、事態は最悪の方向へと転がってしまったようだ。


「まずい! 奴のターゲットが、ティファ達に向いている!」


「まじかよ!」


「悪いが、俺はここから単独行動を取らせてもらう! あれ単体とも限らんし、アークデーモンに通る程度の属性攻撃はほぼ無意味だから、下手に手出しはしないでくれ!」


「おい! ユウ!!」


 バシュラムの呼びかけを無視し、部隊から飛び出して空を舞うユウ。


 こうして、トライオン共和国の歴史において初となる、魔神討伐の幕が上がるのだった。




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