第3話 無限回廊・冬 3
冬のインフィータに来て二日目の夕食時。
昨日と今日の探索で起こった事件の対処のため、ユウは宿で通信機を借りてアルト魔法学院に連絡を入れていた。
『夜分遅くに申し訳ない。リエラ殿はおられるだろうか?』
『おや、ユウ殿。どうかなさいましたか?』
幸か不幸か、通信に出たのはリエラであった。
『リエラ殿か、ありがたい。この時間に俺が連絡を入れている、という時点で察していただけると思うが、少し困ったことになった』
『でしょうね。覚悟はできていますよ』
申し訳なさそうに告げるユウに対し、ある種の悟りの境地に至りながらそう答えるリエラ。
別にユウに限った話ではなく、夜にわざわざ連絡をしてくる時点で、基本的に九割は厄介ごとだ。
今までのリエラの人生で、夕食後に連絡が入って喜ばしかったことなど、兄弟や従兄妹に孫が生まれた時と、弟子達が時折新発見をしたり新技術の確立に成功したりした報告だけである。
『それで、何が起こりました?』
『起こった問題は二つ。一つ目は、昨日今日と妙なフロアに当たってしまって、手持ちのアイテムバッグが飽和している』
『バシュラム殿とベルティルデさんもおられるのですよね。それでアイテムバッグが飽和するとは、かなり特殊なフロアを引き当てたようですね』
『ああ。詳細は省くが、前半は魔法生物のみ、後半はデーモン系のみ出てくるフロアを引き当ててな。昨日は時間の都合で前半のみをクリアして二十五層で引き返したら、今日は同じフロアを最初からクリアする羽目になった』
『なるほど。それで、小さくて大量に出てくるタイプのモンスターがいて、その分のドロップアイテムでアイテムボックスが飽和してしまった、と』
『そういうことだ』
ユウの事情説明に、腑に落ちたという声色になるリエラ。
ダンジョンで魔法生物やデーモンが出てくる場合、最弱クラスのものや特殊な性質をもったものがうんざりするほどわらわらと出現することが多い。
問題なのは無限回廊の場合、その手のモンスターは九十パーセント近い確率で魔石を残すことである。
魔石は様々な用途に使える重要な資源なので、荷物が満タンだったり見落としたりしたのならともかく、放置して去るのは心理的にもなかなか負担が大きい。
それ以外にも重要で高価な素材を落とすものも多く、倒すのが難しいことも相まって全体的にアイテムを無視しづらい。
が、めったにないほど大容量のアイテムバッグを持つバシュラムとベルティルデを、小型モンスターが少々大量に出た程度で飽和させるのは不可能に近い。
ユウが泣きついてくるのだから想像しているような可愛らしい状況ではないのだろうが、正直嫌な予感しかしない。
『お二人のアイテムバッグを飽和させるとなると、恐らく結構大きな素材などもかなりの数手に入っていると思うのですが、一体何がそんなにたくさん手に入ったのですか?』
『一番多いのはレアメタルスライムの魔石やコア、体を構成していた合金だが、アークデーモンやネームド(名前付き)のデーモン系モンスターが残した素材やアイテムもかなりのかさになっていたな』
『レアメタルスライム関連が一番多いというだけでも心臓に悪いですが、ネームドまで出ていましたか……』
かなり衝撃的なユウの報告に、覚悟はしていたものの天を仰がずにはいられないリエラ。
ネームドというのは、長生きしたり偉業を成し遂げたりしたモンスターが、特別な個体として神化した存在だ。
その中でもドラゴンとデーモンは、ベースとなった種類によっては魔神に匹敵するほど強くなることもある。
それを踏まえると、いくらユウがいたとはいえ、巻き込まれたミルキーとロイドに関してはよく無事だったと思わざるを得ない。
『……いろいろ気になることはありますが、先にもう一つのほうを聞かせていただけますか?』
『ああ。もう一つは、途中でどうしてもアイテムバッグの容量が足りず、やりくりの関係でネームドのデーモンの魔石とレアメタルスライムの魔石をティファの荷物に入れておいたのだが、ティファの宝石がそれらを食ってしまったらしくてな……』
『…………ごめんなさい。今一瞬、意識が飛びそうになりました』
『本当に、申し訳ない……』
『いえ、聞いている限りでは事故のようなものですし、そもそもあの宝石についてはほとんど何も分かっていませんでしたから』
ユウの説明を聞いて、本当に意識が飛びそうになっていろいろ腹をくくるリエラ。
聞かなければよかったと言いたくなるようなことが山ほど待ち受けていそうだが、どうやらアルトでのんびり年明けを待っている余裕はなさそうだ。
なお、状況が状況なので、現在ユウ以外の全員が最も広いバシュラムの部屋に集まっていて、宝石も経過観察のために部屋のテーブルの上に置かれている。
『……そうですね、分かりました。明日の朝一番の便で私もインフィータに向かうことにします。ユウ殿は明日、何か予定がありますか?』
『ポスターの撮影と、リゾートブロックの新施設のモニターという仕事を頼まれている。それ以外は特に予定というほどのことはないし、時間が余っても現状ではうかつにダンジョンに潜ることもできんから、ティファの希望を聞いてスキーとスケートを軽く、と考えていた』
『そうですか。早朝の便で移動すれば十時過ぎには到着できるはずですので、そのあたりの仕事を午後からに回していただく、ということは可能ですか?』
『もともとダンジョンでの素材集めの時に何もなければ、という話で進めていたから、恐らくは無理ではないはずだ』
『では、その方針で予定を調整してください』
『分かった。それでは明日、よろしく頼む』
『ええ』
そう言ってリエラとの通信を終え、一つ大きくため息をつくユウ。
リエラの言い分ではないが、さすがに今回のことはユウにとってすら心臓に悪いことこの上なかった。
ネームドのデーモン自体は魔神に比べれば雑魚もいいところだったので問題はないが、どうやっても入らなかったから致し方なったとはいえ、ティファの宝石がレアメタルスライムの魔石と一緒にそのデーモンの魔石も食ってしまったのは、いろんな意味で痛恨のミスだ。
一番の問題は、それが起こっている最中に魔石の買取その他の処理が入ったため、精算所の職員にその過程をばっちり見られてしまったことであろう。
恐らく明日にはインフィータ中がその話でもちきりになるだろうと考えると、またしても不要な話題を提供してしまったというほかない。
「リエラ殿はなんて言ってた?」
「明日、朝一番の便でこちらに来るそうだ」
「そうか、そりゃありがてえな」
「本気で、リエラ殿に足を向けて眠れん」
ユウの報告を聞き、心底ほっとした様子を見せるバシュラム。
今回の一件はあまりに手に余るのがはっきりしているからか、他のメンバーも似たような表情だ。
「一応は生まれた地脈の上にできたダンジョンから得たギフトだから、ティファにとって悪いことにはならんだろうが……」
「ユウが話をしている間にもかなり眩しくなってきてるし、これ、明らかにあまり猶予はなさそうな感じね……」
「まったく、欲張ると碌なことにならんな……」
「どのアイテムも、捨てていくにはもったいないにもほどがあるものばかりだったから、仕方ないわよ。っていうか、今日持って帰ってきたものはどれ一つ、まともな冒険者なら諦めたりできないわ。それこそボスさえ倒してしまっていれば、持ち込んだ消耗品を捨ててでも一つでも多く持ち帰ろうとするのが普通だもの」
色を変えながら徐々に輝きを増すティファの宝石を観察しながら、参ったとばかりにぼやくユウとベルティルデ。
食った魔石がよりにもよってデーモンのものだというのも怖いが、ベルティルデ的には普段見かけないような精霊が寄ってきては、何やらご神体でも見つけたかのようにありがたそうに拝んでは立ち去っていくのが怖い。
中には上位精霊がいたり、わざわざベルティルデに精霊王が経過を見守っていると伝言する精霊がいたりするのが心臓に悪くてしょうがない。
正直、結構眩しいわ見ていて心臓に悪いわで、できればカバンの中に入れておきたいのだが、外に出しておかないと精霊に警告されているので、外に出して放置しておくしかない。
「今この場にいるのは、この手のアイテムに関しては門外漢か専門家の見習いかだからなあ。猶予があまりなさそうだっつっても、手の出しようがねえからなあ……」
「ちょっと、バシュラムさん。たとえ一人前だったとしても、こんなの学長先生でもなきゃ手におえないわよ」
「そうそう。多分だけど、最低でもアーティファクトの修復に手を出せるレベルの付与魔法使いか魔道具士じゃないと、どこから手を付けていいかすら分かんないだろうな」
あまりに複雑な魔力の流れを見て、思わずバシュラムにそう突っ込みを入れてしまうミルキーとロイド。
見習いと一人前との間に横たわる溝を軽視するつもりはないが、ここまで凄まじい代物だと、いくら未熟な見習いでも五年や十年余分に経験を積んだ程度でなんとかなりそうな代物かくらいは見れば分かる。
「それにしても、ここまで派手に変化したのって、ティファ的にはどうなの?」
「……えっと、あの……」
ミルキーに問われ、宝石をじっと見つめていたティファがどう答えるべきかとあたふたし始める。
当事者だけあって、ティファには宝石の中で凝っている変化がある程度ダイレクトに伝わってきている。
それだけに他の人間よりもいろいろと複雑な感情を抱いているのだが、その中でも特にややこしいのが『不安を感じないことが不安』という気持ちであろう。
「あの、あの……。ごめんなさい、ちょっと頭の中がグルグルしてて、何をどう言えばいいか分かんないです……」
「あ~、ごめん。それもそうよね。当事者なんだから、私達なんかよりずっと複雑な気持ちのはずよね」
「ただ……、自分でも不安になるくらい、今の状況に不安を感じないんです。でも、どう考えても異常事態で……、下手なことをしたら駄目だっていうのもあまり長くこのままにしちゃいけないのも感覚的に分かっちゃって……。それなのに不安だけは感じなくて……」
何を言わないのも心配をかけそうだと、できるだけ自分の気持ちを素直に口にするティファ。
ティファの言葉を聞いて、他の人間が皆思わず黙り込む。
「……ふむ。気になったのだが、ティファには現状のまま放置しておける期限は分かるか?」
「えっと、多分年内いっぱいぐらいは大丈夫だと思います」
「そうか。なら、リエラ殿が来るまでは普通に大丈夫だということだな?」
「はい」
「あと、いつまでもここに放置しておくわけにもいかんが、触っても大丈夫か?」
「それも大丈夫です。ただ、多分ですけどある程度広くて窓や出入り口が開いている空間においておかないと、放出されている力が充満してよくないことになりそうです。ここは今、奥のお部屋の窓を換気のために開けているので大丈夫ですけど」
「なるほどな。ならば、部屋に持ち帰って机の上にでも置いておけばいいか。とりあえず、落ち着くためにまずは飯だな」
もはや現時点で手の打ちようがないことを察し、現実的な対応に入るユウ。
ユウの言葉を聞いて、ようやく自分が空腹であることを自覚するティファ。
なお、換気のために窓を開けたのは、精霊達に何か言われたらしいベルティルデである。
「あ~、部屋のことなんだがな。この件が解決して宝石がカバンの中に入れられるようになるまで交換しねえか? この部屋なら小部屋がいくつかあるから、窓を開けっぱなしにしても寒さはマシだろ?」
「それは助かるが、いいのか?」
「ああ。それに、セキュリティの面でも、この部屋のほうが安心だしな」
「そうね。ここは侵入すること自体が難しいし、夏場に窓を開けたまま眠っても大丈夫なように特殊な仕掛けがいくつもあるし、それに普通の部屋にこの宝石を置いていて、出来心で手を出そうとしてユウに成敗されて、なんて騒ぎが起こると面倒で仕方ないし」
バシュラムの提案を後押しするかのように、ベルティルデが一番避けたい状況を冗談めかして言う。
今回も宿泊場所となっているホテル・インテグラは、インフィータの中でも上位のセキュリティを誇るホテルだが、それでも冒険者が泊まることがよくあるため、派手目の成果を上げたグループにいらぬちょっかいを出そうとする人間がゼロではない。
今回ユウ達はティファの宝石の一件だけでなく、昨日に続いて大量の希少素材や普通なら手放さない種類のドロップ装備などを売却している。
その売却益だけでも普通の冒険者が道を踏み外そうとするのに十分な額であり、普通の部屋に泊まっているというだけでも、いらぬことを考えるやつが出ないとも限らないのだ。
「さて、どうせ大金稼いだのもばれてるんだし、憂さ晴らしもかねてパーっと行くか」
「今からそういう変更はできるのか?」
「仮にも冒険者を泊める宿だからな。遅くに帰ってきて、いきなり豪勢にしたいって言いだすことも珍しくねえから、ちゃんと対応できるんだよ」
ユウに部屋の鍵を渡しつつそう言って、にやりと笑って部屋を出ていくバシュラム。
それに続いてベルティルデが、そのあとにミルキーとロイドが嬉しそうな表情でついていく。
「あっ」
そのまま一緒になって部屋を出ようとしたティファが、小さく声を上げて引き返した。
「どうした?」
「いえ。せっかくお部屋を代わっていただくのなら、先に宝石を奥の部屋に移しておこうかと」
「そうだな」
ティファの考えに同意し、よさそうな場所に宝石を移して窓を開け、部屋を閉める。
「もう忘れ物はない?」
「ああ」
「じゃあ、大儲けを祝って高級料理を堪能しましょう」
ユウ達を待ってくれていたベルティルデに連れられ、いつもの宿の食堂ではなく奥の個室へと移動するユウとティファ。
「ふむ。こういう形式のコース料理は、実に久しぶりだな」
「ああ、やっぱりユウさんは経験があるんだ」
「それほどの回数ではないが、任務の絡みでな。百騎長クラスになると、任務が終わったあとに依頼主と会食、ということもたまにあった」
料理こそまだだが、既にカトラリーのセッティングが終わり食前のドリンクも配置されたテーブルを見て、ミルキーとそんなやり取りをするユウ。
「ティファはこういうの、初めてでしょ?」
「はい。マナーとか全然知らないので、ちょっと不安です」
「どうせ俺達しか居ねえんだし、派手に飛び散らせたりしないようにだけ気をつければいいさ」
「そうそう。どうしてもマナーとかが気になるなら、そのうち落ち着いて教えてあげるから」
不安そうに、というより、怖気づいた、という風情のティファに対し、そう優しく声をかけるバシュラムとベルティルデ。
「こういう料理の初心者がいるってバシュラムさんが言ってくれてるから、どう食べていいか分かんないようなのは出てこないって。つうか、わざとそういうのを出して心証を悪くするほど、このホテルはレベル低くないだろうし」
「まあ、どうしようもないものは最悪、適当に削いで手づかみでも構わん。それを咎める人間はいないからな」
ロイドのフォローを完全に叩き潰すようなユウの豪快にもほどがあるセリフに、思わずクスリと笑ってしまうティファ。
それで緊張が解けたのを見て取ってか、どこかほっとした様子で料理を並べ始める給仕。
その後、高級なコース料理初体験のティファを給仕も含めた全員でフォローしながら、和気あいあいとこの日の夕食は進み……
「ティファちゃん、どうだった?」
「ちょっと難しい料理もありましたけど、とってもおいしくて楽しかったです!」
デザートまで進んだところでベルティルデに問われ、笑顔でそう答えるティファ。
コース料理初体験によるちょっとだけ大人の仲間入りをしたような気分に、いつの間にかすっかり不安を忘れるティファであった。




