第3話 無限回廊・冬 1
「どういうことよ、これ!!」
迷宮都市インフィータに、ミルキーの声が響き渡る。
冬休み初日。前回と違い、指名依頼や特訓などの関係で、深紅の百合とアルベルトパーティが不参加となった無限回廊の攻略。
ミルキーはまたしても、インフィータの様子に絶叫させられていた。
「ユウさん、湖がどこにもありません!」
「この季節には水遊びの需要がないから、冬の遊びに適した環境に変化したといったところか」
「ユウが正解だな。因みに、ちゃんと湖も残ってはいるんだぜ。ほら」
ティファの言葉を受けてのユウの考察、それを肯定しながらバシュラムが一点を指さす。
そこには、外周が一周五百メートルほどの、水面の凍った池が。
「池って、凍るんですね」
「寒い地域だと、ね。アルトやトルティア村だと、一番寒くても八度くらいだから、そういうモンスターでも出ない限りは凍ることはありえないけど」
ティファの素朴な感想に、頬を緩めながらベルティルデが解説する。
アルトのある辺りは一年を通して温暖で、冬でも日によっては上着なしで過ごせる。
逆に夏が凄まじく暑いかというとそうでもなく、観測史上の最高気温は二十八度、夏場の平均気温は二十五度とほどほどに暑いという表現がふさわしい地域なのだ。
なので、ティファは池が凍るところだけでなく、天然物の雪も見たことがない。
「ずいぶんと縮んだものだな」
「スケート場としては、あれくらいでちょうどいいんだと」
「なるほどな」
スケート場と聞いて、いろいろ納得するユウ。
その横では、ティファがさらに不思議そうに首をかしげる。
「あの、スケートって何ですか?」
「ああ、嬢ちゃんは知らねえんだな」
「というかね、バシュラムさん。普通に生活してると、アルトから遠出する機会なんてほとんどないんだから、寒い地域で盛んな遊びなんて知らないほうが普通よ」
「とか言ってるミルキーちゃんは、スケートを知っているのね」
「私はほら、リエラおばさまの関係で、一族全体があっちこっちに拠点持ってたりするから」
ベルティルデの突っ込みに対するミルキーの答え、それに全員が納得する。
なんだかんだでミルキーはエリートの家系に生まれた、アルトでも屈指のお嬢様である。
年齢の問題でダンジョンこそ無限回廊以外でまともに入ったことはないが、トライオン国内だけでなく、海を越えてベルファールやベルファールの隣国で同程度の大国であるライクバーンにも行ったことがあるため、地理関係の知識や経験は結構豊富なのだ。
とはいえ、ベルファールやライクバーンに行ったのは学校に上がるかどうかの頃だったため、鉄壁騎士団に関してはユウと知り合いになるまで、名前と魔神殺しの集団であることくらいしか知らなかったのだが。
「で、話を戻すとして、スケートっていうのは冬場に池や湖が凍るような寒い地域で、専用の靴を履いて氷の上を滑る遊びよ。他にも靴底に長い板を取り付けて雪の上を滑り下りるスキーっていう遊びもあるわ」
「へ~」
「ミルキーはスケートは一応滑れるって程度なのに、スキーは結構うまいんだよな」
「スケートは、どうしても安定感がねえ……」
ミルキーの説明に補足するように、ロイドがミルキーの意外な特技を教える。
「で、ユウはスキーやスケートの経験はあるのか?」
「ないわけではないが、俺達の場合は娯楽ではなく行軍だったからな。できるだけ効率よく体力を温存しながら高速で移動する手段として身に着けているから、恐らく一般的なそれとは滑り方自体が違うだろう」
「まあ、お前らだと普通にそうなるわな……」
せっかくだからとユウに話を振り、答えを聞いて思わずげんなりするバシュラム。
そもそも鉄壁騎士団に関しては、考えるまでもなくその手の普通の娯楽と無縁である。
「……なんだか微妙な空気になってしまったわね。さっさとチェックインしましょう」
「……そうだな」
ベルティルデに促されて、バシュラムが頷いて移動を開始する。
今回は人数が少ないのと二回目なのとで、代表者が行うチェックイン以外は自分のことは自分でやる必要がある。
「さすがに池が凍るだけあって、結構寒いわねえ……」
「余分に上着持ってきておいて、正解だったよなあ」
いろんな意味で落ち着いたこともあり、ようやく寒さを自覚してもう一枚上着を羽織るミルキーとロイド。
荷物を回収した時点で取り出してはいたのだが、湖があまりに突っ込みどころ満点だったため、その衝撃で羽織るのを忘れていたのだ。
最初に湖のことを説明した時点で、既に厚手の上着を重ね着していたバシュラムやベルティルデとは対照的な反応である。
なお、ユウとティファはアルトでの冬服で平気そうなのだが、この二人に関してはもはやそういうものだとみんなスルーしている。
「あの、ユウさん」
「なんだ?」
「一度、スキーとスケートをやってみたいんですが、いいですか?」
「今回集めねばならん素材はさほど多くないから、それぐらいの時間はあるだろう」
珍しく遊ぶことに興味を示したティファの問いに、あっさりそう答えるユウ。
その答えにティファが目を輝かせたところで、空港の出口で待ち構えていた幾人かの人物が声をかけてくる。
「お久しぶりです、ティファ様」
「あっ、水着を買ったお店の……」
「はい! 覚えていていただけましたか!」
「もちろんです! いただいた写真、どれも素敵でした!」
ティファとカレンにポスター撮影を依頼した店員──実は店のオーナーだとあとで聞かされた──が、実に嬉しそうに微笑む。
それを見ていたミルキーとロイドが、不吉な予感に背筋を凍らせる。
ティファがインフィータに来る日を調べ上げ、わざわざ空港で待ち構えていたのだ。
あの日の熱狂ぶりを考えると、絶対何か面倒なことを考えている。
「それで、わざわざ俺達を出迎えて、一体何の用だ?」
そのあたりをミルキーが突っ込むより早く、ユウが聞く。
その言葉を待っていたとばかりに、ブティックのオーナーが嬉々として用件を口にした。
「前回撮影させていただいたポスターが大変好評でしたので、冬物のポスターも撮影させていただけたらと思いまして」
「さすがにそれは図々しいんじゃねえか?」
交渉が必要な内容と踏んで、ユウが何かを言う前にバシュラムが割り込む。
この種のことに対するユウの交渉能力が未知数なうえ、前回はティファが格安とも言っていい条件で受けてしまっている。
その分を取り戻しておかねば、来るたびに無料と大差ない報酬でポスター撮影に駆り出されることになりかねない。
「ええ、もちろん分かっております。当然前回と同じ報酬に加え相場に合わせたお金は支払わせていただきますし、報酬以外でも可能な限り便宜を図らせていただく予定です」
「便宜、か。具体的には?」
「まずは、ダンジョンでも必要となる冬用装備につきまして、最上級の物を人数分、無料で提供させていただきます。それとは別に、皆様が集めている素材のうち、数を集めるのが難しいものについて可能な限り提供させていただく用意があります」
「また、えらく美味しい話だな。本当に、嬢ちゃんのポスターだけか?」
店長が提示したあまりに良すぎる条件に、絶対裏があると察して深く踏み込むバシュラム。
そのバシュラムの反応に、にっこり微笑んで裏話を披露する店長。
「私どもの条件に関しましては、ティファ様とカレン様のポスターがすごく好評で売り上げ増が凄まじかったことに対するお礼に加え、前回あまりに報酬が少なすぎた分の補填という側面もございます。ただ、名目もなしに追加報酬となると、妥当なところに持っていくには額面が大きくなりすぎて税金が非常に重くなりますので、新しい仕事としてお願いすることにしました」
「なるほどな。私どもの、ってことは、ブティックはそれ以上の裏はないってことか?」
「はい。ここからは私どもの関わらない別案件で、詳細はこちらの二人から聞いていただくことになります。ですので、私どもはあくまで仲介ということにさせていただきとう存じます」
「分かった。とりあえず長くなりそうだから、宿のほうで落ち着いて話をしたほうがよさそうだな」
「ええ。契約書のこともございますし、そうしていただければ大変助かります」
こりゃ、派手な話になりそうだな、と頭の片隅で考えつつ、まずは宿で落ち着くべし、と話をまとめるバシュラム。
他の人間も特に異論はなかろうが、それでも念のために確認をしておく。
「っつうことだが、それでいいか?」
「ああ。少なくとも、こんな空港の入口で立ち話する内容ではないからな。とはいえ、ポスターに関しては、最終的にはティファの気持ち一つだが」
「あのねえ、ユウさん。ティファに判断任せたら、引き受けちゃうに決まってるでしょうが」
「だなあ。前回の感じから言っておかしなことにはならないだろうけど、ティファはこういうところでチョロすぎるから、師匠であるユウさんがちゃんと監督しないと」
「はうっ!」
前回の流れを知っているミルキーとロイドの厳しい言葉に、グサッと来て思わず声を上げてしまうティファ。
いろんな人からさんざん指摘され、自身がどれだけチョロかったかを自覚せざるを得なかったのだ。
しかも、自分がチョロいことを自覚しても、では警戒して簡単に釣られないようにできるかといわれると、自身に直接的な害がすぐに及ぶでもなく大きな不利益もない事柄では、恐らく簡単につられてしまうだろうということも自覚している。
なので、ミルキーとロイドの突っ込みは、ティファ的には非常に痛かったのである。
「今のうちに、一度や二度は痛い目に合うのも経験だと思うのだがな」
後輩思いが過ぎる感じのミルキーとロイドの主張に対し、ユウが思うところを正直に告げる。
そもそもの話、割と悪意に敏感な上に美味しい話だとビビって逃げようとするティファが、そう簡単に詐欺などに引っかかるとも思えない。
ポスターに関しては相手に悪意がなく、話もそこまで美味しいものではなかったため、ティファの感覚的に労力と報酬が釣り合っている、もしくはややもらいすぎくらいだったからあそこまで簡単につられてしまった面がある。
他には誰かがひどい目に遭っていて助けが必要だとかそういった系統もあるが、それこそティファの性格上単独で解決しようとは考えないだろうし、隠そうとしたところでバレバレなので騙しようがない。
それらを踏まえるとティファが合いそうな痛い目など、せいぜい報酬の金額や内容で損をするくらいであり、その程度ならいい経験だ。
「まあ、ミルキーちゃん達の言い分もユウの言いたいことも間違ってはいないから、それ以上はどんな話かを確認してからにしましょう」
どうせティファは引き受けるだろうな、などと思いつつも、そうやって話をまとめるベルティルデ。
なんだかんだでミルキーとロイド以外は大して警戒しないまま、今回も宿泊するホテル・インテグラに到着する一行であった。
☆
「俺の写真をポスターに? 何のために?」
自己紹介を終えた直後、リゾートブロックの支配人を名乗る男から真っ先に出てきた謎の要望に、ユウが怪訝な顔を浮かべる。
ホテルのラウンジでの話し合いは、のっけからなかなかおかしな方向に進もうとしていた。
なお、この場で話し合いに参加しているのはユウ達全員とブティックのオーナー、リゾートブロックの支配人、そしてインフィータの副町長を名乗る男である。
「実は、夏の湖でのユウ様とティファ様の訓練を見ていた冒険者から、せっかく広い湖や大きな山があるのだから、そういう環境が必要な訓練が可能な施設を作ってほしい、と要望がありまして」
「確か、あのリゾートブロックは、ダンジョンの攻略者特権により作られたものだったか。そういった種類の拡張はできるのか?」
「はい。拡張自体は少々コストがかかるだけですので、大した問題ではありません。が、せっかく作っても周知ができなければ宝の持ち腐れ。そうならないためにも、インパクトがあるユウ様の写真をポスターにしたいと考えまして」
「……そんなにインパクトがあったか?」
「それはもう!」
そう言って支配人が広げたポスターは、ただ単に水の上に立っているだけだというのに、写っている本人がドン引きするほどインパクトがあった。
「……これはまた……」
「現物に比べりゃ、なんかチャチいな」
「そうね。すごい大物感はあるけど、出てきただけで絶望感が漂うほどではないわね」
「確かにこれでも十分インパクトはあるんだけど、実際に湖の上に立っているユウさんを見た時ほどは写真から衝撃は受けないのよね」
「やっぱ、写真の限界だなあ」
微妙に引いているユウをしり目に、ポスターの写真についてそんな正直な感想を口にするバシュラムとベルティルデ。
それに乗っかるように、ミルキーとロイドも言いたい放題言い放つ。
全員の共通意見が『実物ほどはインパクトがない』であるあたり、生で見たユウの湖面立ちがどれほど衝撃的な光景だったかうかがえる。
「えっと、あの、ユウさんは実物のほうが格好良かったです」
「……ティファ、無理にフォローしようとしなくてもいい」
「あう……」
正直に思ったことを言ったのに、ユウに無理やりフォローしたと思われて思わずうめくティファ。
自分でも取ってつけたようなフォローに聞こえそうだと感じていただけに、はっきり言われるとへこむことこの上ない。
「それで、ポスターに写真を使うのはいいが、それだけならティファのポスターとまとめて話を詰めれば済む。わざわざ三人で来た理由は何だ? 特に副町長などという大物が何のために?」
「今回の話ですが、リゾートブロックの件は規模の大きな再開発になりますので、ユウ殿にアドバイザーとなっていただいた上で、無限回廊での活動をインフィータの行政全体でバックアップしたらどうか、という提案が町長と議会双方から出ておりまして」
「要は、俺達をインフィータで囲い込みたい、と」
副町長の話を聞いて、その狙いをズバリと指摘するユウ。
ユウの指摘に対し、曖昧な笑みを浮かべて否定も肯定もしない副町長。
そんな駆け引きをティファがハラハラと見守る中、ユウが結論を口にする。
「俺は麗しき古硬貨亭が気に入っているし、ティファの学校もある。囲い込まれるつもりはないから、支援はいらん」
ユウがきっぱりと拒否したことで、ティファがほっとした表情を浮かべる。
別にインフィータが嫌いなわけではないが、こちらに引っ越してしまうとカレンや麗しき古硬貨亭の冒険者達とはお別れになってしまう。
いつまでも現状のままではいられないので、いずれは独立して麗しき古硬貨亭から出ていくことになるだろうが、正直ティファはまだ今の暮らしを続けたいのだ。
なので、ユウが断ってくれたことが心の底から嬉しかった。
「そうですか……残念です」
ユウの返事に、心底残念そうにしながらもあっさり引き下がる副町長。
リゾートブロックの支配人とブティックの店長もしょうがないという表情で、特に意を唱える様子はない。
「サポートについては了解しましたが、アドバイザーとして協力はしていただけますか?」
「すまんが、これ以上弟子を取って鍛える余裕はないから、どんな施設があればありがたい程度の要望を言う以上のことはできん。それでよければ協力はする」
「それだけでも大変ありがたいです」
リゾートブロックの支配人が、ユウの言葉に嬉しそうに頷く。
既存の訓練所と差別化を図らねばならないのだが、意見を募っても訓練専用の湖と雪山以外にかぶりのない意見が出てきていないのである。
「ならば、なくて不便している環境がいくつかあるのだが、この場で言って大丈夫か?」
「はい、お願いします」
「では、まず一番欲しいものを言おう。非常にシンプルなのだが、何をやっても周囲にまったく被害が出ないだだっ広い障害物の一切ない空間が欲しい。現状、ティファの最大出力を安全に確認できる環境がなくてな」
「だだっ広い、ですか? 具体的には?」
「そうだな。ティファ、アルトとその周辺の村を合わせたぐらいの広さがあれば行けるか?」
「……えっと、多分?」
ユウに問われ、真剣な表情で検討して不安そうにそう告げるティファ。
今までの感触としては、攻撃魔法ならその程度の広さがあれば多分大丈夫だとは思うのだが、今まで攻撃に使った出力は最大でも一パーセントに届いたことがない。
残念ながら、全力となるとユウが提示した規模で収まる自信はない。
「ということは、最低でも三倍程度の広さは確保しておいたほうが安全か」
「あくまでも、今のティファなら『多分、恐らく、きっと』その程度だし、それすら『だといいなあ』、だものねえ」
「一度も最大出力でぶっ放してないもんなあ。しかもまだまだ魔力が絶賛成長中で、その上発動体まで作るからなあ。その状態で訓練して魔力効率と出力が上がるとなると、どんだけ広くても安心はできないだろうなあ……」
ユウが出した結論に、ミルキーとロイドが同意しつつ追い打ちをかける。
そもそも、春の時点で発動体も何もなしで、アルトの外壁をぐるりと囲むように五重の結界を張って魔力が半分程度しか減らなかったのだ。
そこからすでに半年以上経過して体の成長とともに魔力が増えている上、ティファの攻撃魔法はとにかく規模と威力が拡大する傾向がある。
どれほど安全マージンを取ったところで、とても安心できない。
「ということだが、可能そうか?」
「それ自体は問題ありませんが、凄まじい話ですなあ……」
「今のところ、制御そのものはきちっとできているから問題ないのだが、なぜか一定以下の出力に絞ることができん。出力をどこまで絞れるかも現状の魔力量に依存しているようで、日によって最低威力が違う始末だ。それだけに、そろそろ試射をする場所にも困り始めていてな」
「「「は、はあ……」」」
あまりに現実味のないティファの現状に、思わず戸惑いの声を上げるインフィータの人達。
時折大魔力に振り回されて出力が安定しない魔法使いは出てくるが、さすがに危険すぎて最大出力を試せない、などという領域の魔法使いは聞いたことがない。
「ダンジョンの中で試射、というのは……」
「狭すぎる。どう頑張ったところで、自分達が巻き込まれるな」
「ですか……」
なぜかブティックのオーナーが口にした質問に、端的に致命的な問題を提示するユウ。
ダンジョンならコアが無事である限り、ティファの大出力であろうと崩落するということはないだろう。
が、ダンジョンそのものは崩落しなくても、自分達が間違いなく効果範囲に入ってしまうし、破壊可能な物体が存在していればそれらの破片が凶器となって降り注ぐ可能性もある。
残念ながら閉鎖空間である以上、どう頑張っても自分達を巻き込まないようにぶっ放すことはできない。
「あと、これは恐らくどんな冒険者にも有用だと思うが、ダンジョンで発生する可能性がある環境をすべて再現でき、安全に対策を試せるフィールドがあると助かる」
「ああ! それは確かに!」
「確か、チュートリアルダンジョンは致命傷が確定した時点で、元の状態に巻き戻されてダンジョンの外に放り出される仕様だったと思うが、同じような指定は可能か?」
「もちろんです! たとえ溶岩に落ちたとしても、問題なく安全に巻き戻せます!」
ユウの指定に、興奮気味に断言するリゾートブロックの支配人。
その様子に、ユウが怪訝な顔をする。
「これぐらいのことは、誰かが思いついていそうなものだが……」
「残念ながら、どういうわけか出てきませんで……」
「恐らく、あの死にざまで復活なんてできるか、という固定観念でしょうなあ……」
不思議そうに言うユウに対し、遠い目をしながらそう推測を口にする支配人と副町長。
ベテランであればあるほど、溶岩や毒ガス、地崩れなどもチュートリアルダンジョンと同じ仕様で死亡回避ができるとは思えないのだろう。
「なあ、バシュラムさん、ベルティルデさん。そういうものなのか?」
「慣れてりゃ慣れてるほど、難しいだろうなあ。俺も何度か火山エリアや雪山エリアなんかで仲間を死なせちまってるが、あれで死亡確定だから巻き戻しますって言われても、できるのかって疑いたくなるような死にざまばかりだったしな」
「そうね。毒関係にしても、六十層くらいからだと毒っていうより腐食って言ったほうが正しいような、浴びただけでどんどん腐って溶けていく猛毒のほうが多いくらいだったし」
「なるほどな」
ユウに振られて、己の経験をもとに推測を肯定するバシュラムとベルティルデ。
この一年と数カ月、ユウに付き合ってふり回され続けたバシュラムとベルティルデは、ユウがしたような提案を普通に思いついていた。
が、ユウと出会う前だったら、恐らく同じことを聞かれても思いつかなかったに違いないという自覚はある。
「固定観念ってのは強いからなあ。そもそも、ユウがティファの嬢ちゃんに水の上を走らせようとするまで、誰も今回の訓練施設設立を思いつかなかったってことで分かるだろう?」
「あのね、バシュラムさん。訓練施設の設立とユウさんがティファを湖で鍛えようとしたこととは、分けて考えたほうがよくない?」
「明言されてなかったってだけで、普通はマナーの問題でリゾート地であんな風に暴れたりはしないからなあ」
「あう……」
バシュラムに突っ込んだミルキーとロイドの言葉に、何の疑問も覚えず水の上を走ろうと頑張っていたティファが、思わず小さくうめく。
当たり前の話だが、リゾートブロックは遊ぶための場所であり、いくら環境がよかろうと訓練で派手に暴れる場所ではない。
普通は許されて、ジョギングくらいだろう。
「話を戻すとして、ティファ達は何か思いつくことはあるか?」
「そうですね。せっかく広い空間を用意するなら、足場が悪かったりアップダウンが激しかったりする長い距離の道、というのが欲しいです」
「ふむ。長時間移動する訓練にか」
「はい。単に足場が悪いだけじゃなくて、重い荷物を持ったまま長距離歩いたあとで飛び石を跳んで渡ったりとか、そういう練習をできるようにしていただけるともっといいかな、と」
「まだその手の訓練をさせたことはなかったが、どこからその発想が出てきた?」
「えっと、ずっと足腰を鍛えてきましたし、夏に湖で練習したのが飛び石を跳ぶような感じだったので、そういうのもフィールドワークを続けるなら必要になるのかなって」
ユウに問われて、正直に発想の根拠となった事柄を説明するティファ。
ティファの説明を聞いて、ふむ、と頷くユウ。
「まあ、間違ってはいないな。もっとも、ティファに関してはそこまでしっかり訓練をしなくとも大丈夫ではあるが」
「えっ?」
「内気功も外気功も一定以上のラインで納めているからな。もう少し腕が上がったら神龍闘技術の基礎ともいえる歩法を教える予定だから、それを身に着ければ足場についてはほとんど影響がなくなる」
「そんなすごい歩き方があるんですか!?」
「ああ。極めれば、音速だって簡単に超えられる。無論、水の上を走るぐらいは余裕だ」
淡々と説明するユウに対し、その内容に目を輝かせるティファ。
音速はともかく、水の上を簡単に走れるようになるというのは、それはもうすごく魅力的である。
「ねえ、バシュラム……」
「俺は突っ込まねえぞ。今更音速ぐらいで突っ込んでたまるかってんだ」
とんでもないことをあっさりと言ってのけるユウに対し、ベルティルデとバシュラムが何とも不毛なやり取りをしている。
実際問題、人間をやめている方向においては、今更ユウが何をどうしようと驚くに値しない。
そもそもの話、ティファがトンデモ過ぎて目立っていないだけで、ユウの全力に関しても今まで一度も発揮されたことはない。
『堕ちた遺跡』で中級魔神とやりあった際はピンチになっていたが、あれは装備の相性の悪さに加えまったく戦力にならない足手まといを多数抱えていて、防御以外ではとても全力を出せる環境ではなかった。
そんな状況なのだから、今さら何が出てきたところで活かす機会がなかったのだろう、で終わってしまう話でしかない。
「歩法に関しては置いておくとして、ティファの案も用意しておいたほうがいいのは間違いないな。どうにもここの冒険者は、そのあたりを軽く見ている気がしてならん」
「そうねえ。アルベルトさん達に聞いた話でも、ちょっとアップダウンが続くとバテる冒険者が多いみたいだし」
「ってか、チュートリアルダンジョンに初めて入った時に遭遇したやつ自体、ダンジョンってのになんか舐めた態度だったしなあ」
「いくら死なないチュートリアルダンジョンだっていっても、戦士系のソロでチャレンジしててあの態度って、舐めてるにもほどがあったわよねえ」
ユウの意見に同調し、今までダンジョンの受け付けやチュートリアルダンジョンで見た冒険者達を基準に、自分達の体力不足を棚に上げて言いたい放題言うミルキーとロイド。
体力に関してはどの口がという二人ではあるが、ダンジョン内での立ち回りに関しては言うだけのものがあるのが、言われる側にとって残念な点であろう。
いくら規格外の師匠に鍛えられているとはいえ、本業ではない上に見習いの年齢の子供達に心構えの面で劣っているというのは、たとえ新米冒険者といえども恥でしかない。
なお、ティファに関しては、いかに見習い未満の年齢といえど負けるのが恥だとは誰も言わない。
それを言い出せば、冒険者の過半数は再起不能になる。
「言われてみれば、そのあたりの基礎的な鍛錬をするための環境が、今までありませんでしたな。これは盲点だったので、帰ったら町長にも一言言っておきましょう」
「そうですね、お願いします。基礎トレーニング用のフィールドは訓練以外の用途にも使えそうですので、設置後はそのあたりの企画も立ててみます」
副町長の言葉に頷きつつ、リゾート経営の立場からそんな考えを口にする支配人。
「あの、私は冒険者の経験がないのでよく分かってないんですが、訓練所ではそういった訓練はできないんですか?」
「訓練所は武器の扱いや模擬戦、罠関連の訓練などがメインでして、走ったり飛んだりといった訓練はそれほどでもないのですよ」
「そうなんですか。素人考えで恐縮なのですが、私のような商売人からすると、そういう基礎トレーニングは常識の範囲だと思っていたのですが……」
「町長の年代の方は『習うより慣れよ』や『教わるな、盗め』の感覚が強い方が多いからか、経験が浅い人間は大半が言われなければ思いつかない、ということに気がつかないのですよ」
副町長とリゾートブロックの支配人の会話を聞いていたブティックのオーナーが、素人の立場から不思議に思ったことをズバリ質問する。
それに対して答えつつ、自身も陥っていた問題点をため息交じりに告白する副町長。
厄介なことに、ベテランほど基礎鍛錬の重要性を知っているからこそ、やって当然と思ってそのあたりのことを後輩に教えない傾向がある。
ユウやバシュラムのように、弟子に基礎鍛錬を徹底させる師匠は案外少数派なのだ。
「ミルキー達は、何かあるか?」
自分達の話に没頭し始めたインフィータ組を放置し、突っ込み兼良心というポジションに収まっているミルキーとロイドにも、念のため話を振る。
さすがにアルトに来てからもう少しで丸二年となれば、ユウも自身が様々な面で致命的に周囲とずれている自覚ぐらいは持っている。
が、どこがどうずれているかまでは理解できておらず、さらにバシュラム達も最近はあまりその手のことを突っ込んでくれなくなってきている。
なので、ちゃんと一般人目線や駆け出し目線での指摘を入れてくれるこの二人の意見は、なんだかんだで重宝しているのだ。
「そうねえ。まず、あんまり一気にあれもこれも新しいものを増やしても、って思うから、まずは今出てきたものを用意してもらってから、って感じかしら」
「正直、実際に使ってみないと、良し悪しの判断も難しいしなあ」
「あっ、でも、死亡回避はダンジョンの環境再現エリアだけじゃなくて、追加エリア全部に標準仕様として付けたほうがいいんじゃないかしら?」
「ああ、そりゃそうだよなあ。広い場所使う訓練の中には、危ないものも結構あるし」
ミルキーの指摘にロイドが同意し、全員がそれもそうかという表情を浮かべる。
特にティファが提案した足場が悪くアップダウンが激しい道というのは、足を取られて転倒した結果、勢いよく転がり落ちることもありうる。
そうでなくても転倒すると頭を打ったりして命を落とす危険があるのに、転がり落ちるとなるとさらにその危険性は跳ね上がる。
過保護かもしれないが、単に走る以外のこともする可能性がある以上、かけられる保険はかけておくに越したことはない。
「とりあえず、こんなところじゃねえか?」
「そうね」
ミルキーの意見で今出せるものは大体出揃ったとみて、バシュラムとベルティルデが話をまとめにかかる。
「それで、俺達は飯食ったら二十層あたりで肩慣らしの予定だったんだが、この後もまだ何か時間のかかりそうな話があるか?」
「私の予定は、ポスター撮影とそれに関する契約の話だけですね。お二人はどうですか?」
「副町長のほうで何もないのであれば、私のほうはこれで終わりです」
「役所としての予定も、以上で終わりですな。皆様が必要とされる素材に関しましては、ポスターの契約のほうで話し合ってくだされば、役所として全力でバックアップさせていただきます」
バシュラムに問われ、終わっていない話を告げるインフィータ組。
バシュラムはそれを聞いて一つ頷き、ユウのほうに視線を向ける。
「だとよ。問題なければ契約関係の話を進めちまったらどうだ?」
「ああ。とっとと話を進めるぞ。いい加減、腹が減った」
「あ、そうでした、一つ忘れていました。本日ひな型をいただいた件ですが、実際の拡張作業と調整に一日ほどかかりますので、実際に試せるのは明後日以降になります。その時にまた、実際に体験していただいてご意見をいただければと思いますが、よろしいでしょうか?」
「分かった。明後日にそっちに行こう。他にはないか?」
「いえ、それだけです。それでは、あとはお願いします」
「承りました。それでは、長々と申し訳ありませんが契約のほうに移りましょう」
リゾートブロックの支配人にあとを任されて一つ頭を下げ、そのまま契約書のひな型を取り出して説明を始めるブティックのオーナー。
契約の内容に不審なものもなく、報酬も妥当だということで、ほぼ署名だけで話が終了する。
その流れで集める予定の素材リストを見せて、時期や期間の問題で必要量の入手が難しいものを確認し、手配してもらう。
なお、この時点でリゾートブロックの支配人と副町長は帰っているが、特に用事があるわけでもないので全員スルーしている。
「ダラクトトレントの枝はこの時期無限回廊での入手は非常に難しいので、こちらで手配をかけておきますね」
「ダンジョンで手に入れづらいのであれば、手配をかけても数が集まらんのでは?」
「そうでもないんですよ。ダラクトトレント素材は人気がありますが、別に希少素材というわけではありませんし、九月から十一月にかけてはダラクトトレントの出現率も高いですし」
「なるほど。今はシーズンを過ぎているから無限回廊で手に入れづらいだけで、在庫自体はたっぷりあるわけか」
「はい。年間通して需要がありますので、使う店はどこもたっぷり在庫を確保していますよ。それに、出現率が激減しているだけで、年が明けるまではまだ無限回廊に出ますし」
やはり地元の商売人というべきか、よそ者ゆえにどうしてもいろいろ疎いユウ達に、いろんな情報を教えてくれるオーナー。
「ああ、そうそう。このあと食事が終わったら、無限回廊に行く前に一度、当店へと足を運んでいただけたらと思います」
「えっと、どうしてですか?」
「皆様に、この時期の無限回廊で必要だったり役に立ったりする服や小物を用意しますので」
「いいんですか?」
「これも契約ですので、遠慮せず持って行ってください」
不安そうにするティファに対し、笑顔で言い切るオーナー。
その後食事を終えて店に立ち寄った際、なぜかきっちり採寸をされて上から下まで一式、新しい服を押し付けられるティファであった。




