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第5話 トライオンの風物詩





「お疲れさまでした」


「ぜえぜえ……」


「はあはあ……」


 ユウがミルキーとロイドの二人を鍛え始めてから一カ月半。そろそろ季節が初夏に移り変わった頃の麗しき古硬貨亭。


 どうにか整理運動を終えてへたり込み、荒い息でぐったりしているミルキーとロイドに対し、平常運転で終了の挨拶をするユウとティファ。


 なんだかんだで一カ月あれば結構鍛えられるもので、ミルキーもロイドも数キロを休憩なしで走り切れるだけの体力と脚力を身に着けていた。


 もっとも、走れるようになったといったところで、公園から麗しき古硬貨亭まで休憩なしで走り切れるという程度であり、さすがにまだユウ達の訓練に最初から最後まで付き合えるほどではない。


 なので、現在は公園で集合してユウとティファの訓練を見学しながら準備運動、終わってから一緒に走って帰る、というやり方で参加している。


 当然その程度でユウが満足するはずもなく、どうにかしてもっと体力をつけさせねば、と虎視眈々と狙っているのは言うまでもない。


「まあ、まだ無理はさせんほうがいいか」


「あ~、ユウさんユウさん。二人のことはもうちょっと長い目で見てあげようね~」


 物騒なことをつぶやいたユウに対し、店の前を掃除していたカレンがそう窘める。


 これもまた、最近ではいつもの光景になりつつあるやり取りだ。


「それで、今日はユウさんは学院? それとも何かお仕事する?」


「仕事だな。まあ、時間が余れば学院に顔を出して付与の訓練もするが」


「はーい。だったら昨日、ちょうどいい仕事が入ってきてるから、お願いしていいかな?」


「内容による」


 へたり込んでいるミルキーとロイドを放置し、カレンとそんな話をしながら朝食のために中へと入っていくユウ。


 その後ろ姿を見送りながら、先輩達が動けるようになるまでその場で待つティファ。


「はぁはぁ……いつも言ってるけどっ、……先に中にっ、……入ってていいのよっ……?」


「えっと、その……」


「まあっ、……気を使ってっ、……くれてるのは分かるんだけどっ……、なんとなくっ、……この構図ってっ、……非常に情けなく映るっつうか……」


「……被害妄想だって分かってるんだけどっ、……なんとなく微妙な視線がバシバシ飛んできてちょっとね……」


 どうにか息が整ってきたところで、実に情けない表情でティファに思うところを告げるミルキーとロイド。


 そもそもこんな台詞を言っていること自体が情けないのだが、言わなければティファに伝わらないので仕方がない。


 今までが今までだからか、それとも師匠の影響か、ティファはどうにもプライドとか面子とかそういったものに疎いところがある。


 これが師匠のユウの場合、自身の面子だなんだには大して重きを置いていない割に、相手のそういう部分にはちゃんとある程度気を使っているのだが、ティファはまだまだ師匠のそういう部分までは理解できていないようだ。


 もっとも、こういうのは年齢や社会経験が大きく絡む部分もある上、ティファのお手本になっているユウが世間の常識に疎く気を使うポイントがずれていたりするのだから、その都度こうやって言い聞かせながら長い目で見るしかないだろう。


「坊主達も大変だなあ……」


「バシュラムさんは他人事だからいいよな……」


 裏庭で素振りをしていたらしく、武器を片手に汗を拭きながら表通りに出てきたバシュラムの言葉に、恨みがましい目を向けるロイド。


 こういう情けない姿を見られた上に同情されるというシチュエーションは、思春期の少年少女にはなかなかこたえるものがある。


 ゆえに、つい八つ当たり気味にバシュラムに恨み言を言ってしまうのだ。


 結局のところ、単なるひがみである。


「そりゃ、他人事だからな。ただまあ、逃げ足は鍛えておいて損はないぞ?」


「分かってるわよ、そんなこと……」


 他人事だと言いながらしっかりユウと同じアドバイスをしてくるバシュラムに対し、ミルキーがため息交じりにそう返す。


 実際二人とも、バシュラムに言われるまでもなく、特訓そのものについては納得している。


 ただただ、この状況が情けないだけだ。


「ティファの嬢ちゃんはさっさと中に入ったほうがいいぞ。そろそろ通いの冒険者達が来る頃だから、そこに居られると入りづらい」


「あっ、ごめんなさい!」


 バシュラムの指摘に、大慌てで中に入っていくティファ。それを見送った後、バシュラムがようやく立ち上がれるようになったミルキーとロイドに声をかける。


「目立ちたくないんだったら、明日からは裏庭まで頑張って歩いてからへたり込んだらどうだ? ティファの嬢ちゃんはともかく、通りすがりのギャラリーの目は避けられるぞ?」


「……そういうことは、早く言ってよ……」


「これぐらい、自分で気がつくかと思ってたんだよ。で、いつ気づくかって待ってたら、一向にその気配がないからなあ……」


「「うっ……」」


 呆れたようにバシュラムに言われ、言葉に詰まるミルキーとロイド。


 観察力と思考力と発想力が重視される付与魔法使いの見習いとして、これはものすごく恥ずかしくて情けない。


 はっきり言って、年齢一ケタの子供に体力で惨敗するより情けないと言っていい。


「で、だ。恥ずかしいってのも情けないってのも分かるが、体力に関しては焦っても仕方ねえよ。コツつかんだり発想が伴ったりすれば一足飛びに上達することもある技とか魔法とかと違って、時間かけてコツコツと積み重ねるしかない」


「そりゃ分かってんだけどなあ……」


「ティファの嬢ちゃんは、それこそ病み上がりと言っていいような体から、時間かけてじっくり体調整えながら一年以上かけて今の体力を身に着けたんだ。当然、お前さん達も同じぐらいの時間はかかるさ」


「一年も、って思うと憂鬱だわ……」


「しかも、それで追いつけるわけでもないんだよなあ……」


「心配しなくても一年なんてあっという間だし、一年なんて誤差、ってぐらいになったら、そんなに変わらなくなってくるよ」


 バシュラムに諭され不承不承で頷き、ため息交じりに立ち上がって麗しき古硬貨亭に入っていくロイドとミルキー。


 それを見送ったバシュラムが、苦笑を浮かべながらポツリとつぶやく。


「若いねえ……」


 そのいろんな感情の混ざったバシュラムのつぶやきが聞こえたらしく、一部始終を生温かい目で見守っていた周囲の人達も同意するように頷く。


 ロイドとミルキーの見習いらしい反応は、いい年齢となった彼らの中に眠る甘酸っぱい何かを刺激しているらしい。


 ティファの場合はユウが面倒を見始めた最初の数日こそ焦りのようなものを見せていたが、最終的には十日も経たずにどうにもならないと悟って諦めていた。


 その様子は当時のティファの境遇と相まって、甘酸っぱさなど欠片もないどころかむしろ痛々しさを感じさせるものであり、周囲としてはハラハラしながら心を痛めるしかなかった。


 それに比べれば、ロイドにしろミルキーにしろ、実に平和なものである。


「まっ、しんどいからやりたくない、って駄々こねるよりはいいか」


 そう結論を出して、朝食に向かうバシュラム。


 今日も麗しき古硬貨亭は平和であった。






     ☆






「なるほど、家畜の被害か」


「うん。柵とかに一切破損がないし、今まであったのとは被害の出方も違うから、この辺にほとんど居ない飛行型モンスターの仕業じゃないかって疑ってるみたい」


「ふむ。……モンスターの目撃証言は?」


「特にないみたい。まあ、あったら怪我人が出てるはずだから、当然だろうけど」


 バシュラムが中に入ると、ユウとカレンが朝食を取りながら仕事の打ち合わせをしていた。


「その内容だと、デーモン種の可能性も否定しきれんな。被害の発生時刻と件数は?」


「正確な時間は分からないけど、朝と昼の食事時に発生してるみたい。件数は依頼が来た時点で五件。最初の被害が出た時点ですぐ依頼を出すのは決まったんだけど、依頼を出す準備をしてるうちに被害が広がったんだって」


「なるほどな。依頼が届いたのは昨日か?」


「うん。昨日の夕方。さすがに時間が時間だし駆け出しの人達しかいなかったから、今から冒険者を派遣するのは無理、って伝えたら納得はしてくれたよ。戻ってくるのを待って依頼受ける手続きしてってやってたら、門が閉まるのが確実って時間だったし」


「そうか。依頼人は?」


「そのままとんぼ返り。自分の家畜が心配だったみたい」


 カレンの話をメモしながら、一つ頷くユウ。


 依頼そのものには特に怪しいところもなく、また、マスターとカレンが揃って依頼人を疑っていないことから、そっち方面の問題もないと判断する。


「では、すぐにでも現地に向かったほうがよさそうだな」


「すごく安いお仕事だけど、お願いしてもいい?」


「ああ」


「そっか、ありがとう。うちとしても肉類の仕入れ先だから、できるだけ被害が広がる前に解決したかったんだよ~」


「ならば、なおのこと急がねばな」


 内容的に、できるだけ急いだほうがいいと判断したユウが、食事を続けながら受注手続きを進める。


 ユウがサインをしたところで、依頼票を受け取ったカレンがマスターにチェックを頼む。


「問題ありません。それではお願いします」


「ああ」


「私は日直で早めに学校に行かなきゃいけないから見送りはできないけど、気を付けてね」


「分かっている。……そうだ、マスター。通信機を借りていいか?」


「構いませんが、どこと連絡を取るのですか?」


「学院とだ。今回の件、恐らくティファを連れて行ったほうがいい」


「……ふむ。理由をうかがっても?」


「あくまでもこれは俺の勘だが、高出力の結界を張っておかねば、今後も被害が続く可能性が高い」


「なるほど」


 ユウが告げた理由を聞き、納得するマスター。


 現在麗しき古硬貨亭にいるマジックユーザーで、高出力の結界を張れる人員はティファだけだ。


 所属している冒険者、という括りならば深紅の百合のフィーナを含め数名いるが、残念ながら今日は全員が日をまたぐ仕事に出ていて不在である。


 なので、今回はティファ以外の選択肢がない。


 なお、単なるユウの勘、という部分については、あえてわざわざ突っ込まない。


 ユウに限ったことではないが、ベテランや実力者の勘というやつは高確率で何かがあり、納得して従っておいたほうが無難なことが多いのだ。


「そういうわけだからティファ、ついてきてくれるか? 当然、報酬は頭割りだ」


「はい!」


 ユウが隣で黙って朝食を食べていたティファに話を振ると、嬉しそうに元気よく同意の声が返ってくる。


 ティファとしては戦力として当てにしてもらえるだけで嬉しいので、正直報酬の分け前はいらないのだが、ユウはこういうことにうるさいので最近は黙ってもらっておくことにしている。


「ねえ、ユウ。それって、精霊に常駐してもらうのでは、駄目なのかしら?」


 それまでのやり取りを黙って聞いていたベルティルデが、そんなふうに口を挟む。


 被害を阻止する観点で考えると、柔軟性に優れる精霊の力を借りたほうが確実ではないかという気がしたのだ。


「何とも言えんところだが、少し引っかかるものがあってな。俺が思っている通りだったとすれば、高位対物結界、それも対大型モンスター用の頑丈なやつで正面から物理的に阻まねば駄目だ。」


「それなら、私の使える精霊魔法では厳しいわね。そのクラスになると、下手をすると精霊王の力を借りる必要があるし」


「だろうな。まあ、それ以外にも、ティファのほうが都合がいい理由があるのだが」


「ティファちゃんを連れていくほうが都合がいい理由? それは何かしら?」


「簡単な話だ。時間がもったいないから、現地まで飛んでいくためだ」


 ユウの告げた理由に、今度こそ全員異を唱えるのをやめる。


 そもそも、このアルトに住んでいる人間で空を飛べるのは、現時点ではユウとリエラくらいしかいない。故に、他の人間がついて行く、という選択肢はほぼ封じられる。


 恐らくベルティルデもやろうと思えば飛べるのだろうが、残念ながら今まで空を飛ぶ機会がなかった。


 なのでぶっつけ本番で飛行ということになるが、さすがにあまりにもリスクが大きいので、少なくとも今は避けるべきであろう。


 かといって、ユウが抱えていくとなると、ティファはともかくベルティルデはいろいろと問題があるし、そんな大人数を抱えて飛べるほど、ユウの飛行能力は高くない。


 結局のところ、最初からティファ以外に選択肢がなかったのだ。


「……いろいろ気になることはあるけど、もう学校行かなきゃだから、細かい突っ込みはバシュラムさん達に任せるよ。行ってきます」


「ああ、いってらっしゃい。カレンの嬢ちゃんも気を付けてな」


 後ろ髪を引かれながらも仕方なしにさっさと学校へと出発するカレンに、バシュラムがそう声をかけて送り出す。


 カレンが店を出ていくのを見送った後、黙って出された朝食を食べていたミルキーが口を開く。


「結界が必要だってのは分かったけど、冒険者の仕事なんでしょ? ティファを連れていくのは危なくないの?」


「原因が俺の予想通りなら、それに関しては問題ない。ティファなら余裕で身を守れるし、最悪防御魔法をかければ封殺が可能だからな」


「ティファの嬢ちゃんは魔法抜きでも、そんじょそこらの中堅より防御が上手いからなあ」


 ミルキーの疑問にユウが力強く断言し、バシュラムが同意を示す。


 トップクラス二人の太鼓判に、とりあえずそれ以上は突っ込みを入れないことにするミルキー。


 この一カ月、ティファの驚異的な魔力量と出力を散々見せつけられているので、防御魔法をかければ封殺可能というのは普通に納得できる。


「でもさあ、そういう家畜の被害って、なかなかえぐい見た目になってるんじゃないか?」


「あの、わたし農村出身なので、家畜の屠殺解体とかには慣れてますから」


 ロイドの懸念を、実に分かりやすい理由で一蹴するティファ。


 ティファの出身地であるトルティア村はさほど酪農が盛んな村ではないが、それでも村で消費するくらいの家畜は飼育している。


 その関係でそれなりの頻度で家畜を解体して肉にする作業をしており、その際には子供達も簡単な手伝いをするのが普通で、必然的に解体作業も解体途中の家畜の姿も見ることになる。


 場合によっては狼などにかじられた家畜を見る機会もあるわけで、都会育ちのロイドやミルキーと違ってそのあたりの耐性は十分にあるのだ。


「学長先生と連絡が付きました」


「そうか。では……」


「ああ、話はこちらで済ませておきましたよ。後でティファさんを連れて報告に来てくれればいいそうです」


「分かった。手数をかけたな」


「いえいえ。安い報酬で厄介な仕事を押し付けたのですから、これくらいはね」


 そう言いながら、二人分の弁当を差し出すマスター。


 正直な話、今回の依頼は店としてもほとんど利益がなく、リエラへの連絡ですでに赤字なのだが、先ほど依頼の説明でカレンが言ったように肉類の仕入れという切実な問題が絡んでいる。


 ここで解決しておかねば、この程度の赤字など問題にならないくらいの損失が出る。


「さて、ティファのほうも準備ができたようだし、行ってくるか」


「なあ、念のために聞いておきたいんだが、ユウは今回の原因は何だと思っているんだ?」


「想定されるモンスターは二種。デモンバードとリープウルフ。どちらも人に目撃されると能力が激減するタイプのモンスターで、姿を消したり転移を行ったりしての不意打ちに特化している。が、今のティファはデーモン種の転移を余裕で察知できるから、こいつらごときは問題にならん」


「リープウルフってのは初めて聞くモンスターだな。そんな厄介なやつ、このあたりにいたか?」


「このあたりに生息しているすべてのモンスターを知っているわけではないから何とも言えんが、気がつかんうちに他所の地域から移ってきた可能性は否定できん。透明化して擬態するタイプほどではないが、非常に発見しづらい生態をしているからな」


 ユウの言葉に、それもそうかと納得するバシュラム。


「これも聞いておきたいんだけど、聞く限りではやっぱり精霊に常駐してもらえば十分な気がするんだけど、駄目なの?」


「精霊の対処能力と持続時間、相手の個体数によるな。デモンバードなら数羽だろうが、リープウルフの場合群れが近場に定住しているのであれば、最悪で同時に数百頭を相手にする羽目になるし、期間も数カ月は見ておく必要がある」


「……さすがにそれは無理ね。でも、リープウルフって名前から察するに短距離転移をするタイプのモンスターなんでしょ? 対物結界で大丈夫なの?」


「理屈は知らんが、やつらの転移能力は高位の対物結界を抜けることができん。建物の壁などは無意味だが、結界があるとそこに衝突して落ちる。まあ、対大型用の頑丈な高位結界でなければ耐久力が足りずにぶち抜かれるのだが」


「……また、妙な性質を持ってるのね……」


「モンスターだからな」


 ユウの説得力があるのかないのか分からない言葉に、思わず納得してしまうベルティルデ。


 余談ながら、ユウはわざわざ説明していないが、リープウルフの転移能力は、低位の普通の対物結界では防げずそのまま透過されてしまう。


 が、増幅器などを使って出力を上げれば防げるようになるので、鉄壁騎士団ではランクではなく出力と強度が重要なのではないかと考察されている。


「さて、他に確認しておくことはあるか? ないなら出発する」


「わたしは特には。手順とかは移動しながらで問題ないですし」


「俺達は今回は関わらないからな。これ以上話を聞く意味もねえか」


「そうね。あっ、一応風の精霊をつけておくから、手が必要になったらすぐに連絡お願いね」


「分かった。ベルティルデさんの厚意に甘えて、必要になったら遠慮なくこき使わせてもらおう」


 ベルティルデの言葉が終わると同時に、ユウとティファの周りをなにがしかの気配が飛び回る。


 精霊使いなら、複数の風の精霊がユウとティファを守るように飛び回っているのがはっきり見えるだろう。


 風の吹かない屋内で風の精霊を扱えるというだけでも、ベルティルデがとてつもなく腕の良い精霊使いだということがよく分かる。


「では、行ってくる」


「行ってきます」


 そう言って麗しき古硬貨亭を出て、一番近い門まで走っていくユウとティファ。


 朝の訓練で長距離走っているというのに、その疲れを感じさせない軽快な走りだ。


 それを見送ったロイドが、ぽつりとつぶやく。


「飛んでいくって言ってたから外に出てすぐ飛ぶのと思ったら、普通に門まで走るんだな」


「門を出た記録をつけておかないと、後で困るからでしょ?」


「そういうところは律儀なんだよなあ、あの人」


「やることなすこと常識外れだから勘違いしそうになるが、ユウは基本的に、緊急事態でもない限り法やルールは守ってるぞ」


「そうなのよね。付与魔法の実技にしても、まずはちゃんと正攻法で何度か試して、それで上手く行かないときに限ってルール違反にならない抜け道を探す、って感じだったし」


 ロイドの実に失礼な感想に対し、バシュラムとミルキーが二人がかりで突っ込む。


 普段はどちらかというといじる側のロイドだが、さすがにここでは分が悪いようだ。


「で、お前さん達はまだ学校に行かなくていいのか?」


「これを食べて一休みするくらいの時間はあるわ」


「カレンさんみたいに日直ってわけでもないし」


「そうか。あんまりのんびりしすぎて、遅刻するんじゃねえぞ」


「言われなくても、そんな恥ずかしい真似はしないわ」


 そんなことを話しながら席に戻る一同。


 すると、食べかけだったパンをちぎって添えられているバターをつけ、上品に口に運ぶミルキー。


 その動きは先ほどまでより軽快だ。


 先ほどまでは運動の直後だったこともあって食が進んでいなかったが、ようやくまともに食べられるようになったらしい。


 十分ほどかけて、ティファのものより五割ほど多い(といっても、十二歳の女の子としては普通くらいの量である)朝食を平らげる。


「ごちそうさまでした」


「はい、お粗末様でした」


「今日も美味しかったわ。いつもありがとう」


 食べ終えた食器を乗せたプレートをカウンターの向こうにいるマスターに渡し、にっこり微笑みながらそう告げるミルキー。


 日頃はロイドのちょっかいもあってすぐにきゃんきゃん吠える印象があるミルキーだが、基本的にいいところのお嬢様だけあってか、こういうところのしつけは行き届いている。


 その後ろでは、ようやくお茶を飲み終えたロイドが、プレートに食器を乗せて運ぼうとしている。


「そろそろ学院に行くわよ、ロイド」


「分かってるって。ちょっと待てよ」


 ミルキーにせかされ、食器をマスターに手渡そうとするロイド。


 そのタイミングで軽い地響きが。


「えっ? 何?」


「地震か?」


 大した揺れではないとはいえ、めったに地震など起きないアルトで起こった揺れに対し、戸惑いを隠せないミルキーとロイド。


 そのタイミングで、ベルティルデが口を開く。


「ユウから連絡よ。たった今、アルトガルーダを叩き落したそうよ」


「今のはそのせいか。ってことは……」


 バシュラムの言葉が終わるより早く、アルト中で警報が鳴り響く。


「だよなあ」


「ちょっと待ってよ! 出て行ってから十分ぐらいしかたってないじゃない! なんでもう戦闘してるのよ!?」


「門を出る手続きを考えたら、アルトを出てすぐってぐらいだよな……」


「ユウとティファの嬢ちゃんだからな。そのあたりは気にしてもしょうがない」


 いきなりの事態に驚くミルキーとロイドに、思わず生ぬるい目を向けてしまうバシュラム達。


 すでにこの店に出入りする冒険者にとっては驚くに値しないことではあるが、やはり付き合い始めてから日の浅いミルキー達からすれば、驚きの要素のようだ。


 方や、九歳の少女が戦闘に駆り出されていることについては、魔神関連のあれこれを知っているのでミルキー達ですらまったく気にしていなかったりする。


 なお、アルトガルーダを落としたことには驚きもしていない、という点には誰も突っ込む気はないらしい。


「……そうね、ユウさんとティファだものね。で、それはそれとして、前々から思ってたけど、警報、遅くない?」


「去年も同じパターンで不発だったんだよなあ」


「目視してからだから、しょうがないわよ。それに、今年は不発ってことはないわ」


 意味深なことを言うベルティルデに対し、どういうことだという視線が集まる。


「ユウによると、あと三羽ほどこっちに向かってきているそうよ。うち一羽はユウをロックオンしているそうだから、残り二羽を何とかしてほしい、だって」


「なるほどな。だったら準備しておくか」


「そうね」


 地図に何やら書き込んでいるベルティルデの報告を聞き、対空装備を取りに席を立つバシュラム。そのバシュラムに付き合って席を立ったベルティルデが、マスターに地図を渡す。


「多分、その印を入れたあたりにアルトガルーダが落ちてるから、解体のための人員を回してもらえるかしら?」


「分かりました。手配しておきます」


「それにしても、今年は例年より早い上に数が多いのね」


「だなあ。……いや、待てよ。もしかして……」


 ベルティルデの言葉に、何やら思いついたらしいバシュラム。


 だが、すぐに首を左右に振ってその考えを追い出す。


「まずは目先のガルーダだ。半分はユウが落としてくれたつっても、それでも二羽いるんだからな」


「そうね。招集がかかる前に陣取って、さっさと地面に叩き落しましょう」


 そう言いながら、互いの装備を取りに奥へと消えるバシュラムとベルティルデ。


 それを見送ってから、ロイドがポツリとつぶやく。


「こりゃ、今日は少なくとも、半日は学院は休みだな」


「そうね」


 ロイドの言葉に、苦笑しながら頷くミルキー。


 アルトガルーダが来ると対空火力として根こそぎ教師が動員されるため、アルト魔法学院では授業ができなくなるのだ。


「それで、私達はここで自習をさせてもらっていても、かまわないかしら?」


「ええ。今から学校や自宅へ向かうのも危険ですから、ここでおとなしく勉強していてください」


「ありがとう」


「ただ、付与魔法の練習をするのは構いませんが、できるだけ失敗しても店に被害が出ないものでお願いしますね」


「いくらなんでも、上位者の付き添いもなしにそんな難しいことしないわよ」


 マスターの指定に、むっとした表情を浮かべながらそう反論するミルキー。


 そのミルキーに補足するように、ロイドが現実的な問題を口にする。


「つうかそもそも、練習用の材料なんてないから……」


「質が悪いクズ原石でよければ、大量にありますよ」


「どうしてそんなものがって……考えるまでもなくあの脳筋師匠がティファを鍛えるために用意したに決まってるわよね……」


「ご名答です」


 ミルキーがあっさりたどり着いた真相に、にっこり微笑みながらマスターが正解の賛辞を送る。


 それを聞いて、さっきマスターが釘を刺してきたのはユウのせいか、と、これまた正解にたどり着いてげんなりするミルキー。


「……まあ、いいわ。折角あるんだから、使わせてもらいましょ」


「まあ、いいけど。何の練習するんだ?」


「特に機能のない、魔力を一定量貯め込むだけの回路かしらね。これで、不純物の多い素材で魔力をきれいに通す練習をして、どういうときに変質とかが起こりやすいか確認しましょう」


「なるほど。それで、クリエイトデバイスの時にティファにアドバイスする、と」


「べ、べべ、別にそんなつもりじゃなくて、絶対今後必要になることだから、今のうちに練習してきっちり身につけておきたいだけなんだからねっ! ティファのためになんて、これっぽっちも考えてないんだからねっ!」


 ロイドにいじられ、語るに落ちるとしか言いようのない反応を見せるミルキー。


 そんなロイドとミルキーを、青春だなあ、という感じで見守るマスター。


 結局、ミルキーはきゃんきゃん吠える運命から逃れられないのであった。






      ☆






「……アルトのほうは、大丈夫なんでしょうか?」


「確かに主力が出払っていて人員的には心もとないものがあるが、バシュラムさんとベルティルデさんが残っている。相手が飛んでいる以上仕留めきれるかどうかは何とも言えんが、あの二人がいる時点で大きな被害が出ることはあるまい」


 一撃で首をへし折られ、フォーリングコントロールの魔法で緩やかに墜落していくアルトガルーダを見送りながら、そんなことを話し合うティファとユウ。


 麗しき古硬貨亭を出て十分少々、門での手続きなどを終えてアルトを出発してから、わずか十数秒。


 たったそれだけの時間で、ユウとティファは立て続けにアルトガルーダと遭遇する羽目になっていた。


「どちらかというと、問題は最初のやつを手加減なしで上空から思いっきり叩き落す羽目になったことのほうかもしれん」


「そういえば、咄嗟のことで地上の状態をまったく確認していませんでした!」


「ああ、そういうことだ。さらに言えば、あの高さからあの威力で叩き落せば、墜落地点もアルトガルーダの死体も、碌なことにはなっていないだろうな」


「……そうですね……」


 やっちまったという表情を隠そうともせずに己のミスを自白するユウに対し、一瞬慌てそうになってすぐさま手遅れだと悟ったような表情を浮かべるティファ。


 咄嗟のこととはいえ、ちゃんと人がいない方向に向けて叩き落したことは救いだが、かなりの高度を飛んでいるはずのユウ達のところまで土埃が届きそうになったことを考えると、本当に大丈夫だったのかは非常に心もとない。


「あと、この状況だ。依頼主であるゴード村がどうなっているか、非常に不安だ」


「そうですね。急ぎましょう!」


「といっても、もう目視できる位置には来ているのだが……」


 そう言ってユウが視線を向けた先には、大きな牧場がいくつもある立派な村が。


 もっとも、村は立派だが状況は芳しくないようで、遠目にも食い散らかされた牛や羊の死骸がいくつも転がっているのが見える。


「予想通り、リープウルフのようだな。ティファ、結界の準備を。可能であれば、反射結界を張ってくれ」


「はい!」


「リープウルフの気配は把握したか?」


「……えっと、はい! 分かりました!」


 ユウの確認に対し、しっかり頷くティファ。


 気配をとらえてしまいさえすれば追跡そのものは容易で、よく目を凝らせば転移直後に一瞬だけ見せる姿を確認することもできる。


「では、俺が追い払うから、気配が牧場から出たら即座に結界の展開だ。牧場を一カ所ずつ処理していくぞ」


「はい!」


 ユウの指示に頷き、ユウに背負われたまま上空で結界の準備を進めるティファ。


 ティファが結界の準備を終えたのを確認し、ユウが上空から特殊な気功弾を撃ち込む。


 地面に着弾した気功弾が破裂し、牧場全体をくまなく薙ぎ払うように衝撃波をまき散らす。


 その衝撃波を浴びた羊がその場にへたり込み、牧場中で獣の悲鳴が次々に巻き起こる。


 衝撃波で動きを止められ、狼達が次々とその姿をあらわにする。


「気配でも分かってましたけど、ものすごくいっぱい入ってきてますね……」


「ああ。しかも、足を止めねば常時転移して動くから、目視で把握するのもなかなかに困難だ」


 ざっと見て二十頭近くいるリープウルフを見て、眉をひそめながらそんな感想を漏らすティファ。


 そのティファの感想に、言わずもがなな補足を加えつつ、次の気功弾を叩き込むユウ。


 二発目の気功弾が着弾したところで、狼達は蜘蛛の子を散らすように牧場から逃げ出した。


「ティファ」


「はい!」


 最後の一頭が牧場から出た瞬間、ティファがリープウルフだけをはじく反射結界を張る。


 その間に、ユウが次の牧場に気功弾を叩き込む。


 こうして作業を続けること三十分。すべての牧場からリープウルフを追い出したところで、最初に結界を張った牧場の周辺で異変が起こる。


「……あの、ユウさん……」


「やはり、諦めの悪いやつがいたようだな」


 牧場を囲むように転がっている小型の狼の死体を見て、さもありなんという感じでティファに解説するユウ。


 転移能力と引き換えなのか、リープウルフは小さめの中型犬と大差ないサイズしかなかった。


 牧場から追い出されて一度は逃げ帰ったはずのリープウルフが、脅威が去ったと判断してティファの反射結界に勝負をかけたようだ。


「ここまですぐに引っかかるのはそれほどいないが、連中は執念深い。少なくとも一カ月、長ければ半年は結界の効果が続いているかを確認しに来る」


「……半年、ですか?」


「ああ。普通のモンスターと違ってモンスター除けの結界がほとんど効かんこともあって、こういう物理結界を張る余力がない農村は、連中にとっては格好の餌場だ。特に牧場は脅威になる個体が混ざっている可能性が低いから、人間を襲うよりリスクが低い」


 そこまでティファに説明をしたところで、ユウが村全体の様子を確認して一つ頷く。


「どうやら、最悪の事態は避けられたようだな」


「最悪の事態、ですか?」


「ああ。まだ様子見段階だったようだ。もう少し遅れていれば、連中に家畜をすべて食いつくされていた可能性が高い」


「様子見でも、こんなにたくさんの被害が出るんですか……」


「よく見れば分かると思うが、一カ所ごとの家畜の被害は三頭から四頭だ。被害が拡大したのも、この村に大牧場が複数あった、というのが大きい」


 ユウの指摘に、言われてみればと納得するティファ。


 実際、被害が広域に広がっているため勘違いしやすいが、見た目の凄惨さとは裏腹に、それほどの数は食われていない。


「とはいえ、想定していたより群れの規模が大きい。ベルティルデさんには数百と言っていたが、実際のところはいいところ百を超える程度かと思っていたのだが……」


「えっと、そんなにおかしいんですか?」


「このあたりに居なかったはずのモンスターだからな。何らかの理由で元の生息地から離れたとして、そんな巨大な群れで動くというのも解せん」


「えっと、発見されるのが遅れた結果、群れがものすごく大きくなったという可能性は……」


「ないとは言わんが、見ての通りの性質だからな。一切の兆候なしにこの規模の群れができるとは考えづらい」


「あ~……」


 ユウの指摘に、あっさり納得して自分の意見を取り下げるティファ。


 確かに、リープウルフの性質を考えれば、最近までこういうタイプの家畜の被害が出ていないというのはおかしな話だ。


「とりあえず、この村の村長に報告だ。その後連中の動向や数を調べて、必要があれば殲滅する」


「はい」


 ユウの方針に頷くと、念のために生命力探知の魔法でちゃんと死んでいることを確認するティファ。


 ユウがいるから問題はないだろうが、だからこそこう言った基本的なことで手を抜いてはいけない。


 仮にティファが単独行動、もしくはロイドやミルキーのような戦闘能力に乏しい人物と行動している時に、ユウに甘えて手を抜く癖がついているとそれこそ全滅の危機だ。


 そうやって力んだのが悪かったのか、それとも規模が大きくなっても無害な魔法だったのがいけなかったのか、目の前の狼の生死だけ分かればいいはずの生命力探知が、半径数十キロの範囲まで急拡大してしまう。


 普通ならそれだけの範囲の生命力を探知すれば、情報量過多で頭がパンクして気絶してもおかしくないのだが、幸か不幸かティファは気の扱いを鍛える過程で大量の情報を処理することには慣れており、さらに細かい生命反応など拭き散らすような極端な生き物が複数範囲内に居た。


 そのうち一種の情報を拾った瞬間、思わずティファは変な声を上げてしまう。


「……はうっ!?」


「どうした?」


「えっと、向こうの方角の遠く、多分二十キロくらい先に、ものすごく大きくて強い生命力を持った生物が……」


「……ふむ。……なるほど、こいつか」


 ティファの報告を受けて即座に索敵を行い、その存在を確認するユウ。


 本来二十キロというのはユウの探知範囲外ではあるが、今回のように相手がとてつもなく強大な存在で方向と距離がはっきりしていれば、存在を確認するくらいはできるのだ。


「恐らく、リープウルフはこいつが原因だな。直接見ていないから何とも言えんが、気配から察するに戦闘能力だけなら去年最初に倒した魔神と大差なさそうだ」


「……そ、そそそ、それって大丈夫なんでしょうか!?」


「直接見ないことには何とも言えんが、魔神のように近くにいるだけで命を失うような妙な能力を持っていなければ、バシュラムさん達でも倒せるだろう」


「そうなんですか?」


「ああ。問題なのは、こいつのせいで普段いない筈のモンスターが湧いているケースが、どれほど発生しているか分からんということだ」


「あっ……」


「ここで可能性を検討していても始まらん。さっさと村長に報告した後リープウルフのねぐらを潰して、速やかにアルトに戻るぞ」


「はいっ!」


 無造作に狼の首をへしおりながらのユウの号令に従い、大急ぎで村長の家と思われる建物を探すティファ。


 数年に一度起こる、アルト近郊一帯での重大事件。


 静かに進んでいたその前振りは、今まで存在しなかった異分子の手によって派手に暴かれていくのであった。






      ☆






 一方、その頃。アルトガルーダ討伐隊。


「でえやあ!」


 気合いの声と共にバシュラムが投げつけた槍が、一羽目のアルトガルーダの片翼を肩関節の根元から粉砕して潰す。


 のっけからやたらと好調なバシュラムの働きにより、今年のアルトガルーダ討伐はいつになくスムーズな立ち上がりを見せていた。


「ベルティルデ!」


「ええ!」


 バシュラムの声に応じ、普段は使わないとっておきの弓を引き絞るベルティルデ。


 精霊弓と呼ばれる、高位の精霊使いにしか扱えないその強力な弓が、ベルティルデの意思に合わせて周囲の精霊の力をかき集め、地面に落ちて暴れまわっているアルトガルーダの首を討ち貫く。


 ユウほどではないが、一羽目のアルトガルーダは実に速やかに仕留められた。


「よし、一羽目は予定通りに行ったな」


「でも、さすがに私のほうはこれで打ち止めよ?」


「分かってる。が、いくら地面の上じゃまともに戦えんと言っても、もう一羽を警戒しながら仕留められるほど甘いモンスターじゃないからな」


「そうなのよね」


 バシュラムの言葉に、険しい顔で同意するベルティルデ。


 所詮鳥なので地面の上に引きずり下ろせば大幅に弱体化するとはいえ、それでも大きいというのはそれだけで脅威なのだ。


 そもそも、もう一羽が飛んで来たら、そちらを落とすために大量の飛び道具が放たれる。


 その流れ弾は当然地上のアルトガルーダにも降り注ぎ討伐隊にも襲い掛かるが、それを気にして後回しにすると、今度は後回しにされたアルトガルーダが暴れまわりながら魔法をばらまく、などという暴挙に出る。


 それが分かっているから、一回撃てば他の精霊魔法すらほとんど使えなくなると承知の上で、ベルティルデも精霊弓を最大出力で放ったのだ。


 なお、例年はバシュラムの投擲では落としきれず、ベルティルデの弓はその仕上げとして地面に叩き落すために使われる。


 基本的にアルトガルーダの討伐は、バシュラムの投擲がどこに当たるかでその後の展開や難易度が大きく変わるのだ。


「それで、そっちはどう? 確かその槍、投擲に使えるのは今日はあと二回だったはずよね?」


「ああ。今ので敵さんが警戒態勢に入っちまったから、二回のうちにさっきほどいい位置に当てられるかどうかは分からん」


 いつの間にか手元に戻っていた槍を険しい顔で見つめながら、正直に状況を告げるバシュラム。


 バシュラムの切り札の一つ、魔槍アルヴェイユ。


 一日に三度だけ必殺の威力を持つ投擲が可能で、かつその機能を使った時に限り、投げても手元に戻ってくる魔槍。


 若い頃に『無限回廊』で入手した強力な武具の一つだが、実のところバシュラムが持っているのは伝説の槍であるアルヴェイユのレプリカで、いくつかの機能がオリジナルと比べると大幅に劣る。


 その中でも一番大きな差が、投擲攻撃の回数制限と、特殊な威力制限である。


 オリジナルのアルヴェイユは使用者の体力が持つ限り何度でも必殺技の使用が可能で、かつ常に最大威力で投げつけることができる。


 が、レプリカの方は先にも触れたように一日に三度のみ、かつ使わなかった日の長さに応じて投擲攻撃の威力が上がっていくという特殊な制約があった。


 そのため、体の衰えを感じるようになってからは、バシュラムはこの槍をアルトガルーダ用の切り札として温存するようになったのである。


「それにしても、どうやら威力の方は一年で頭打ちみたいだな。去年使わなかったのに、大した差がねえ」


「そうね。でも、あの鳥を落とす分には、それで十分じゃない」


「そうだな。後は、どうやって当てるか、だが……」


 そう言いながら、険しい目で複雑な軌道を描いて飛びまわるアルトガルーダを睨みつけるバシュラムとベルティルデ。


 十メートルほどある巨体とは思えないその動きは、確実に飛び道具の命中率を引き下げていた。


「……どう考えても、こっちを警戒してやがるな」


「そうね。私のさっきの一撃、明らかにオーバーキルだったから、もう少し威力を絞るべきだったかしら?」


「それで、節約した魔力で使える魔法の中に、あいつの動きを制限できるようなのはあるのか?」


「……ごめんなさい。難しいわ」


「だろうな。となると、だ」


 望み薄だと感じながらも、とりあえず次善の策と言う名の悪あがきを考えるバシュラム。


 なんとなくどう投げれば当てられるというイメージは湧くものの、その軌跡はどれも当たるだけで地面に叩き落したり致命傷を与えたりはできそうもない、どころか動きを鈍らせる効果も薄そうな感じだ。


 かといって、ユウならまだしも、バシュラムには空中にいる相手を直接叩ききるような技も地上から致命的な威力の弾幕を張る能力もない。


 ティファのように、発動したら最後というような威力の魔法とも無縁だ。


 だが、その分、あの二人にはない経験と、何より人望と名声がある。


 それを使えば、やりようがないわけではない。


「すまんが、もう少し射撃部隊の弾幕を濃くしてもらえねえか?」


「はい! 伝えてきます!」


 まず最初の一手として、近くにいた兵士に要望を告げる。


 高位魔法と攻城兵器であるバリスタ以外はその分厚い羽毛に阻まれて効果が見込めない射撃部隊の攻撃だが、それでも体に直撃するのは嫌なようで、上空のアルトガルーダはどんな弱い威力の飛び道具でも可能な限り避けようとしている。


 どうやら生物の本能のようなもので、どんなに貧相な一撃でも時に致命的な結果につながることがるということを知っているのだろうが、今回はそこが付け入る隙となる。


 そのバシュラムの読みは当たり、明らかにアルトガルーダの動きが精彩を欠くようになる。

 こちらの狙いに気がついたか、高度を取って仕切り直そうとするアルトガルーダ。


 そのくちばしの先をかすめるように極太の炎の槍が飛ぶ。


 誰の魔法だと発射地点を確認すると、そこにはリエラが悠然とたたずんでいた。


「申し訳ありません、バシュラム殿。遅くなりました」


「いやいや、助かりました。いつもより到着が早かったようですが、結界のほうは?」


「優秀な教え子とその突飛な師匠のおかげで、いろいろと新たな手を思いつきまして。従来よりかなり短縮できました」


「なるほど」


 立て続けに魔法を放ってアルトガルーダを牽制しながら、バシュラムの問いに答えるリエラ。


 アルトガルーダを始め、アルトの街に大きな被害をもたらす可能性が高いモンスターが出現した際、リエラは前線に出る前に街を覆う結界を強化している。


 そのため、毎回リエラの参戦はどうしても遅れることになり、場合によっては到着前に戦闘が終わっていることすらある。


 しかも、結界の強化に大量の魔力を使ってからの参戦になるため、出てきても万全の態勢とはいいがたい。


 だが、今回は見たがぎり、どうやってかそのあたりの問題点は克服しているようで、普段よりも充実した魔力量を盾に切れ目なく魔法を放っている。


「さて、バシュラム殿。できるだけあれの動きは止めますので、一撃で地面に落としてくださると助かります」


「リエラ殿の魔法でやったほうが、早いのではないですか?」


「ティファではあるまいし、一撃でとなるとあの速度で動くモンスターをとらえられる規模では、詠唱が間に合いません」


「ああ、すみません。確かにそうだ」


 大魔法は詠唱に時間がかかる。そんな当たり前の指摘を受け、思わず大真面目に謝ってしまうバシュラム。


 日頃散々ユウとティファに突っ込んでおきながら、結構深刻な形で毒されていることを自覚してしまったのだ。


「翼を燃やしてみます。ですが……」


「例年、あまり効果がありませんからなあ……」


「意外と燃えにくいのですよね、あの羽毛……」


 そんなことを言いながら、八発の牽制用高火力魔法と同時に発火の魔法を発動させるリエラ。


 彼女ほどの大魔法使いとなると、詠唱しながら雑談をすることなど容易かったりする。


「やはり、あまり効果はありませんね」


「でも、例年よりは効いているみたいです」


 ため息交じりのリエラの言葉に、相手を観察していたベルティルデがそう告げる。


 ベルティルデの言葉通り、確かに発火の魔法は効果を示していた。


「では、もう一発行きましょう」


 翼が燃え上がったことでさらに動きが鈍くなったアルトガルーダに対し、リエラから追加の一撃が飛ぶ。


 その一撃で両翼が大炎上し、アルトガルーダが姿勢をまともに制御できなくなる。


 そこを狙って投げつけたバシュラムの槍が、アルトガルーダの首を貫いた。


「今日は投擲が冴えてるじゃない、バシュラム」


「いや、リエラ殿が翼を燃やしてくれたからだ。じゃなきゃ、あんなに正確に首をぶち抜いたりできねえよ」


「今までだったら、これくらいお膳立てがあっても、首どころか翼だって確実につぶせるとは限らなかったわよ?」


「そりゃまあ、そうなんだがな……」


 ベルティルデにからかうように言われ、渋い顔でそう告げるバシュラム。


 実際問題、バシュラムの投擲の命中率は褒められたものではなく、今回もいつも通りなら翼に大穴をあけて終わり、という可能性のほうが高かった。


 いくら練習してもこれ以上は上達せず、割り切って投擲は専門外だと常に宣言しているとはいえ、、そこをつつかれるとどうしても表情が渋くならざるを得ない。


 正直な話をするなら、投擲が得意な人間にとっとと譲ってしまいたかったのだが、この手の武器は一度所有者が確定すると簡単には他人に譲れない。


 そもそもどういう条件で所有者を決めているのかすら不明なまま、バシュラムに所有者が確定して十数年。折角のアルヴェイユ・レプリカを活かしきれていない、どころか無駄にしている自覚がっただけに、忸怩たる思いが常にくすぶっていた。


 だが、今日に限ってはどういうわけか、どのタイミングでどう投げればどこに確実に当てられるという確信があり、しかもそれが狙った通りの効果を上げたのだ。


 一投目は半信半疑だったその手応えも二投目には確信に変わり、まるで一皮むけたかのように今もしっかりと感覚が根付いている。


 その感覚が嘘ではなさそうなことに喜びつつ、なぜ今になってという理由が分からず戸惑いが消えない。


 そんな複雑な内心を隠し、バシュラムは活躍しすぎてしまったが故の懸念事項を口にする。


「しかし、ちっとやっちまった感じがしなくもねえなあ……」


「何か失敗してた?」


「失敗ってほどじゃねえんだが、今回は他人こき使って安全な場所から美味しいところだけ持って行っちまった感じじゃねえか?」


「ああ、そういうこと……」


「いつもだったら、地面に叩き落した後、トドメ刺すまで前線で体張ってたんだがなあ……」


「安全に終わったんだったら、別にいいんじゃない? 今までだって、たまにいいところに当たって一撃で終わったことがあったんだから」


 ミスともいえぬ自分のミスを気にするバシュラムに対し、そんな楽観的なことを言って慰めるベルティルデ。


 そもそも、例年バシュラムがどこに槍を命中させるか、というクジまで行われ、一撃で落とすことがあったら接近戦部隊に怪我人が出なかったことを祝うような行事だ。


 二羽とも飛び道具だけで仕留めたからと言って、今さら文句なんぞ出たりしない。


「後は解体作業だけど、まだ死後痙攣とかも収まってないから、もう少し待たなきゃいけないわね」


「そうだな。そういや、ユウ達が落としたやつも、ばらして運び込まなきゃならんのか……」


「今年は、人手がどれだけあっても足りませんね……」


 アルトガルーダ四羽という大盤振る舞いに、その後の騒ぎを予想してため息を漏らすベテラン勢。


 景気は確実に良くなるが、しばらくいろんな意味で慌ただしい時間が過ぎそうだ。


「まあ、ぼやいてないで、解体を手伝うか」


「申し訳ありませんが、解体のほうはお任せします。私は戻って事後処理を行わなければいけませんので」


「リエラ殿に手伝っていただくなんて、逆に周りが恐縮しますからな」


 毎回のように、申し訳なさそうに現場の後始末を任せて立ち去ろうとするリエラを、毎度同じ台詞で送り出そうとするバシュラム。


 そこに、ベルティルデが真剣な、というよりむしろ深刻な表情で口を挟む。


「バシュラム、学院長さん。ちょっといいかしら?」


「どうした、ベルティルデ。怖い顔をしているが……」


「何かありましたか?」


「ユウから連絡よ。朝の様子から、もしかしたらバシュラムは察してるかもしれないけど、ここから二十数キロ先に、三本角の大型地竜が来てるそうよ。他の特徴から言って、恐らくトライホーン・ドラゴディスね」


「やっぱりか……」


 出撃前に感じた嫌な予感。それが正しかったことを知って顔をしかめるバシュラム。


「で、ユウが倒してしまっていいかって聞いてるんだけど?」


「そうしてもらったほうが楽ではあるが、毎度毎度ユウにやってもらうってのも情けないからな。今回は俺達に譲ってもらおう」


「ふふ、バシュラムならそう言うと思ったわ」


「命がけになりますが、我々で倒せば先ほど活躍の場がなかった方々にも功績ができますね」


 バシュラムの決断を笑顔でユウに伝えるベルティルデと、苦笑しながらも決断を支持するリエラ。


 安全ならそれに越したことはないとはいえ、アルトの冒険者や軍にも命を懸けてでも守らねばならない面子や沽券というものがあるのだ。


「しかし、二十数キロってことは、早ければ今夜にも来そうだな」


「ちょっと待って。そのあたりの状況と予想を聞いてみるわ」


 バシュラムの懸念を受け、険しい表情でユウに確認をとるベルティルデ。


 話が進むにつれ、その表情が徐々に和らいでいく。


「ユウによると、この手の地竜は睡眠時間が長い上に今回はアルトに向かってまっすぐ進んでるわけじゃないから、恐らく今日明日の到着はないんじゃないか、って話よ」


「そうか。そいつはありがたい情報だな」


 ユウのもたらした情報に、安堵のため息をつくバシュラム。隣を見ると、報告を待っていたリエラもどことなくほっとしている様子を見せている。


「どうやら、十分にとは言えないまでも、きっちり準備期間は稼げそうだな」


「そうですね。アルトガルーダとの戦闘でいろいろ消費してしまったのが不安要素ではありますが、それでも今日を入れて二日あれば、補充できるものもいくつもあります」


「そうですな。俺も、投擲の充填はどうにもならないが、使わずに済んだ切り札がいくつもある。ユウに頼らずに倒せ、って言われても、まあ何とかなるでしょう」


「そもそも、アルトガルーダとのダブルヘッダーにならなかっただけでも幸運よ。今までだってもっと条件が悪かったこともあるし、事前に察知できた時点でも十分よ」


 これから訪れる、アルトガルーダなど比較にもならぬほどの強敵を前に、自分達を鼓舞するように言葉を重ねていくリエラ、バシュラム、ベルティルデ。


 そうやってお互いの顔を見合わせ一つ頷き、拡声魔法を使ってその場にいる軍人や冒険者達に対し、高らかに宣言する。


『アルトガルーダを仕留めたばかりで何だが、悪いニュースだ。たった今、ユウから連絡があって、トライホーン・ドラゴディスの接近が確認された』


『ユウに倒してもらってもよかったのだけど、魔神以外まで任せるのはさすがに情けないと思って、今回は遠慮してもらったわ』


『ユウ殿によると、到着は早くて明後日ではないかとのことです。それだけあれば、準備万端で迎え撃てます』


『これだけのお膳立てが揃ってんだ……』


 そこまで打ち合わせでもしたかのように流ちょうに言葉を紡ぎ、最後に少し溜めを作ってから三人で声をわせて高らかに宣言するバシュラム、ベルティルデ、リエラ。


『『『我々アルトを守る戦士の面子にかけて、トライホーン・ドラゴディスを仕留めよう!!』』』


 アルトの顔ともいえる三人のベテラン。そんな彼らの宣言はさざ波のように広がり、瞬く間に戦士達の心を臨戦態勢へと切り替えるのであった。



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