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第3話 ティファの進級

(すごく、きれいな娘……)


 アルト魔法学院付与魔法科二年のリエラ・ミルキー・アルセイド・ブレッド(通称・ミルキー)は、一人背筋を伸ばして凛とたたずむティファを見て、そんな感想を抱く。


 進級式のその日。式典が終わって自分達の学科の教室に移動した付与魔法科の生徒達は、飛び級で入ってきた小柄な女の子を遠巻きに見つめていた。


 すでに初等課程を修了していたティファであったが、一部カリキュラムの関係で通常通りに初等科四年へと進級する予定だった。


 だが、それらのカリキュラムの大部分はティファなら自習で消化できるものであったこと、ユウとの鍛錬で十分すぎるほど条件を満たしていたこと、といった内容を踏まえ、専門課程に飛び級させることが春休みの中頃に決まったのだ。


「……よもや、ミルキーより小さいやつが入ってくるとは思わなかったなあ……」


「……どういう意味よ?」


「そのまんまの意味だよ」


「……悪かったわね、ガキっぽくて」


 一つ年上で腐れ縁の幼なじみ、ロイド・マクレイヤーの言葉に思わずムキになって食ってかかりそうになり、ティファの存在を思い出して深呼吸と共に心を落ち着かせるミルキー。


 後輩、それも本来なら二学年下の女の子の前で、あまりみっともないことをしたくないというささやかなプライドのなせる業である。


 そうでなくとも百四十センチに届かぬ身長とまったくメリハリのない幼児体型のせいで初等科と間違えられることも多いのに、ここできゃんきゃん騒いだらもっと子供っぽく見られてしまう。


 実のところ、ティファは一連のやり取りをしっかり把握しているのだが、距離が離れていることもあり、ミルキー達はそのことに気がついていない。


 なお余談ながら、今年進級してきた生徒も含め、身長百四十センチを切っている付与魔法科の生徒はティファとミルキーだけである。


「それにしても、飛び級自体珍しいけど、そんな天才がうちの学科に来るとはなあ……」


「そうねえ……」


「付与魔法科は、難易度高いわりに地味で人気がないからなあ……」


 ロイドとミルキーの会話に、他の付与魔法科の生徒も加わる。


 その話にこっそりと聞き耳を立てていたティファが、『地味で人気がない』というワードに興味を覚え振り返って確認しようとすると、タイミング良く付与魔法科の主任教師、ケニー・ファームが教室に入ってきた。


 先生が教室に入ってきたことで、大慌てで席に着く生徒達。


 余談ながら、席は基本的に自由であり、また付与魔法科は教室の大きさに比べて人数が少ないため、ティファの周りには不自然な空間ができている。


「今年は三人か、珍しく多いな」


 基本的に生徒達とは顔見知りだからと、挨拶を省略して新入生の人数を数え、少し驚いた様子を見せるケニー。


 アルト魔法学院はエリートが集まるだけあって、生徒は一学年一クラスか、多い年でも二クラスしかいない。


 また一クラスの人数も、多いクラスで三十人ほどであり、平均が二十人前後である。


 そのため、教師の人数もそれほど多くなく、得意分野の授業を持ち回りで行うシステムと相まって、必ず教師と生徒は顔を合わせることになるのだ。


 『今年は多い』というケニーの言葉に、思わず不安そうな表情を浮かべてしまったティファ。


 それを見とがめたケニーが、ティファに話を振る。


「む? どうした、ベイカー?」


「えっと、あの、少し失礼な質問をしてもいいですか?」


「ああ、かまわん」


「付与魔法科に入った生徒が三人で今年は珍しく多いって、普段はそんなに少ないんですか?」


「ああ。付与魔法というやつは、魔法使いの間ではあまり人気がない。侮られてこそいないが、とにかく難しいわりに地味だからな。三十人クラスが二つあって、一人もいないことも珍しくない」


 ティファの疑問に、ケニーが飄々とした態度で説明する。


 しかし、ケニーの説明に納得がいかないティファが、首をかしげながら質問を続ける。


「あの、難しいのは分かるんですが、地味だとどうして人気がないんでしょうか?」


「そりゃ、横から見てて何やってるか分からない地味な付与魔法より、派手で結果が分かりやすい攻撃魔法や防御魔法、命に直結する回復魔法なんかのほうが評価はされるからな」


「でも、回復魔法や防御魔法はともかく、攻撃魔法って戦闘以外ではあんまり使い道ありませんよね? 派手で分かりやすくても、使い道が少ないとあんまり価値はないような……」


「ああ。だが、若いうちはそこまで考えが回らんことが多い。それに、そのあたりの話を言い出せば、付与魔法とて基礎のエンチャントウェポンやフィジカルエンチャントを使いこなせれば十分、とも言える」


 ティファの疑問に対し、ケニーが淡々とそう指摘する。


 実際の話、エンチャントウェポンをちゃんと使いこなせていれば、その応用で一時的に道具の強度を増幅するなど、結構いろいろなことができる。魔道具を作ったり高度な付与魔法を使ったりするのでなければ、専門課程に進む必要はあまりない。


 しかも、魔道具作りにしても、冷蔵庫くらいの単純な機能のものは、付与魔法科で学ばなくても作ることができる。


 もっと正確に言うなら、付与魔法科で専門的に学ばなくても製作できるくらいまで、魔道具作りの技術は進歩している。


 ティファはそこまで把握しているわけではないが、基礎さえきっちりできていればいろんなことができる、ということは嫌というほど理解している。


 そのため、もやもやしながらもケニーの指摘に納得する部分があり、結局ティファには上手い反論が思いつかなかった。


「そのあたりの理屈ではない部分は、そのうちおいおい実感することもあるだろう。今はとりあえず、そういうものだと思っておけ」


「はい」


「では、今年度の講義内容と日程を説明する。無論、これはあくまで予定であり、状況次第では日程や講義内容は予告なしで変更する可能性もあることを心得ておくように」


 不承不承ながらもティファが納得したところで、カリキュラムの説明を始めるケニー。


 その説明を聞きながら、とりあえず思い抱いたもやもやについては麗しき古硬貨亭で聞いてみようと頭の片隅で考えるティファ。


 そんなティファの様子を、どこか懐かしそうな表情を浮かべながら見守るミルキー達先輩組であった。






      ☆






「へえ。ティファちゃん、付与魔法科に進んだんだ」


「はい」


 その日の夕方。


 数日がかりの仕事から帰ってきたばかりの深紅の百合に対し、ティファは自分の進路と合わせて今日の出来事を話していた。


「大魔力持ちだから向いてるといえば向いてる気はするけど、またなんで付与魔法? 攻撃魔法とかそっち方面じゃダメだったの?」


「攻撃魔法は今でも威力が大きすぎるので、わざわざ専門で学ばなくてもいいかな、と思ったんです。ユウさんやリエラ先生も同じ意見でしたし」


「あ~……」


 ティファの答えに、納得の声を上げるアイネス。


 ティファの魔法の威力を知っている身としては、制御難易度と引き換えにひたすら威力と魔力効率を追求している中級以上の攻撃魔法など必要ない、という意見に否定する気は起こらない。


 ティファに必要なのは規模の制御がやりやすい魔法であって、間違っても魔力効率のいい魔法ではない。


「召喚魔法は?」


「そんな怖いこと、言わないでください!」


 マリエッタの疑問に対し、全身全霊を持って告げるティファ。


 その剣幕に、問いかけたマリエッタだけでなく他の冒険者達も目を丸くする。


「えっと、なんでそんなに全力で否定するのかな?」


「だって、わたしが召喚魔法なんて使ったら、いったい何を呼び出すか分かったものじゃないです!

下手をしたら、うっかり魔神を呼び出して辺り一面を死の大地に、なんてことも……!」


 ティファの魂のこもった言葉に、思わずありえそうだと同意してしまう冒険者達。


 実は制御が不可能なだけで、魔神を召喚する技術自体は確立している。そのせいか、魔神災害の少なからぬ割合が人間による魔神の召喚によって起こっている。


 ティファの言葉は、大げさでもないのだ。


「火力が十分だっていうなら、回復系は?」


「そのうち本格的に学びたいとは思ってるんですけど、まずは付与魔法で魔力の扱いを鍛えてからのほうがいいかな、と」


「付与魔法で魔力の扱いって鍛えられるの?」


「理論や技術的な部分は初等科で教えてもらえる範囲でしか分からないんですけど、前に『堕ちた遺跡』でユウさんの剣にエルダー・エンチャントウェポンをかけた時の感触からすると、多分攻撃魔法を一年ずっと使い続けるよりは鍛錬になる感じがしました」


「なるほどねえ」


 自身の質問に対するティファの答えを聞き、そうなのかとティファの考え自体には納得するマリエッタ。


 だが、初等課程で教わる程度の魔法ならともかく、専門課程となるとマリエッタは完全にお手上げ、アイネスにしても中級ぐらいの魔法までしか心得がなく、それとて単に使えるというだけで理論は齧った程度しか知らない。


 なので、本当にその考え方が正しいのか、深紅の百合のメンバーで魔法使いであるフィーナに問いかけるような視線を向ける。


 視線を受けたフィーナは、お茶を一口飲んでから自分の意見を口にした。


「どっちかっていうと、魔力の制御をきちっと鍛えてから学ぶのが付与系の魔法なんだけど、ティファちゃんの場合はそれでもいいかもね」


「そうなの?」


「ええ。制御をきちっとっていうのも、普通の人間だと無駄な魔力を使ったら発動前に枯渇しかねないのが上級の付与系魔法だから、っていうのが一番大きな理由だし。それに付与系は、発動させるだけの魔力を確保できるようになってからが制御訓練の本番、みたいなところもあるし」


「そうなんだ」


「ええ。だから、挫折者も多いの」


 フィーナの説明に、何かを察したような表情を浮かべるティファ。


 普段縁がない魔法関係の話に感心していたマリエッタが、そのティファの様子に気がついて声をかける。


「なんか、目からうろこ、みたいな顔してるけど、ティファ的に何か発見があった?」


「あっ、実は……」


 マリエッタに問われ、本日学院であったやり取りについて説明するティファ。


 その説明を聞いて、いろいろ悟ってしまう深紅の百合のメンバー。


 恐らく、人生経験の足りなさにより、ティファの賢さと察しの良さが裏目に出てしまったのだろう。


「正直、あたしは別大陸からの移住組だからアルト魔法学院のカリキュラムは分からないけど、それでも普通の見習いが付与魔法嫌がる気持ちは分かるのよね」


「やっぱり、魔力が厳しいんでしょうか?」


「それもあるだろうけど、普通の見習いの子って、基本的に分かりやすいものが好きなのよ。だから、難しい上に地味で成果が分かりにくい付与魔法より、自分の成長が分かりやすくて見た目も派手な攻撃魔法とか、感謝してもらえる回復系魔法の方に行きたがるのも当然かな」


「そういうものですか?」


「うん。ティファちゃんだって、訓練を始めた頃と今とで走れる距離や時間がほとんど変わらなかったら、習慣になるまで走り込みを続けられなかったでしょ?」


「あっ……」


 フィーナに諭され、ようやくその意味を理解するティファ。


 確かに、訓練を始めて二週間目くらいの頃は、肉体的な辛さに心が折れそうになっていた。でも、目に見えて前より長く走れるようになったことを自覚したおかげで挫折せずに済んだのだ。恐らくその経験がなければ、気の察知に躓いていた時期を乗り越えることはできなかっただろう。


 ティファ自身にとっての走れる距離や時間を、魔力の扱いや魔法の規模・難易度に置き換えれば、付与魔法が嫌がられるのも納得がいく話である。


「特に男の子は、腕力的なものとか派手に破壊力があるものとかが好きだよね」


 フィーナとティファの話に、仕込みの手伝いを終えて自分の分のお茶を持ってきたカレンが、そんなことを言って話に混ざる。


「あ~、それはあるわねえ」


「防御するとか連携するとか、そういうのあんまり考えないのも多いね」


「トドメ刺せばえらい、みたいな風潮もあるかな」


 カレンの言葉にアイネスが同調し、マリエッタとフィーナも困ったもんだとばかりに追随する。


 その言葉に、いろいろ覚えがあるらしい男性冒険者達が、非常に気まずそうな表情を浮かべているのが印象的である。


 もっとも、女性冒険者も少なくない割合で似たような表情をしているあたり、腕力的なもの云々はともかく、連携とか止め刺せばえらいとかそのあたりは思い当たるところがあるのだろう。


 その後、カレンと深紅の百合の面々が見習いあるあるや駆け出しあるあるで盛り上がり、それにティファが興味深そうに質問することで、過去の古傷をえぐられて悶える冒険者達。


 時々、言った当人達が苦い顔をしているあたり、自爆も相応にあったようだ。


 そんな中、単独で依頼をこなしに出ていたユウが、解体済みの肉類を担いで帰ってくる。


「……何やら妙な雰囲気になっているな」


「あっ。おかえり、ユウさん」


 やたら悶えている冒険者達の数に不思議そうにしているユウに対し、カレンが明るい声で挨拶をする。


 その様子に、どうやら大したことではないらしいと、肉類が入った袋のうち小さい方をカウンターに置いてカレンに渡すユウ。


「これが今日の成果だ。重いから気をつけろ」


「はーい。って、今日のはいつにも増していっぱい入ってるね……」


 いつものようにカウンターの上の袋を持ち上げようとして、その重さに思わずユウを二度見しながらそう口にするカレン。


 カレンの疑問のこもった視線を受け、内訳を説明する。


「依頼のあったデーモンを探して始末した時にな、デビルバッファローに遭遇した。その中にはサーロインが入っている」


「えっと、なんでサーロインだけ別枠? っていうか、いったい何キロ入ってるの?」


「デビルバッファローのサーロインは、保存魔法の効きが異様に悪くてな。火を通さねば足も早いから、できれば今日中にすべて処理してしまいたかった」


「保存魔法の効きが悪い、っていうのは分かるけど、冷凍でも駄目なの?」


「ああ。他の部位や普通の肉類とは、腐敗の原因やプロセスが違うようでな。普通に凍ったまま腐っていく」


「そうなんだ。それは知らなかった」


「まあ、実際に扱ったことでもなければ、知らなくてもおかしくはないだろうな。とりあえず、火を通さねば二日持たずに腐り始めるから、このサーロインだけは肉の熟成なども不可能だ」


 言わずもがななユウの言葉に、真面目な表情で頷くカレン。


 モンスターの肉には時折こういう理不尽な性質を持つものがあるので、知っている人間からの情報はしっかり聞いておかなければ大惨事につながりかねない。


「まあ、そういう理由で早急に処理をしてほしかったから、違う袋に取り分けた。中身は、そうだな。恐らく五十キロぐらいはあるか?」


「それ、私が持ちあげられる重さじゃない~!」


「む、そういえばそうか。すまん」


「っていうか、袋の容積と入ってる量が明らかに釣り合ってない~!」


「即席の容積拡張を使った。そうせねば、すべての肉を持ち帰ることができなくてな」


 淡々と、いつものように非常識なことを言ってのけるユウに対して、もう何度目になるか分からない唖然とした視線を向ける冒険者達。


 デビルバッファローはその名の通り、巨大な牛型のデーモン種である。


 レッサーデーモンと違い普通の武器ではまったくダメージを与えられず、また、バッファローと同じ動きをしながら無詠唱で様々な攻撃魔法や障害魔法を使ってくる厄介なモンスターだ。


 得意技はバインドで動きを封じ込めてからの突撃で、これをやられると人間はおろか小型のドラゴン種でもひとたまりもない。


 そんな強敵を依頼のついでに狩るところまではユウだから、で済ませられるが、平均で全長三メートルを超える牛の肉をすべて持って帰ってきているところも、そのためにわざわざ即席の容量拡張魔法を使うところも、はっきり言って冒険者達の常識には存在しない。


「……よく、丸一頭の牛を担いで持って帰ってこれるわね……」


「体積で見れば、二割ぐらいは料理にも素材にも使えん部位だからな。食える部位でも、サーロインなんかは仕留めた時点で半分以上は食えん状態になっていたし、他の部位でも駄目になっていたところはあったから、そのあたりを捨ててくれば大した重さではない」


「大した重さじゃないっていっても、やっぱりトン単位になるんじゃないの?」


「二トンやそこらは軽く持ち運べなくては、いろんな意味で話にならんだろう?」


 何を言っているんだこいつ、という表情でまたしてもとんでもないことを言い放ったユウに対し、駄目だこりゃと匙を投げるアイネス。その間に、サーロインは近くにいた冒険者の手によって厨房まで運び込まれる。


 なお、その時肉を運んだ冒険者が後にステーキを食べながら、恐らく実際の重さは七十は超えてたんじゃないかと語っていたのは、ここだけの話である。


「それで、他の肉は貯蔵庫に運んでおくとして、なめしていない皮は置けそうか? アルトベアの特異体の時より、かなり大量にあるのだが」


「あ~、どうしよう。今、素材置き場が埋まりかけてるんだよね……」


「そうなのか?」


「うん。昨日今日と持ち込みが多くて。まだ職人さんのところに運び終わってないんだよね」


「なるほどな。貯蔵庫のほうは大丈夫なのか?」


「そっちは大丈夫。しばらく他の肉類は買いにいけないけど、辛うじて全部入ると思うよ」


「そうか。ならば、できるだけ余裕ができるように、可能な限り工夫して配置しよう。皮は……、中身を出した袋に適当に分けて入れておくか」


 カレンと相談して結論を出し、貯蔵庫に入るように仕分けるユウ。


 それを見たカレンが、念のために一つ確認する。


「そういえば、ユウさん。モツはどうしたの?」


「食える部分をざっと洗ってから、解体している間に湯通ししておいた。きちっとした処理ではないからまだ下ごしらえは必要だが、すぐに腐ることもないだろう」


「それは助かるよ」


「これでうまいモツ煮でも作ってくれれば、それでいい」


 そこまで告げて、勝手知ったるという感じで、地下の貯蔵庫に大袋を運び込むユウ。


 なお、地下貯蔵庫はいわゆる冷蔵庫になっており、軽い保存魔法との合わせ技で、肉でも一カ月以上品質を維持したまま保存できる。


 貯蔵庫の奥には冷凍庫への扉もあり、食材の種類や処理によって使い分けるようにしている。


 狩りや依頼の成果として大量の素材や食材が持ち込まれる冒険者の酒場にとって、必須とも言える設備である。


 似たような設備として素材置き場もあり、こちらは運び出しの利便性から、宿の裏口付近に設置されている。


「それにしても、サーロインが五十キロか~……」


「五十キロっていうと、わたしの体重より重いです!」


「あ~、そうだよね……。っていうか、よく考えたらぶっちゃけ私よりも重いし」


 ティファとカレンのそのやり取りに、アイネスがこっそり己の脇腹をつまんでガックリする。


 そもそもの話、どちらかといえば背が低くて必要以上の筋肉も肉がついてほしい特定部位以外の脂肪もほとんどないカレンや、現在すくすくと育っている最中のティファと比べること自体が無意味なのだが、冒険者といえども、お年頃のアイネス。乙女として、ふくよかすぎる脇腹への対策は急務だった。


 余談ながら、麗しき古硬貨亭に来た頃のティファの体重と比較すると、今回のサーロインはティファ二人分以上となる。


 当時のティファが特別軽かったことを踏まえても、子供二人分の重さがある肉というのは相当な分量であろう。


「どう処理するかはお父さんに任せるしかないけど、多分今日のメインは選択の余地なく、最低二百グラム以上のサーロインステーキかなあ……」


「二百グラム、ですか……」


「まあ、さすがにティファちゃんにはそのあたりの配慮はするけど、他の人にはねえ……」


 明らかに持て余すボリュームに不安がるティファに対し、カレンが困ったように眉を下げつつそう言う。


 なお、この場合配慮されない代表格というのは、エルフをはじめとする肉類に対して種族的に食が細い一部妖精種族である。いくら食が細いといっても、冒険中は干し肉などをちゃんと食べているのだから、ステーキの二百グラムぐらいは普通に食えるだろう、という理屈だ。


 他にも、そろそろ引退が視野に入っている中年の冒険者達や、アイネスをはじめとするなんとなく贅肉が気になりだしている女性冒険者達も、頑張ってもらう対象だ。


「……二百グラム以上のサーロインステーキとか、すごく物騒な単語が聞こえてた気がしたのだけど……」


「あっ。おかえりなさい、ベルティルデさん」


 主戦力は誰になるだろう、と今いる冒険者を物色していたカレンが、帰ってきたベルティルデに軽く挨拶する。


 その後ろでは、バシュラムが妙な空気に怪訝な顔をしている。


「それで、これは何の騒ぎ?」


「ユウさんがね、デビルバッファローを仕留めてきたから、サーロインをどう消費しようかって」


「……それは、大事ね……」


「うん。他の部位はともかく、サーロインは足が早いから一気に食べ尽くさなきゃいけないらしいんだけど、ユウさんが仕留めてきてるから、五十キロもあってね……」


「……それで、一人頭最低二百グラム……」


「うん。本当のこと言うと、男の人は一キロ、女の人は五百グラムをノルマにしたいところなんだけど、私自身がそんなに食べられないからね~……」


 そう言って、困ったもんだとばかりにため息をつくカレン。


 いい肉をこんなにぞんざいに扱わねばならないことに、忸怩たる思いがあるようだ。


 何しろ、デビルバッファローの肉というのはミートデビルと並ぶ最高級肉の代名詞で、その中でも希少なサーロイン。


 それをこんな風に押し付けなければならないというのは、商売をしていて料理の心得もある人間としては、あまり許容したくない事実であろう。


 なお、カレン自身は本日ユウに教えられるまで、デビルバッファローのサーロインが同じデビルバッファローの他の部位より二ケタ近く高い理由を知らなかったのだが。


「もっと早い時間か逆に夕食も終わってるような遅い時間だったら、レストラン街に持ち込んで売りさばくって手も使えたんだけど……」


「今からじゃあ、ちっとつらいわなあ……」


「そうなんだよね~……」


 バシュラムの言葉に、もったいないという気持ちを込めて頷くカレン。


 レストラン街に持ち込んで売りさばけば、場合によってはそれだけで麗しき古硬貨亭の一週間分の売り上げを超える売値が付くだけに、持ち込んでくれたユウに対しても申し訳ない部分が強い。


「それで、今日だけで五十キロ全部食っちまう腹なのか?」


「さすがにそれは無理じゃない? 一キロ以上食べられる人も結構いるけど、同じくらい二百グラムでもきつい人が多いし、それにもう仕込みが終わってる他の料理もあるから」


「まあ、そうだな」


 麗しき古硬貨亭に出入りする冒険者は、大体で百人程度。そのうち三割はよそにも出入りしている冒険者で、残りの七割にしても、特に何もない日で一度に集まるのは半分がいいところだ。


 五十キロのステーキを全部食べ切ろうというと、カレンが諦めた多い方のノルマでも足りないくらいである。


 夕食までに軽く何かつまもうと思っていたバシュラムだったが、そのノルマを聞き諦める。


 残念ながら四十を過ぎた彼では、箸休め以外は肉のみに専念しても五百ぐらいが限界、かつ野菜やパンなども食わねば翌日調子を崩すので、いいとこ食えて半分の二百五十だろう。


 因みに、中堅くらいの冒険者達は現在、誰が一番食うかでこっそり勝負することを決めており、参加する人間とそうでない人間とで席替えを行っていたりする。どうやら、普段ありつく機会がない高級食材を、骨の髄まで味わい尽くすつもりらしい。


 また、高いステーキ肉を夕食に強制されるとあって、端のほうの席では駆け出しの冒険者達が明日の財布の中身を不安そうにしている。


 ユウが異常に高い食材を仕留めてくることはたまにあり、大体は彼らでも負担にならない値段で提供してもらえるのだが、今回ほどの希少性となると、いつも通りとは限らないと不安でしょうがないようだ。


「……すまん、カレン。明日、早々に肉を売りさばく必要がありそうだ」


 そこに、珍しく非常に困ったような顔を浮かべて元凶であるユウが戻ってくる。


 その言葉の内容に、大きくため息をつくカレン。


 実のところ、サーロイン五十キロの時点で不安はあったので、ユウの言葉に驚きはない。


 が、高級肉が大量に、ということは、ユウに対する支払いも増えるということなので、なかなかに資金繰りが大変なことになりそうだ。


「それでユウさん、お肉とか素材の買い取り金額なんだけど……」


「これから飯時ですぐに査定もできんだろうから急がなくていい。が、そうだな。わがままを言っていいのであれば、サーロインの買い取り費用はなしでいいから、その分今日の夕食を安く提供してくれ」


「えっ? それでいいの?」


「ああ。正当な仕事の報酬とはいえ、勝手に狩って持ち込んだものを無理やり食わせて金を取るのもな……」


「あ~……」


 ユウの言葉に、それもそうかと納得するカレン。


 その視線は、隅っこのほうで不安げにしていた駆け出し達に向けられていた。


「みんな~! 今日のお肉はユウさんの厚意でいつものセットメニュー価格だから、遠慮なくたくさん食べてね!!」


「「「おおおお、やったー!!」」」


 カレンの宣言に、店中の冒険者が歓声を挙げる。


 それを背後で聞きながら、ユウがティファの隣に腰を掛ける。


「ティファ。付与魔法で一つ課題だ」


「課題、ですか?」


「ああ。今日、依頼のついでに材料をいろいろ調達してきたから、それを使って制御用の発動体を作れ」


 ユウの言葉に、あっ、という顔をするアイネスとフィーナ。


 発動体というのは、いわゆる魔法使いの杖をはじめとした、魔法使いの魔法を使いやすくする道具である。


 それを自作するというのは魔法使いとしてある意味基本なのだが、基本過ぎるせいか、それとも見習いの間は発動体に頼らず制御訓練を行うのが一般的だからか、なぜか関係者全員思いつかなかったのだ。


「発動体、ですか?」


「ああ。ティファが普段振り回している杖なんかがそうだ」


「えと……この杖、魔法を発動させる時に魔力を通したこととかありませんけど、魔力の制御がやりやすくなってるんでしょうか?」


「魔力を通していないのだから、魔法の発動に影響などないのではないか?」


 ティファの疑問に、首をかしげながらそう答えつつ、アイネスとフィーナに確認の視線を向けるユウ。


 ユウの視線に頷いて見せるアイネスとフィーナ。


「まあ、ティファちゃんが発動体使って魔法を発動させる、なんて真似しないのは正解だと思うよ」


「発動体って、許容量以上の魔力流しても魔力ロスになるだけだし、あんまり大きな魔力流すと爆発するんだ。その杖見習い用で許容量低いやつだし、ティファちゃんが魔力流したらあっさり吹っ飛ぶんじゃないかな?」


「そういえば、リエラ先生からも、間違っても杖に魔力を流すなって言われてました!」


「ふむ……」


 アイネスとフィーナの言葉に、リエラから受けた指導を説明するティファ。


 それを聞いたユウが、何か考えこむ。


「俺はそのあたりは専門外だからな。この件に関しては指導できん。すまんが、明日から学校で教えてもらってくれ」


「分かりました!」


「あとは、発動体作りに関する話や付与魔法の実習内容をもとに、鍛錬の方向性を修正する予定だ。どうせ今日は初日で大した指導は受けていないだろうから、明日から何を習ったか教えてくれ」


「はい!」


 ユウの言葉に、妙に嬉しそうに答えるティファ。よくよく考えれば、ユウが学院にティファの指導を丸投げするのはこれが初めてのことであった。


 そこに、おかみさんが料理を運んでくる。


「おまたせ。まずはユウさんに三百グラム、ティファちゃんに百グラムほど焼いてきたから、足りなかったらおかわりしてね。一番いいところだから」


「ああ。じっくり味わわせてもらおう」


「カレン、お料理を運んでいって」


「は~い」


「皆さん、申し訳ないけど今日はメニューは一種類だけ、選べるのはお肉の量だけ、ということにさせてくださいね。その代わり、お肉はおかわり無料です」


 おかみさんの言葉と、問答無用で食欲をそそりまくる肉の匂いに、店中から歓声が上がる。


 こうして、この日の麗しき古硬貨亭の夕食は、伝説の超高級ステーキフェアとして末永く語り継がれることになるのであった。






      ☆






 そして翌日。


「さて、本格的に付与魔法の講義に入る前に、まずは今年の一年生を振り分けねばな」


 五年生や高等部を含めても総勢二十名に届かぬ生徒達をざっと見渡し、出欠を記録してからケニーがそう告げる。


 それを聞いて、どういうことだろうと首をかしげるティファを含める付与魔法科新一年生。


 一方、ケニーは特に気にする様子も見せず、名簿を見てさっさと割り振りを決める。


「そうだな。ベイカーは一班に入れ。ミールは三班、ムーンは四班だ」


 ケニーの指示を聞いて戸惑う一年生達のもとへ、指名された班に所属する先輩達が近づいていく。


「えっと、あの?」


「あ~。心配しなくても、いきなりで分かりづらいってことはよく分かってるから、安心して」


「私達も、一年の時はそうだったもの」


 いきなり近寄ってきた先輩に対して戸惑っているティファに対し、指名された一班の生徒であるロイドとミルキーが、『分かる分かる』という感じの表情で安心させるように声をかける。


「一応自己紹介しておくと、俺はロイド・マクレイヤー。三年生」


「私はリエラ・ミルキー・アルセイド・ブレッド。二年生よ」


「あっ、ティファ・ベイカーです。……あの、ブレッド先輩」


「ミルキーでいいわ。他の学科にもアルセイドとブレッドって生徒がいるし」


 おずおずと名前を呼んできたティファに対し、先輩風を吹かせながらおおらかにそう告げるミルキー。


 そんなミルキーを、ロイドが即座にいじりに走る。


「昔はミルキーなんて甘ったるいお菓子みたいな名前嫌だとか言って、おじさんやおばさんと散々揉めてたのにな」


「うるさい!」


 後輩の前で余計なことを口走るロイドに対し、思わず全力で肘を叩き込むミルキー。


 所詮小柄で非力なミルキーが、特に体重をかけるでもなく力任せに放った一撃なので、基本的に大した威力はない。


 が、長年の付き合いでいじり方を心得ているロイドは、ここでわざとらしく大げさに痛がってみせる。


「おお、いってえ~!!」


「……えっと、あの……」


「ベイカーも気をつけたほうがいいぞ。こいつ照れ隠しとかそういうのですぐ暴力振るうから」


「あんたがいつもいつも余計なことを言うからでしょうが!」


 ロイドにからかわれて、顔を真っ赤にして睨みつけながらそう反論するしかないミルキー。


 ティファの前であることと言われた内容との問題で、もう一撃入れるのはどうにかこらえる。


 そうでなければもう一撃入れているあたり、ミルキーもなかなか容赦がない。


 相手が長い付き合いのロイドであり、自分の一撃が大して効いていないことを理解しているからこそのやり取りだが、当然ほぼ初対面と変わらないティファはそんなことを知る由もない。


 せいぜい、今までの経験からミルキーの一撃がほとんどダメージにならないことに気がついているだけである。


 しいて言うなら、その事実からロイドがわざとやっているらしいということを察してはいるが、自己紹介と同時にそんなじゃれ合いを見せられても困る、という感じである。


「わ、私だって、そもそも誰彼構わず手を挙げてるわけじゃないわよ!」


「またぁ~、外面取り繕ってるだけだろ~?」


「あんたと違って、最低限の礼儀を知ってるだけよ!」


 ふんと鼻を一つ鳴らして、さげすんだような眼をロイドに向けるミルキー。


 そのまま、『私は人畜無害な常識人ですよ~』と言わんばかりに、諭すような言葉を続ける。


「大体ね、相手のこと何一つ分かってないのに、普通初対面で暴力的な行動とか反応なんてしないでしょうが。そんなことしたら危なすぎる上に、自分からただの馬鹿だって言いふらしてるようなもんじゃない」


 その態度と追い打ちの言葉を予想していたロイドが、にやりと笑いながら突く。


「とか言って、後輩に年上らしいところを見せたかっただけなんじゃないの?」


「そ、そんなわけないじゃない! 別にすごく綺麗でかわいい後輩に面倒くさいと思われたくない……とかじゃなくて! 人として! 最低限の! 礼儀をわきまえてるだけよ!」


 ロイドに乗せられているのを自覚しながらも、思わず勢いで語るに落ちるにもほどがあることを叫んでしまうミルキー。


 かなり騒がしいやり取りなのだが、いつものことだからか、新一年生を除く全員が平然と無視しているのが印象的だ。


「それで、さっき何か聞きたそうにしてたけど、何かしら?」


 ティファが戸惑っていると、その間に深呼吸をして気持ちを落ち着けたミルキーが話を戻す。


 さすがにこれ以上ミルキーをいじると時間がいくらあっても足りないからか、今度はロイドも余計なことは言わない。


「えっと、あの、ミルキー先輩って、もしかしてリエラ先生と……」


「ああ、やっぱり気がついた? お察しの通り、私は学長先生の親戚よ」


「ミルキーのおばあさんが、リエラ先生の妹なんだ」


「私は生まれつき、人よりかなり魔力が多かったから、おばあさまが喜んで学長先生の名前をいただいて私につけたの」


 慣れた質問ということで、ティファの疑問にあっさりそう答えるミルキー。


 リエラの旧姓はアルセイドで、結婚してフォスター姓になってから三十年以上経った今でも、まだリエラ・アルセイドと呼ぶ人間も少なくない。


 ミルキーのフルネームを聞けば、何らかの関係を疑うのは別段おかしなことではないだろう。


 実際に関係もあるし、今のところ過剰な期待やリエラとの比較をされたことも特にないので、そことを聞かれることについては特に思うところなどはないようだ。


「でも、いろいろ誤解を招くからって、日頃はミルキーとしか呼ばれなくてさ。運悪く一時期似たような名前のお菓子が流行って、散々からかわれてなあ」


「それ分かってていじってくるあんたも、相当性格悪いわよ……」


「うん、自覚してる」


 さきほどいじられて被っていた猫が脱げたこともあり、ロイド相手に気心の知れた様子でそんなやり取りをして見せるミルキー。


 今さっきの自己紹介でいじられた時と違い、過剰に怒ったり攻撃的な様子を見せたりしていないところを見ると、被っていた猫はミルキー本人に自覚がない形でなかなかに負担になっていたようだ。


 その二人の様子を見て、喧嘩するほど仲がいいとはこういうことを言うのだろうな、と察するティファ。


 カレンや深紅の百合のメンバーなどが目にすればいろいろ邪推して黄色い声を挙げそうなやり取りだが、残念ながらティファはそういう部分にとにかく疎い。


 幸か不幸か、ミルキーとロイドにこれ以上の燃料が投下されることはなかった。


「で、もう一つの疑問は、班分けのことよね?」


「はい」


「見ての通り、うちの学科は人数が少ないから、学年ごとに班を作るなんて真似はできないのよ」


「でも、付与魔法は基本的に攻撃魔法とかとは違う種類の危険が多いから、何人かでまとまってフォローできる体制で実技や研究をしないと、大惨事につながりかねないのさ」


「ああ、それで、わたし達が先輩方の班に振り分けられるんですか」


「そういうことよ」


「初日にそのあたりも一緒に説明しとけばいいのに、わざとなのか忘れるのか、毎年ケニー先生は講義が始まる初日に班分けをやるんだよな」


 ミルキーとロイドの説明に、なるほどと納得するティファ。


 よくよく考えれば、エルダー・エンチャントウェポンを使った時にも、かなりいろいろ危ない反応が起こっていた。


 ちゃんと習熟するまで、一人で高レベルの付与魔法を使うのは危険な行為なのは間違いなさそうだ。


「それで、この班のメンバーはミルキー先輩とマクレイヤー先輩だけなんでしょうか?」


「俺もロイドでいいぞ」


「あっ、だったらわたしもティファと呼んでください」


「了解。で、その質問なんだけど、去年はあと二人いたんだよ。ただ、一人はもともと五年生だから三月で卒業していなくなるのが決まってたけど、もう一人がちょっとなあ」


「何かあったんですか?」


「後期の期末試験の実技で特殊なミスをして、魔力がほとんど使えなくなっちゃったのよ」


「幸い、冷蔵庫ぐらいの魔道具を作るには十分な魔力が残ったから、技量的にも就職先には困らなかったんだけど、さすがにここに居続けるのは難しくなったから、中退したんだ」


「……なんだか、去年は中退が多かったんですね」


「……言われてみれば、そうかもね」


「戦闘魔法科と召喚魔法科でも一人ずつ、復帰できないレベルの怪我が理由で中退してるしなあ」


「治療魔法科の子は休学だけど、その時重傷者を治療するのに魔力使いすぎて何人か魔力枯渇症で治療中だしね」


「去年は、学院にとって厄年だったんじゃないか……?」


 少し表情を曇らせながらのティファの言葉に、去年の中退者や休学者の数を思い出して、その数の多さに思わず遠い目をしてしまうロイド。


 ミルキーもさすがに思うところがあるのか、どことなく沈痛な面持ちで言葉を探している。


 二人はティファに配慮して触れなかったが、去年は教師にも死人が出ている。


 ロイドの言葉ではないが、去年は間違いなくアルト魔法学院にとって厄年だったと言えよう。


 もっとも、その原因となった新政府も去年はいろいろやらかすだけやらかしている上、トライオン建国以来初の魔神出現も起こっているので、考えようによってはアルトという都市全体にとって厄年だったと言えなくもない。


「……まあ、そのことは置いときましょう。今考えることでも話すことでもないわ」


「そうだな。で、他に説明しておかなきゃいけないことってあったっけ?」


「えっと……、そうそう。一部の進行度別になってるカリキュラムや試験を除いて、基本的に座学も実技もこの班でやることになるから、授業中はずっと私達と一緒に行動することになるわ」


「飛び級で卒業が早くなったとか班のメンバーとよっぽど相性が悪いとかでない限り、卒業まで班替えとかはないから、俺とミルキーは少なくともあと二年は一緒だな」


「まあ、退学にならなきゃ、そうなるわね」


 恐らく付与魔法科独特だろうと思われるシステムについて、大体のところを説明し終えるミルキーとロイド。


 その説明が終わったところで、まるで見計らったかのようにケニーが声をかける。


「そろそろ自己紹介や説明事項も終わっただろうから、付与魔法概論の講義を始めるぞ」


 その声に、ティファの両隣りに座って教科書と筆記用具を取り出すミルキーとロイド。


 それを見たティファが、再び不思議そうに首をかしげる。


「あの……」


「さっきも言っただろ? 一部を除いて全部この班で受けるって」


「基礎中の基礎である付与魔法概論は、たとえ同じ内容でも毎年ちゃんと講義を受ける必要があるのよ」


「これがまた、一年経っていろいろ経験してから受け直してみると、同じ内容でも理解できてなかったり間違った理解してたとこが分かったりして、無視できないんだよなあ……」


「復習は大事ってことですか?」


「そういうことみたいね。残念ながら、私は今年初めての受け直しなんだけど」


 ティファの疑問に答えつつ、ノートとテキストを開いて真剣な表情で授業が始まるのを待つロイドとミルキー。


 全員が受ける姿勢になったのを確認したところで、ケニーが講義を開始する。


 ケニーの実に分かりやすく整理された説明により、ティファもすぐに講義に没頭する。


「ここまでで質問はないか?」


「はい!」


「ではベイカー」


「魔力が足りなかったケースは説明がありましたが、仮に多すぎた場合、それも必要量に対して倍以上の、極端に過剰な量と言ってしまえるだけの魔力を流し込んでしまった場合はどうなりますか?」


「ふむ。そういえば、普通にやればまず起こらない現象でここ数年はそのあたりの無茶をする人間もいなかったから、説明を抜かしていたのに気がつかなかったな。すまん」


 ティファ的に重要な、過剰な魔力を流し込んだ際の付与魔法の挙動。


 それについて、いくつかの実例をもとにケニーが説明を始める。


「まず、大前提として、付与魔法は他の魔法系統と違い、魔力を魔法回路に流し込んで機能そのものを定着させるという挙動の関係上、魔力が過剰に多かったからといって直ちに暴走するということは滅多にない。では、多すぎた魔力はどうなるか、というと……」


 説明をはじめながら黒板にいくつかの図を描いて、番号を振っていくケニー。


 図を描き終わったところで再び生徒達の方を向いて、図を指しながら説明をしていく。


「まず、一番多いのは、余剰分すべてが魔力を付与しようとした対象を通り過ぎて拡散していくパターン。魔力のロスは多いが、一番問題のないケースだな。流れ方としては表面を滑って拡散するパターンと、そのまま突き抜けて地面に吸収されるパターンが存在する。まあ、実際にはどちらかになるというよりは、両方が同時に起こるのが普通だが」


 そう言って、ケニーは描いた図の上を指示棒でなぞり、魔力の流れを疑似的に指し示す。


 それを見て、なるほどと頷く生徒達。


「次に多いのが、付与対象を破壊してから魔力が拡散するパターン。最悪ではないが、最悪に近いケースだな。これに関しては、わざわざ説明しなくても想像がつくだろうから詳細は省く。三つ目の魔法回路の破壊と四つ目の魔法回路の変質だが、実際にはこの二つは現象としては同じで、完全に回路が壊れるか、それとも予期せぬ形に変質するかの違いだけに過ぎない。変質が大きすぎれば回路が壊れる、というだけの話だ」


「あの、魔力で変質した魔法回路って、ちゃんと機能するんですか?」


「機能するから、パターンのうち一つとして説明した。学長からの話を聞く限り、ベイカーは特にこれに注意をする必要があるな」


「はうっ!」


 ケニーに指摘され、グサッとくるティファ。


 普通の攻撃魔法の術式をことごとく変質させてきた実績があるだけに、否定の余地はない。


「なお、変質した術式だが、今のところ例外なく、何らかの機能が拡張されるか、付与しようとした機能が強化されるか、あるいはその両方となっている。少なくとも冷蔵庫を作ろうとしてオーブンに化けるとかそういう現象は確認されていない。卓上コンロを作ろうとして、キャンプファイヤーができるレベルの火炎放射器に化けた事例はあるがな」


 ケニーの説明を聞いて、ノートにメモを取りながら思わずさらにがっくり来るティファ。


 ティファ的には、いろいろと覚えがある現象だ。


「そして、最後の一つ、いわゆる最悪の事例が、魔力回路を変質させて定着させた上で魔力が暴走するケース。今のところ我が国では発生しておらず、世界全体でも五例しか確認されていないが、一度発生すると災害に近しい被害が出る上、それで出来上がる道具がまた碌でもないものばかりでな」


 困ったもんだという感じの軽い態度で、とんでもないことをあっさり説明するケニー。


 その内容に絶句する生徒達。


「……あの、そんなことが起こるなんて、ものすごく危ないのではないでしょうか?」


「心配しなくても、そう簡単に起こせるようなもんじゃないようでな。というのも、五例すべての共通点として、何百人規模で儀式を行った上にその七割以上は素人を魔力タンク代わりにするために暴力で無理やり参加させていて、複数の人間を生贄にしている。こんなやり方で魔力を暴走させないわけがないし、そもそもそこまでやれば、たとえベイカーの今の魔力でも勝負にならない魔力量になる」


「……そこまでして、いったい何を作ろうとしていたんでしょうか……」


「さあな。記録はあったようだが、何をしたかの情報はあっても、何を作ろうとしたのか、何のために作ろうとしたのか判明していない。そのあたりの記録はごっそり破り捨てられていたそうだ」


 ティファの質問に対して、現状分かっていることを説明するケニー。


 一旦そこで言葉を切って、教卓の水差しで喉を潤す。


「それ以外に分かっているのは、それら全部が小国一つ分程度の土地を死の大地に変えてしまうような代物になっていて、常人がその土地に一歩足を踏み入れれば即座にアンデッドに早変わりすることだけだ。調べようにも、五つのうち二つは自壊、三つはベルファールの鉄壁公によって破壊されて現存していないし、残っていたところで調査のしようがな……」


 喉を潤してからのケニーの説明に、思わず生徒達全員が沈黙してしまう。


 付与魔法の可能性と危険性、それをすべて詰め込んだような話だけに、なかなか処理が追いつかないようだ。


「何にしても、付与魔法というのは難易度だけでなく、現象が一瞬で終わらず道具という形で半永久的に残る、ということも他の魔法とは違う。そのあたりを肝に銘じて、くれぐれも慎重に扱ってくれ。っと、ちょうどいい時間だから、午前中の講義はこれで終わりにしよう」


 ケニーのまとめを受けて、ティファの付与魔法科の最初の講義が終わりを告げる。


「……なかなか衝撃的だったけど、いつまでも呆けててもしょうがないわ。お昼にしましょう」


「……そうだな。ベイカー、じゃなかった、ティファは飯はどうするんだ?」


「……あっ、お弁当、作ってもらってます」


「そう。だったら一緒に食べる?」


「はい!」


 付与魔法に関する衝撃的な事実から強引に気持ちを立て直したところで、仲良く昼食にするティファ達。


「ティファのお弁当、美味しそうね……」


「なんか、妙に肉の量が多い気がするが……」


 ティファの弁当に入っているローストビーフサンドに、どことなく羨ましそうな目を向けるミルキーとロイド。


「えっと、昨日ユウさんが――あっ、わたしのお師匠様なんですが、デビルバッファローっていうモンスターを仕留めてきて、お肉が豪快に余っちゃったらしいんですよ」


「「……えっ?」」


「それで、火を通さないとすぐに傷んじゃう部位をローストビーフにして今日のお弁当にしたそうで」


 肉の量がなかなかすさまじいローストビーフサンドについて、軽く事情説明するティファ。


 その事情を聞いて、顔が引きつるミルキーとロイド。


 デビルバッファローのすぐに傷んでしまう部位というのに心当たりがあるようだ。


「えっと、そのお肉って……」


「サーロインだって言ってました。あっ、一切れどうですか?」


 ティファの言葉に絶句しつつ、反射的に頷いてしまうミルキーとロイド。


 はちきれんばかりに肉が挟まれたローストビーフサンドを一切れ受け取り、恐る恐る食べる。


「……ダメダメ、これダメ! あんまり食べると、他のローストビーフが食べられなくなるわ!」


「だなあ……」


 想像をはるかに超える、というより生まれて一度も食べたことがないほど美味しいローストビーフに、恐れおののくミルキーとロイド。


 それなりにいい家に生まれた二人は、あまり美味しいものを食べてしまうと普通のハードルが上がってしまうことを経験的に知っているのである。


「……なんか、あんたがどういう環境で生活してるのか、いろんな意味で気になってきたわね……」


「これから班行動で一緒に行動する機会が増えるんだし、一度顔を出したほうがいいかもしれないな……」


「あっ、だったら今日の講義が終わったら、わたしのお世話になっている冒険者の酒場に一緒に行きますか?」


「そうね……」


「こういうのは早いほうが後悔しないだろうしな……」


 ティファの誘いに、遠慮なく乗っかることにするミルキーとロイド。


 その結果……、


「ちょっと待ちなさい!」


「むっ?」


「何で魔法使いにそんなに本格的に杖術仕込んでるのよ!?」


「身に着けておかないと危険だからに決まっているだろう?」


「ああ、もう、何でそんな当たり前のように言い切るのよ!?」


「……あ~、なんか懐かしい光景が見えるなあ……」


 ユウとティファが普段やっている訓練を見てミルキーが吠え、カレンに生暖かい目で見守られる羽目になる。


「なあ、ティファ。一応確認しておきたいのだが」


「なんでしょうか?」


「この二人も、採取とかに出られるように鍛えたほうがいいか?」


「えっと、どうでしょう?」


「ティファちゃんみたいに特殊な事情がないのなら、控えておいたほうがいいんじゃない?」


「ふむ、そうなのか?」


 その様子を観察したユウの物騒な発想は、カレンのツッコミによって無事に回避されるのであった。

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