第2話 トルティア村での一日
「おはようございます!」
「ああ、おはよう」
ユウとティファの朝は早い。
まだ外が薄暗い時間に起きて身支度を調え、朝の鍛錬を始める。
それは、たとえトルティア村にいるときでも変わらない。
「今日は、村の外周を結界に沿って走ることにする」
「分かりました!」
ユウの指示に、準備運動をしながら元気よく返事するティファ。
なお、トルティア村の外周を一周というのは当然のごとくキロ単位の距離で、最近の鍛錬で走っている距離と大体同じか少し長いくらいだ。
鍛錬開始当初は数百メートルでバテていたティファが、キロ単位の距離を走って、素振りその他の鍛錬をこなした後、ダウンすることなく普通に動けるようになったのだから、随分と鍛え上げられたものである。
準備運動を終えた後、村の入口を目指してゆっくり走り始めるユウとティファ。
「あの、ユウさん」
走り始めて数分後、村の外に出てしばらくしたところで、ティファがユウに質問をする。
「なんだ?」
「結界の外に出ちゃってますけど、モンスターに遭遇したらどうします?」
「いい機会だから、走りながら仕留める訓練に使う」
「走りながら仕留める、ですか?」
「ああ。状況によっては、逃げなければならないこともある。が、そういう状況というのは、背中を向けて一目散に走って逃げる、とはいかんことが多い」
「言われてみれば……魔神とかが相手だと、下手に背中を向けることもできません!」
「魔神相手だと誰かが足止めをしない限りは、逃げを打つ選択自体不可能だがな」
いきなり魔神という極端な例を持ち出すティファに対し、淡々と言わずもがなな指摘をするユウ。
第三者が聞けば突っ込みたくなること間違いなしの会話だが、ユウもティファも自分達の会話がずれているなどという認識はなく、至って大真面目である。
「それで、だ。今回は、走りながら魔法を発動させるのに慣れることを優先する。なので、リミッター付きの魔法を使え」
「はい!」
「使う魔法の種類は特に指定しないが、範囲攻撃魔法は禁止だ」
「分かりました!」
ユウの指示に、元気よくそう答えるティファ。
といっても、人里近くで結界も張られているような場所だけあって、そうそうモンスターなど出現しない。
ユウとティファが最初にモンスターに遭遇したのは、予定した距離の四分の一強を走り終え、村の中心地から一番離れた場所に到達したときのことであった。
「ふむ、来たか」
「鳥型のモンスターですね」
近寄ってくる気配を察知し、即座に正体を絞り込むユウとティファ。
そのまま、流れるような動きでユウが杖を取り出し、走る速度を落とさぬままえぐり込むような突きを放って衝撃波を飛ばす。
轟音と共に打ち出された衝撃波は、今まさに二人を襲おうと急降下を始めたモンスターに直撃、見事撃墜する。
「とまあ、こういう感じだ」
落ちてきた鳥の首筋に軽く突きを当てて頸椎を破壊し、状態保存の魔法をかけてどこから取り出したのか巨大な網の中に放り込みながらティファに告げるユウ。
その間も、走る速度は一切落としていない。
「えっと、素材は回収できるように仕留めた方がいいんですか?」
「可能ならば当然そうすべきだが、現段階ではそこまでは求めん。まずは確実に魔法を発動させて、一撃で仕留めることを考えろ」
「はい!」
ユウの指示に、足を止めずに真剣な表情で答えるティファ。
走りながらこれだけの会話をしても息一つ乱さないのだから、本当に体力が付いたものである。
とはいえ、先ほども触れたように、現在位置は魔よけの結界のすぐ近くだ。
飛行型のモンスターでもなければ、そうそう頻繁に遭遇することもない。
標的となるモンスターが出現したのは、それから更に数分後。村の農地が途切れ、開拓中の土地が目に入ってからであった。
「えいっ! フロストバイト!」
開拓中と思しき小さな林。そこから猛烈な勢いで飛び出してきたイノシシ型モンスター・ロックボアは、ティファの魔法によって一瞬で氷漬けにされる。
それを見て確実に仕留められていることを確認し、そのまま足を止めずに獲物を袋に突っ込むユウ。
ティファに合わせて走る速さを加減をしていることもあり、これくらいの重量ならばユウにとっては空のリュックを背負っているのと大して変わらない。
「どうやら、このあたりに小規模なモンスターの巣があるようだな」
「えっと……、あっ、ありました!」
ユウの言葉に少し走る速度を緩め、周囲の気配を探るティファ。
移動しながら気配を探っていたこともあり、すぐに巣がティファの探知範囲にも入ったようだ。
「なんだか、ずいぶん村の近くにある気がします」
「そうだな。直接見なければ何の巣かは分からんが、こんなに結界の近くに巣があること自体、珍しいというか違和感がある」
「やっぱり、おかしいんですか」
「ああ。……そうだな。少し回り道になるが、気づいた以上、この巣だけは今のうちに潰しておこう」
「はい!」
とりあえず、放置しておくのも気になるので、ついでとばかりに巣を駆除することを決めるユウとティファ。
これがアルトなら強固な市壁があるので、一種や二種のモンスターが巣を作って大発生したところで大して問題にはならないが、トルティア村は外壁などないただの農村だ。
違和感云々を横においても、人里近くにモンスターの巣があるのは物騒にもほどがあるので、早めに潰しておくに越したことはない。
「……ホーンラットの巣か。微妙なところだな」
「とりあえず、焼いちゃいますね」
「ああ」
ユウとティファが発見したモンスターの巣、それは一見して、ウサギか何かの巣穴のような小さな横穴であった。
ユウの許可を得て、小さく絞り込んだファイアーボールを巣の奥に放り込むティファ。
リミッター付きの術式で魔力の調整が不要だからか、奥に到達するまで余計なものを何一つ焼かないという異常に繊細で高精度なコントロールを見せる。
奥に着弾すると同時にくぐもった破裂音と大きめの振動が起こり、数秒後にモクモクと煙が巣穴から立ち昇った。
それに追われるようにして穴から出てきたホーンラットを、次々と仕留めるユウとティファ。
三分後、無事にホーンラットの巣の駆除は完了する。
「気配はなくなったから、恐らく生き残ったやつはいないだろう」
「もしかしたら外に出ている個体がいる可能性も……大丈夫でしょうか?」
「こいつらの性質上、この時期に外に出ているとなるとオスだろうからな。少々生き残ったところで繁殖することはなかろう」
念のためにもう一度巣穴にファイアーボールを放ち、中を完全に焼き払いながら、そんな質問をするティファ。
いくらモンスター相手とはいえ、巣を手際よく容赦なしに駆除するその様子は、カレンあたりが見ればドン引きしそうである。
そのティファの質問に、何でもなさそうにそう告げるユウ。
が、故郷の村が近くにあるからか、ユウの説明では不安をぬぐいきれないティファが、重ねて大丈夫なのかを問う。
「あの……村に仕返しをしに来たりは……」
「さっきやって分かったと思うが、こいつらに大した戦闘能力はない。だから、単体や少数の群れでは積極的に攻撃を仕掛けたりはしてこない。数が多ければ厄介ではあるが、今潰した巣の規模から言うと、逃げていたとしても十やそこらがいいところだから問題にはならん」
「そうなんですか?」
「ああ。こいつらが魔除けの結界が張られている集落に襲撃をかけようとするのは、最低でも千以上の数になってからだ」
ユウの説明を聞いて、ようやく納得するティファ。
二人が仕留めたホーンラットというモンスターは、家猫ぐらいの大きさで角の生えたネズミである。
サイズが大きくなったせいかネズミほどの俊敏さはなく、攻撃手段は噛みつきか突撃のみという分かりやすいモンスターで、突撃も猫やウサギのように大きく跳ねて飛びかかるものではないので、一対一なら駆け出しの冒険者でも苦もなく倒しきれる。
とはいえ、最弱級のモンスターと違って子供でも武器があれば倒せる、というほど弱くもない。
また、低い位置で動き回り突っ込んでくるため、数がいると対処が非常に面倒くさい上、足をやられてしまうと身動きが取れず、そのまま致命的な状況に追い込まれてしまうこともある。
そしてネズミだけあってか、大抵は何匹かの群れで襲い掛かってくる。
故に、一人でホーンラットの群れを無傷で殲滅できるかどうかが、駆け出しを卒業したかどうかの目安の一つとなっている。
なお、ティファに関しては龍鱗で身を守りながら適当な魔法をぶっ放すだけで、ホーンラットごときなら千だろうが万だろうが無傷で殲滅できるので、すでに何の脅威にもなっていないのはここだけの話である。
「とはいえ、別のことが気になるから、後で一度調べに来た方が良さそうだ」
「今、調べないんですか?」
「鍛錬の途中だし、獲物を放置するわけにもいかん。特に急ぐ必要もないから、まずは戻って鍛錬を終えてからだ」
「はい、分かりました」
気になることがある、というユウの言葉にやや不安になりながらも、鍛錬の途中でしかも荷物もあることを指摘され、おとなしく引き下がるティファ。
特に問題が起こっているわけでもないのに、途中で鍛錬を放り出すのもそれはそれでむずむずして居心地が悪いようだ。
「あと、ちょうどいい鍛錬になるから、ティファも何匹か背負え」
「えっと、何匹くらい背負えばいいでしょうか?」
「そうだな。……ふむ、三匹ぐらいが良さそうか」
そう言いながら、適当に選んだホーンラットを袋詰めし、ティファの背中に括り付けるユウ。
ホーンラットは家猫くらいの大きさなので、重さも家猫とそれほど変わらない。いや、腹回りにたっぷり肉がついている分、家猫より重い。
それが三匹となると、比較的小さめの個体を選んでも軽く十キロを超える。
最近ようやく平均身長に追いついたばかりのティファだと、自身の体重の何割かに匹敵する重さである。
その重さを背負わせて走らせるのだから、子供にやらせることではない。
それを平気でやらせるユウも、そこに何の疑問も抱かないティファも、いろんな意味で手遅れなくらいずれていると言えよう。
まあ、二人にとって平常運転といえば平常運転なのだが……。
「では、鍛錬に戻るか。予定の距離の三割は過ぎているが、荷物が増えている。ペース配分を間違えないように気をつけろ」
「はい!」
ユウの言葉に、素直に元気よく返事をして、慎重にペースを探りながら走り始めるティファ。
その後ろについて走り、ついでに飛びかかろうとしていた鷹のようなモンスターを気功弾で叩き落とすユウ。
この後も二度ほどモンスターに絡まれてティファと交互に撃退し、村に着く頃には自身の体格の三倍以上はある獲物を担いで走ることになるユウであった。
☆
「まったく、何の冗談かと思ったぞ……」
「すまんな。助かった」
ベイカー家が営んでいるパン屋。その隣にある空き地。
アルマースが、巻き藁相手に発剄の練習をしているティファを見守りながら、どことなく遠い目をしてそうぼやく。
先ほどまでアルマースは、この村の冒険者の酒場に面通しが済んでいないユウ達との間に入って、冒険者や酒場の主人を紹介したり解体の依頼をまとめたりと、様々な雑務を手伝っていたのだ。
なお、ティファが発剄の練習を行っているのは、体力があるうちにやっておきたいという本人からの申し出をユウが受け入れたからだ。
なので、杖術の方はこの後、時間を絞って行うことになっている。
「ティファがいるのに、わざわざモンスターがいるところを走る必要があったのか? 何もなかったから良かったが無理に危険に晒すことはないだろう」
「一応これでも、結界に沿って走るコースを通ったんだがな……」
アルマースからの苦情に、やや渋い顔をしながらそう答えるユウ。
一応これでも、最初は村の中を走るコースを模索したのだ。
が、農作業中の村人をジャマせずに走るには無理がある場所が多く、そういった部分に配慮した結果、十分な鍛錬となる距離を村の中で走るのは難しい、という結論に達してしまったのである。
「それと、念のために言っておくが、ネズミの大部分とイノシシ、それからトンビはティファが仕留めたやつだぞ」
「……マジかよ……」
「ああ。ティファの魔法なら、リミッターをかけてもその程度のモンスターは一撃だ」
淡々と告げるユウの言葉に、思わずぎょっとするアルマース。
一対一なら武器さえあればアルマースでも倒せるホーンラットはともかく、それ以外のモンスターは一人前の冒険者でもそれなりに手こずる相手だ。
特に毛皮が岩のように硬いことからロックボアと名付けられたイノシシは、そのタフさも相まってとかく仕留めるのに攻撃力と手数が必要な、ベテランでも嫌がるタイプのモンスターである。
それを一撃で仕留めるとなると、魔法であることを踏まえてもかなり凄まじい攻撃力を持っていることになる。
ユウの言っていることが事実だとすると、単純な火力だけなら、恐らくティファはこの村に常駐している冒険者全員の合計よりも高い。
なお、なぜアルマースがそんなことを判断できるかというと、村の居酒屋でたまに冒険者達と飲んで、冒険談を聞いているからである。
冒険者なので苦労度合いを盛っているのだろうとは思うが、それを踏まえても解体する際の苦労話などを聞いてる限り、ロックボアを倒すのにかなり時間がかかるというのは事実だろう。
余談ながらトンビについては、鳥型のモンスターは基本的に地面に引きずり落とすのが厳しいだけなので、魔法使いがいれば割と簡単に対処できるとアルマースも知っている。
なのでティファが仕留めたこと自体に、さほどの驚きはない。
「……なあ、ユウ。お前は、俺の妹をどうしたいんだ?」
「どう、というか、せめてリミッターなしの術式でも規模を抑えられるように仕込まんと、危なっかしくて放置できん」
「……うちの妹、そんな危険物なのか……?」
「ああ。魔力が大きすぎて、小規模の魔法を使うのが非常に難しいようでな。コントロール自体はきちっとできているのだが、ほんの少しだけ魔力を使うのがとにかく苦手で、普通の術式だとやたら規模が馬鹿でかくなってな……」
「……それ、本気で大丈夫なのか?」
「大丈夫ではないから、こうして鍛錬をしている」
「…………」
ユウの説得力抜群の言葉に、思わず黙り込むアルマース。
どう見ても魔法を使うための鍛錬には見えない、という点が気になるが、年齢に見合わぬ賢さを持つティファがおとなしく従っているのだから、必要な鍛錬なのだろう。
「それで、あれは何をやってるんだ?」
巻き藁を押してミシミシと微妙な音を立てているティファを見ながら、そんな質問をするアルマース。
質問の内容がバシュラム達と同じであるあたり、やはり発剄の訓練は知らない人間が見ると、非常に微妙な印象を受けるらしい。
「発剄と言う、ちょっと特殊な打撃を練習している」
「打撃? ティファは魔法使いを目指してるんだよな?」
「ああ」
「なんで打撃技なんか必要になるんだ?」
「教えている打撃は、懐に入られたときにノーモーションで相手を弾き飛ばす技だ。戦場に出る羽目になった場合、その手の技を覚えているかどうかで生存率が大きく変わる」
その説明を聞いて、思わずユウにジト目を向けるアルマース。
言わんとしていることは分からなくもないが、まずは魔法の訓練を優先させるべきだろうと思ってしまう。順序として、打撃は後回しにしても問題ないものではないのか。そんな気がしてしょうがない。
「さて、そろそろ切り上げさせて次の鍛錬に移らんと、飯の前に日課が終わらん」
アルマースの疑問などどこ吹く風、という感じで、杖を手にティファのそばに歩いて行くユウ。
ティファの方も、ユウが近づいてきたところで、何も言わずに発剄の訓練を終える。
「今日こそは五つ、成功させます!」
「ああ」
杖を受け取りながら、気合いたっぷりにそう言い切るティファ。
それをいつものように微妙なテンションで受け流しつつ、杖を構えるユウ。
ユウにしろティファにしろ、場所が変わっても、それで普段のペースが乱れるということはないようだ。
「……あれは、何をやってるんだ?」
ユウとティファが杖術の訓練を始めてから十分少々。
朝の分のパンを焼き終わり、様子を見に来たイヴァンが心底不思議そうに、を通り越して、不審そうにアルマースに質問する。
「俺に聞かれても困るけど、魔法使いになるための訓練の一環、だそうだ」
「……どう見ても、僧兵あたりの訓練にしか見えんのだが……」
ユウから聞いたことをそのまま説明をするアルマースに、クマでも殴り殺せそうな形相でそう吐き捨てるイヴァン。
そんな外野の反応など知ったことではないとばかりに、徐々に打ち合いのペースを上げていくユウとティファ。
といっても、今やっているのは、あくまで防御の訓練だ。
普通であれば、たとえ防御の訓練だとしても牽制のため多少の攻撃を入れたりするのだが、ティファの場合は攻撃などやるだけ無駄だと理解しているので、ただただひたすらユウの攻撃を防ぐことに徹している。
一応魔法使いらしく、ティファはライトの魔法をいくつか発動させて浮かべてはいるが、ただ浮かべているだけで動かしたりぶつけたりはしないので、傍目には何の意味があるか分からない。
しかも、ユウはいつものムッツリした不愛想な表情で、その動きも素人目にはとても加減してるとは思えないものだ。
結果として、ユウがティファを一方的に棒で殴ろうとしているようにしか見えなくなってしまう。
「あうっ!」
イヴァンが来てから一分後。素人ではまったく見えなくなるほど打ち合いの速度が上がってしばらくしてからのこと。
五つ目のライトの魔法が完成する直前に、ユウの攻撃がティファをとらえた。
大きく姿勢を崩したティファの姿に、イヴァンだけでなくアルマースの表情も険しくなる。
「術に気を取られすぎだ」
「すいません……」
「五つ発動できたところで、そこで終わりではない。そのことを忘れるな」
「はい! もう一本、お願いします!」
「ああ」
そんなイヴァンとアルマースの様子をまったく気にすることなく、今の失敗を総括した後、再び打ち合いを始めるユウとティファ。
あまりに当たり前のように訓練を続ける二人に、割って入る隙間を見つけることができず、うなりながら見守り続けるイヴァン。
そうやって打ち合いを続けること、更に十数分。
何度目かの仕切り直しで、ついにティファが五つ目のライトの発動に成功する。
が、そこですぐに打ち合いを終えず、三十秒ほどかけて減速し、お互い残身の構えに移って打ち合い訓練を終える。
「ユウさん、やっとできました!」
「ああ、見事だ。だが、一度できただけでは駄目だ。次に移るためには最低限、まぐれではないと言える程度の成功率が必要だ」
「そうですね。でも、どれぐらいできれば良さそうですか?」
「所詮訓練だからな。最低でも五日、五本から六本連続で成功させ続けねば、身に付いたとは言い難い」
「だとすると、次の目標はそれですね」
「そうなるな」
整理運動をしながらそれなりにティファを褒めつつ、次のもっと厳しい目標を提示するユウ。
ユウが提示した目標に、妙に嬉しそうに応じるティファ。
そこに、ようやくイヴァンが割り込む。
「何をやっていた?」
「何を、って、鍛錬だけど?」
鬼のような形相で問うイヴァンに、不思議そうに首をかしげながらティファがそう返す。
もはや毎日のことで理屈も重々承知している上、発剄をはじめもっとわけの分からない鍛錬を散々こなして結果を出してきたティファには、父の質問の意図がピンと来ていないのだ。
「魔法使いになるために、棒で殴られる鍛錬が必要なのか?」
「別に、殴られてはいないんだけど……」
更なる質問でようやくイヴァンが何を怒っているのか理解したティファが、困った表情を浮かべながら、とりあえずそう反論する。
確かに知らずに見ていれば、か弱い少女がいい大人から一方的に殴りかかられているように見えるだろう。
ユウの表情や態度も、そういう意味ではよろしくない。
が、そもそもの話、訓練用とはいえ木の棒で殴られてこんなにピンピンしている時点でちゃんと手加減はされているのは明白で、父が気にするような問題は起こっていない。
が、頭に血が上っている人間には、そんな理屈は通じない。
それに、いくら訓練だといえど、幼い末っ子が目の前で痛い目に遭わされているのは、家族からしたら気持ちがいいものではない。
そういう面でも、イヴァンを納得させるのは難しそうだ。
「親父の言い分じゃないが、俺もあんな激しくて危ない鍛錬が必要なのかは疑問だな」
「学院のカリキュラムで実際のダンジョンに行くから、ちゃんと身を守れるように鍛えておかないと危ないよ?」
「それで怪我したら元も子もないんじゃないか?」
「ユウさんがそんな失敗するほど、わたしの腕は良くないから大丈夫だよ」
「ああ。それにそもそもの話、鍛錬で怪我をさせるなど、そんな効率の悪いことはせん」
家族からすればそういう問題じゃない、と言いたくなるティファとユウの言葉に、深く深くため息をつくアルマース。
なんだかんだ言って、先ほどの鍛錬で散々被弾していたティファがピンピンしている時点で、イヴァンやアルマースが何を言ったところで恐らく無駄であろう。
「それはそうと、客が来ているようなのだが……」
「ん? ああ、ライアじゃないか」
「あっ、おはようございます……って、なんだか取り込み中みたいですね」
どうやらパンを買いに来ていたらしい冒険者風の女性が、ユウとイヴァンの言葉に対して慌ててそう言って引っ込もうとする。
彼女はライア・サリバン。従軍経験もあるそこそこベテランの神官戦士で、酒場でアルマースがユウに紹介した冒険者の一人である。
紹介の際にユウとティファが山ほど持って帰ってきた獲物を見ているため、二人に対して興味があったライアは、今日の分のパンを買うついでに鍛錬を見学していたのだ。
顔見知りの気安さか、逃げを打とうとしている気配があるライアに対し、イヴァンが声をかける。
「今までのことを、見ていたのか?」
「えっと、五分ぐらい?」
「どう思った?」
「うちの師匠に見習わせたいくらい、丁寧に注意して指導してるなっていうのと、まだ子供なのにいろんな意味ですごいな、と……」
「……あれで、丁寧なのか?」
「羨ましくなるくらい、丁寧です!」
今までいろんな経験をしてきたライアが、ベテランならではの視点でイヴァンの問いに全力で答える。
彼女の場合ヒーラーであったことが災いしてか、怪我は自分で治せと一切手加減なしで殴られまくったのだ。
おかげで打撲や骨折は日常茶飯事。折れた肋骨が肺に刺さって魔法がまともに使えないという危機的状況に陥ったことすらあった。
それから考えれば、いくら効率のためとはいえ、ちゃんと怪我をしないように配慮してくれるような師匠に文句を言うのは、お門違いにもほどがある。
そもそもの話、打ち合いの最中にティファが食らっていた程度の攻撃で怪我をするようなら、日常生活すらまともに送れない。
「丁寧なのは分かったが、あんなに厳しく鍛える必要があるのか?」
「マジックユーザーは神官だろうと魔法使いだろうと、いつどういう状況で戦場に呼び出されるか分かりませんし、そういった場合、とにかく生き残ることが一番重要です。ですので、防御に関してはどれだけ鍛えても鍛えすぎということはないかと」
イヴァンの更なる疑問に対し、過去の従軍経験を参考にそう語るライア。
彼女は三年前、前政権が誕生するきっかけとなったモンスターの大量発生に際して、トライオン政府からの招集を受けて軍の一員として参戦している。
そのときにマジックユーザー、それも普段は研究室に籠もっているタイプの魔法使いが真っ先に標的になって即死し、そのまま総崩れとなって壊滅的な被害を受けた部隊を多数目撃していた。
そのため、ユウの指導方針に異を唱える気にはならないのだ。
「そのあたりの話はキリがないから、そのくらいにしておこう。今日はそちらの仕事場を荒らしたから、飯の後にでもあらためて挨拶に行きたい。すまないが、伝言頼めるか?」
「分かりました。でも、お二人が仕留めてきたモンスターってどれも面倒くさいのばかりですし、むしろこちらとしてはすごく助かりましたから、そんなに気になさらなくても大丈夫ですよ」
ユウの言葉に、にこやかにそう答えるライア。
実のところ、先ほどアルマースを介して顔合わせをしたときは、早朝でかつ処理しなければいけない獲物の数が多かったため、本当にただ顔を合わせただけだったのだ。
冒険者の酒場があまりに慌ただしくなったことに加えティファの鍛錬や朝食の時間との兼ね合いで、迷惑料として獲物に対する権利を放棄して酒場を辞してきた、というのが現状である。
金銭的な面で見るならそれで問題ないのだが、さすがに一年ほど冒険者を経験したユウとしては、マナーやら何やらを気にせずにはいられない。
ライアの言葉に甘えても問題はないだろうが、こういうことを蔑ろにすると回り回って自分の首を絞めそうなので、ユウはちゃんと挨拶をしっかりしておきたいのである。
「こういうのはマナーの問題だからな。気にするなと言われて、はいそうですかとはいかんよ」
「そうですね。では、伝えておきます」
ユウが何を気にしているのかを何となく察し、そう言って一つ頭を下げると、何やら機嫌よさげに立ち去っていくライア。
それを見送った後、ユウがティファに指示を出す。
「今言ったとおり、飯の後に酒場の方に挨拶に行ってくる。その間、ティファはイヴァンの手伝いをしていてくれ」
「はい、分かりました。でも、走ってる最中に、何か気になることがある、って言ってましたよね?」
「そっちは、酒場に挨拶をした後に考える。もっとも、さっきの今だからな。どんな危険があるかも分からんから、さすがにティファを連れていくのは無理だ」
「あ~、そうですね……」
ユウの言葉にしょんぼりしつつ同意するティファ。
さすがに、今の自分が足手まといである事実はちゃんとわきまえているのである。
「そっちも言いたいことはいろいろあるだろうが、できたら酒場から戻ってきた後にしてもらえると助かる」
「……ああ。その代わり、時間が許す限りじっくり話をさせてもらうぞ」
ユウの申し出に、渋い顔を崩さぬままイヴァンが同意する。
こうして、微妙に雰囲気が悪いまま、ベイカー家の朝食が始まるのであった。
☆
「そうそう。そうやって腰を入れて」
「はい!」
朝食後、パン屋の厨房。
ティファはアルマースから指導を受けながら、パン焼きを学んでいた。
「……アルお兄ちゃん。そろそろ寝かせた方がいいと思うんだけど、どうかな?」
「……そうだな。いい感じだ」
ティファのこねた生地を軽く触れて確認し、その具合に一つ頷くアルマース。
当初の予想とは裏腹に、ティファのこねた生地はしっかりした出来であった。
「ティファは、パン作りは今日が初めてだったよな?」
「うん。……何かおかしなこと、してた?」
「いや。強いて言えばちょっとこね方が甘くて生地が柔らかいぐらいで、特に問題になるようなことはなかったよ」
不安そうにするティファに対し、優しくそう告げるアルマース。
正直、今まで他の妹や弟に教えていた時の経験から、いくらティファが賢くても、もっと頓珍漢なことをすると思っていた。
それが実際に指導してみると、とにかくよく話を聞き作業内容をじっくり確認し、と、教える側にとって、まさに理想的な生徒といった対応であった。
実際の作業にしても、年齢や体格の関係で筋力的な部分が足りないのではないかという不安をよそに、ティファは実に器用に体重をかけて腕力を補っていた。
その結果、ティファは焼きさえ失敗しなければ売り物にできる程度のパン生地を作り上げることに成功していた。
もう五年以上修行している弟たちに比べればさすがに劣るが、初挑戦の結果としては上々どころではないと言えるだろう。
「それにしても、ティファ。妙に生地の作り方に慣れてた気がするんだが?」
ちょうどいい機会だからと、休憩ついでにティファと少し話をすることにするアルマース。
まずは教えていて気になっていた部分を、話題のとっかかりにする。
なお、その間もノルマが終わっていない二人の弟はせっせと生地をこねており、イヴァンも発酵が終わったパンを焼いている。
弟二人はともかく、イヴァンの方は今の分がそろそろ焼き上がるので、次のものを入れるまでは手が空くことになる。
「料理の練習でパンケーキをいっぱい焼いたから、そのおかげかな? ただ、パンケーキとパン生地とでは勝手が全然違うから、ものすごく難しかったけど……」
「なるほどなあ」
ティファの説明に納得するアルマース。
パンケーキもパン生地も、もっと言うならクッキーなどの焼き菓子類や麺類も、生地自体の性質は完全に別物ではあるが、作り方の基本的な部分はそれほど大きく変わらない。
つまり、パンケーキの作り方を習熟していれば、パン生地作り初挑戦である程度うまく作れたとしても、それほどおかしなことでもない。
「しかし、慣れるほど練習したのか。材料とかはどうしてたんだ?」
「いつもお世話になってる冒険者の酒場のおかみさんが、料理を教えてくれるついでに材料も用意してくれるの」
「作るのはいいが、全部ティファが食べてるのか?」
「さすがに全部は食べないよ。練習で作ったものの試食は、同じ酒場に出入りしてる冒険者の皆さんにお願いしてるんだ」
「それ、実態は無料でこき使われてるだけ、とか言わないか?」
「そんなことないよ。最初の頃はともかく、最近では練習なのにお給金もいただいちゃってるし」
ティファの言葉に、大体の事情を察するアルマース。
今の話だけでは金を取れるのがパンケーキだけなのか、それとも他の料理もなのかまでは分からないが、少なくとも商品として客に出せるレベルのものは作れるようになっているようだ。
恐らく材料代を支援した上で売り物になるまで試食に付き合ったであろうことを考えると、ティファは周囲の人間からとても可愛がられているのだろう、とアルマースは予想する。
「でも、練習で作ったものでお金貰うのって、ちょっと申し訳ないの……」
「練習だろうが何だろうが、金を払う価値があると認めてもらってるんだから、そこはありがたく受け取っとかないと駄目だぞ」
「それ、マスターやおかみさん、カレンさんにも言われた。でも、やっぱりちょっと……」
「どうしても申し訳ないなら、いつか恩返しできるように、いろんなことを学んで立派な大人になればいいんだよ」
ティファの可愛らしい健気な悩みに、思わず青臭い理想論で諭してしまうアルマース。
正直、他の兄弟に見習ってほしい純真さだ。
できればこのまま常識と良識を維持したまま育ってほしいところだが、師匠が『あれ』なのが不安でしょうがない。
「さて。今からちょっと日持ちするパンを作るんだが、ティファもお土産用に一緒に作るか?」
「うん!」
ある面ではすでに破綻している願いを内心で抱きながら、ティファの指導ついでに自分の仕事を勧めるアルマース。
その誘いに嬉しそうに頷いて、道具を手に取ろうとしたところでティファの動きが止まる。
「どうした?」
「……なんか…………ものすごい数のモンスターが村に向かってきてる気がするんだけど……」
「……はあ!?」
唐突なティファの言葉に、思わず目をむくアルマース。
その後、すぐに耳を澄ませて様子をうかがう。
ティファがどんな手段で探知したのかは分からないが、もしモンスターの群れが村に向かっているなんて大事件が起こっているのであれば、この中からでも聞こえるぐらいの騒ぎになっているはずだと判断したのだ。
「特に騒ぎにはなってないみたいだが……」
「気のせいじゃなきゃ多分だけど、まだ村の外なんだと思う。……あっ、ユウさんがこっちに飛んできてる」
何も聞き取れなかったアルマースに対し、ティファがそう補足する。
実のところ、今回に関してはティファも、はっきりとモンスターの気配やら何やらを察知しているわけではない。
普段感じない気配や魔力の動きをかすかに察知し、今まで経験したことの中から近いパターンを当てはめただけである。
感覚的には、遠くで大きな煙が上がっているのを見て、火事が起こっていると判断したのとそう大差ないのだ。
ユウがこちらに飛んできているのを察知しなければ、気のせいかもで済ませていた可能性が高い。
「ユウさんがわざわざ空を飛んで戻ってきたってことは、多分本当にモンスターの群れが近づいてきてるはず」
「おいおい、勘弁してくれよ……」
ティファの言葉に、半信半疑ながらそうぼやくアルマース。
その言葉と同時に、ユウが厨房に入ってくる。
「すまん、ティファの力を借りたい」
「……今、ティファがモンスターの群れが出たと言っていたが、それか?」
「ふむ。まだかなり距離があるが、ティファも察知できていたか」
「ということは、本当なんだな?」
「ああ、森の方から村に向かっている。遅延工作を仕掛けたから、村に到着するまで十分はかかる。その間に万一の備えをした上で殲滅したいのだが、万一の備えの方が俺一人では少々厳しい」
焼いていたパンを取り出し終え、話に割り込んだイヴァンに対してそう告げるユウ。
その間にエプロンを外したティファが、ユウのそばに駆け寄る。
「ユウさん! わたしは何をすればいいですか!?」
「まずはモンスターが来る方向に対して物理結界を張って村を守る。そのあと近くまで来たモンスターを結界で隔離したあと、魔法でまとめて始末する。できるな?」
「はい!」
「冒険者が一組、さらに遅延工作をかけながら戻ってきている。張った結界を解除せずに彼らを受け入れることは可能か?」
「問題ありません!」
ユウのプランを聞き、真剣な顔で可能であることを告げるティファ。
一見してものすごく難しいことを要求しているように聞こえるが、結界に関しては魔力量の調整が大雑把でも問題ない分、ティファにとっては大したことではない。
はっきり言って、単純な物理結界など、同時に十枚張ろうがエルダー・エンチャントウェポンより圧倒的に難易度が低い。
「では、急いで行くぞ!」
「はい!」
ティファの返事を聞き、彼女に愛用の杖を渡して抱え上げるユウ。
そのまま外に出て飛びあがる。
「……追うぞ、アルマース!」
「ああ! 多分追いつけないだろうが、冒険者を回収するって言ってんだから、多分森側の入口に行けば合流できる!」
ユウが出ていった瞬間我に返り、慌てて後を追うイヴァンとアルマース。
現場に行ったところで足手まといだろうが、もしティファが危険なことをさせられそうなら無理やりにでも連れて逃げようと考えたのだ。
その後を二人の弟が続き、外に出た瞬間にレナや他の家族も一緒に追いかける。
こうして、トルティア村始まって以来の大騒動は急展開を迎えるのであった。
☆
「……あの、ユウさん」
「どうした?」
「なんだか、ものすごい数がいるんですけど……」
「ああ。だから、うかつに殲滅できなかった」
トルティア村、西の入口。
見えてきたモンスターの大群を空から見下ろし、ティファが思わずユウにしがみつきながら引きつった声を漏らす。
そんなティファに対して、特に恐れた様子も見せずにあっさりそう告げるユウ。
トルティア村に押し寄せてくるモンスターは、まるで津波のような風情であった。
「というか……こんな大群に、どうやって遅延工作なんて仕掛けたんですか?」
「気脈崩しと麻痺系の効果がある範囲攻撃を何発か、適当に群れの前の方に叩き込んだ」
「遠距離攻撃でも、気脈崩しってできるんですか?」
「ああ。遠距離からの気脈崩しは基本的にかなり通りにくいが、全く効かんわけでもない」
ユウの説明を聞き、そんなこともできるんだ、と感心するティファ。
その際、『だったらそのまま殲滅したらいいのでは』という疑問は口にしない。
考えるまでもなく、これだけの規模の群れを何の準備もなく一気に殲滅などしようものなら、どこにどんな被害が出るかも、どれだけの打ち漏らしが出るかも分からないことは明白である。
しかも、群れとは言ったが、突っ込んでくるモンスターは一種類だけでなく、恐らくこのあたりの陸上モンスターのうち、空を飛ばないすべての種類が集まっている。
そうなってくると、効く攻撃や持っている能力、果ては大きさまですべてバラバラなので、余計に打ち漏らしその他のリスクが跳ね上がる。
ユウなら何とかできそうな気がしなくもないが、念を入れてわざわざティファを連れてきている以上、何かしらの不都合があると考える方が自然だろう。
「俺がやったのはその程度だが、冒険者たちは足場を沼地にしたり矢で先頭のモンスターを押し返したりといろいろやっていたぞ」
「あっ! 沼地にする魔法は、わたしも知ってます!」
「まあ、今からでは無意味だろうがな。ティファ、まずは冒険者たちとモンスターとを結界で隔離。そのあと全体を囲い込むようにして閉じ込めて、中に全力で魔法を叩き込め」
「はい!」
ユウの指示を受け、必死になって走っている冒険者を救助すべく、迅速かつ丁寧に物理結界を張るティファ。
モンスターの数の多さから、無意識のうちに結界の強度と厚みを普段の倍以上にしてしまう。
「群れの端があのあたりだから……」
とりあえずモンスターの遮断に成功したところで、誘導するように結界を展開して、可能な限り取りこぼしを出さないように囲い込む。
その様子を、村に駆け込んで息を整えていた冒険者たちが唖然とした表情で見守る。
それもそのはず。投入された魔力量の多さゆえか、それとも柔軟な制御のために気を多量に練り込んだ結果か、ティファが発動した結界は透明な壁として、魔力視などの特殊な手段を使わずとも見える状態になっていたのだ。
本来はあえて色などを付けなければ、空間を捻じ曲げるほど強力なものでもない限り、結界というのは目に見えない。
それが目に見える状態になってしまっているため、結界かどうかはともかく、巨大な壁が突如発生したことは一目で分かってしまうのだ。
今まで見たこともないほどの巨大な魔術だけに、安全圏に入った安心感もあって思わずその非常識さに飲まれてしまったのである。
「……モンスターの隔離、完了しました!」
「では、殲滅だな。念のため、自分の攻撃で自分の結界をぶち抜いてしまわないか確認しておけ」
「はいっ!」
ユウに言われ、外側に対魔力結界を二重に展開するティファ。
術式の構成上、十分な対魔法強度があるとはいえ、ティファが最初に展開した結界は基本的に対物理だ。
ティファの魔力で攻撃魔法の加減を間違えた場合、まず間違いなくあっさりぶち抜いてしまう。
そもそもの話、現在ティファが扱える魔法は、エルダー・エンチャントウェポンなどの一部例外を除き、基本的に初級レベルのものばかりである。
それらを有り余る魔力で強引に強化しているのだから、念入りに準備をしておかないとどんな事故が起こるか分かったものではない。
「準備できました!」
「ああ。ならば、自分の結界をぶち抜かん範囲で、手加減抜きで魔法を叩き込め」
「分かりました!」
ユウの指示を受け、結界内部を一気に制圧するイメージで魔法を発動する。
後始末のことも考えたのか、この時ティファが使った魔法は凍結系の初級範囲魔法であった。
「フロストウィンド!」
可愛らしい声に気合いを乗せて、思いっきり魔法を叩き込むティファ。
小さな氷のつぶてが範囲内を舞う、ただそれだけの魔法が、圧倒的な魔力量と練り込まれた気のエネルギーにより変質し、魔法抵抗力が足りない生き物を瞬く間に氷漬けにして吹き飛ばす。
たまたま奇跡を起こして魔法に抵抗できてしまった、もしくは最初から凍結に対して高い耐性を持っていたモンスターも、結界内部を飛び交う巨大な氷の塊に押しつぶされて一撃で絶命する。
約十五秒という明らかに過剰な効果時間が終わった後、結界内部で生き延びているモンスターは一匹たりとも存在しなかった。
「……大丈夫、そうです」
「ああ。別段フロストバイトで十分だったのではないか、と思わんでもないが」
「はう……」
結界内の惨状を確認したユウの指摘に、思わずがっくりしてしまうティファ。
モンスターを凍結させるという機能がないはずのフロストウィンドで敵が凍り付いているのだ。
もとより凍結させることでダメージを与えているフロストバイトなら、この付近に出てくる程度のモンスターの場合、恐らく耐性など関係なく問答無用で凍死させていた可能性は高い。
どうせ何をやったところでオーバーキルになっていただろうが、少しでも無駄を減らす工夫はしておくべきである。
「とりあえず、氷が溶けるまでは放置だな。まあ、魔法の副次効果で発生した氷だから、それほどかからずに溶けるだろう」
「はい……」
地上に降りながらユウが出した指示に、しょんぼりしながら頷くティファ。
今回に関しては致命的なミスではないが、状況によっては大惨事を巻き起こしかねないのだから、ティファがへこむのも仕方がない。
そもそも、規模のコントロールができていない時点で術の選択ミス云々以前の問題なのだが、その点はもはやティファの中では大前提になって久しい。
むしろ、そこが大前提になっているからこそ、今回のミスでへこんでいるのだ。
「……おい」
そんな感じでティファがへこんでいると、ちょうど殲滅シーンのタイミングで到着したイヴァンが、いかめしい顔で声をかけてくる。
「何だ、来たのか?」
「あんな説明で娘を連れ出せば、来るのも当然だろうが。それで、あれは本当にティファがやったのか?」
「ああ。俺がやれば、もっと被害がデカい」
端的に事実を告げたユウの台詞に、どういうことだと言わんばかりに眉を寄せるイヴァン。
その様子を見て、補足説明を行うユウ。
「非常に単純な話だが、俺が使える技であの数を一気に始末できるものは、どれもこれも単純に破壊力が高い類のものばかりだ。あんな風に『広範囲に散らばっている敵を凍結させる』といった便利な技は持っていない」
「……そうなのか?」
「ああ。それでも十体やそこらならどうにかできなくもないが、見ての通りの数だからな」
そう言ってユウが指した先には、視界を埋め尽くす大量の氷のオブジェが。
「この規模の大群を可能な限り余計な被害を出さずにとなると、戦士系の技では無理だ。やはり、こういう場合は魔法使いに頼るに限る」
「ちょっと、ストップストップ! 魔法使いだからって、誰でもあんな大きな規模の魔法を使えるわけじゃないですよ!」
誤解を招くにもほどがあるユウの説明に、慌ててライアが割り込む。
少なくとも、トルティア村に住んでいる魔法使いに、こんな広範囲の攻撃魔法を使える人間はいない。
「さすがに、それぐらいは言われんでも分かる」
ライアの突っ込みに対して、不機嫌そうにイヴァンが答える。
魔法使いなら誰でも同じことができるというのであれば、三年前のモンスターの襲撃に際して、あれほどの犠牲者は出ていないだろう。
「それにしても、なんだか氷が溶けるのが遅いですね?」
「そうだな。氷を作ることが目的のクリエイトアイスや封印魔法でもあるアイスコフィンならともかく、それ以外の攻撃魔法で凍り付いた場合、魔法の効果時間が過ぎればすぐに溶けるはずなのだが……」
ライアに指摘され、そういえばおかしいな、と首をかしげるユウ。
そもそも、フロストウィンドのような下級魔法でモンスターが凍り付くこと自体おかしいのだが、腕のいい魔法使いが使った場合、非常に低確率ながら時折発生する現象なのでまだいい。
問題なのは、その場合でも魔法が終わった時点で溶け始め、一分もしないうちに完全に解凍が終わることだ。
今回のように、何分も凍り付いたまま一向に溶け始めないということはまずありえないのである。
「……ふむ。少し確認するか」
間違いなく異常事態だと言える状況を受け、少し念入りに確認するユウ。
五秒ほど気の流れや魔力を確認して何かを理解したのか、ティファに視線を向ける。
「ティファ、結界内部にディスペルマジックだ」
「はっ、はい!!」
ユウに指示され、大慌てで内部に解除魔法ディスペルマジックをかけるティファ。
魔法の発動と同時に、結界内部の氷が瞬く間に溶ける。
「……えっと?」
「本来の術の規模に対して注ぎ込まれた魔力が大きすぎて、魔法を解除するまで凍り付いたままになるように術式が変質してしまったのだろう」
「あう……」
「これに関しては一朝一夕でどうにかなる問題でもないし、地道に訓練するしかないな」
ユウの考察に、ますますへこんで小さくなるティファ。
それを見たユウが苦笑し、とりあえず心得違いをしていそうな部分を指摘することにする。
「何やら過剰にへこんでいるようだが、別段今回に関しては、これといって問題になるようなことはないぞ?」
「えっ? でも、必要以上に強力な魔法を使っちゃいましたし、魔力量のコントロールが全然できてなくて術式も変なことになってますし……」
「こう言っては何だが、フロストバイトで十分だったというのは結果論にすぎん。このあたりの判断は回数と経験を重ねなければ分からん部分だし、ベテランでも状況によっては判断を誤る。今回に限って言うなら、打ち漏らしがあってはまずいから足りないよりは過剰な方がいいし、特に指示をしなくても周囲の被害が比較的小さい氷結系を使っただけで十分及第点だ」
「でも、失敗は失敗ですよね?」
「俺のような戦闘のベテランが、リカバリーが効かん状況でそういう判断ミスをしたならともかく、ティファは濃度はともかく回数的には大した実戦経験もないからな。今回の状況を踏まえても、このくらいはミスのうちに入らん」
今後いくらでもするであろう失敗をやたら気にするティファに対し、妙に力強く断言するユウ。
寸分たがわず完全に同じ状況など絶対起こらない以上、この種のミスをゼロにすることなど不可能である。
そのたびにいちいちへこまれていては面倒で仕方ないし、第一修行に差し障る。
「というか、だ。その手の間違いではないが最善でもない選択をする、というのは別に戦闘に限った話でもなければ、ティファだけがやってしまうわけでもない。というより、やる時は誰だってやってしまう類のものだ。イヴァンやライア殿も、覚えがあるだろう?」
「ああ。今でもしょっちゅうある」
「そうですね。私なんかの場合だと、もう少し余分に魔力を流しておけば良かったとか逆にもう少し絞っても良かったかもとかは、緊急で大きな怪我を治療する時にはしょっちゅうです」
いろいろ思うところはあれど、ティファをこのままへこませるのは良くないという点では意見が一致しているようで、ユウに振られた二人は素直に同調する。
「それから、術式の変質に関してだがな。そんなもの、術を暴走させでもしない限り、気にする意味はない。その原因となっている魔力量のコントロールにしたところで、お前の場合よほどでなければ枯渇するようなことはないだろうからな。魔法そのものの制御さえできていれば、今は細かいことは気にしないでいい」
魔力量の問題についても、実に大雑把な言い分でばっさり切り捨てるユウ。
実のところユウは、ティファの魔力量のコントロールに関しては、今のままの努力を続けた上で別のアプローチも必要なのではないかと考えている。
が、ではどうアプローチすべきなのかはまだ絞れていないし、そもそもティファが魔法をまともに使えるようになってからまだ一年も経っていない。
何をするにしても、結論を出すには早すぎる。
「でも、同級生のみんなは、規模の制御ができなくなるようなことはないみたいなんですけど……」
「当たり前だ。根本的に保有魔力の量が少なく見積もってもケタ三つは違う上に、向こうは最初の魔法を覚えてから二年以上訓練をしている。元の難易度が違うことまで考えれば、まだ魔法使い歴半年のティファが追いつけるようでは学校に通う意味がないぞ」
「えっと、それはそうなのかもしれませんが……」
「逆に考えろ。全く走っていない、どころかずっと机にかじりついているタイプの同級生が今のお前より足が速くて持久力もあったら、その方が釈然とせんだろう?」
「あっ、はい! 確かに釈然としません!」
「魔法に関しても、結局はそういう話だ」
ユウに上手い具合に言いくるめられて、いろいろ納得するティファ。
だが、さすがはティファというべきか、ユウの言葉の穴にすぐに気がつく。
「あの、それだったら、最初に遅れた分はいくら頑張っても取り戻せないんじゃ……」
「そうとも限らん。そもそもが人間なんぞ、全員が全員同じペースで成長するわけではないし、全員が同じだけの熱意と密度で訓練を続けるわけでも、同じレベルの実戦経験を積むわけでもない。それに、腕が上がれば上がるほど求められる難易度も上がるのだから、同じだけ努力をしていても上達速度は遅くなる」
「でもそれって、追いつける可能性はあっても追い越せはしない、ってことですよね?」
「何を持って追いついた、追い越したと定義するかによって変わってくるし、向き不向きにもよる。乗り越えられるうちに壁にぶつかるかどうか、というのもある。が、根本的な話をするなら、お前ほどの魔力となると、努力して得られるようなものではないからな。魔力量のコントロールが完璧になった時点で、すでに他の追随を許すことはあるまい」
他の魔法使いたちとの間にある残酷なまでの才能の差を、はっきりとティファに突きつけるユウ。
もはや戦略兵器並みと称していいティファの魔力は、術の規模のコントロールさえ完璧になれば、訓練にしても実戦にしても圧倒的などという言葉では足りないほどのアドバンテージになる。
「ところでユウ殿。先ほど何やら調査をなさっていたようですが、このスタンピードと何か関係が?」
このまま話を続けているとおかしな方向に進みそうだと考えたライアが、タイミングを見計らって話題を変える。
「全くの無関係ではないが、直接の原因でもない、というところだな」
「何があったんですか?」
「地脈の上に、偶発ダンジョンが発生していた」
「「えっ!?」」
ユウの爆弾発言に、思わず大声を出すティファとライア。
考えるまでもなく、一大事だ。
「あの、ユウさん。その偶発ダンジョンは、どうしたんですか?」
「場所が悪すぎて手出しできなかったから、とりあえず入口を封印しておいた」
「手出しできない、ですか?」
ユウの言い分に、不思議そうに首をかしげるティファ。
その疑問を察したユウが、詳しい説明をする。
「発見した偶発ダンジョンは未完成でな。普通ならこのタイミングで潰せば何も問題ないのだが、地脈の上にできているダンジョンを完成前に潰すと、タイプが変わって再生する。せっかく魔神発生確率ゼロのダンジョンなのに、下手に潰して魔神が出やすいタイプに化けてしまっては目も当てられん」
「……確かに、それは……」
ユウが手出しできなかった理由を聞き、納得しつつうめくティファ。半年ほどで二回も魔神に遭遇している彼女としては、これ以上は正直勘弁してほしいというのが本音である。
「……それで、ユウ殿。このスタンピードの原因は分かるのですか?」
「正直に言うと、まだ絞り込めてはいない。が、恐らくダンジョンの発生に引っ張られたデーモン種が森に侵入。クロムバードあたりから連鎖的にパニックが起こって、といったところだろう」
「そんなことが起こるのですか?」
「ああ。そもそもの話、去年の魔神出現の際にバラまかれたデーモン種も、すべてを始末できたわけではないからな」
ライアに問われ、自身の推測を話すユウ。
とはいえ、これはあくまで推測。ちゃんと調べなければ本当のところは分からない。
「何にせよ、森に入って調べねば、はっきりしたことは分からん。ティファ、悪いが村に張った結界はこのまま維持しておいてくれ。調査の過程でモンスターがそっちに行かんとは限らん」
「はいっ! 念のために張りなおしておきます!」
「ああ、頼む」
ユウに頼まれ、嬉しそうに結界を張りなおすティファ。
気合いが入っているせいか、先ほどより規模も強度も段違いである。
「……あの、ティファさん。こんな強力な結界を張って、大丈夫なんですか?」
「そうだぞ、ティファ。ユウの頼みも理解できるが、お前がそこまで無理する必要はないぞ?」
「えっと、実は、これでも魔力の回復の方が勝ってるというか……」
「「「はあ!?」」」
ティファの気まずそうな爆弾発言に、愕然とするイヴァン、アルマース、ライアの三人。
そのあと、後ろを振り向いて、村全体にかけられた結界を二度見する。
「俺が、このまま野放しにするのはまずい、と言った理由が分かるだろう?」
「……ああ」
「何かあって暴発させた日には、危ないではすまんからな。攻撃を受けるぐらいで魔法のコントロールを失わんように、ああいう訓練もどうしても必要だ」
「……不本意ながら、本気でよく分かった……」
ユウに言われ、どこか遠い目をしながら納得の声を上げるイヴァンとアルマース。
後ろを見ると、レナたちも異論を挟めないようで、先ほどまでの鬼のような形相はきれいさっぱり消えている。
「あまり長引かせるようなことでもないから、さっさと終わらせてくる。ライア殿は森からモンスターがあふれた時のために、準備をしておいてもらえると助かる」
「分かりました。他の冒険者にも声をかけて、依頼された解体でもしながら待機しておきます」
「ああ、頼んだ」
そう言って、特に気負う様子もなく森に入っていくユウ。
それを見送ったイヴァンが、ティファに声をかける。
「もう、ユウに師事することについては何も言わん」
「うん」
「だが、違う意味で大丈夫なのかが、非常に不安になってきたな……」
「あはははははは……」
イヴァンの言葉に、乾いた笑いをあげるしかないティファ。
「あいつがいる間は多分大丈夫だろうが、化け物扱いされて居心地が悪くなったら、いつでも戻って来い」
「うん。でも、多分大丈夫」
イヴァンの言葉に、今度は心の底からの笑顔でそう答えるティファ。
なんだかんだでその日のうちに、ユウがスタンピードの原因となったであろうデーモンを三体仕留める。
「いろいろすまなかったな」
「いや、恐らくこちらも至らぬところがあったのだろう」
「それとこれとは別問題だ。いろいろ分かっていなかったとはいえ、文句を言うだけ言って謝罪もなしは通らんだろう」
「そうそう。しかも、あんなに感じ悪かったってのに、村を助けてくれてんだからなあ……」
「冒険者なのだから、居合わせたら対処するのは当然だろう? それが、弟子の故郷ならなおのことだ」
「そう言ってもらえるとありがたい。あんな態度を取っておいてどの口が、と言われそうだが、ティファのことを頼む。あれを見てしまえば、どうしても不安がぬぐえん」
「もとよりそのつもりだ」
ユウの言葉に、これまでのことを恥じ入りながらも、これまでとは違う意味で不安を抱きながらユウに頭を下げるイヴァン。レナも、今までの険しい表情が嘘のように穏やかな顔で頭を下げる。
こうして、雨降って地固まるといった感じで、今回のトラブルをきっかけにベイカー家の絆は深まり、ユウの存在も受け入れられることになるのであった。




