第1話 ティファの里帰り
「ここか?」
「はい!」
里帰りを決めてから一時間後。
ティファを背負い両腕に大量の荷物をぶら下げたユウは、ティファの故郷であるトルティア村の門が見える位置に降り立っていた。
因みに、トルティア村とアルトの距離は、最も近い市壁なら直線距離で一キロ強。最寄りの門からでも直線距離なら五キロあるかないかといったところで、森と丘がなければ普通に歩けるくらい近い。
なので、飛んでいけば十秒程度で到着するのだが、どんな心境かユウがティファにサービスをしたため、現在位置に着地するまで十分ほどかかっていたりする。
「空から見た時も思ったが、なかなかの広さがある村だな」
「はい。ものすごく農地も広くて、建物も確か百軒くらいあったと思います」
「ふむ。ティファの実家がパン屋だということを踏まえると、役場や宿、商店、倉庫などもあるだろうから、世帯数で言うと八十から九十世帯ぐらい、といったところか」
「確か、お店も世帯数もそれくらいだったと思います」
ティファを地面に降ろしながら、村の大きさに関してそんな風にあたりをつけるユウ。
ティファの生まれ故郷であるトルティア村は、水と農地に恵まれたこともあって、順調に規模を拡大している。そのため、もう少しで町と呼ばれるくらいの規模があった。
もっとも、いかに大きくても、現時点では基本的に単なる農村。
バスの本数の少なさからも分かるように、これといった観光資源があるわけでもない。
宿にしても、街道沿いにトルティア村を抜けた先にある多数の農村へ行く、もしくは行った帰りの商人や役人が泊まるための小さなものが一軒あるだけだ。
一応、宿は冒険者の酒場も兼ねており、十人ほどの冒険者がこの村を拠点にしているが、彼らは既に家を持っており、ユウ達のように宿を拠点としてはいない。
少ない本数のバスを利用するのは、装備の整備などでアルトに向かう冒険者か役人、後はティファのように何らかの事情で村から離れる必要ができた人間くらいだ。
しかもその大半が、村の車でアルトまで送ってもらうので、バスの需要はアルトから村へ戻ってくる時のみとなっている。
「この村は、どんな作物を作っているんだ?」
「えっと、わたしは家のパン作りの手伝いばかりで農作業はほとんどやってないので、実はあんまり詳しくはないんです。ただ、いつも収穫の手伝いをするのは小麦なので、多分主要作物は小麦だと思います」
「ふむ。まあ、この規模であれば、普通最優先になるのは小麦だろうな」
ティファの返事に、そんなところだろうと納得しつつそう結論を出すユウ。
実際、たとえ農村といえど、トルティア村のように兼業農家ではない商店ができる規模になると、家業の手伝いを優先して収穫の時くらいしか農作業をしない子供というのも普通に出てくる。
特にティファの実家であるパン屋は、村で食べるパンを全てまかなっている。
百世帯をうかがうほどの人口を満足させる数を毎日焼くとなると、当然のように家族総出でもそれだけで手一杯になる。
しかも、農作業にしたところで、子供の手伝いが主力になりうるのは、やはり基本的に十歳以上だ。
村を出ていく前、ギリギリ五歳だったティファは、せいぜい刈り入れた小麦を運んだり、落穂拾いをしたりといった軽い手伝いしかしていない。
ティファが農業に詳しくないのも、ある意味では当然であろう。
「さて、こんなところで長話もなんだ。案内してくれるか?」
「はい!」
三年ぶりの故郷に心湧き立つものがあるのか、嬉しそうに軽やかな足取りで案内をするティファ。
その後ろを、つかず離れずの距離を保ってついていくユウ。
程なくトルティア村の入口に付くが、農村だからか見張りの姿はなかった。
「……入口に誰もいないようだが……」
「えっと、農地を広げた時に警報の結界も追加したそうで、街道方面の見張りはモンスターの繁殖期以外はあまり置かなくなったみたいです」
「……分からんではないが、不用心だな」
ティファが語ったあまりにのんきな村の警備体制に、顔をしかめるユウ。
確かにトルティア村の立地ならば、盗賊の類に警戒する必要はほとんどない。
モンスターにしても、街道沿いは常備軍と冒険者が定期的に駆除している上に、森と街道のおかげで村の脅威となるモンスターの発生ポイントはほぼ特定できる。なので、警備をするにしても、常にモンスターが発生する可能性があるところを重点的にやればいい、という理屈は間違っているとは言えない。
が、さすがにこの規模の村で魔神を警戒しても無意味だが、警戒しておけば対処できる、というレベルの例外はいくらでもある。
クロムバードとて群れ全体に危機が訪れれば縄張りから飛び出すし、そのクロムバードに追い払われたモンスターが村を襲わないとも限らない。
単独の犯罪者が徒歩で街道から村に入り、警報が鳴る前にやりたい放題やって逃げるという可能性も普通に存在する。
鉄壁騎士団時代にいろいろなパターンで壊滅した集落を見てきたこともあり、どうにもその手の穴が目について、ユウとしては不用心さが不安でしょうがないのだ。
(……まあ、心配したところで、俺に何ができるわけでもないか)
結局、トルティア村の警備体制に関してそう結論を出すユウ。
ティファはともかく、ユウは所詮部外者なので、どこまで行っても他人事でしかないのだ。
「あの、それでどこから行きましょうか?」
結界を潜り抜けた感覚を抱きつつ、入口の柵を通り過ぎて少し歩いたところで、ティファが振り返ってユウに問う。
ティファの質問に対し、ユウは考えるまでもないとばかりにすぐに要望を口にした。
「とりあえず、まずはティファの実家に連れていってくれ」
「はい!」
ユウの要望を聞き、歩きなれた道を元気よく進んでいくティファ。
その後ろを歩きながら、ユウはさりげなく左右の農地を観察する。
現在二人が歩いているあたりの農地は、現時点では何も作物が植えられておらず、また、誰も農作業を行っていない。
とはいえ、ちゃんと手入れされている様子はあるので、もう既にこの時期の作業が終わったか、逆にもっと後のほうで作業を行うのであろう。
そんな、誰もいない畑道をしばらく歩き、入口から見えていた建物が近づいてきたところで、十字路を右に曲がる。
どうやら、村の中心部に続いている道らしく、進むにつれて徐々に建物が増えていく。
大部分は納屋付きの民家だが、中には商店らしき建物も数軒見える。
「……ふむ。雑貨屋一軒で全てをまかなっているのかと思ったが、ある程度は分業になっているのか」
「はい。わたしのお兄ちゃんが生まれる前は、宿屋兼酒場以外は雑貨屋さんと鍛冶屋さんとわたしの実家のパン屋しかなかったんですが、お兄ちゃんが生まれた頃に雑貨屋さんから食料品店と金物屋さんが独立して店を構えたそうです」
「なるほどな。と、なると、店の数が合わないから、ティファがアルトに来てからも、そういう形で独立した店がありそうだな」
「やっぱり、お店が増えてる気がしてたの、わたしの勘違いじゃなかったんですね」
「いや、それは俺には分からんのだが……」
自分の故郷なのに、違和感の答えを完膚なきまでの余所者であるはずのユウに求めるティファ。
その様子に、思わず大丈夫か? という目を向けてしまうユウ。
「おや、ティファじゃないかい」
そんな二人に気がついたのか、ティファが観察していた店の隣にある雑貨屋から、恰幅のいいおばさんが出てきて声をかけてきた。
「あっ、マイラおばさん! お久しぶりです!」
「久しぶりだねえ。いつ帰ってきたんだい? 朝のバスには乗ってなかったはずだよね?」
「ついさっきです。ユウさんに負ぶってもらって、空を飛んできました!」
「飛んで来た……?」
ティファの言葉に、不思議そうに首をかしげるマイラ。
航空機や飛行魔法などの存在は一般的ではあるが、それほど身近なものではないのだ。
「というか、ユウさんって誰だい? そっちの兄さんかい?」
「はい! わたしのお師匠様なんです!」
「一応技の手ほどきはしているが、師匠と呼べるほど大層なものではないぞ?」
ティファの紹介に、どう訂正したものかと微妙に困った感じの表情を浮かべるユウ。
ユウとしては、師と呼べるほどのことはしておらず、自称するならせいぜい指導教官というのがいいところだと思っている。
ニュアンスの違いという点で察するものはなくもないが、ユウがティファに施した指導や諭した内容は、第三者から見て普通に師匠と呼んでも差し支えないものなのだが、どうやらユウの中では譲れない一線らしい。
「……なるほどねえ」
そのやり取りを見て、何かを察したらしいマイラ。
にかっと人好きのする笑顔を浮かべると、陽気な口調でユウとティファに話しかける。
「とりあえず、細かいことは後回しさね。せっかく帰ってきたんだ。ちょっとひとっ走り行って、イヴァンの奴に知らせてくるよ」
「イヴァン?」
「あっ、わたしのお父さんです」
「なら、呼びに行ってもらうまでもなく、こちらからうかがう予定なのだが」
マイラの言葉に、それには及ばないということを告げるユウ。
その返事を予想していたか、マイラが分かっていないな、という風に首を左右に振って言葉を続ける。
「何野暮なこと言ってんのさ。ティファの久しぶりの里帰りなんだから、話をしたいって連中はいくらでもいるさね。そういった連中と少しぐらい話をしてってもバチは当たらないだろ?」
「……だ、そうだが?」
「そうですね。おばさん、ロレッタお姉ちゃんとマイルズ君は元気ですか?」
「ああ、元気元気。あんたと違って、どっちも元気だけが取り柄だからね。そろそろ出てくる頃だから、ゆっくり話していきな」
そう言って、ティファの実家のパン屋があるほうへ駆け出していくマイラ。その際に、大声でティファが帰ってきたことを触れ回るのも忘れない。
「……そのうち、ティファのご家族もこちらに顔を出しそうだな」
「……そうですね」
マイラの声に誘われて、ぞろぞろと現れる村人達。
その姿を見たユウとティファが、どことなく唖然とした様子でそんな風に意見の一致を見るのであった。
☆
「ティファ!」
マイラが走り去ってから数分後。
雑貨屋の前でマイラの子供達と話していると、そこに四十前後の女性が飛び込んでくる。
「お母さん!」
その瞬間、ティファが今まで見せたこともないような満面の笑顔で女性に駆け寄り、それを少し離れたところで観察していたユウは、どことなく満足そうに頷いた。
先ほどまで、少々ティファの様子がおかしいことがあったので心配していたのだが、それが杞憂だと判明して安心したのだ。
ユウと言えども、こういう心配の仕方は普通の人と変わらないらしい。
「おにーさん、なんでうなずいてるの?」
「ん? なに、大したことではない。単に、ティファを無理にでも連れてきたのは正解だったようだ、と思ってな」
「ふーん?」
ユウの様子を不審そうに見ていた五歳ぐらいの子供が、腑に落ちていない様子でその場を離れる。
それを見送ったユウが思ったのは、
(あの年の子供が俺をおっさんと呼ばないのは、いったい誰の入れ知恵なんだろうな?)
という、激しくどうでもいいことであった。
「……大きくなったわね……」
「そうなのかな?」
「ええ……。だって、村を出た時はまだ、頭の高さが胸のところまではなかったもの……」
「だったら、ちょっと嬉しいな……」
ユウのことはさておき、母と娘の感動の再会は続く。
特に母親のほうは、国の教育制度の問題で幼いうちに娘を送り出さざるを得ず、しかもその後で不穏な話ばかりが聞こえてくるようになったのだ。
その後三年も音信不通だったこともあり、もう二度と離さない、とばかりにしっかり抱きしめている。
「……ふむ」
一度思考がそれたことで、いわゆる感動の再会の空気からもはじき出されてしまったユウが、やたら冷静に何かを考え込む。
先ほどの子供ではないが、なんとなく腑に落ちない点がいくつかあることに気がついてしまったのだ。
別に不審なわけでも不自然なわけでもないが、一度気になってしまうとどうにも落ち着かない。そういう種類の疑問だけに、どう反応すべきか非常に悩ましい。
そんなことを考えていると、二十歳前後と思われる若い男が、少し躊躇いがちにユウに声をかけてきた。
「……あんたが、ティファを連れて帰ってきてくれたのか?」
「ん? ああ、そうだが。お前さんは……ティファの兄か?」
「親父か? って聞かれずに済んで喜ぶべきか、それとも一児の父なのにまだまだ貫禄が足りてないと嘆くべきか複雑だが、確かに俺はティファの兄だな」
「そうか。俺はユウ・ブラウン。一応、ティファに魔法の使い方を手ほどきしている」
「へえ? 魔法使いのお師匠様だってのに、戦士系の冒険者みたいな格好してるんだな?」
「みたいなも何も、単に魔法の心得があるだけで、本業は戦士系の冒険者だからな。故に、師匠というほど、大層なものではない」
ユウの返事に、怪訝な顔をするティファの兄。
その様子に、普通はそうだろうな、とユウも心の中で同意する。
「それで、何と呼べばいい? お兄さん、あたりか?」
「やめてくれよ。あんたみたいに貫禄がある男にそんな呼ばれ方されると、いろんな意味で怖くてしょうがない。俺はアルマース・ベイカー。アルマースでもアルでも好きに呼んでくれ」
「分かった」
アルマースの言葉に、素直に頷くユウ。
そのまま、少し気になったことを口にする。
「どうでもいいことだが、さすがにティファも家族相手には敬語ではないのだな」
「そりゃまあ、普通そうだろう」
「その割には、小さい頃から世話になっているであろう雑貨屋のおばさんや同年代の幼なじみ相手には、普通に敬語を使っているのは、どういうことなんだ?」
「あ~、それかあ。やっぱ気になるか?」
「凄まじく気になるわけではないが、腑に落ちんものはある」
ユウの言葉に、そりゃそうかと肩をすくめるアルマース。
少し観察力があれば、そのあたりが不自然だと感じるのは当然だろう。
「とはいっても、俺にもよく分からないんだよな。気がついたらああなってた、って感じだし」
「そうなのか?」
「ああ。村の長老から言葉を教えてもらってたのは知ってたんだけど、いつから家族以外に対して敬語を使うようになったのかは分からないんだよな」
「ほう? というか、この村では、長老が子供に言葉を教えるのか?」
「いや。どういうわけか、オババ様がティファに興味を示したんだ。それで、村長の命令で長老が読み書きと言葉遣いを教えた結果、気がついたらああなってた」
「オババ様?」
「長老の奥さんで村一番の魔法使い兼医者で、村のご意見番さ」
「……ふむ」
アルマースの説明に一応は納得し、そのまま思いついたことを確認するユウ。
「もしかしてだが、いまいち村の人間になじんでいないように見えたのは、そのせいか?」
「……本気で、よく見てるな」
「これでも一年は面倒を見ているからな。と、言いたいところだが、村に着いてからの様子がところどころおかしかった。その上でさっきまでの対応を見ていれば、誰でも気がつく」
「そうかあ……。やっぱりなあ……」
「一応言っておくと、里帰り自体は本当に喜んでいたし、久しぶりに会った村の人間との会話を楽しんでいないわけではなかったぞ。ただ単に、返事に困っていたり、何を話していいか分からない様子を見せていた程度だ」
ユウの言葉に、『あっちゃあ』という声が聞こえてきそうな仕草を見せるアルマース。
「その様子では、やはり元からこの村では浮いていたのか?」
「まあ、なあ……。うちの末っ子は下手すりゃ、普通の大人より賢くて物分かりのいい子供だからなあ……」
「嫌われたり、仲間外れにされたりは?」
「あの性格だからそういうのはなかったけど、やっぱり近い年の子供とはなじめない、っつうか、一歩引いた感じ、っつうか……」
ティファの村での立ち位置について、妙に歯切れの悪い言い方をするアルマース。
身内のことだから口に出しては言いづらいが、贔屓目抜きにしてもティファは賢いと断言できる。
因みに、村の大人達の間でのティファの評価はというと、満場一致で神童である。
こういうタイプは同年代の子供を見下したり大人を馬鹿にしたりしがちであるが、彼女はそういう悪癖を持たず、ちゃんと相手を見て自分より優れている点を冷静に正当に評価してきた。
それだけに、目立ったトラブルは起こさなかったが、家族以外になじめていたかというと、否というしかない。
「しかもうちの村、いくら村としては大きめっつっても、所詮村は村だろ? 狭い世間で迷信深いのも多いから、俺らに対しても含めて、まあいろいろ言うやつが出てくるわけだ」
「だろうな」
「子供だからって侮って、いらんこと吹き込むやつも多いけど、それ全部理解した上で、さらにちゃんと正否を判断した上で対応してきたわけだ。我が妹ながら、この村じゃ生きるのがしんどそうだなって、たまに同情したくなったもんだ」
「あの年であそこまで賢いと、どんな環境に生まれても生き辛いづらいだろうが、な」
この村でのティファについて語るアルマースに対し、思わず渋い顔をしてしまうユウ。
あまりに賢すぎるため、年相応の無邪気さを出すことなく周りへの配慮と協調性を優先させるという、年齢に似合わない行動していたティファ。家族がちゃんと愛を注いでいるから大丈夫だったのだろうが、よくもまあ歪まなかったものだと感心するしかない。
恐らくだが、ティファ自身がちゃんと家族からの愛情を感じ、またその賢さで反発したり正義感を振りかざしたりする不毛さを分かっていたからであろうが、この村にいた頃はまだ学校に通い始めてすらいない。
そんな年の子供にそこまでの配慮をさせるというのは、大人としてどうなのかと思わずにはいられないところである。
難儀な話なのは、そのあたりのことはこの村の特殊事情ではなく、むしろ身分の上下や集落の規模に関係なく、人が集まる場所では珍しい話ではない、ということであろう。
「……髪、伸ばしてるのね」
ユウとアルマースがこの村でのティファについて話している間、何度も抱きしめたり頭をなでたりしながら一通り我が子の成長を確認していた母親が、おっかなびっくりという感じで一番聞きたかったことを口にする。
こんな目立つ変化に気がつかないわけがないので、当然母親も一目見た時からティファが髪を伸ばしていることには気がついていた。
だが村で暮らしていたときは、邪魔だからという理由で特に思い入れもなく切っていた髪を、いつの間にか伸ばし始めているのだ。
何か特別な意味、それも、誰か好きな人ができたとかそういう理由があるのではないかと恐れ、聞くに聞けなかったのである。
その様子をアルマースと話しながら観察していたユウが、誰にも分からないレベルで身構える。
ティファの母からにじみ出る雰囲気に、何やら不穏なものを感じ取ったようだ。
「うん。駄目だった?」
そんな母親の怯えを察し、こちらも困ったような怯えたような表情で問いかけるティファ。
ティファの表情を見た母親が、小さく首を横に振って否定する。
「駄目、なんてことはないわ。よく似合っていて可愛いわよ。ただ……」
「ただ?」
「今まで伸ばしたら? っていくら言っても邪魔だからって聞く耳持たなかったのに、帰ってきたら長くなってるのだもの。好きな人ができたとか、そういう理由で伸ばしてるんじゃないかって思ったら、お母さんちょっと怖くて……」
「……怖い? どうして?」
母親の言うことがピンと来なくて、小さく首をかしげるティファ。
そのあどけない仕草は、やはりまだ九歳になったばかりの幼い少女だということを実感せざるを得ない。
このくらいの年齢でも、恋愛感情を抱き始める娘はいる。
だが、なまじ賢いせいか、ティファに関してはこのあたりの情緒は年相応か、どちらかというと遅れている節がなくもない。
もしかしたら、食生活に難があったために身体的な発育がやや遅れ気味だったことが、こういった部分にも影響しているのかもしれない。
「それで、髪を伸ばしているのには、何か理由があるの?」
「長いほうが魔力制御にプラスに働くってユウさんに言われて、伸ばしてるんだ」
「……ティファは、なんでもユウさんなのね」
「なんでもってわけじゃないけど、魔法に関することでユウさんの指示に従って駄目だったことはないから、そういうところは全面的に信頼してるかな?」
そう言いながら、屈託のない笑顔を見せるティファ。
その笑顔に複雑な思いがにじんだ微笑みを浮かべながら、母親がティファに質問する。
「それで、さっきから何度も名前が出てきているユウさんが、今回あなたを連れて帰ってきてくれたのよね?」
「うん」
「お礼を言いたいから、紹介してくれないかしら」
「うん!」
母に頼まれ、嬉しそうに頷いてユウのもとに案内するティファ。
もっとも、人口四百人そこそこの村だ。よそ者など見れば分かる。
「ユウさん! わたしのお母さんです! で、お母さん、この方がわたしのお師匠様のユウさんだよ!」
「……師匠、というほど大層な人間ではないのだがな」
ティファの紹介に少々苦い顔をしながら、マイラやアルマースのときと同じことを言うユウ。
そのまま、一応自己紹介をする。
「ユウ・ブラウンだ。一応ティファに魔法の手ほどきをしている」
「レナ・ベイカーよ。ティファがすごくお世話になったみたいね」
「成り行きのようなものだ。それに、あなた達には謝らなければならないこともある」
「謝らなければいけないこと?」
「できれば、ご家族全員が揃っているときに話したいのだが……、ご主人は?」
「夫は今、手が離せない作業に入っちゃって、他の息子達と一緒に家に残っているのよ。だから、私とアルが代表でこっちに、ね。本当は何を置いてもこっちに来たがっていたのだけど……」
ユウに問われて、状況を説明する母・レナ。
それを聞いて頷くユウ。
パン屋というのは、意外に中断できない作業が多い。
また、親方であるティファの父がいなければ進められない作業も結構あるので、なかなか作業場を空けることができないのだ。
このあたりは今、アルマースが跡継ぎのためにせっせと学んでいるところではあるが、年季の違いもあって、すべての作業で一人前になるまではまだまだ遠い。
「ならば、今からそちらのお宅にお邪魔させていただいても?」
「もちろん。大歓迎よ」
ユウの申し出を、内心の不安を隠して快く受け入れるレナ。
ここでいつまでも立ち話というわけにもいかないし、あまり長い間家で待っている他の家族をほったらかしにして、自分とアルマースだけでティファを独占するのもよろしくない。
レナとて、逆の立場なら間違いなく文句を言う。
「じゃあ、うちまで案内するわ」
「頼む」
レナの申し出を受け、後について移動を始めるユウ。
トルティア村に到着してから、なんだかんだで約三十分。
ユウとティファは、ようやくティファの実家に到着するのであった。
☆
「娘の面倒を見てくれていることに、感謝する」
十人家族全員が集まったベイカー家の食堂兼リビング。
その中心で、家長であるイヴァン・ベイカーが、いかめしい顔でそんなふうに感謝の言葉をユウに告げる。
「成り行きのようなものだし、大人として当然のことをしているだけだ。それに、俺としてもあなた方に謝罪せねばならないことがある」
「謝罪せねばならないこと?」
「ああ。不可抗力とはいえ、ティファを二度も魔神討伐に巻き込んでしまった。このことは、どれほど謝っても許されることではない」
そこまで言って、申し訳なかったと頭を下げるユウ。
出現の仕方にこれといった法則の類がない以上、魔神と遭遇してしまうこと自体は避けようとして避けられるものではない。
が、だからと言って、遭遇した後、避難させることもできずにそのまま戦闘に巻き込んでしまったのは、言い訳の余地もない大失敗である。
ユウが謝罪した内容に、ベイカー一家の表情がこわばる。
噂などで魔神が出たことは聞いていたが、それが事実だったとは思ってもみなかったのだ。
何より、それにティファが巻き込まれていたなど、想像の埒外である。
第一、今の説明ではユウが魔神を仕留めたように聞こえるが、いくら目の前の男が見て分かるくらいの強者と言えど、魔神を仕留められるほどの実力があるとは信じがたい。
なお、識字率が低いトルティア村では、新聞は販売されていない。そのため、ユウとティファの活躍についても、ベイカー家の人達はまったく知らないのだ。
「……魔神が出た、というのは本当だったのか?」
「ああ。一度目はここからアルトを挟んで反対の場所だが、いまだに痕跡が残っている。二度目は『堕ちた遺跡』でのことだが、こちらは写真付きで新聞に記事が掲載されている」
「……『堕ちた遺跡』? なぜそんなところにティファが行く必要があったんだ?」
「アルト魔法学院のカリキュラムの一つに、『堕ちた遺跡』での実習がある。その関連でティファを連れて遺跡に行って下見のようなことをしていたのだが、その時に深層で発生した魔神が表層まで出てきたようでな。運悪く遭遇してしまった」
ユウの説明に、一気に態度と表情を硬くするイヴァン。
それを見たティファが、慌てて口を挟む。
「あの、お父さん! 一度目はユウさんはまったく無関係で、わたしが勝手なことをして勝手に巻き込まれただけなの! 二度目も、遭遇してすぐ逃げようとしたんだけど、その直後に魔神を追いかけてきた冒険者の人が攻撃しちゃって……」
「ティファ、そういう問題ではない」
「でも、ユウさん! 一度目にしても二度目にしても、ユウさんがいなきゃ、わたし達は死んでいました! そもそもの話、一度目に関しては仮にわたしが勝手なことをしてなくても、ユウさんがいなきゃアルト自体が壊滅してたから、結局わたしは死んじゃってました!」
「だから、そういう問題ではない。魔神との遭遇自体は不可抗力で避けようがなくとも、他人様から預かった子供を避難どころか安全も確保できずにそのまま巻き込んで戦闘を開始している、ということが問題なのだ」
必死になってフォローしようとするティファに対し、真剣な表情で問題の本質を突きつけるユウ。
たとえ魔神騒動がなくとも、魔法の指導を行う時点で完璧な安全確保など不可能だ。
だが、だからと言って必要のない危険にさらしていいというわけではない。
「……一度目はティファが勝手な単独行動をした結果、というのは本当か?」
「正確には少し違う。そもそも発端は、アルトの南口から街道沿いに五キロほどのところに、偶発ダンジョンが発生したことだ。その対処のために俺が手を取られているところに、ティファの同級生が一人、外出禁止令を無視した愚かな冒険者の口車に乗ってしまってな。ティファ達がそいつを救助しに行って、巻き込まれた」
「だから、ユウさんの責任じゃないの!」
ユウが口にした事情に、そういうことかと納得するイヴァン。
そもそもなぜティファが同級生を救助しに行く流れになったのか、その部分については納得はいかないが、ユウの責任ではないという点はティファに同意できる。
二度目に関しても、ユウ自身はティファを連れて逃げようとしていたようなので、これも不可抗力なのだろう。
「……なあ、ユウよ。俺達は魔神ってのがヤバいもんだってのは聞いたことがあるんだが、いきなり出てくるもんなのか?」
「ああ」
「その魔神の出現ってのは、事前に分からないのか?」
「魔神対策に関して最も進んでいるベルファールですら、他の災害にたとえるなら曇っていれば大雨が降って崖が崩れるかもしれない、という程度の予知しかできない。備えることはできても、出る直前になるまではいつ出てくるかを確実に予測することは不可能だ」
黙り込んでしまったイヴァンに代わって、アルマースが一番気になった点をユウに問う。
それに対して、魔神災害の予知に関する実情を告げるユウ。
召喚魔法などで人為的に呼び出しでもしない限り、現状では魔神の出現を前もって予測することは不可能だ。
「だったら、ティファが巻き込まれちまうのは運の問題だから、どうにもならないんじゃね?」
「遭遇してしまうことについてはそうだが、さっきも言ったように、戦闘に巻き込んでしまうのはまた別の話だ。しかも、二度目はティファの力を借りねば魔神を仕留められなかった上に、その過程で結構な死人が出ている」
「ちょっと待て! ティファの力を借りるって、どういうことだ!?」
「手持ちの装備の問題で、有効なダメージを与えられなかった。その問題を、ティファが付与魔法や障害魔法でどうにかしてくれた。が、そこに至るまでに魔神の攻撃に巻き込まれて、ティファの目の前で何人も死んでしまってな……」
アルマースの質問、というより詰問に渋い顔でそう告げ、そのままユウは自身が一番謝罪せねばならないことを告げるために言葉を続ける。
「その時のショックで、ティファは一人で眠ることができなくなった。日中はようやく事件前と変わらなくなったが、夜はいまだに泣きながら眠っていてな……」
「なっ……」
ユウが告げたティファの現状。それを聞いてショックを受けて言葉を失うベイカー一家。
自分で言った言葉に情けなさを隠そうともせず深々とため息をつき、申し訳なさそうにユウが最後の言葉をティファの家族に告げる。
「あれからもう、一カ月以上経っているというのに、いまだにこれだ。せいぜい夜中に抱き枕になってやる以外にどうすることもできないというのは、さすがに情けなくて申し訳なくて、どう謝罪すればいいのか分からない……」
ユウが告げた、予想以上に深刻なティファの心の傷。
その深刻さに、事情を聞いて軟化しかけたイヴァンの態度が一気に硬くなる。
「ユウさん。あなたがティファの命を守ってくれたことには感謝するわ。魔神災害に関してあなたに責任がないことも、ティファの現状は本来あなたが背負うべきものではないことも分かるつもり」
「……お母さん」
「でも、だからこそ、これ以上あなたにティファを任せることはできないわ!」
「どうして、お母さん!」
レナの言葉に、思わず声を荒らげて反発するティファ。
そのティファの声の大きさと語調のキツさに、驚きのあまりあっけにとられるレナ。
他の家族も、予想以上に強い反発を見せたティファに唖然としている。
その様子にユウが苦い顔をしているのが、非常に印象的である。
「……ねえ、お義母さん」
みんなしてあっけにとられている中、真っ先に立ち直ったアルマースの嫁・リースが義母に声をかける。
「……何かしら?」
「お義母さんの気持ちも分からなくはないけど、それでもユウさんがティファちゃんの恩人なのは間違いないんだからさ。何日かこの村に居てもらって、様子を見たらいいんじゃない?」
「そうだな。なあ、ユウ。別に、すぐに帰らなきゃいけないってことはないんだろう?」
「……ああ。期間は聞いていないが、今日から春休みだそうだ。だから、俺はともかくティファは最初から何日かここに滞在させるつもりだった」
リースとアルマースに提案され、素直に予定を答えるユウ。
それを聞いたティファが、怒りを収めて首をかしげる。
「あの……ユウさんはもしかして、このまま帰るつもりだったんですか?」
「ああ。この村に来るだけなら飛べばすぐだからな。お前の訓練を見るにしても、通いで十分だと考えていた」
ティファの疑問に、素直に当初の予定を教えるユウ。
実際問題、何度も言うようにトルティア村とアルトは、直線距離なら割と近い。
ティファに飛行能力があれば、寮になど入らなくてもアルト魔法学院に通うことができるぐらいだ。
わざわざユウが村に泊まる必要はない。
「いや。ティファがアルトに戻るまで、この家に泊まれ。片づけは必要だが、部屋は空いている」
「イヴァン!」
「レナ。お前の考えていることは分かるが、俺にはこいつを引き離すことがティファにとっていい結果になるとは思えん。それに、通いではこいつがどんな人間なのか、見極めることはできん」
妻の抗議をそう切り捨て、ユウに視線を向けるイヴァン。
その視線を受け、一つ頷くユウ。
「決まりだ。次のパンを焼くまで時間がある。お前が面倒を見るようになってから、ティファがどんな感じだったのか話してくれ」
「ああ」
真面目な表情でイヴァンの要請を受け入れ、何から話そうかと頭の中で考えながらベイカー一家をさりげなく観察するユウ。
その際に、やはりティファだけあまり似ていないな、という感想をひそかに抱く。
先ほども触れたように、ベイカー家はティファを含めて十人家族である。
その内訳はティファの両親と長男・アルマースに、その嫁と子供、それ以外に兄と姉が二人ずついて、最後に末っ子のティファとなっている。
その全員に共通しているのは、基本的に地味な普通の顔立ちをしている、ということだろう。
血のつながりを感じさせる要素はいくつかあるため、イヴァンとレナがティファの両親だと言われて納得いかないということはない。
だが、それでもティファ一人だけが飛びぬけて容姿が整っているというのは、どうにも浮いた感じがする。
これでは、迷信深い大人が余計なことを吹き込むのも仕方がないことだろう。
さらに言えば、ティファだけ極端に年が離れている、というのも気になるところだ。
ここに来る途中で二十二歳だと教えてもらったアルマース以外、ユウは正確な年齢を知らないが、それでもティファのすぐ上の兄ですら十五を超えていることは見て分かる。
どうやら次男と長女、三男と次女は双子らしいので、ティファ以外の子供の年齢が妙に固まっているのもある意味当然ではあろう。
それだけに、年齢的にも容姿的にも、ティファ一人がぽつんと浮いて見えるのだ。
一度に集まる人数が多いことも、その印象に拍車をかけている。
もっとも、長女のエーファは年内に嫁いで出ていくのが決まっており、次男のヘンリーもあと何年かすれば独立して二軒目のパン屋を始めることになるので、この人数がこの家に集まるのは今だけである。
「……そうだな。俺がティファの面倒を見るきっかけになったところから話すか」
ざっと観察して抱いた違和感をとりあえず胸の奥にしまい込み、アルトでのティファについて話し始めるユウ。
結局、端折れるところなどあってないようなものだということもあり、出会いからの出来事を時間の許す限りすべてを話すユウであった。
☆
その日の夜、ベイカー家のリビング。
ユウとイヴァンは、差し向かいで晩酌を楽しんでいた。
なお、女性陣とアルマースの子供は連れ立って風呂に入りに行っており、息子達はイヴァンの代わりに明日のパンの仕込みを行っている。
なので、現在ここにはユウとイヴァンの二人しかいない。
因みに、二人とも既に風呂を済ませている。
「昼間は、妻が悪かったな」
「親である以上、娘を心配するのは当然だ。一回目はともかく、二回目は俺と関わっていなければ魔神と遭遇することなどなかったのだから、あの反応も当たり前だろう」
イヴァンの謝罪に対し、誰も悪くはないと告げるユウ。
実際のところ、レナのような態度は、魔神に対する理解が深いベルファール王国ですら珍しいものではなかった。
いや、政治的な要素や犯罪者からの逆恨みなどが絡む分、場合によってはむしろ、ベルファールの方が根が深い部分もあるかもしれない。
誰もが尊敬するエリートではあるが、一定以上の見識を持つ人達からはあまり深くはお付き合いしたくないと言われて
しまうのが、鉄壁騎士団の団員なのだ。
そういう事例をこれまで山ほど見てきて、しかも相手の言い分にも理があるケースがほとんどだったため、ユウはレナの態度や言葉に関しては何一つ気にしていなかった。
「お前が気にしなくても俺は気にする。いくらなんでも、娘の命の恩人に対して言って許されるような言葉じゃない」
「あまり気にされると、こっちがいろいろとやりづらいのだが……」
なんだかんだ言って、くそ真面目に妻の非を気にするイヴァン。
その態度に思わず苦笑するユウ。
こういう頑固というか譲らない部分は、やはりティファの父親といった印象である。
その後、二度三度似たようなやり取りをし、イヴァンの気が済んだところで話題を変える。
「それで、ティファ達がわざわざ風呂に行っている間を狙ったんだ。何か俺に話したいことがあるのだろう?」
「……ああ」
ユウに促され、小さく頷くイヴァン。そのまま一口酒を飲み、大きく息をつく。
「……うちの家族を見て、どう思った?」
「それは、どういう意味でだ?」
「その……なんだ、ティファはあまり……似ていないだろう?」
「そうだな。親子だと言われて驚くほどではないが、似ているかと言われれば正直あまり似ていないと言わざるを得ん」
「だろう?」
「だが、似ていない家族など珍しくもないが、それがどうかしたのか?」
イヴァンの言いたいことをなんとなく察しつつ、あえて分かっていない態度で続きを促すユウ。
はっきり言って、その方が手っ取り早い。
「ティファだけ血のつながりがないとか、俺がどこかから拾ってきただとか、しつこくしつこく吹き込む奴がいてな」
「はっきりと言っていたわけではないが、アルマースもそんな感じのことは匂わせていたな」
「だろう?」
予想通りのイヴァンの言葉に、神妙な表情で一つ頷くユウ。
この手のデマをばらまいて人間関係に亀裂を入れたがる奴はどこにでもいるが、どちらかと言えば人間関係が良くも悪くも濃密になりがちな田舎に多いパターンだろう。
特に田舎の場合、本人は親切のつもりで言っている、というより、亀裂が入って家庭崩壊すれば面白いという自身の下種な本音に気がついておらず、百パーセント善意で言っていると思い込んでいるケースが多いのが特に面倒だ。
「根本的な疑問が一つあるのだが、いいか?」
「……ああ」
「そもそもの話、この村の環境では、親が死んだか蒸発したかでもなければ、拾う子供自体いないと思うのだが?」
「ああ。ついでに言えば、子供ができたことを隠せる環境でもなければ、こっそりよその村や町から子供を連れ込める環境でもない」
「だろうな。あと、村人全員を見たわけではないから断言はできんが、今日一日見た感じ、この村の人間で一番ティファに似ているのはあなた達だ。故に、どちらかが浮気して作った隠し子というのも無理があると思うのだが……」
疑問に対するイヴァンの答えが思った通りだったこともあり、どうにもなぜそんなことが問題になるのかが分からないユウ。
しつこくそういうことを言われて不愉快になるのまでは分からなくもないが、イヴァンがここまで気にするのはさすがに不自然だ。
ユウがそんな風に不審に思っているのを察してか、イヴァンが話を続ける。
「普通に考えればすぐ分かることだが、それでもそんな穴だらけの与太話を下の双子が真に受けかけたことがあってな……」
「ティファ本人はともかく、他の兄弟は母親の腹が大きくなっているのも、産気づいてからティファが生まれてきたのも見ていたはずだが……」
「そうだとしても俺とレナの子だとは限らん、とかもっともらしく言う奴がいてな……」
「……それを真に受けたのか?」
「いや、オババ様が上手く説明してくれた。ティファが生まれた時、取り上げてくれたのがオババ様だったからな」
「ふむ」
「が、それでも一人だけ似ていないことを子供達、それも特に当人であるティファが気にしてしまっていてる」
「それでか……」
これまで、ティファを指導していて気になっていた、ものを教わることと自力ではどうしようもないこと以外について、頑固なまでに自分から大人に頼ろうとしない姿勢。
その根源を知り、思わず顔をしかめるユウ。
ベイカー一家に関しては誰が悪いわけでもないが、聞かされた環境で育てば、ティファほど賢くなくてもどこか大人を頼ることに躊躇いが出るだろう。
悪い方向に進んでいれば、大人を一切信用せず、いわゆる『ぐれた』という状態になってもおかしくない。
むしろ人並み外れて賢いティファだからこそ、『妙に頑固ではあるが、大人に頼ろうとしない』、という程度で済んでいるのだろう。
「なあ、イヴァン。少し飛躍したことを言っていいか?」
「何だ?」
「もしかしてだが、お前の妻は俺に娘を取られると思っているのではないか?」
「……多分な。正直、その気持ちは俺にもある」
「だとすると、自分から幼い娘を奪っていくと思っている癖に、ろくに面倒も見ずに危険に晒す男だと俺を敵認定するのもおかしくはないか……」
「ティファがあれだけお前に懐いていなければ、俺だってそう思っただろうよ……」
ユウが出した結論に対し、吐き捨てるようにイヴァンが言う。
酒が入らなければ強面で口数が少ないイヴァンだが、子煩悩さではけして妻のレナに負けてはいない。
むしろ、遅くにできた末娘に対する愛情は、ベイカー家の誰よりも深い。
本来なら、ぽっと出のどこの馬の骨とも知れない男に懐ききっていて、しかも危険に晒したというのに下手をすれば実の親より信頼しているところなどを見せられては、無条件で殴り掛かってもおかしくない。
自重したのはひとえに、危険に晒した事情が不可抗力でしかなかったからに過ぎない。
「……なあ。ユウよ」
「……なんだ?」
「……どうして、ティファの面倒を、……いや、やめておくか」
「別にそれくらいなら答えるが?」
「……俺ではなく、ティファが聞くべきだ」
「そういうものか?」
「ああ」
イヴァンに言われ、思わず不思議そうに首をかしげるユウ。
そんなユウの人間らしさを感じさせる様子に、ほっとするようなイラつくような、複雑な気分を味わうイヴァン。
長女エーファの嫁入りが決まった時も似たような気持ちになったものだが、ユウ相手だとどちらかというと苛立ちが大きい気がするのは、恐らく気のせいではあるまい。
「……とりあえず、ユウよ。お前はその、妙なところで気が利かないというか気が回らないところを何とかしろ。ティファにどんなとばっちりが行くか分からん」
「……善処はするが、約束はできん」
イヴァンに言われ、心底困ったという顔でそう答えるしかないユウ。
ユウがここまではっきり困ったところを見せるのは大変珍しいのだが、残念ながら今日初対面のイヴァンにはそこまでは分からない。
「……っと、ティファ達が戻ったな」
「……そうなのか?」
「ああ」
「俺には全然分からんが、よく分かるな?」
「このくらいの気配察知は、俺達が世話になってる酒場の冒険者の半分は余裕でこなす。それに、足音を隠そうともしていないしな。で、内緒話にしたいことは、それで終わりか?」
「……そうだな」
嘘か本当か分からないことを言い出したユウに胡乱な目を向けつつ、とりあえず話したいことは終わったと頷くイヴァン。
実際、大体話したいことは終わっているので、ティファ達が帰ってきていなくても、話を切り上げて不都合はない。
「酒もこれで最後か……。今日のところはお開きだな」
仕切り直し、と酒瓶を傾け、残りを見てそうつぶやくと、ちびちびやる気にもなれずそのまま一気に飲み干すイヴァン。
グラスに三分の一あるかないかの量ではちびちびやるのもわびしく、かといってさすがに今から新しい瓶を開ける気にもなれない。
そんなイヴァンの言葉に特に異を唱えず、ユウも残りを飲み干す。
「お父さん、ユウさん。お風呂上がりました」
二人が残りを飲み干したタイミングで、ティファがリビングに入ってくる。
「そうか。明日もいつも通り走り込みをするから、今日はもう寝るように」
「はい」
「久しぶりなのだから、今日は両親と寝るといい」
「はいっ!」
本当に帰って来たティファに驚くイヴァンをよそに、いつものように指示を出すユウ。
ユウの指示に嬉しそうに従い、両親の寝室へといそいそと足を運ぶティファ。
なお、ベイカー家には、残念ながらティファの私室というのは存在しない。
というより、イヴァン夫妻の部屋とアルマース一家の部屋以外は、男部屋と女部屋という括りなので、元から個人の部屋というもの自体がない。
「……明日も、朝から走るのか?」
「ああ。こういうのは、できるだけ習慣が途切れないようにしておかねばならないからな」
「そうか」
「そういうわけだから、俺も少々日課を済ませたら、今日のところは休ませてもらう」
「ああ。お休み」
リビングを出ていくユウを見送り、片づけと息子達の作業状況を確認した後、ティファを挟んで父母娘三人並んで眠りにつくイヴァン。
そこまでは幸せな光景だったのだが、ティファが寝入ってすぐ、全身から凄まじい量の汗をかいてガタガタ震えてうなされ出したところから、状況は一変する。
両親が見守る中、ティファは時々、『来ちゃダメ!』とか『早く逃げて!』と叫んで悲鳴を上げたり、唐突に泣き出したりしたかと思うと、飛び起きてユウの姿を捜す。
その都度、抱きしめてあやして寝かしつけるイヴァン達だったが、それでもさほど間を置かずに同じことを繰り返すティファ。
「……これほどとは思わなかったな……」
「……イヴァン……」
「諦めろ、レナ。たとえ親であろうと、モンスターもろくに仕留められん人間では、今のティファを支えることはできん」
夜中のティファの尋常ではない怯え方を目の当たりにし、どうにかできないかと手を尽くしてみたものの、今の自分達の力では何をやってもティファを安心させることはできないと悟るイヴァンとレナ。
結局、ユウと同じベッドに入った途端に落ち着いて眠ったティファに、予想以上に深刻であることを思い知りつつ無力感に嘆くベイカー夫妻であった。




