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第7話 ティファ、魔神殺しになる


「解散総選挙、なあ……」


 二週間後。いまだ堕ちた遺跡にとどめ置かれたままのユウ達は、派手に混乱しているらしいアルトからのニュースを他人事のように眺めていた。


「まあ、いずれ起こるだろうとは思ってたけどよ」


「きっかけが学院長さんだったなんてねえ」


 三日遅れで届いた新聞の号外を回し読みし、どことなく呆れたような口調でそんな感想を漏らすバシュラムとベルティルデ。


 もともとお粗末な政権運営であちらこちらに喧嘩を売っていたところに、アルトでも五指に入るほど尊敬されている人物の解任を迫ったのだ。


 そこに十分な理由があればまだしも、実際には子供のわがままを鵜呑みにし、調査結果を強引に捻じ曲げたものだとくれば、反発されて当然である。


 バシュラム達でなくても、呆れようというものだ。


「先生は大丈夫でしょうか?」


「さあな。正直、俺はこちらの制度は頭で理解しているだけだから何とも言えんが、こういう場合は大抵、リエラ殿より学院や政府のほうが大丈夫ではなくなるな」


「そうなんですか?」


「リエラ殿の判断にこれといった瑕疵がないなら、これ以上の被害を受けることはないだろうさ」


 ユウの判断に、頷いて同意するバシュラムとベルティルデ。それを見たティファが、安心したようにため息をつく。


「なんにせよ、総選挙自体は、選挙権とやらがない俺とティファには直接関係はない。結果の影響は受けるにせよ、それはかなり先の話だ」


「そうですね。それにわたし、選挙のことってよく分かりません……」


「安心しろ。俺も分からん」


 揃いも揃って凄まじく駄目なことを言い切る師弟に、思わず苦笑するベルティルデ。選挙権こそ持ってはいるが、割と人のことは言えないバシュラムは自分に飛び火してこないようにこっそり目をそらしている。


 ここでトライオン共和国の政治システムについて説明をしておく。


 トライオンの政治システムは二院制を柱とした議会制で、国王の位置に大統領が来る。


 議会は解散のない上院と今回解散される下院で形成されているが、各界の著名人や識者で構成される上院は、機能としてはいわゆるシンクタンクとあまり変わらない。そのため権限はあまりなく、実質的には下院のみの一院制と大した差がないのが現状だ。


 選挙の方式は、下院議員に関しては州ごとに比例代表と中選挙区で既定の人数を選出する方式で、上院議員は任期が終わった議席に関して全国一律で投票し、得票数の多い順に議席が埋まるまで任命してく方式を採っている。


 大統領に関しては、議員の中の立候補者から上院と下院の選挙で決定され、このときだけは上院の権限がやや強くなる。


 その肝心の選挙権だが、トライオン生まれの人間は男女も収入も関係なく十八歳から選挙権が、二十五歳から被選挙権が与えられるが、後から帰化した人間は国籍を得てから三年以上一定以上の納税額を納税している人間にのみ、選挙権だけが与えられる。


 ユウはそもそもまだトライオンに国籍そのものを持っていないため、ティファは年齢が足りていないため、今回の選挙には一切関係がないのだ。


 なお余談ながら、この四人の中で議員に立候補できるのはバシュラムだけである。ベルティルデは生まれも育ちもクリューウェル大陸でトライオン国籍は持っているものの、出身地はトライオンが実効支配している地域ではないため、立場としては帰化した人間と同じなのだ。


「とりあえず、今回の件で俺達がまず気にせねばならんことは、来月ここでフィールドワーク実習をするのかどうかだな」


「そうですね。先生がおやめになるのでしたら、今年は中止になるかもしれません」


「この記事じゃ、辞めるとも辞めないとも書いてねえからなあ。三日前の号外だし、今頃何か話が動いてるかもしれねえが……」


「残念ながら、昨日の時点では俺もティファもまだ戻ってくるなと言われただけで、そのあたりの話は何も出ていない。リエラ殿ともいまだ話せていないからな」


「そうか。で、戻ってくるなって言ってる理由は聞いてるか?」


「今下手に戻ると、俺もティファも新聞記者に追い回されるから、だそうだ。特に俺は難儀なことになるらしい」


「なるほどなあ……」


 ユウが聞かされた理由に納得しつつ、本気で面倒なことになったと内心で頭を抱えるバシュラム。


 今でこそ落ち着いているが、かつてはバシュラムも妙な注目を浴びてしまい、新聞記者に追い回されたことがあったのだ。


 それだけに、ユウとティファが置かれている立場がどれほど面倒なものか、いやというほど分かってしまうのである。


「正直、俺達もいつまでもここにいる訳にもいかねえんだが……」


「でも、下手に戻ると私達も追い掛け回されるわ。私達がユウ達と一緒にこっち来てるなんて、ちょっと調べれば簡単に分かることだし」


「だよなあ……」


 ベルティルデの指摘に、本気で参ったものだと渋い顔をせざるを得ないバシュラム。いい加減、そろそろアルトに戻ってのんびり休養したい。


「あの、どうして私も戻るとまずいんですか?」


「詳しくは知らん。が、十中八九、ダンジョン実習の件が関わっているのだろうな」


「え? ダンジョン実習がですか?」


「ああ。やり直しで不合格になった連中が、抗議しても聞き入れられなかったのが発端と記事に書いてあるからな。どうせ、そいつらの中にここでやり玉に挙がっている議員とつながっている子供がいたとか、そういう話だろう」


「当事者からすれば困った話かもしれないけど、ティファちゃんは立場も背景もドラマチックなのよ。だから、新聞社からすればネタとして相当美味しいんでしょうね」


「美味しい、ですか……」


「んー、困った顔も可愛いわね」


 意味が理解できず、不思議そうに首をかしげるティファ。その可愛らしい姿に思わず抱きしめてしまうベルティルデ。


 年齢的に百を優に超えていても、可愛いもの大好きなベルティルデであった。




「そう考えると、ティファに注目が集まるならともかく、なぜ俺まで注目されるのかが腑に落ちんのだが……」


「お前は魔神殺しだろうが。前回政府や軍の要請で取材その他を自粛されていた分、今回はその反動ですごいことになりそうだぞ」


「ふむ……」


 バシュラムに言われ、そういえばそうだったと納得しつつ考え込むユウ。


 アルトガルーダを仕留めたときは記事こそ小さいながらもそれなりに取材もあったというのに、魔神に関しては取材すらなく、軍の広報がそのまま各紙に掲載されただけだった。


 面倒がなくてありがたい、程度で深く気にしていなかったが、言われてみれば不気味な話だ。


 裏を知れば納得できなくもないが、それだけにその反動はなかなかに怖いものがある。


「正直なところ、あの記事で魔神が出没し討伐された、という話を信じる人間がどれだけいるのかは疑問なんだが……」


「南門から外に出る機会がある人なら、魔神かどうかはともかく、とんでもない何かが出現したことは疑わないでしょう」


「魔神を倒した後の状態としては当たり前だから気にもしていなかったが、そういえば、なかなかに派手な痕跡が残っていたな」


「そこは気にしましょうよ……」


 ユウの妙にのんきな台詞に、思わずガクッと肩を落とすベルティルデ。


 これだから、長く世間と隔離されてきた圧倒的強者は困る。


「あの、わたし達がこっちに来てるのって、多分知られちゃってますよね?」


「おう。間違いなく調べがついてるだろうよ」


「となると、新聞記者さんはこっちに来ないんですか?」


「そこは協定みたいなものがあってな。記者本人の命にも関わるし、場合によってはダンジョン内のモンスターを暴走させることにもなりかねんから、許可が下りたとき以外はダンジョンおよびその周辺施設での取材は禁止にされてるんだ」


「そうなんですか」


「ああ。こっちで新発見があったとかじゃないから、真っ当な記者ならお上に睨まれてまで取材には来ないだろうさ」


 バシュラムの説明に、そうなんだと感心したように納得するティファ。


 実際にはそんな綺麗な話ではなく、単に戦闘の素人を送り込んで無駄な怪我人や死人を量産し、評判を落とすことを嫌っただけなのだが、部外者のバシュラム達にはその類の事情は分からない。


 人生経験が豊富なバシュラムなら、そのあたりの白くはない裏側もなんとなく察してはいるが、非常に素直なティファは、そんな裏を勘ぐったりはせずにあっさり信じていた。


「結局のところ、状況が変わるまではこっちでおとなしく鍛錬を続けておけ、ということか」


「そうなるな。ついでに、俺達もお前らの監視をしながら間引き作業を続けろ、ってことだ」


「まあ、ユウとティファちゃんをここに置き去りにすることを考えたら、少しは目が行き届く分だけいいわよ」


「……すまんな。迷惑をかける」


「大きな火柱や氷柱が毎日のように立つのも、もう慣れたわ」


「あれでも、ずいぶん威力調整ができるようになったんだがなあ」


「確かに、日に日に規模は小さくなってきてるわね」


 困ったようなユウの言葉を、ベルティルデが苦笑しながら認める。


 実戦に勝る修行はないとはよく言ったもので、毎日のようにモンスターを相手にしているうちに、ついにティファは流れる魔力を絞り込めるようになっていた。


 まだまだ最低ラインにも達してはいないが、何をしても流れる魔力を減らすことができなかったティファが、リミッターやロスを発生させる魔力回路に頼らず、自分の意思だけで威力を調整できるようになったのだ。


 これを画期的な進歩と言わずして何を進歩と言えばいいのか。


 もっとも、ファイアーボールがファイアーストームになってしまうのは変わっておらず、単に大魔力のファイアーストームが中魔力のファイアーストームになった程度なので、他人から見ればあまり違いは判らないのだが。


「しかしこう、今さらティファが実習に参加する意味はあるのか、というのが疑問になるな」


「表層なら、すでに護衛の側に回っても大丈夫なくらい経験積んでいるものね」


「嬢ちゃんの場合、後はそれこそもうちっと体力付けた上で威力をきっちり制御できるようになるだけだからなあ」


 ユウの素朴な疑問に、思わずバシュラムとベルティルデも同意してしまう。


 問題児対策で下見に来ただけだったはずが、予想以上に滞在時間が増えてしまったため、探索も修行もかなり捗っていた。


 天才が環境に恵まれると、とんでもなく化けるのだ。


「とりあえず、弁当もできたようだし、そろそろ行くか」


「はい!」


「今日も別行動だが、無茶すんなよ」


「分かっている。もう少しばかり制御がちゃんとできるようにならないと、足を踏み入れたことがない場所には危なっかしくて行けんさ」


「逆に、もう少し行動範囲を広げてもいいとは思うけどね」


 などと言いながら、弁当を手に本日の探索に出ていくユウ達であった。






      ☆







「なんでよ! なんであの分からず屋のえこひいきが辞めさせられてないのよ!?」


 ユウ達が遺跡に潜っている頃。自宅謹慎を言い渡されたエフィニアは、いつも通りに荒れていた。


 普段ならエフィニアに同調する両親も、今回ばかりは完全に敵に回っているのもまた、エフィニアにとっては面白くない。


 徹底的に甘やかされて育ち、なんだかんだで上手く猫をかぶりながら優秀な成績で学院生活を過ごしてきたエフィニアにとって、初めての逆境。


 その環境に、エフィニアは反省どころかただひたすら逆恨みを募らせ続けていた。


「そもそも、ろくに授業にも出てきてないあの落ちこぼれがよくて、ワタシが不合格だなんて絶対まちがってるのに、なんで誰も認めてくれないのよ!」


 それでも座学や最近の実技の成績で攻撃するのは分が悪いという自覚はあるのか、いわゆる素行の部分を攻撃し始めるエフィニア。


 はっきり言って、どの口で言うのか、である。


「このままじゃ、ワタシがあの落ちこぼれ以下の恥さらしってことになっちゃうわ。それだけは何とかしないと……」


「正直、もう手遅れかと思われますよ、お嬢様」


 勝手なことを言いまくって荒れに荒れていたエフィニアに、様子を見守っていたメイドが、どうにも冷めた口調でトドメを刺す。


 その聞きたくなかった言葉に対しエフィニアがとった行動は、そのメイドに対して無言で物を投げつける、であった。


「いい加減、物を投げるのはおやめになってはいかがですか? さすがにこれ以上物を壊されるようですと、今年いっぱいはお小遣いなしになると思われますが」


「うるさいうるさいうるさいうるさい! アンタなんかに何が分かるっていうのよ!?」


「お嬢様は、いい加減ご自身の置かれている立場やこれまでの行いについて、我が身を顧みて反省なさる必要があるかと存じます」


「だから、アンタなんかに何が分かるっていうのよ!?」


「お嬢様が自業自得で自滅しようとなさっている、ということだけは分かります」


 感情に任せて物を投げまくりながら、ひたすら喚き散らすエフィニア。


 そんなお嬢様に対し、ひと欠片たりとも温かみを感じさせぬ冷え冷えとした態度で、淡々と追い打ちをかけていくメイド。


 ここまでのやり取りから分かるかもしれないが、メイドにとってエフィニアは、嫌いという感情すら通り越して、もはやどうでもいい存在であった。


 そもそも、エフィニア付きのメイドは、彼女ですでに五人目である。


 これまでの四人はエフィニアの度が過ぎるわがままをたしなめた結果、不興を買って再就職すらままならぬ形で首を切られていた。


 それを知っていたこのメイドは、最初からエフィニアが口にしたことには一切逆らわず、八つ当たりの暴力も甘んじて受け続けていた。再就職先という弱みを握られた状態で、そんな扱いを受けていたのだ。良好な関係など築ける訳がないのである。


「ワタシにそんな暴言を吐いて、ただで済むと思っているの?」


「残念ながら、ただで済むのですよ、お嬢様」


 あっさりと、だがやけにきっぱりと言い切るメイドに対し、怒りも忘れて怪訝な顔をしてしまうエフィニア。


「どういうことよ?」


「昨日付で、私は当家のメイドの職を辞しております。現在はお世話になった侍従長の頼みを聞いて、一応お嬢様に釘を刺すためにこの場にいます」


「だったら、なおのことアンタのほうが不利じゃないの。だって、今のアンタは、無関係なのにワタシの部屋にふほー侵入してるってことだし」


「残念ながら、御当主様の許可とお願いも受けてこの場に立っていますので、不法侵入で前科をつけるのは不可能かと」


 父親が味方じゃなかったどころか、どこの馬の骨とも知れぬメイドに言いたい放題を許している。


 その事実に衝撃を受け、驚きの表情で固まってしまうエフィニア。


 それでも反省する気はないと見て、やはり温情などかける意味はなかったかと内心で頷くメイド。


 どうせなら堕ちるところまで堕ちて、前の四人に対してやったことの分まで報いを受ければいいとばかりに、余計な情報を告げる。


「そんなに『堕ちた遺跡』でのフィールドワーク実習に参加できないのが不服でしたら、勝手に冒険者でも雇って御自身で行けばいいでしょうに」


「……アンタ、いいこと言うわね。今までの評価は取り消してあげるわ」


「それはどうも」


「そのアイデアに免じて、またやとってあげるわ。感謝しなさい」


「お断りいたします」


 上から目線で偉そうに恩着せがましく言ってのけるエフィニアに対し、無感情で断りを入れ挨拶もせずに退室するメイド。


 そのあまりにあっさりした態度に唖然とするしかないエフィニア。


 彼女が復活したのは、メイドが完全に屋敷を辞去した後であった。


「何なのよ、アイツ!」


 ついにメイド一人思い通りにならないという事態に直面し、完全に理性の類を投げ捨てるエフィニア。


 その口を突いて出る、意味不明で筋も通らぬ理不尽な罵詈雑言の嵐に、娘の育て方を完全に間違えたと頭を抱えるノックス家当主であった。



「あ、皆さん! お帰りになられましたか!」


 さらに三日後。『堕ちた遺跡』近くの宿屋にて、今日の狩りと修行を終えたユウ達の帰りを待っていたのは、ティファの担任であるエマ・ラジュカであった。


「エマ先生! どうしてこんなところに? 何かあったんですか!?」


「何かあったというか、どうしても直接連絡する必要があることが出てきたというか」


 表情は笑顔なのに営業スマイルほども笑っていないエマに、急激に不安が募るユウ達。


 わざわざ向こうから出向いてくるほどの内容だ。相当なことに違いない。


「グダグダ言っていても話が進まん。何があったか一言で説明してくれ」


「はい。フィールドワーク実習の参加資格を得られなかった生徒が一人、冒険者を雇ってこっちに直接乗り込んでしまったようなんです」


「……そういう連中は、少なくとも今日は見かけなかったがな」


「恐らくですが、今日はまだ遺跡へは入っておらず、見つかりにくい宿を使っていると思われます。現在、教師陣で手分けして探しているところですが、少しいい宿に宿泊されてしまうと宿泊者に対する守秘義務の壁が厳しくなって……」


「子供が冒険者を雇った上に、そんな宿に泊まるような金を持っているのか?」


「スポンサーがついてしまったようです」


 スポンサーという単語に、怪訝な顔をするユウ。そういうことはありうるのか、とバシュラムとベルティルデに視線を向けるも、ベテランの二人も首をかしげるばかりである。


「企業なんかが有望な新人や若手を囲い込むって意味で、相場よりも高い依頼料で指名依頼を出したり、装備に対して支援したりってのはない訳じゃねえが……」


「少なくとも、労働法に引っかかるような年齢の、それも魔法学院の初等科の子供を囲い込むような真似をする人間はいないわ」


「心証が悪くなるし、そもそも囲い込みたくなるような子供は最初から特待生だろうから、金銭的な負担は大幅に軽減されてるからなあ」


「ティファちゃんの事例で、そのあたりの原則は崩れてはいるけど、まだ企業や篤志家が動くには早いんじゃないかしら」


 そういうものか、といった視線を向けるユウとティファに、ベテラン組が頷く。それを受けて、エマに対してスポンサーとはどういうことか、無言で説明を促すユウ。


「とりあえずまだ証拠までは押さえられていませんが、こちらに来ている生徒の背後関係の問題で、誰がスポンサーになっているかは大体分かってはいます」


「エマ先生、そんな無茶までしてここに来た生徒って、もしかして……ノックスさんですか?」


「よく分かりましたね、ティファさん。満点です」


 背後関係、スポンサーというキーワードから、いきなり正解を導き出すティファと、笑っていない笑顔でそれを褒めるエマ。


 そんな先生と生徒に一瞬置いてきぼりにされたバシュラムが、慌てて口を挟む。


「まてまてまて! 今の会話でなんでそんなことが分かるんだ!?」


「えっとですね。そのノックスさんっていう女の子は、常日頃からわたしやリカルド君をすごく馬鹿にしていて、おじさんが議員だって自慢しては『もうすぐ議員のおじさんがアンタ達みたいな出来損ないを追い出してくれる』と言ってたので……」


「ノックス、おじさんが議員……」


「……もしかして、解散のきっかけになった学院長さんの更迭を迫った、アルフレッド・ノックス議員の姪っ子かしら?」


「わたしはよく知らないんですけど、特待生の制度がいろいろ変わっちゃったのは、ノックスさんのお願いが関係してる、みたいなことをノックスさん本人が言ってました」


「……決まりね。となると、ノックス議員が意趣返しとして学院の看板に傷をつけて学院長さんの顔に泥を塗るために、姪っ子にお金を出して無茶をさせた、という筋書きあたりが妥当そうね」


 ベルティルデの確認に対し、頷いて肯定するエマ。


「ご両親が頭を抱えながら学院に謝罪にいらっしゃいました。娘の育て方を間違えた、申し訳ないって何度も何度も頭を下げられて、さすがにちょっと可哀想になりましたね」


「でも、ちゃんとしつけして、駄目なものは駄目だって教え込まなかったのはそのご両親でしょ? 同情の余地はないわね」


「どうせ娘の言うことを鵜呑みにして裏もとらずに、一方的に相手が悪いって態度で問題を金と地位で解決してきた輩なんだろう? それで娘が頭の悪い親戚にいいように利用されて、庇いようのない大問題を起こしてんなら、自業自得だな」


「今回のことがあるまでは、確かにそういう感じでしたね」


 エマの言葉に、やっぱりという感じで肩をすくめるバシュラムとベルティルデ。


 そこに、ユウが口を挟む。


「そのあたりの詳しい事情は終わってからにしよう。今は、スポンサーがついたこと、そいつが議員で動機は逆恨みによる意趣返しであること、が分かっていれば十分だ」


「そうね。でも、議員は金持ちが多いから、いろいろと厄介よ?」


「ああ。そいつにとって諸悪の根源である俺とティファに対して、どんなちょっかいをかけてくるか分かったものではないからな」


「ユウはともかく、ティファちゃんに関しては十分注意しておかなきゃいけないわね」


「ああ。もっとも、真っ当な冒険者なら、こんな時間によその宿に泊まってる冒険者に襲撃かけるような非常識な真似はしねえから、今日はもう気にしなくてもいいだろうな。これが、前科持ちや暗殺者の類なら話は別かもしれねえが」


「暗殺者の線もないと思うわよ。魔神殺しやその庇護を受けた子供を殺すなんて依頼、最低でも国が傾くくらいの金額は出してもらわなきゃ割に合わないもの」


 ベルティルデの太鼓判に、そうだろうと頷くユウ。


 自分で言うのもなんだが、ユウ自身、そんな厄介な仕事はいくら積まれてもやりたくない。


「となると、明日の日中に連中がどんなことをしでかしてくれるか、だよなあ……」


「ティファ憎しで俺達に直接ちょっかいを出してくれれば、ある意味平和には終わるんだがな。できるところを見せつける、などと言い出して下層に行かれては、目も当てられん」


「下層って、強そうな気がいっぱいありますよね。わたし達のような子供連れで大丈夫なんでしょうか?」


「ティファのように聞き分けがよく、最低限の自衛能力を持っている慎重な子供であれば、二層ぐらいまでは何とかなるかもしれんが……」


「それだって、私達みたいに護衛の依頼もしょっちゅうこなしてるようなベテランか、ユウみたいに圧倒的な戦闘能力を持ってるかしないと危ないわ」


 ティファの疑問に、実質的に無理だという答えを口にするユウとベルティルデ。エマもこのあたりは同感らしく、ついに取り繕った笑顔を捨てて渋い顔で頷いている。


「さすがにそうなった場合は、俺達はノータッチとさせてもらう」


「悪いが、俺とベルティルデも、そこまでは面倒見切れねえよ。ただでさえ、こっちは二人しかいないってハンデをベルティルデの精霊魔法で無理に補ってるんだ。心得もないわがままなガキの面倒までは無理だ」


「そうならないように、事前にどうにか身柄を押さえようと頑張ってはいます。そのために学院の教師を総動員していますし」


「だが、先生達はさすがにその道の専門家って訳じゃねえし、スキを突いて遺跡に侵入されちまう可能性もあるからなあ」


 バシュラムの指摘に、痛いところを突かれたという風情でうなだれるエマ。


 魔法を教えること以外は素人でしかない教員達にとっては、これが限界であろう。


「そのあたりは、安心してくれたまえ」


 そんなユウ達に対し、唐突に見知らぬ男が声をかけてくる。


「何者だ?」


「冒険者兼フリーランスの記者、ランドルフ・ヤトックだ。今回、表向きはあの困ったお嬢ちゃんの護衛を、実際には特ダネの匂いを嗅ぎつけて取材をしてるケチなブンヤでね」



「ランドルフ・ヤトック? あの、『クレイル峡谷紀行』の?」


「おや、高名なベルティルデ女史に知っていただけているとは、光栄だね」


 驚きの表情を浮かべるベルティルデに対して、やけに芝居がかった態度で頭を下げるランドルフ。


 どうやらそれなりに有名な人物らしいとあたりをつけたユウが、怪訝な顔をして口を挟む。


「それで、その『クレイル峡谷紀行』の作者殿は、何について安心しろというんだ?」


「こちらの護衛も、わざわざ子供のわがままに付き合って危険地帯に入る気はない、ってこと。仮に無茶を言った挙句に勝手に遺跡に侵入したところで、自分が記事でそのあたりをちゃんと証言するから、学院やあなた達の傷にはならないよ」


「だといいんだが、そういうケースは大抵において、周囲を巻き込んで無駄に大事になるからな。最悪の場合、記者殿のパーティが全滅して、そのあたりの証言を誰もできなくなる可能性もある」


「そこは十分に心得てるよ。だから、すでにここに来た経緯を全部、新聞社に記事として送り付けてある。それに、自分は現地での受け入れ準備をするって口実で先行してこっちに来てるから、あなた達のこっちでの地に足の着いた動きも取材し終わってる。いい対比になる記事が書けてすごく満足だったよ」


 のうのうとそんなことを言ってのけるランドルフに、思わず絶句するユウ達。さすがにフリーランスの記者をしているだけあって、かなりいい性格をしているようだ。


 ユウとしては不安が募る発言であり、他の人間もあまり安心はできていないようだ。


 せめてどんな記事を書いたのか、それくらいは見せてもらいたいところだが、多分すでに手元には残っていないだろう。


「魔神出現のときは別件でいなかったから、そりゃもう悔しくてね。その分、ユウ殿とティファ殿については、いろんなところで取材させてもらったよ。本当に、あのお嬢ちゃんには見習ってほしいくらいだね」


 さらに続けて、ランドルフが調子よくそんなことを言う。


「……考えるだけ、無駄か」


 一連のランドルフの言動を見て、彼には彼の立場があるようだし乗り込んできたという子供の制御は無理だろうと考えたユウは、あっさり思案することを諦める。


 その潔さに、慌ててバシュラムが突っ込みを入れる。


「ちょっと待て、ユウ。投げるの早すぎねえか?」


「もはや完全に後手に回ってるからな。今さらどうにもならん」


「そうかもしれねえが、もうちょっと対策を考えるなりして抵抗しようぜ?」


「時間がなさすぎるし、さっきとは逆の話で、俺達が記者殿を締め上げて宿を吐かせて捕まえに行く、などという真似はできん。記者殿も実力は確かなようだし、任せるだけ任せて結果に合わせて対応する以外、現実的な対応などない」


 かなり投げやりに言い切るユウに、顔をしかめるバシュラム。ユウ同様に投げた様子で首を左右に振るベルティルデ。


 そんな中、ティファが不思議そうな表情で質問してくる。


「えっと、宿に押しかけるのは駄目でも、エマ先生を記者さんが個人的に招いて、っていうのは無理ですか?」


「一応、正式な契約は結んでるからね。護衛って観点から見ると厳しいかな。一応こうやってそちらと接触できるように抜け穴は作っておいたけど、護衛対象が接触を嫌がる相手を勝手に連れていって引き合わせるのだけは、さすがに言い訳がきかないね」


「そうなんですか」


「護衛対象を守るために本当に引き離さなきゃいけない相手っていうのが、実は親友だったり家族や恋人だったり恩師だったり、ってこともよくあるからね。今回の場合はあのお嬢ちゃんのほうが悪いっていうのははっきりしているし、それで危険に晒されるってことはまずありえないのも確かなんだけど、それとこれとは別問題だから」


「そういえば、薬草を包むためにもらってる古新聞に、たまにそういう事件が書いてあります。歴史に出てくる偉い人だと、お金目当てで家族に殺されたっていう話も結構ありますし、護衛だと誰に会せるかも気にしなきゃいけないっていうのは、なんとなく分かります」


 ランドルフの説明を聞き、知識上で知っている具体的な事例を出して納得して見せるティファ。


 その察しの良さに、かなり驚いた表情を見せるランドルフ。


 上流階級出身の子女ならまだしも、ティファのような村人の子供がここまで察しがいいのは、予想外だったようだ。


「どちらにせよ、何か余計なことを仕掛けてくるつもりでいたほうが安全なのは間違いない。明日はそのあたりも警戒せねばならんし、今日のところはさっさと飯を食って休むぞ」


「はい!」


「そうですね。あっ、ベイカーさん。時間ができたらでいいので、この書式に従ってレポートを書いておいてください。それで、初等課程は満了になりますから」


「はい、分かりました」


 初等課程は満了、と聞いて再度驚くランドルフを置き去りにして、翌日に備えて手際よく準備を進めていくユウ達。


 わがままな子供の身勝手な行動。それによる嵐の気配を感じながら、その前の静けさともいうべき時間でしっかりと身も心も準備を整えておくユウ達であった。






      ☆







『彼』が、そこにきたのは単なる気まぐれであった。


 たまたま通路となった空間を発見し、好奇心に任せて寄り道しただけである。


 出た先にいろんな生き物がいたため、じっと観察を続け、ときには触れられないかと近くにより、じゃれつかれて軽くなでてやる『彼』。


 それはそれで楽しかったのだが、ほとんどの生き物がただ近寄るだけで実体を失って影だけになり、そうでない生き物も軽くなでるだけであっという間に消えてしまう。


 その結果に寂しい、つまらないという感情を覚えたところで、『彼』は自分が現在いる場所は地下であり、上にはもっと大きな世界が広がっていることに気がついた。


 広い世界があるのであれば見ていたい。もしかしたら、自分とまともに触れ合える生き物がいるのかもしれない。


 そんな感情に突き動かされ、最も生き物の数が多い方角に向けて移動する。


 『彼』に悪意はなく、あくまで好奇心で動き回っているだけであった。


 その好奇心が、幾多の生き物の命を、未来を奪っていることに、まったく気がつかない。


 その好奇心が、自身の寿命を縮める可能性があることに、まったく気がつかない。


 『彼』は人間もモンスターもすべて平等に、観察して消滅させ、近寄って消滅させ、なでて消滅させながら、好奇心の赴くままに堕ちた遺跡と呼ばれている空間から、人間の集落を目指して進み続けていた。





「入れないって、どういうことよ!?」


「さすがに下層は危険すぎる。法律でも特別な許可、もしくは事情がない限りは成人前の子供が入れるのは表層までと決まっている」


 ユウ達がランドルフと接触した翌日。


 早朝の『堕ちた遺跡』の表層部では、エフィニアと護衛の冒険者達が揉めていた。


「特別な事情って、何よ?」


「何らかの偶然で表層から飛ばされてしまった場合だな。具体例としてはテレポーター、もしくは落とし穴に引っかかった場合だ。が、それがどれほど危険かぐらいは、わがままなお嬢ちゃんでも、さすがに分かるだろう?」


「……いくらなんでも、それが危なくないっていうほどバカじゃないわよ」


「だったら、諦めて表層でフィールドワーク実習の内容をこなすぐらいにしておけ。それだって、十分同級生の鼻を明かしてやれる」


 冒険者のリーダーの言葉に、不承不承という感じで頷くエフィニア。予想外に素直に聞き分けたエフィニアに、内心で胸をなでおろすリーダー。


 さすがのエフィニアとて、物理法則やランダムテレポートの危険を軽視するほど愚かではないし、言い訳の効かない類の法律違反をする気もない。


 単に見栄で合法的に下層に入るためにわざと罠に引っかかって、全身骨折のような重傷を負ったり石の中や魔物の巣に飛ばされたりしたら、何をやっているのか分かったものではない。


 こっそり入ればいいじゃない、というのも、人の目がどこにあるか分からないどころか、自分の体格では子供が不法侵入していることなど一目でバレてしまうのでアウトだ。


 それが分かる程度には常識を持っているあたり、救いようがないほど愚かな訳ではないらしい。


 その割には、どう考えても無理筋であるダンジョン実習中の規則違反を権力でねじ伏せられると思っているあたり、やはり子供は子供ということなのだろう。


「それで、フィールドワーク実習ってのは、どんなことするんだ?」


「参加資格をもらえなかったから正確なことは分からないけど、基本的にはモンスター討伐と堕ちた遺跡特有の採取物の回収のはずよ」


「だったら、モンスター討伐からが無難か。嬢ちゃんはインプヤグレムリンと戦った経験は?」


「ないから、フィールドワーク実習があるんじゃない?」


 エフィニアの言葉に、妙に納得する冒険者達。そういうことなら、と、手頃なモンスターを探し始める。


 そのとき、少し離れた位置に大きな雷が落ち、あたりに爆音と振動が響き渡る。


 シャレにならないほど巨大な雷に思わず身をすくませ、振動に足を取られて座り込むエフィニア。


 近頃堕ちた遺跡表層でおなじみとなった、とある幼女見習い魔術師の初級魔法である。


「……この魔力パターン、あの落ちこぼれね!」


 規模ではなく魔力パターンでティファだと断定するエフィニア。この手の大魔法を乱発しそうな人間、という基準ではなく魔力パターンで識別するあたり、先ほど同様妙なところで冷静である。


 大魔力を使った魔法とはいえ、たった一発の魔法で魔力パターンを識別できることからも分かるように、エフィニアには才能や能力はあるのだ。


「あの落ちこぼれ、わざわざこんなところに来てまで当てつけなんていい度胸ね!」


「話を聞いてる感じ、俺達のほうが後から来てるはずなんだが……」


「そんなことは関係ないわよ! いい加減腹が立つから、目にもの見せてくれるわ!」


「ちょっと待て! 遺跡内部での私闘は!」


 先ほどまではまだ冷静だったのに、魔法を感知したとたんに冒険者の制止を無視して突っ走るエフィニア。よほどティファのことが嫌い、いや憎いらしい。


 もっとも、雷の音に驚かされ振動で尻もちをつかされたとなれば、今までの確執や好き嫌いなどなくとも、よほど仲が良くない限り敵認定で憎悪をぶつけるだろう。


 恐ろしいまでの正確さでティファの位置を特定し、冒険者がとらえきれないほどのスピードで駆けてゆくエフィニア。


 ティファと違い走り込みなどしていないエフィニアだが、身体強化の補助魔法は割と得意で、不意をついて引き離しさえすれば、中堅どころの冒険者ならすぐには追いつけない速度は出せる。


 そして、宿のほうからだと遺跡に出入りできる場所は一カ所しかないこともあり、意外とエフィニア達とティファ達の距離は離れていない。


 結果として、エフィニアは五分もかからずに戦闘中のティファを発見してしまった。


「できそこないの癖に他人の邪魔した報いを受けなさい!」


 発見すると同時に、ほぼ暴発状態で強引に魔法を発動させるエフィニア。現在使える最大出力を惜しみなく使っているあたり、完全に後先は考えていない。


「えっ!? えっ!?」


 とっさに途中まで詠唱していた魔法を中断し、無詠唱で発動させることができる防御魔法を使いながら、鬼のような形相で魔力をぶつけようとしてくるエフィニアに戸惑いの声を上げるティファ。


 一瞬早くティファの魔法が完成し、発動。そこにエフィニアから放たれた暴走状態の魔力が襲い掛かろうとして……、


「何のつもりだ?」


 不機嫌そうに割り込んだユウの言葉と同時に雲散霧消する。


「さすがにこれは、見逃す訳にはいかんぞ?」


 ティファが倒す予定だったグレムリンの群れを片手間に振った一太刀で殲滅しつつ、エフィニアを睨みつけて問い詰めるユウ。


 そこでようやく我に返ったのか、エフィニアが震えながら尻もちをつく。


 ティファの魔法に反射的にすくんだ先ほどとは違い、今回は完全に恐怖に飲まれて座り込んでしまっている。


「どこの国であろうと、訓練以外で故意に識別機能のない魔法を他人にぶつけるのは犯罪だ。明確に狙っていた以上、言い訳はきかん」


「えっ……、ああ……、うう……」


 ユウに威圧され、淡々と己の罪を突きつけられて震えあがるエフィニア。肝と同時に冷えた頭で、ようやく自分の行いの愚かさに気がつく。


 普通に考えて、喧嘩に魔法を使うのは刃物で刺すのと変わらない。しかもこの状況で魔法など使えば、憎きティファ・ベイカーを倒すだけでなく、単に学院に雇われて協力しているだけの冒険者や、場合によってはたまたま近くで狩りをしていただけの無関係な人間まで巻き込む可能性すらあったのだ。


 いくら未成年でも、明確に犯罪である。


「すまない、止められなかった!」


 ユウがエフィニアを詰問し始めてすぐに、焦った様子のランドルフが駆け寄ってくる。エフィニアの護衛をしていた他の冒険者も、武器を仕舞いながら集まってくる。


 全員少なからず装備が汚れているところを見ると、単に不意を突かれて引き離されただけでなく、途中でモンスターと遭遇したことで追いつけなくなってしまったようだ。


「多少のことなら見逃そうかとも思ったが、明確にこちらを狙って、しかもわざと魔法を暴発させようとしたとなると、お前達の監督責任も出てくるぞ?」


「本当にすまない……」


 ユウに睨まれ、小さくなりながら謝るしかないランドルフ。子供のやったことであるとか、そこまでやるとは思わなかったとか、そういった言い訳が通用しないことくらいは分かっているし、言い訳をする気もない。


 仮に自分達が逆の立場になったとき、その言い訳を聞き入れるかといえば絶対に聞き入れないのだから。


 そんなユウと冒険者、エフィニアの間でのやり取りを、どことなく困ったような顔で見ているティファ。


 実害がなかったとはいえ、エフィニアのやったことを現段階で許しては絶対に駄目だということは分かっているが、大人達に深刻な空気を醸し出しながらその話を続けられると、どうにも居心地が悪くて仕方がない。


 かといって、現状ティファが口を挟めるようなことはなく、事が事だけに淡々と法に従って処理する以外にいい方法もない。


 どうしたものかと困りつつも、モンスターに対する警戒だけは続けていると、唐突に背筋に冷たいものが走る。


「レジスト・メンタル!」


 反射的に、初級の精神抵抗強化魔法を全力で発動させ、その場にいる全員を強化するティファ。そのまま続けて、初級の精神防御魔法を発動、同じように全員を守る。


「来るぞ! 腹に力を入れて、歯を食いしばれ!」


 ティファが反応するより二拍ほど早く気で守りを強化し、さりげなくティファを庇える位置に移動したユウが、警告の声を上げる。


 それと同時に空間が小さく揺らぎ、何かがにじみ出てくるように出現する。


 出てきた何かは、どこまでも二次元であった。


「……な、なんだ、こいつは……」


「なんだも何も、どこからどう見ても魔神だろう?」


「ま、魔神? こいつが……?」


「ああ。ついでに一つ、絶望的な話をしようか?」


 妙に気さくな、と表現したくなる雰囲気と動きで近寄ってくる、一応人型はしているが、どこからどう見ても厚みゼロの不自然なひと筆書きの線を前に、いつもの表情のまま冷や汗を浮かべつつ物騒なことを言い出すユウ。


 その魔神の大きさは人間と同じくらい。線の色は黒。輪郭線のみで構成されたその姿は、異様としか言いようがなく、それが生き物のように動いているのだから、とても奇妙な光景であった。


 その言葉に、ティファが真っ先に反応する。


「……もしかして、……倒せないんですか?」


「ああ。残念ながら、こいつはうちの古巣では中級に分類される魔神で、前回アルト近郊に涌いたやつとは比較にならんほど強い。それだけなら何とかなるんだが、今持っている装備では徹底的に相性が悪い」


「相性が悪い……ですか」


「こいつには素手、および格闘に分類される類の攻撃は一切通じん。また、中級以上は対魔神専用に製作した魔法の武器に気を乗せるやり方、もしくは素手で直接相手の魂に気を叩き込むやり方以外では、倒すどころかダメージにもならん」


 その言葉に、状況の深刻さを理解するティファ。


 ユウの武器は、対魔神専用の魔法武器どころか、普通の魔法すらかかっていないただ頑丈なだけの剣である。


 そして、素手での攻撃が一切通じないとなると、ユウの攻撃は一切通用しなくなる。


「……ユウさん、魔法はどうでしょうか?」


「微妙なところだな。少なくとも、俺が使える魔法ではダメージにならん」


 何かに気がついたらしく、唐突に遺跡の建物に歩み壁をよじ登り始める魔神を観察しながら、乾いた声で相談を続けるユウとティファ。


 そこに、エフィニアの護衛のリーダー格が口を挟む。


「逃げるしかない、ってことか?」


「そうなるな。もしくは、一週間ほど足止めをすれば、元いたところに帰っていくが」


「無茶言うなよ……。あんた一人で一週間の足止めは無理だろうし、俺達はさっきの初級魔法とは思えないほど強力な精神防御もらってても、油断すれば心臓が止まりそうなんだぞ……」


「だろうな。恐らく、さっきのティファの魔法がなければ、俺とティファ以外はとっくにあのグレムリンと同じ運命をたどっていたはずだ」


 そう言ってユウが指さした先には、魔神のプレッシャーと生命力吸収に耐え切れず二次元になり、あっという間に消滅するグレムリンの姿が。


 それを見ていた護衛のリーダーが、さらに顔を青くする。


「幸いにして、あれ自体は攻撃性が低いようだから、下手にちょっかいを出さない限りは、ある程度現状維持が可能だろう」


「攻撃性が低い? あれで?」


「あいつ自身はまだ、攻撃らしい攻撃はしていない。今までのは、俺達に体温があるのと同じようなもので、魔神の生態的特性にすぎん」


「マジかよ……」


「ああ。そもそも、たとえ軽くであろうと、魔神が攻撃したのであればこの程度の被害ではすまん」


「というより、魔神が戦闘態勢に入ってたら、こんなのんびりお話ししてる余裕はないですよね」


「そうだな」


 ユウとティファの言葉を聞き、なんだよそれ、と、乾いた声でつぶやく冒険者一同。


 ジャーナリストとして数々の修羅場を見てきたであろうランドルフですら、その場にいるだけで破滅的な被害をもたらすなんて理不尽は経験していないようだ。



「とにかく、足止めするにしてもなんにしても、お前達がいると動くに動けん。その娘を連れてとっとと逃げてくれ」


「あ、ああ……」


「すまない、死なないでくれよ」


 ユウに促され、へたり込んで呆然としているエフィニアを抱えて立ち去ろうとする冒険者達。


 いくらジャーナリストといえど、邪魔になると分かっていて居残る気はないらしく、ランドルフもそのまま撤収するようだ。


 自分の命の危険などどうでもいいが、足を引っ張った挙句に共倒れしてせっかくの特ダネを潰すなど、ジャーナリスト冒険者として絶対にやってはいけない愚行である。


 ちゃんとそのあたりの取捨選択ができるからこそ、ランドルフは幾多の危険を潜り抜けて様々な特ダネをつかみ、ジャーナリスト冒険者として名を上げることができた理由なのだが、今回ばかりは見極めを失敗したようだ。


「っ! マジックバリア!」


 何かに反応したティファが、またしても無詠唱の防御魔法を出せるだけの出力で発動させる。それより数秒ほど早く、ユウも気の防御を厚くする。


 普通の魔術師数人分の魔力が込められたマジックバリアは、多大なロスを発生させつつも、初級の無詠唱魔法とは思えぬ強度でこの場にいる全員を守る。


 その直後に、この場全員を巻き込むほどの範囲と威力を持った光属性攻撃魔法、スコールレイが魔神に叩き込まれる。


「仲間の無念、思い知ったか!」


 ティファのバリアに守られながら、こんな無茶をやらかしたのは誰なんだと、突然現れた気配のある方向に視線を向けたユウ。


 魔神を挟んでユウ達とは反対側。そこにはまだ若い、恐らく二十歳になったかどうかくらいの魔術師がおり、鬼のような形相で魔神がいた場所を睨みつけながら叫んでいた。


 どうやらたまたま生き延びてしまった若い魔術師が、復讐心で恐怖を乗り越えてしまい、一矢報いんとばかりに使える最大の攻撃魔法をありったけの魔力を込めて発動させたようだ。


 当然のことながら、周囲に誰かいるかもしれない、などという気配りは一切ない。


 その視野の狭窄ぶりを見るに恐怖を乗り越えたのではなく、魔神のプレッシャーで精神を汚染されたのだろう。きっと仲間の敵討ちというのも妄想で、排除行動の名目に使われただけに違いない。


 どちらにせよ、いかに高威力のスコールレイといえど、とっさに魔力任せで張った完成度の低いティファの防御魔法すらぶち抜けぬ程度では、魔神に通用するはずもない。


 当然のごとく、魔神は一切のダメージを受けることなく、その健在ぶりをアピールするようにのっそりと動き始めた。


「ひっ! き、効いてない!?」


 それが、その若い魔術師の最後の言葉となった。


 一切ダメージを受けていないとはいえ、攻撃されたことは分かったらしい魔神の体が、まるで怒りを示すかのように赤くなり反撃に出たからだ。


 魔神の腕らしい線が振り上げられ振り下ろされると、魔術師を中心に半径二十メートルほどが二次元に圧縮され消滅する。


 地面こそ変化はないが、魔神が攻撃した範囲内は、そこだけ最初から何もなかったかのように更地になっていた。


「……こっちもロックオンされているな。もはや、戦うしかなさそうだ」


「だ、大丈夫なんですか?」


「ああ。幸いにして、あの程度ならどうにかダメージは食らわん。本気でぎりぎりだが、な……」


 そう言いながら、魔神の注意を引くようにゆっくりと歩み寄るユウ。間違ってもティファ達を巻き込まぬように少しずつ、恐らく魔神にとって側面だと思われる方向に移動していく。


「とりあえず、何か一つぐらいはダメージが通るかもしれん。ありったけの攻撃技を叩き込んでみるから、巻き込まれないように全力で身を守ってくれ。さっきの攻撃は防げそうか?」


「多分、何とかなりそうです!」


「分かった。あと、こっちの手数が少ないから攻撃するなとは言わんが、下手に手を出して注意を引くような真似はできるだけ避けてくれ。やってみないと分からんが、そこまでフォローする余裕はなさそうだ」


「は、はい!」


 魔神に対して攻撃を仕掛けずに注意を引くよう動きながら、ティファにそう指示を出すユウ。


 ユウの指示に従い、とりあえず精神防御と空間系攻撃に特化した防御魔法を重ね掛けし、さらにユウの防御力を強化する魔法をかけたところで、おとなしく観察に入るティファ。


 その時点で準備が整ったと理解したか、ついに魔神から攻撃が飛んで来た。


 腕を横に振る魔神。その動きに合わせて百五十メートルほどの距離、百二十度ほどの扇形に空間の断層が広がる。


 屈めばかろうじて回避できるそれを甘んじて受け止めるユウ。そこにさらに追撃。ピンポイントでみぞおちのあたりの空間が圧縮され、押し出される。


「やはり、こいつはそれほどの火力のないタイプか」


 みぞおちへの打撃が大したことのないものだったことで、そんな風に断定するユウ。上手くやれば、倒せずとも一週間時間を稼いで追い返すことはできるかもしれない。


「まずは、こいつの攻撃を可能な限りすべて確認するところから、だな」


 どうせこちらの攻撃には有効なものは少ない。どう転んでもある程度の時間はかかるのだからと、ユウは攻撃を受け続けることを決意する。


「さあ、お前の手札、どんどん見せてみろ!」


 ユウの挑発に乗ってか、様々な攻撃を仕掛けてくる魔神。


 攻撃力も攻撃手段も圧倒的に足りていないユウは、こうして見通しのきかない不利な持久戦に突入していくのであった。






      ☆






「……嬢ちゃん、魔力は大丈夫か?」


 戦闘開始から三十分。すでに十を超える回数攻撃を防いでいるティファに対し、冒険者の一人が不安そうに声をかける。


「魔力は大丈夫です。使う量を精密に調整しなくていいので、コントロール的にはむしろ楽なぐらいですし」


 不安そうな冒険者にそう答えると、それ以上は相手をせずにじっと魔神の観察を続けるティファ。


 無論、単に目視で観察するだけではない。最初から活性化させた気を目と耳に集中させて、全神経を研ぎ澄ませて、どんな些細な変化も見落とすまいと相手を観察している。


 その結果、おぼろげながらいくつかの事実を見抜いていた。


(……素手の攻撃でも、気で作った爪や炎を纏っていると少しだけど魔神に影響を与えているみたい……)


 何度目かのユウの迎撃兼牽制の攻撃を見て、そう結論を出すティファ。


 前回ティファ達を救った、龍のオーラを纏った体当たりは一切通じていないところを見るに、格闘攻撃というのは意外と厳密な扱いなのかもしれない。


「……何で……」


「えっ?」


「……何で、アンタはそんなに平気なのよ……」


 何か手があるかもしれない。そう思ってひたすら頭をフル回転させているところに、エフィニアがぽつぽつと声をかけてくる。


「……平気な訳じゃ、ないですよ」


 集中しているところに水を差されたことで、若干面倒に感じながらも素直にそう答えるティファ。


「目の前で、いっぱい人が死んでるのよ!? ワタシ達によくしてくれたアデラ先生も死んじゃったのよ!?」


「なあ、お嬢様。そこまでにしておきなさいな」


「なんでよ!? ワタシを見捨てればあの人達を助けられたかもしれないのよ!? ワタシが勝手なことしてなきゃ先生は死なずにすんだのよ!? そもそもアンタなら助けられたんじゃないの!?」


「ごめんなさい。そういうのは後でしないと、ユウさんが死んじゃいます。ユウさんが死んじゃうと、それこそその程度じゃすまなくなります」


 エフィニアの言葉をばっさり切り捨て、再び魔神の観察に全集中力を投入するティファ。


 実は、ユウが魔神と戦闘開始しティファが観察を始めて以降、この場には何人もの人間が迷い込んでおり、その度に魔神の攻撃に巻き込まれて命を落としている。


 その中にはティファが上手くやれば助けられた人間も少なからずいるが、今は後悔している余裕などない。


 どうせ後で死ぬほど後悔するのだから、そのためにもまずはここを生き延びなければならない。


「……ユウ殿もティファ殿も、本気で尊敬に値するよ。自分なんて、心を折られないようにするのが精いっぱいで、迷い込んだ人間を助けるどころか邪魔にならないようにすらできてない」


「まったくだ。冒険者やってて、こんなに情けない思いをしたのは、初めてだ」


 ランドルフの嘆きに同意する護衛のリーダー。建国以来まともに魔神と遭遇したことがないトライオン人は、どうしてもこのあたりの心構えも準備も乏しい。


 もっとも、魔神に対しては常在戦場の心構えができているベルファールですら、魔神殺しではない人間が対魔神戦に巻き込まれた際にできる手段などほとんど存在しておらず、せいぜい一部腕のいい戦士や魔術師が自分で身を守れる程度なのだが。


(……さっきのスコールレイは無効だった。それは多分、魂魄に作用する性質がないから。じゃあ、気を練り込んで魂魄攻撃の特性を持たせたら? ……わたしの制御能力だと、ユウさんを巻き込むから攻撃は無理)


 ランドルフ達の言葉をよそに集中を続け、観察結果からの考察を進めていくティファ。


 何かいい手はないか、今まで座学や図書館に入り浸って得た知識を総動員し、少しでもダメージを与えうる手段を模索する。


(単純に攻撃力が足りなくてダメージが通らないなら、攻撃力を底上げするか相手の防御力を下げる。今回の場合は攻撃力だけでなく属性相性も悪いから……)


 そこに思い至ったところで、頭の中で急速にプランが組み上がる。


 現状、まともにダメージを与えられる可能性があるのはユウのみ。ならば、ユウの攻撃が通じるように細工をするしかない。


 ティファが選んだのは、相手の属性耐性を下げる魔法をかけてみることであった。


「ユウさん! 障害魔法いきます!」


「分かった!」


 ティファの言葉を聞き、全力で魔神の注意を引きつけにかかるユウ。


 いきなり積極的に攻撃し始めたユウに対し、何やら楽しくなってきたらしい魔神が応じてくる。


 そこに、ティファの全力の障害魔法が発動する。


「デクリーズレジスト・ファイアー!」


 一瞬で耐性を半分以下まで削られた魔神に対し、ユウが放った炎の龍が直撃。


 やはり何らかの属性相性が仕事をしているようで、威力が大きく減衰されて致命傷どころか手傷を与えたとすら言えないものの、それは今までで一番大きなダメージであった。


(……ダメージは出るようになった。でも、やっぱり抵抗力以上に減衰してる)


 結果を確認し、再び考察に入るティファ。その間にも視界の隅に入った冒険者に防御魔法をかけて余波から守り、少しずつ防御力が抜かれ始めたユウに回復魔法や防御魔法をかけるといった細かい支援も忘れない。


「……何よ、なんなのよ、あれ……」


「本当に、見た目通りの年なのか……?」


 そんなティファを呆けたように見ていたエフィニアと冒険者達だが、ユウに回復魔法をかける、という行動を見て、ついに自分達にできることに気がつく。


「嬢ちゃん、細かい傷の回復は、うちの魔術師がやる。嬢ちゃんは魔神の倒し方を考えるのと、命に関わるレベルのデカい傷を治すことに集中してくれ」


「分かりました」


 護衛のリーダーの申し出に頷くと、再び思考に集中するティファ。


 正直なところ、細かな傷の治療をやってもらえるのはとてもありがたい。


 魔力は余裕だが、正直そろそろ身の丈に合わない大魔力を振るいすぎて、体力のほうがきつくなってきている。


(……多分あれ、銀か魔法の武器でしか傷つかないモンスターを、エンチャントウェポンがかかった武器で攻撃たときと同じ現象。だとすると、素手の攻撃に分類される技だと、属性攻撃の分しかダメージが通らない……)


 今のやり方の限界に気がつき、さらに何かいい方法はないかと考え込むティファ。


 この場合、攻撃力を上げてもほとんど意味はない。それに、障害魔法もそろそろ破られそうだ。


 こうなってくると、もっと根本的な対応が必要となってくる。


 そう、どうにかして格闘以外の攻撃手段に切り替えるのだ。


 今回の場合、ネックになるのは武器がないこと。ならば武器を作ればいいのだろうが、ティファの魔力で作られた武器をユウが振るって、技を十全に使えるのかどうかが分からない。


 それ以上にそもそも、今のティファの制御能力では、そんなちょうどいい大きさでバランスのとれた、使いやすい武器なんてどうやっても作れない。


 もっと言うなら、魔力で武器を作り出す魔法というのは、高等課程を終えて修士課程でようやく研究の一環として覚える高難易度の高等魔法だ。


 今のティファでは、なんとなくやり方が分かるというだけで、ちゃんとした武器云々以前に成功するかどうかすら怪しい。


 ならばどうするか。かつて読んだ昔の資料の中に、一つだけ使えそうな手段があった。


「ユウさん! 剣を改造します!」


「……できるのか!?」


「ぶっつけ本番なので分かりません! でも、やり方は知ってます!」


 非常に正直なティファの言葉に小さく頷き、背負っていた剣を鞘ごと降ろしてティファのほうに投げる。


 それを代理でキャッチしたランドルフが、ティファの前に降ろす。


「彼に渡すのも自分がやるから、ティファ殿は魔法に専念してくれ」


「はい!」


 ランドルフの言葉に力強く頷くと、ゆっくり気を練り上げるための呼吸を行う。


 これからやろうとする魔法は、必要な魔力量が極端に多い割に結構繊細な制御を必要とする。


 どうにも暴れ馬なティファの魔力だと、気を混ぜ込んでの制御をしなければまず間違いなく失敗するだろう。


 きっちりしっかり気を混ぜ込んだ魔力を全身に循環させ、記憶を頼りに魔法を詠唱しながら少しずつユウの剣に浸透させていく。そのまま内側から徐々に鋼を魔力鋼に変質させていき、全体を粒子一つ残さず魔力を帯びさせる。


 さらに複数の魔法陣を魔力で描き、重ならないように剣の表面を高密度で覆うように張り付けて、一気に魔力を通す。


「エルダー・エンチャントウェポン!」


 今では廃れた、エンチャントウェポンの原型となった魔法。最初、エンチャントウェポンとはこの魔法のことを指していたのだが、今ではもっと簡単で確実なものがあるため、ティファはトリガーとして、即興でこの名をつけたのだ。


 エンチャントウェポンの原型というだけあって、この魔法で浸透させた魔力は定着しない。しかも、魔法の武器を造るより要求される魔力が多く、武器を破損させないように制御するのも難しい。


 そのあまりの使い勝手の悪さにほとんど使い手は生まれず、だが普通の武器で上級のデーモン種にダメージを与えられる可能性を捨てることはできず、大勢の魔法使いが研究に研究を重ねて、今主流となっている武器の表面に魔力の膜を重ねる方法が開発されたのだ。


 それだけに、多くの点で今のエンチャントウェポンに劣るこの魔法だが、たった一つだけ優位となる要素がある。


 それは、効果時間の間、魔法をかけられた武器は攻撃力を強化しつつ、完全に魔法の武器と同じ性質を持つという点である。


「これ、お願いします!」


「分かった!」


 武器を破損させずに魔法をかけられた。そのことに安堵のため息をつきつつ、ランドルフに剣を託すティファ。


 ティファから託された、それなりに重量があり投げやすいバランスでもない剣を、見事なコントロールでユウの目の前に投げ落とすランドルフ。


 飛んで来た剣を地面に落とすことなくキャッチし、鞘から抜き放って構えるユウ。


 そこに、何やらテンションが上がっていたらしい魔神が、今までにないほど全身全霊という雰囲気で攻撃を仕掛けてきた。


「まずい!」


 命の危機を感じ、とっさに全力で防御態勢を取るユウ。


 嫌な予感がして、即座に対時空系防御魔法をユウに重ね掛けするティファ。


 そんな二人の対応をあざ笑うかのように、単体向けに収束された魔神の攻撃は、ユウの右肩から左脇までをさっくり切り裂いた。


「ぐぅ!!」


 防御態勢をとるだけでなく、致命傷を避けるために芯を外す動きも重ね、どうにか肩以外は体の表面を切り裂かれるにとどめたユウ。


 だが、それでも戦闘がおぼつかなくなる程度の重傷なのは言うまでもない。


「ユ、ユウさぁぁぁぁぁん!!」


「ティファ殿! まずは回復だ!」


「っ! はい!」


 初めてまともな傷を負ったユウを目の当たりにし、思わず叫んで駆け寄りそうになるティファ。それをランドルフが制止し、自身もかけられる回復魔法を発動する。


 そんなランドルフを見て我に返り、使える一番強力な回復魔法を即座にかける。


 さすがに回復魔法ばかりは大魔力で強引に、とはいかないようで、剣を振るにも支障が出るほどの傷からとりあえず武器を振り回せるくらいまでしか回復できない。


 それとて初級魔法の回復力としては破格なのだが、ティファからすれば何の慰めにもならない。


「万事、休すか?」


 何とか倒れずに踏みとどまり、やたら楽しそうにしている魔神を睨みつけながら言うユウ。


 すでに周囲はほぼ全域が更地。回復するための時間を稼ぐのに使えるような遮蔽物はない。


 いや、遮蔽物があったとして、この魔神の特性と攻撃力では、とても身を守る役には立たない。


「仕方がない。倒せる条件が整った、それもたかが中級魔神相手に使うのは業腹だが、倒すための技が使えない以上は覚悟を決めるしかない」


 もう一度同じ攻撃が来れば全滅は確定だ。ならば、弟子を生き延びさせるためにも、打てば死ぬと分かっている技を使うしかない。


 幸いにして、この技自体は肩が動かせない程度の負傷なら問題なく使える。両手で触れることさえできれば、暴発させずに使うこと自体は非常に簡単なのだ。


 問題は一つ。ただただひたすら反動が重く、よほどの奇跡でも起こらぬ限り使えばまず確実に死ぬことである。


「ティファ、いろいろ頑張ってくれたところを申し訳ないが、どうにも今の怪我で技が使えん。なので、あれを道連れにしてくる」


「だ、駄目です、ユウさん! そんなことしちゃいけませんっ!!」


「だが、残念ながら、傷が癒えるよりあれがもう一度大技を打つほうがどう考えても先だ。次に食らえば、この奥の手すら使えん可能性が高い」


「だったら、攻撃させなければいいんです!」


 そう宣言し、ありとあらゆる行動阻害系の障害魔法を連続で叩き込むティファ。どれだけ魔力を注ぎ込んでも範囲が広がらないこともあり、加減も遠慮も完全に投げ捨てている。


 一つ一つは数秒の阻害効果しかなくとも、叩き込んだ数だけは多いこともあり、ティファは一分以上の足止めに成功する。


 普通ならたかが一分では何もできないところだが、今回ばかりはその一分が奇跡を運んで来た。


 空の上からユウにめがけて、何か液体の入った容器が投げ落とされたのだ。


「……何だ?」


 ユウの体に当たって割れた容器。その中身の液体がかかった瞬間、ユウの肩の傷があっという間に完治する。


 そこに、声が聞こえてくる。


『ユウ、聞こえる?』


「ベルティルデさんか?」


『ええ。風の精霊に声を届けさせてるの。今、バシュラムのとっておきを届けたから、致命傷じゃなきゃ完治するはずよ』


 ベルティルデの言葉に頷くと、剣を構え直すユウ。


 バシュラムのとっておき、エリクシル剤。値段よりもむしろ流通量の問題で入手が困難な、致命傷でなければどんな傷も癒して体力と魔力を全快にする、ほぼ究極の回復アイテム。


 本来ならユウも常備しておきたいところだが、残念ながら古巣を辞めた際には譲ってもらえず、実績とネームバリューの問題でトライオンでは調達できなかったのだ。


「これなら勝てるな」


 ティファが散々重ね掛けした行動阻害のおかげで大技もキャンセルされたようで、不機嫌そうに腕を振り回す魔神を見て、勝ちを確信するユウ。


 そこに攻撃的な効果はないらしく、恐らく腕にしか見えない線がぶらぶらと動き回っているだけで、これといった被害は出ていない。


 どうも、大技はすぐには使えないようで、ファイティングポーズを取りはするものの、先ほどのような猛烈なエネルギーの集束は感じられない。


「ティファ、光属性の抵抗力を削いでくれ!」


「分かりました!」


「よく見ておけ、ジャーナリスト。中級の魔神が沈むところを!」


「ああ! カメラのスタンバイは、いつでもできてる!」


 声をかけた二人ににっと笑い、体内で気を暴れさせる。それを、現在のティファには絶対不可能な領域まで圧縮し、エンチャントの効果で魔剣となった自身の剣に注ぎ込む。


 注ぎ込まれた気が星の光となって剣を覆い、さらにユウの全身を包み込んだ。


 気の感知ができない人間の目にもはっきり見えるほど、まばゆい星の光がユウを包み込むと同時に、ティファの魔法が発動する。


「デクリーズレジスト・ライト!」


「星王! 剣舞陣!」


 ティファの魔法が効果を発揮したと同時に、ユウの必殺技が叩き込まれる。


 星の光を纏い、舞うように魔神を何度も何度も斬り捨てていく。その動きは、まるでサーガのワンシーンのごとく美しかった。


 十を超える回数の斬撃を終え、最後の一太刀を浴びせて残身の構えを取ったところで、技に仕込まれていた儀式が成立。星の光が天に昇り、魔神は跡形もなく消滅したのであった。


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