30、非常事態
「ベルギスの姫君のことが、フアナ姫の耳に届きました」
その情報を聞いたロッテは、大急ぎでアルルのお茶会を辞してステファンと共に屋敷に戻った。まさかそんなはずはないと間違いであることを信じたいロッテだったが、屋敷に戻ると王宮から使いが来たと伝えられた。
二十一部隊は急ぎ王宮に集合するようにとの命令だった。
慌てて隊服に着替え、ステファンと王宮に向かった。
「まさか本当なのか? なぜそんな事をアルル嬢が知ってるんだ?」
「分からない。でも王宮の高官に情報源があるのかもしれない」
おそらく『浮気の館』を利用してアルルに弱みでも握られているのだろう。
たとえば浮気相手が厄介な上官の妻だった場合は苦境に立たされることになるだろう。
あるいはそれを見越して、相手を紹介したのか。
情報を入手する方法はいくらでも考えられた。
二十一部隊の詰所に入ると、ルドルフ隊長が待っていた。
部屋にはヨルダンもいて深刻な様子で話していたが、ロッテに気付くと二人ともこちらに向いた。
「フロリス。待っていた。すぐに西塔の詰所に入ってくれ」
いつも冷静なルドルフが、少しイライラしているようだった。
「いったい何があったのですか?」
ロッテの問いに対するルドルフの返答は予想通りのものだった。
「フアナ姫に西塔の姫君のことが洩れてしまったようだ」
やはりアルルの情報は正しかった。
「どうして洩れたと分かったのですか?」
「オレがエマから知らせをもらった」
ルドルフ隊長が答えるよりも早く、そばに立っていたヨルダンが答えた。
「エマ? じゃあまだエマは生きてたんだね?」
「ああ。だがもう会えないみたいだ。フアナ姫のそば仕えになったようだ」
「フアナ姫の……」
「だがこの情報だけは伝えようと、隠し部屋に手紙が置いてあった」
ヨルダンは手紙を指に挟んでひらひらと振ってみせた。
「エマのやつ、最後に『フロリスさまによろしくお伝え下さい』なんて書くもんだから、お前を連れていったことがバレて、今叱られてたところだ」
ルドルフはぴっと手紙を取り上げるとじろりとヨルダンを睨んだ。
「まさかフロリスを紫の塔に連れていってたとは。本来なら解雇に匹敵する隊則違反だぞ」
「では今すぐ解雇しますか?」
ヨルダンはにやりとルドルフに笑いかけた。
今魔法を使えるヨルダンを失ったら困ることは、誰より本人が一番知っている。
「……。お前の処分は危機を乗り切ってからだ」
ルドルフは眉間を寄せて目を細めた。
「危機を乗り切るっていつの話ですか? そもそも乗り切れるんですかね?」
長生きするつもりもないヨルダンには、そんな脅しもきかない。
「乗り切ってもらわねば困る。とにかく今日からシエル様の即位の日まで全員で『西の側室塔』の警備を強化する。フロリスは西塔の詰所で即位の日まで寝起きしてくれ」
「えっ? 即位の日まで?」
ロッテは驚いて聞き返した。
まだ二十日ほどもある。
「ですがそれでは風呂にも入れず、着替えも持ってきてないですし」
なにより賢者さまの魔法の下着をつけっぱなしになる。
「着替えは……ステファンが屋敷から持ってきてやってくれ」
「そ、それは構いませんが……」
ステファンは困ったようにロッテと目を見合わせた。
ヨルダンは困り顔のロッテを見て、くくっと嗤った。
「はは。女官たちの憧れの小公子さまが風呂にも入らず薄汚れた姿で後宮の警備につくわけにはいかないもんな。西塔の面食い姫君にも嫌われたら困るだろって言ってやれ」
ルドルフは苦りきった顔で思案した。
「風呂は武官の寮の大浴場を使うがいい。それぐらいの時間なら詰所を空けててもいい」
「寮の大浴場……」
当然だが男ばかりの大浴場だ。
「三日に一回でいいので屋敷に戻ってはいけませんか?」
魔法の下着のこともあるが、あまりに無茶な話だ。
しかしルドルフの怒声がロッテに落ちた。
「バカ者が! この非常事態を甘く見るな! 戦が始まるぐらいの危機感を持たねば姫君をお守りできぬぞ! お前は戦に行っても三日に一度屋敷に戻って風呂に入るつもりか!」
「そ、そういうわけでは……」
そんな風に言われると従うしかない。
「分かったらさっさと西塔に行け! 姫君の護衛官には伝えてあるが、万が一のことがあっても塔の中に決してフアナ姫を入れてはいけない。お前が最後の砦だ。二十一部隊の威信をかけて守りきれ。分かったな!」
「は、はい。分かりました」
ヨルダンが可笑しそうに笑ってロッテの肩に腕を回した。
「モテる男も苦労するな、フロリス。隊員たちは西塔の詰所の担当になりたい連中で溢れてるってのにノール護衛官のお眼鏡にかなうのがお前一人だってんだからしょうがない。正妃の塔の女官たちもお前が西塔に行っちまったからがっかりしてるぜ。後宮の女官ってのはお前みたいな中性的な女顔が好みらしい」
好かれるのは嬉しいが、みんなを騙しているような罪悪感がつきまとう。
「まあ、オレたちが正妃の塔より先には行かせないから優雅に過ごしてろ」
「ヨルダン……」
死を覚悟したようなヨルダンに不安がつのる。
なにか言葉をかけようとしたロッテだったが、その前にルドルフの罵声が飛んだ。
「早く行け、フロリス! ステファンはフロリスの着替えを持ってきてやれ。それからヨルダンはこっちに来い! まだ言いたいことがある」
ヨルダンは肩をすくめてルドルフの元に行き、ロッテとステファンは慌てて詰所を出た。
◇
西塔の詰所に入って三日が過ぎた。
フアナ姫に目立った動きはなかった。
一日一回日報を取りに来るルドルフ隊長の話では、シエル様がフアナ姫を訪問して帰国の挨拶をしたらしい。そこでどういう説明をしたのかは分からないが、フアナ姫の機嫌がすっかり良くなったと言っていた。
恐ろしい魔力を使うわりに、考えることは恋を知ったばかりの少女のようだ。
シエル様の言動一つで感情が浮き沈みするらしい。
ルドルフ隊長はわがままな姫君の言動に振り回される任務にイライラしているようだった。
機嫌がなおったなら緊急配備は解かれるのではないかと思ったロッテだったが、詰所から出る許可は出なかった。あれから三日間、賢者さまの下着をつけたままだ。
昼間は食事を届けにくる女官や、護衛官の行き来があって脱げないし、夜間にはいつシエル様の来訪があるとも限らないので脱げない。
思えばこんなに長くつけっぱなしなのは初めてだった。
三日目に入ると、ひどい頭痛とめまいにおそわれるようになってきた。
「どうしよう……。やっぱりずっとつけていると体に良くないんだ」
風呂にももちろん入れていない。
女官の差し入れてくれるお湯で、体を拭くぐらいしかできない。
気分は最悪だった。
「今日はもうシエル様も来られないかな……」
三日に一度は姫君の元に来ていたシエル様だが、フアナ姫の目を警戒してか最近は来ていない。しかもいつも来る時間帯は過ぎていた。
「今日は魔法の下着を脱いで眠ろう」
横長の窓から外と出入口を確認して、寝静まった暗闇を確認すると、ロッテはベッドに座って隊服の中の魔法の下着を脱いだ。そのまま隊服をもう一度着てみたが、不思議なことに肩幅は余り、胸元のボタンがきつくなった。
「薄っぺらい布きれ一枚なのに不思議だな」
小さな手鏡しかなかったが、そこに映るロッテの顔までが丸みを帯びたように思える。
「でもあれほどひどかった頭痛が引いていく。めまいもおさまった」
屋敷の中以外で魔法の下着を脱いだのはもらってから初めてだったので落ち着かないが、そのまま眠ることにした。ひどい頭痛でしばらく眠れなかったロッテは、ベッドに入ると一瞬にして眠ってしまった。
どれぐらい眠ったのだろうか。
ふと外の物音で目が覚めた。
あわてて飛び起きて横長の窓から外を見ると。
(そんな、まさか!)
そこにはシエル様と側近の姿があった。
次話タイトルは「西大公家の小公女」です