28、クリスティナ男爵令嬢
マリアンネ公爵令嬢はロッテに求婚をやんわりと断られると、今度は果敢にもステファンに狙いを定めた。
後から聞いたが、どうやらイザークにはすでに二年前に断られていた。
貴族の間では有名な婚活公爵令嬢らしい。
「ステファン様のミデルブルフというのは、王宮からは遠いのかしら?」
「ええ。馬車で二十日はかかります。地盤が低く湿地ばかりの田舎ですよ」
「二十日……。では結婚となれば里帰りするのも大変ですわね。ミデルブルフには流行のドレスを仕立てられるデザイナーはいるかしら? 王都のような腕のいいパン職人はいらっしゃって?」
「いえ、田舎ですから貴族も素朴な暮らしですよ」
ステファンは苦笑しながら答えた。
それで諦めるかと思われたが、マリアンネはいい事を思いついたというように提案した。
「そうだわ。ステファン様は神童と呼ばれるほどの秀才だと聞いておりますわ。このまま王宮の官職に就かれて王都で暮らされるとよいですわ。わたくし父に言って別荘の一つを譲り受けることも出来ますの。これはいい話ではございませんこと?」
マリアンネ嬢の頭の中では、物事がどんどん独断で進んでしまうらしい。
「いえ、いくらなんでもそこまで甘えるわけにはいきませんので……」
「甘えるなんて思わなくてよろしいのよ。わたくしも身分差なんてまったく気にしませんわ。公爵令嬢から……ステファン様は子爵様でしたかしら? 人はずいぶん落ちたものだなんて言うかもしれませんが、やはり結婚相手は才能と人柄ですもの。愛があれば乗り越えられますわ」
ものすごく身分差を気にしているように思えるのはロッテだけだろうか?
愛では絶対乗り越えられないような気がする。
ステファンが困っていると、アルルが割って入った。
「さあ、マリアンネ様ばかりがお話下さってますけれど、メリッサ様とクリスティナ様もお話になって下さいませね。今一番話題の三人の騎士さまと話す機会など、もうございませんわよ」
マリアンネに勢いをそがれたのか、二人の姫君はずっと黙り込んでいる。
イザークの前に座るメリッサ嬢は、非常に美貌の姫君だった。
豊かな金髪に青い目の精巧に作られた人形のようだ。
見事な姿勢で椅子に腰掛けたまま微動だにしない。
たまにカップを手にお茶を優雅に飲んでいるが、ストロープワッフルにも手をつけていない。
機械人形のように、必要最低限の動きだけを繰り返している。
『飾り窓』でショーケースの中の売り物のように座る娼婦のようだとイザークは思った。
美貌を磨いて買い手がつくのをひたすら待つだけの姫君。
それは貴族の姫君としては正しい生き方なのだろう。
だがイザークはまったく心惹かれなかった。
やはりイザークはいつも一歩先を見ているようなアルルに惹かれる。
そしてステファンの前に座るクリスティナ嬢は、とても内気な姫君なのか時々ステファンをちらりと見て、目が合うと真っ赤になってうつむいてを繰り返していた。
「クリスティナ様は以前にステファン様にお会いになったことがあるそうですわよ」
仕方なくアルルが取り持つように切り出した。
「そうなのですか? どこでお会いしましたか?」
ステファンがクリスティナに問いかけると更に真っ赤になってうつむいてしまったので、代わりにアルルが答えた。
「三年ほど前のことらしいですわ。ご両親と一緒に初めて王宮に来られた時に外の回廊を歩かれていてお帽子が飛んでしまったそうでございます。それを拾って渡して下さったのがステファンさまだとか……」
そんなロマンチックな出会いをしている姫君がいたとは知らなかった。ロッテは驚き半分興味半分でステファンを見る。しかしステファンは渋い顔で考え込んだ後、あっさり答えた。
「覚えていません。人違いではありませんか?」
この朴念仁が! とロッテは心の中で思った。
たとえそう思っても「あの時の美しい姫君でしたか」ぐらいのリップサービスをするのが紳士の務めだろう。
ステファンは他のすべてにおいて完璧で気の利く男だが、恋愛に関してだけは大雑把なイザークよりも不器用で気が利かない。
かわいそうにクリスティナ嬢はゆでだこのように真っ赤になって泣きそうになっている。
他の二人の姫君の個性が強いせいか、クリスティナ嬢は一番普通で可愛いらしい姫君に思えた。
背が低く幼い印象だが、実際若いのだろう。
きっと三年前に出会ったステファンに恋焦がれて今日を楽しみにしていたに違いない。
少し垂れ目で頼りなげで、守ってあげたくなるような姫君だ。
結構お似合いなんじゃないかとロッテは秘かに思った。
「皆さま今日はお天気もいいことですし、中庭に出てみませんこと?」
アルルは次にみんなを庭園に案内した。
だが要するに目当ての人物と個別に過ごしましょうということらしい。
ステファンはクリスティナ嬢と二人にされたが、そこにマリアンネ嬢が乱入して三人で気まずい散歩をしている。
そしてイザークは物言わぬ人形のようなメリッサを連れて池の周りを歩いている。
あぶれたロッテは、自然にアルル嬢が相手をすることになった。
「あなたはいつもご自分のサロンでこんなお茶会を開いてらっしゃるのですか?」
ロッテは二人きりになるとすぐに切り出した。
アルル嬢には言いたいことがいっぱいある。
「あら。出会いなど待っていても訪れませんことよ。理想の伴侶を見つけるためには自分でチャンスを作らねばなりませんわ。私はそのお手伝いをしているだけ」
「もしかしてお金をとってるのですか?」
他にこんなお茶会を開く目的が見つからない。
「うふふ。野暮なことは言わないで下さいませ。でもそうですわね。フロリス様とイザーク様ならどれほどお金を積んでもいいから一席設けて欲しいという貴族はいくらでもいますわね」
やっぱりだとロッテは思った。
やり手というか抜け目がないというか、好きになれない。
「マリアンネ様などは大得意様ですわね。ですから掘り出し物のお茶会には真っ先にご招待してますの。面白い方でしょ?」
「そうやってカモにして利用しているだけでしょう? どうせ結婚できないと心の中で笑ってるんだ。私はそういうのは好きじゃない」
マリアンネは高飛車で言いたい放題の姫君だが、ロッテは同情的だった。
ロッテに戻った時の嫁き遅れた自分のような気がするからかもしれない。
「あら、わたくしはいつもよいご縁と思って紹介してますわ。マリアンネ様にとってはもちろんのこと、フロリス様にとっても」
「私にとっても?」
「大公家にとっても王都の公爵家は良縁でございましょう? マリアンネ様の家は身分もさることながら、大富豪でもございます。王都にもあちこちに別荘をお持ちです。それに大公家の当主ともなればご夫人は一人ではございませんもの。妻の一人にしておいて損のない方でございますよ。他に心に想う姫君がいらっしゃるなら妾にすればよろしいでしょう?」
「私はそういうのは……」
正妻争いに負けた母の娘としては、受け入れがたい現実だった。
「フロリス様は一途なロマンチストタイプかしら? まだ本気の恋は成就するものと信じてらっしゃるのね。でもいずれは貴族にとっての結婚というものを思い知る日が来ましょう。あの方のように……」
アルルは少し淋しげに呟いた。
「あの方とは……シエル様のことですね」
ロッテにはすぐに分かった。
「アルル様はシエル様を愛してらっしゃったのですか?」
遠い昔破談になった相手を今でも想っている可能性はある。
しかもシエル様なら、なおさら。
しかしアルルは、ふっと笑った。
「当時わたくしは十三才でした。愛など、どういうものかもよく分かってはおりませんでしたわ。ただ、やんちゃで恋も知らない少年のようなあの方に憧れておりました。淡い淡い恋とも呼べないような幼い感情でございました。今ではもう思い出すこともできない」
もし入宮していたなら、シエル様はこの美しい人を愛しただろうと思った。
そしてアルルならその寵愛を独り占めしたかもしれない。
それがどのような運命で五十才も年上の伯爵の元に嫁ぐことになったのか。
アルルもフアナ姫によって人生を狂わされた被害者だった。
「もしやフアナ姫に復讐を考えておいでですか?」
ロッテはふとそんな気がして、思いつくままに口に出していた。
さすがに失礼だったかと訂正しようとしたロッテだったが、それに対するアルルの返答は思いがけないものだった。
次話タイトルは「アルルの目的」です