27、マリアンネ公爵令嬢
その後、シエル様は三日に一回ほどの割合で西塔の姫君の所にやってきた。
滞在時間は非常に短く、日々の伝達をシエル様みずから伝えに来ているようだ。
即位の式典の準備もあり、多忙を極めるはずなのに自分で伝えに来るというだけでも、シエル様のご寵愛の深さが分かる。
人目につかないように夜間にいらっしゃるため、いつもロッテの勤務中だった。
だが、初日に声をかけて頂いて以来、ほぼ素通りだ。
でもロッテにとっては、姿を見ることが出来るだけでも嬉しかった。
そんな日々を十日ほど過ごした頃、アルル嬢のお茶会が開かれた。
場所はアルル嬢の暮らすビンネン伯爵邸だった。
王宮からは少し離れているが、小ぶりで中庭の手入れの行き届いた趣味のいい邸宅だ。
噂では、伯爵が亡くなった後アルル嬢が自分で改装した別邸らしい。
『浮気の館』などと揶揄する連中もいるらしいが、とにかく人の出入りの激しい邸宅のようだ。
小ぶりな邸宅のわりに馬舎も広く、馬車の待機場所も充分に用意されている。
召使いの数も多く、出迎えから部屋への案内まできめ細かく世話してくれた。
そして一階部分は来客用サロンとその控え室がすべてだった。
二階に居室といくつか部屋があるようだが、サロンに特化した邸宅だった。
「よっ! フロリス、ステファン」
サロンに入ると、すでにイザークが待っていた。
「ずいぶん早く来てたんだな、イザーク」
イザークの前には、すでに食い散らかしたクッキーの小皿があった。
「一番のりでございましたわ。まだ私もドレスに着替えてなくて、ずいぶんお待たせしてしまいましたの。申し訳ございません、イザークさま」
アルル嬢が真っ白なシルクのドレスで現れた。
白いドレスはどちらかというと無垢な少女っぽいイメージだが、アルル嬢が着るとシンプルな装飾がむしろ大人びて見える。斬新でセンスのいいアルルに感心する。
「いや、オレが早く来すぎたんです。いろいろ気を使って頂いてすみませんでした」
イザークは照れながら頭を掻いている。
どうやらロッテが二人の時間を作るまでもなく、親密な時間を過ごせたようだ。
すでにすっかり鼻の下がのびている。
「さあ姫君たちはすでにお席についてますのよ。どうぞこちらに」
中庭が見渡せる窓辺に作られたお茶席には、派手すぎない落ち着いたドレス姿の姫君が三人座っていて、ロッテたちが近付くと、椅子から立ち上がって出迎えてくれた。
「こちらはマリアンネ公爵令嬢さま、そしてメリッサ伯爵令嬢さま、それからクリスティナ男爵令嬢さまです」
アルルが順番に紹介して、それぞれの前にロッテ、イザーク、ステファンの順に座らされた。
どうやらお茶会とは名ばかりのお見合い懇親会らしい。
ロッテとステファンは、またしてもハメられたなという顔を見合わせた。
「今日はうちのパティシエご自慢のストロープワッフルを用意しましたの。生地にチョコを練りこんで網目をつけて焼いたワッフルに、特製シロップを挟んでありますのよ」
アルル嬢はさっそく給仕係を呼んで、大きなお皿に上品に飾り付けられたスイーツとお茶をそれぞれの前に出した。その手馴れた様子で、こういうお茶会が日常茶飯事で行われているのが分かった。
アルルはお茶の用意が整うと、自分もロッテのはす向かいに座って場を仕切るように話しかけてきた。
「フロリスさまは甘いものはお好きかしら?」
「ええ、まあ……」
「西大公さまのお屋敷にはさぞ腕のいいパティシエがいらっしゃるのでしょうね。スイーツなど食べ飽きていらっしゃるかしら」
「いえ。うちのパティシエはクッキー作りが得意ですので、このようなストロープワッフルは初めてです。とてもおいしい」
お世辞でなく本当に美味しかった。
ストロープワッフルはオレンジ国の定番スイーツだが、これほど美味しい物は食べたことがない。ドレスや邸宅のセンスだけでなく、料理のセンスもいい。
さすが元公爵令嬢だと感心した。
「殿方の中にはスイーツが苦手な方もいらっしゃいますが、ステファンさまもイザークさまも大丈夫のようですね」
二人はうなずいた。
ステファンは一番の大好物はフリッツだが、好き嫌いなく何でも食べる。
イザークに至っては、アルル嬢の出すものなら砂糖漬けの菓子でも喜んで食べるだろう。
「そうそう。甘い物が苦手といえばシエル様が有名ですわね」
「え? シエル様が?」
突然シエルの名前が出て、ロッテは思わず話題に食いついてしまった。
「お茶会をご一緒させて頂いたのは幼少の頃でございますが、スイーツには一切手をお出しになりませんでしたわ。ふふ」
さすがに公爵令嬢ともなれば、シエル様と会う機会もあるのだ。
ロッテが思う以上に人脈は広いらしい。
「アルル様はシエル様と……今でも親交がおありなのですか?」
もしやベルギスの姫君の話もシエル王太子から直接聞いたのかと思った。
「いいえ、十四で嫁いでからはお話したこともありませんわ。だって、ねえ。うっかり仲良くお話なんてしたら魔女に殺されるかもしれませんわ」
アルルは、姫君たちと目を合わせてくすりと笑った。
姫君たちもうなずいている所を見ると、フアナ姫の噂は上流階級の姫君たちには広まっているらしい。
「わたくしも実はシエル様の妃候補に名前が挙がったことがございますの」
ロッテの前のマリアンネ公爵令嬢が突然とんでもない暴露話をした。
「ですがその前に東大公家の姫君と北大公家の姫君が立て続けにお亡くなりになったでしょう? ですからお輿入れの直前に取りやめになってしまいましたの。そういえばアルル様もお名前が挙がっていましたわよね」
「え?」
ロッテたちは驚いてアルル嬢を見た。
アルルはこくりと肉厚な唇でお茶を一口飲むと、にこやかに微笑んだ。
「そうだったかしら? もう昔のことで忘れてしまいましたわ」
「嫌ですわ、アルル様が紫の塔の魔女の一番の被害者じゃございませんか。あの魔女が現れなければ間違いなくアルル様が正妃候補の筆頭でしたわ」
信じられない話がマリアンネ公爵令嬢の口から飛び出た。
「あの……シエル様の妃候補はそんなにたくさんいたのですか?」
水面下で繰り広げられる王家の妃争いは、年若い男たちの耳にはあまり入ってこない。
「もちろんですわ。現在の王様にも当初二十名ほどの側室がいらっしゃいました。先代の王様には五十名もいた時代もございましたわ。少なくとも東西南北の大公家から一人は嫁いでおられました。あとは私達のような公爵家の娘は、自分より身分の高い貴族といえば王族しかございませんからね。王様や王太子様に嫁がねば、落第者のような扱いですもの。出来るだけ多くの高貴な姫君を娶っていただく事が王となる者の使命でございましょう?」
「そ、そうなのですか?」
縁談など無縁と思っていたロッテは、そのあたりの知識が欠落していた。
マリアンネ公爵令嬢は、公爵の中でもずいぶん上位の家柄らしい。
「それにシエル様はあの通り歴代でも随一の有望で美丈夫な王太子様でしょう? 貴族も姫君もなんとか側室の一枠を確保しようと、それはもう色めきたっておりましたわ」
一体何年前ぐらいの話か分からないが、アルルが結婚する前だとすれば少なくとも四・五年以上前だ。すでにロッテはフロリスに成り代わっていた頃だろうか。
「ですがあの魔女が現れて、すべてが一変したのです」
マリアンネ公爵令嬢は、悔しそうに唇をかんだ。
「わたくしは当時十四才でしたが社交界にデビューもしておりませんでしたわ。なにせシエル様へのお輿入れが内定しておりましたから、デビューしないまま入宮するはずでございました。幸運な姫君だと周りからも羨ましがられましたわ。シエル様と結婚して一番に男子を生めば正妃の座が、生めなくとも西か東の側室塔の主となっていたはずでございます。将来は安泰だと父も母も安心しきっておりましたのに、何の因果でまだ独身を貫いているのか……」
赤裸々に語るマリアンネは、ほうっとため息をついた。
年齢を聞くわけにもいかないが、ロッテより年上だろうと思われた。
オレンジ国の社交界では立派な嫁き遅れだ。
「両親に恥をかかせぬよう身分の釣り合う殿方をと思うと、その辺の貴族の誘いになど簡単に乗せられるわけにもいかず、ずいぶんお断りしてしまいましたのよ」
「はあ……」
ロッテは何が言いたいのだろうと曖昧にうなずいた。
「ですがそろそろ身分にこだわるのはやめようと思いましたの。両親も好きな殿方がいれば嫁いでいいと言ってくれましたし」
そりゃあ両親もこれ以上嫁き遅れるわけにもいかないと思ったのだろう。
……と騎士三人は心の中で納得した。
それに大して美人でもないしとイザークは思い、性格に難ありとステファンは思った。
そしてマリアンネ令嬢は、結論をとばかりにロッテに微笑みかけた。
「ですから大公家の子息様ならお受けしてもいいかしらと思っておりますのよ。ホーラントは王都からは多少離れていますけど、西の大公家なら大変な資産をお持ちですしね。王都の公爵家にも引けをとらないかと思いますの」
「……」
つまり西大公家のフロリスなら結婚してやってもいいということらしい。
ロッテはマリアンネのあからさまな求婚に唖然として言葉が出て来なかった。
隣でイザークとステファンが笑いをこらえている。
ロッテは貴族の恋愛事情をよく知らないが、このパッとしない気位の高い年上の姫君よりも、西大公家のフロリスにふさわしい姫君は五万といるだろうと思った。
「い、いえ、私のような若輩では公爵様のお眼鏡に敵わないと思います。まだまだ騎士として学ぶことの多き身でございますので、結婚などいつになるのか……」
いずれ本物のフロリスと成り代わるロッテとしては、独断で決めることではない。
ロッテがやんわりと断ると、マリアンネは大きなため息をついた。
断られるのに慣れているのか、諦めはすこぶるいい。
「またですのね。わたくしの身分が結婚を阻むのでございます。高すぎる身分というのは結婚の障害でしかありませんわね」
身分のせいだけじゃないだろうと思ったが、ロッテはホッとして「そうですね」と相槌を打った。
次話タイトルは「クリスティナ男爵令嬢」です