23、シエル王太子の帰還
ロッテがアルル嬢の音楽会に参加して二日後に、突如、近衛騎士全員に招集命令が下された。
詰所の勤務に入っているグループ以外の全員が、訓練場に集められた。
ちょうど月に一回の朝会のような感じで、隊ごとに並んでいる。
前の壇上には、伝達の文官が文書を持って立っていた。
「今朝がたシエル様の一行がユトレヒトの領地に入られたとの報告が来た。すでに第三、第四部隊は出迎えに出立した。残った部隊は、午後にも到着されるシエル様を出迎える準備をせよと王様よりのご命令だ。みな、それぞれの配置につくように」
文官が告げると、「おおーっ!」と歓声が上がった。
多くの隊員は、シエル様が帰途についていたことさえ知らなかった。
そして先に聞かされていた二十一部隊の面々も、こんなに早く到着されるとは思ってなかった。それは文官たちも同様で、予定よりずいぶん急な到着に慌てているようだった。
「では、準備についてはそれぞれの部隊で確認するように」
それだけ言うと、そそくさと壇を下りて行ってしまった。
二十一部隊は、一旦詰所に戻ってルドルフ隊長の指示を受けることになった。
「予定より早くシエル様が帰還されることになったのは、先日のフアナ姫の暴挙がシエル様の耳に届いたからだ。一刻の猶予もないと判断されたシエル様は、早駆けで戻ってこられた。現時点での予定では一ヶ月後の即位、その後すぐにフアナ様の入宮となっている。いよいよ本格的な任務が始まる。みな気を引き締めて任務にあたるように」
どうやらカタリーナ様の身を案じたシエル様が、大急ぎで戻ってきたらしい。
「それからリストシールドの魔法石だが、今朝ようやく人数分をそろえることが出来た。今から小箱を回すから、まだ持ってないものは取っていってくれ」
ルドルフ隊長が小箱の中で紫に光る魔法石をみんなに開いて見せた。
ロッテは、ちらりと隣に立つヨルダンを見た。
「よく間に合ったね。また無茶をしたんじゃないの?」
いつもより青白い顔で胸をおさえて立っている。
連絡を聞いて、あわてて紫の塔で作ってきたようだ。
「ああ。実はあの後エマに一回は会えたんだが、昨日は会えなかった」
「え? じゃあまさかエマは……」
「半日待っても扉を開けてくれなかったから、仕方なく見つからないようにこっそりベッドの下の魔法石を持ち帰ってきた」
「まさか殺されたのか?」
エマの最後の言葉がよみがえる。
「それは分からない。何か用があって、半日部屋に戻れなかっただけかもしれない」
「だったらいいけど……」
「ただ、もう紫の塔に行くのは危険かもしれない。今配ってる魔法石が最後だ。人数分ぎりぎりしか作れなかった」
「それは仕方ないよ。人数分できただけでもすごいことだ」
「オレが心配してるのはあんたの事だ。今度フアナ姫に遭遇して、魔法石を砕かれるようなことになったら、もう替えの石はないからな」
ヨルダンはそっけなく言ったが、ロッテを心配してくれているようだ。
だがヨルダンには言えないが、ロッテにはフロリスの作ってくれた魔法の防御の下着もある。
先日のように簡単に護身石を砕かれることもないはずだ。
「心配してくれてありがとう。でも、私なら大丈夫だ。それに正妃の塔内の係だから、余程のことがなければ遭遇することもないだろう」
逆に正妃の塔までフアナ姫が入って来たなら、その手前の正面門扉や東門扉は突破されたということになる。それはあってはならない危機だ。
「ふん。別にあんたを心配してんじゃねえよ。カタリーナ様を心配してんだ」
「はは。そうだったね。君の女神だった」
「うるせえ。他のやつにそんな話をしたらぶっ飛ばすぞ」
「ごめん、ごめん」
ステファンには話してしまってるが、他人のロマンを茶化すような人間じゃないから大丈夫だろう。
そのステファンは、ちょうど後宮の任務に入っていてここにはいない。
シエル様の到着時間によっては、出迎えの列に並べないかもしれない。
だがロッテは今夜の任務なので、確実に参列できそうだった。
(二年ぶりにシエル様に会える)
ロッテはわくわくしていた。
(でもアルル嬢の言うように、本当にベルギスの姫君を連れ帰っているのだろうか)
もし連れ帰っていれば、アルル嬢の情報は確かだということになる。
その答えは、まもなく分かるのだ。
◇
正午には王宮の南門から国会議事堂まで、びっちりと出迎えの参列者が並んでいた。
近衛騎士は、通路の一番手前に等間隔に白の正装で並んでいる。
二十一部隊は、ちょうど通路の中央あたりの配置だった。
その近衛騎士の隙間を埋めるように文官が並び、その後ろに見習い騎士やアカデミーの生徒や、女官や従者などが、ひと目でもシエル様の姿を見ようと集まっている。
やがて南門が「わっ!」という歓声に溢れた。
「第三部隊の連中だ」
隣に並ぶデニス副隊長が囁いた。
シエル様の十七騎士にもっとも近いと言われている精鋭部隊が白馬で先導している。
次にベルギスにお供していた第七・八部隊が両脇を固めて白馬を進める。
そしてその白服の部隊に挟まれるようにして黒服にオレンジのラインの騎士が現れた。
彼らはシエル様の側近中の側近の騎士だ。
すでに十七騎士に内定していると言ってもいい。
(アベル様だ)
二年前と少しも変わらない、目付きの鋭い均整のとれた体つきの騎士が目に入った。
そしてそんな黒服の騎士に守られるようにして……。
(シエル様……)
オレンジの衣装を着たシエル王太子の姿が僅かに見えた。
大勢の騎士に囲まれて、ちらりとしか見えなかったが、二年前と変わりなく長い黒髪をゆるく背で結わえ、以前より思慮深さを増したような黒い瞳で民衆に手を振っている。
「きゃあああ! シエル様だわ!」
「ああ、やっぱり素敵。シエル様がいらっしゃるだけで王宮に灯がともるようだわ」
「めったにお目にかかることがなくとも、王宮にいらっしゃるってだけで心が華やぐものね」
「分かるわ。半年間、淋しかったもの」
後ろで女官たちが騒いでいたが、ロッテも同感だと思った。
シエル様が王宮にいらっしゃるのだと思うだけで涙が溢れそうになる。
多少の問題があっても、シエル様がいるだけで何とかなるような気がする。
そこに存在するだけで民の心の支えになる。
それが王というものなのだと、ロッテは妙な感動を覚えた。
右手を胸に当て、目の前を通り過ぎて行くシエル様を見送りながら、ロッテは黒服の騎士の数を数えた。幼少からシエル様のそばにいた側近は様々な事情により現在は八名にまで減っていた。その全員が十七騎士に選ばれるとして、残る枠は九名。
新入りのロッテには途方も無く狭き門だった。
周りを見渡しても、自分より優秀な騎士ばかりだ。
西の小公子という身分の有利を用いても、かなり厳しい。
(でもどうしても、あの方の十七騎士になりたい。そしてあの黒い隊服を着て、そばでお守りすることが出来たなら……)
どんなに狭き門であっても、幼い頃からの夢が手の届くところにまできたのだ。
(この命を賭けても、フロリスでいられる間に十七騎士になってみせる)
ロッテは改めて強く心に誓った。
◇
「じゃあ、ベルギスの姫君を連れて帰ってる風ではなかったんだね?」
「うん。シエル様お一人だったよ」
「つまりアルル嬢の話は出まかせってことか」
勤務のため出迎えの参列に立てなかったステファンに、ロッテは夕食を食べながら昼間の様子を語って聞かせた。ロッテはこの後、夜勤の予定だった。
「そうなるね。アルル嬢は、なんだってそんなでまかせを言ったんだろう」
「君の気を引きたかったんだろう。姫君の中には、恋人を手に入れるためなら、ウソをつくのも厭わないという人が多いと聞く。もう彼女には関わらないことだよ」
「なんだかアルル嬢にはがっかりだよ。もっと聡明で気の合う姫君だと思ったのに」
「気が合うわけないだろう。君とは正反対の姫君だ」
ため息をつくステファンに、ロッテは首を傾げた。
「ステファンってアルル嬢が好きってわけじゃなかったんだね」
「だからっ! なんでそう思うんだよ。そんなこと一言も言ってない!」
「でも、強くて手のかかる女性がタイプだって言ってたじゃないか」
「それはっ……」
なにかを言いかけたステファンだったが、思いなおしたように一旦言葉を区切った。
「適当に言っただけだよ。そういうつまらない事をいつまでも覚えてないでくれ」
「でも気になるんだよな。ねえ、ステファンの心に決めた姫君ってどんな人? ミデルブルフにいるの? 生まれた時からの許婚とか?」
なぜだか、先日から気になって仕方がない。
いろいろ想像してみるが、ステファンが姫君と楽しげに歩いている姿がどうにもうまく思い描けない。
「それもイザークが面倒だから適当に言っただけだよ。忘れてくれ」
「え? そうだったの? なんだ、いろいろ悩んだのに」
「いろいろ悩む?」
ステファンは微かな期待を込めてロッテを見た。
「うん。ずっと私につきっきりで婚約者が淋しがってるんじゃないかとか、結婚するならこちらにステファンの別邸を建てた方がいいんじゃないかとか」
「……」
しばらく無言になったステファンだったが、長いため息のあと、またしてもフリッツの大食いを始めた。
そしてその夜、ロッテには思いがけない任務が待っていた。
次話タイトルは「謎の姫君」です