21、シエルの秘密
「お話しするのはフロリスさまにだけですわ。ステファンさまはすみませんが、しばらくサロンでお待ち下さいな」
アルルは帰って行く姫君たちを見送りながら、ロッテとステファンに囁いた。
「そんなことしても無駄だよ。私は、聞いたことはすべてステファンに話す」
「だとしても、わたくしはフロリスさまと二人きりでお話ししたいの」
アルルはイタズラを楽しむ少女のような、それでいて艶っぽい瞳でロッテを見つめた。
「二人きりじゃなければ話しませんことよ」
そう言われて、ロッテは応じることにした。
「分かりました。ステファン、少し待ってて」
ステファンは不安げにロッテとアルルを交互に見た。
「いいけど、なにかあったらすぐ呼んでくれ」
アルルはそんな二人を見つめてクスクスと笑った。
「嫌だわ、そんなに警戒しないで下さいませ。こんな年若い女が騎士さま相手に何が出来るとお思いですの。ただフロリスさまと二人きりになりたいだけですわ。まだお若くて女心がお分かりにならないのですわね。そういう所も魅力ですけど」
ロッテはアルルにうながされ、サロンの控え室の一つに案内された。
小さな二人掛けのソファが一つあるだけの社交場で疲れた人か、気の合った恋人たちが語り合うための小部屋だった。
ロッテは少し薄暗い小部屋にドキリとした。
「座って下さいませ」
アルルに言われてソファに座ると、密着するように彼女も隣に座った。
そのまま頭をロッテにもたせかけて、膝に置いた手を握られた。
「ちょっ……アルルさま……」
あわてて立ち上がろうとしたが、そんなロッテに抱きつくようにアルルがしなだれかかってきた。
(まずい……)とロッテは思った。
賢者さまの魔法のベストを着ているとはいえ、ここまで密着されるとどこまで隠せるか分からない。
「まあ、フロリスさまは見た目よりも華奢な体ですのね」
ロッテはひやりとして、アルルの体を離して立ち上がった。
「ふざけるのはやめて下さい。そういうことなら、あなたと話すことはない。帰ります」
「あら、見た目のまんま、ウブな方ですのね。うふふ、可愛い」
「最初から私をからかうつもりだったんですね。あなたにはがっかりしました」
ロッテはムッとして、踵を返した。
「お待ちになって。少しふざけ過ぎましたわね。でも、シエルさまの話はウソではないわ」
「そうやって焦らして、本当は大した情報でもないんでしょう」
「大した情報と思うかどうかは人それぞれですわね」
「どういう意味ですか?」
アルルはソファに座ったまま、振り向いたロッテを見つめた。
「シエル様は隣国のベルギスから女性を一人連れて戻ってこられますの」
「女性を一人?」
ロッテはドアにかけようとしていた手を止めて、アルルを見た。
「いずれ正妃にされるおつもりですわ」
「な!」
ロッテは思いがけない情報に、それ以上言葉が出て来なかった。
それを見て、アルルの笑みが深まる。
「どうやらこれはフロリスさまにとっては、大した情報だったようですわね。続きをお聞きになりたいなら、どうぞお座りになって」
ロッテは少し迷ったが、アルルの隣に少し隙間をあけて腰をおろした。
「ですがそんなことをすればフアナ様が黙ってないのでは……」
アルルにまたからまれる前に、ロッテは最大の疑問を投げかけた。
「今までもシエル様の側室候補となった方々は不審な死を遂げています。ベルギスの姫君にもしものことがあったら外交問題にまで発展してしまいます」
「ではこのままフアナ姫を後宮に入れ、正妃にするのですか? それで世継ぎの王子までお生みになったとしたら、この国はどうなるのかしら?」
「それはそうですが、王太后様の養女でもあって、南大公家の後ろ盾もあるフアナ様を邪険にするわけにもいかないし……」
「そう。黒い噂が飛び交っていたとしても、王太后さまは国母。義理とはいえ現王様とシエル様の母親ですからね。王にとっても貴族にとっても親に不義をすることは、領土の衰退をまねくことだとこの国のものは教えられて育ってきました。見本となる王族が守らないとなれば、国民は王家に不信を抱くこととなるでしょう」
王宮に出入りする貴族にとっては王太后は危険な魔女という認識だが、多くの一般の国民は知らない。世俗に詳しい町民の中には王太后の噂を聞きつけている者もいるが、まだほんの一部にすぎない。だいたい王家の、特に王母の悪口を言うなど、畏れ多くて誰も出来ない。
現にロッテにしたって、王宮勤めをする前は何も知らなかった。
そんな中で王太后の養女であるフアナ姫が婚約した噂だけは、どんどん一人歩きをして南大公家の領地を中心に祝福ムードなのだ。
「特に南のルカセントでは久しぶりに南から正妃候補が上がったとフアナ様は勝利の女神のように崇められているとのこと。これを受け入れないようなことがあれば、南から暴動が起こらないとも限りませんわね」
「ええ。そのようですね」
「ですが王様とシエル様は、フアナ様を正妃にすることだけは避けたい考えです」
「でもフアナ様以上の身分を持つ姫君など……」
「フアナ様と対等に渡り合える身分の姫君がいるとしたら、西大公家と東大公家の姫君ぐらいですわね」
ロッテはハッとアルル嬢を見た。
「で、ですがさすがに王太后様の養女という肩書きには……」
「いいえ。先に王子を生めば勝てますわ」
「な!」
考えたこともなかったが、確かに次の王の母であればフアナ姫を差し置いて正妃になってもおかしくはない。
「ですが残念ながら東大公家は男子には恵まれておいでですが、姫君たちはみんな身分の低い妾腹のお子たちばかりですわね」
それでも普通に嫁ぐには充分すぎる身分だが、フアナ姫に対抗するには厳しい。
「ルドルフ様とイザーク様の間に姫君がおられましたが、その方の話はご存知かしら?」
「はい。大雑把にですが、聞いています」
それこそ、まさにフアナ姫に殺された被害者の一人だった。
フアナ姫の婚約を聞きつけ、対抗馬として名乗りを上げたのが東大公家の姫君だった。
だが王太后の紫の塔に呼び出されて挨拶に行った時、突然死している。
その後、今度は北大公家の姫君も王様のお声かけで婚約しようとしたが、王宮の庭で突然死している。立て続けに起こった二つの事件で、その後シエル様の側室に名乗りをあげる姫君はいなくなった。そしてシエル様も次の被害者が出ることを危惧して、縁談のお声かけをしないのだと聞いている。
「ところで西大公家にはフロリス様と同じ年頃の姫君がいるそうですわね」
「えっ?!」
ロッテは突然自分の話になってドキリとした。
「その姫君は噂ではフロリスさまに瓜二つだとか。そして身分も確かだと聞いていますわ」
「そ、それは……」
「どのような姫君ですの? 社交界にデビューされる様子もないですし、一時はフロリス様にそっくりと聞いて縁談の話もずいぶん舞い込んだと聞きますのに、ウィレム大公様がすべて断ったとか。本当はシエル様の后候補に内定しているのではという噂もございましたが、そういうわけでもなさそうですし」
「シ、シエル様の后候補だなんて、畏れ多い!」
ロッテは思わず叫んでいた。
「なぜ? 西大公家の姫君ほどふさわしい方はいないと思いますけど」
「そ、それは……」
「もしやご病気を患っていらっしゃるのではないかという噂もございますが」
「そ、その……昔から体が弱く……とても後宮に入るような人間では……」
男のふりをして、騎士として馬に乗り剣を振り回しているのだ。
良家の淑女とはほど遠い。
王妃など、こんな自分がなれるはずがない。
「やはりそうでございましたの。残念でございますわ。国内でフアナ様に対抗できるとしたら、最も有力なお一人だったでしょうに」
「国内で……? だから……」
国外でフアナ姫に対抗できる姫君を探してきたということか。
だが、やはり最初の質問に戻る。
「隣国の王家の姫君ならば確かにフアナ姫を差し置いて正妃になってもおかしくありませんが、もしも不審な死を遂げることがあれば、ベルギスは黙ってないでしょう」
「ええ。ですがもしもベルギスと戦争になるようなことがあれば、まずどこに攻め込むことになるか分かりますか?」
ロッテは「あっ!」と叫んだ。
「南大公家に?」
オレンジ国の南にあるベルギスは、南大公家の領地ルカセントに大きく接している。
戦争にでもなれば、一番被害を被るのはルカセントだ。
フアナ姫の後ろ盾となる南大公のカールは、それは避けたいだろう。
「王太后様とフアナ姫が賢明な方であるなら、ベルギスの姫君を殺すわけにはいかないでしょう」
「賢明であるなら……」
ロッテはその言葉を繰り返した。
先日会ったフアナ姫は、あまり賢明な人には見えなかった。
「あるいは……」
アルルはシエル様に似た漆黒の瞳で、秘め事を囁くように続けた。
「浅はかな姫君が禁を犯し、ルカセントが攻め込まれるのも計算の内かもしれませんわね」
「な! まさか……」
だが、このところ王宮の資金を好き放題に流している南大公家を潰す良い機会でもある。
国としてかなり痛手を受けることにはなるが……。
「ふふ。少ししゃべり過ぎましたわね。ステキな殿方にはついサービスしてしまいますわ。今度はお茶会の招待状を送りますわね。この続きが聞きたいなら、ぜひお越し下さいませ」
アルルは思わせぶりに言うと、案外あっさりとロッテを帰してくれた。
次話タイトルは「イザークとステファン」です