19、正妃の塔
後宮の警備は六時間交代で、第五グループのロッテは翌朝の六時からだった。
ロッテはルドルフ隊長の命令で、正妃の塔の内部で待機する係専属になった。
デニス副隊長とボブが正面の門扉を、ヨルダンとマルコが東の閉じられた門扉を管理する。
門番は別にいるので、非常時以外は小ぶりな詰所に待機している。
そこでは隊員同士おしゃべりしたり、剣を研いだり、日報を書いたり、好きなように過ごすことができた。何事もなければ、とても楽な任務と言っていい。筋トレに励む隊員も多い。
正妃の塔の内部はさらに待遇が良く、ベッドまでついた個室を与えられた。
ここの係になるのは、身分が高く品行方正な者か、王様の推薦の者だけだ。
ステファンは身分は高くないが、王様の推薦で第二グループの正妃の塔専属係になっていた。
前もってステファンにその様子を聞いていたので、ロッテはあまり戸惑うこともなく部屋に入った。
簡単な執務室のような部屋で、書き物が出来る机と、客と話ができるソファセットもあった。
造りはさすがに後宮だけあって、花柄の壁紙にレースのカーテン、手の込んだ調度品に、ソファセットも白とブルーの華やかな色合いだ。
元は女官長などが詰めている部屋だったのかもしれない。
横長の窓からは正妃の塔に出入りする人が確認出来る。
ここを通らなければ、内部に入れない造りになっていた。
男性の近衛騎士が入れるのは、この待機部屋までで、この先は完全に王様以外の男子禁制になっていた。
重厚な両開きのドアの向こうがどうなってるかは、ここからは分からない。
「近衛騎士さま。お勤めご苦労さまでございます。あの……朝食はお済みになりましたか? 採れたてのフルーツが余りましたので、お持ち致しました」
ロッテが日報に目を通していると、女官が籠にのせたフルーツを持って現れた。
「ありがとう。でも朝食は食べたんだ。他の場所にいる騎士に持っていってあげてくれる?」
「あら……そうでございましたか」
すでにこの女官で朝から三人目だ。
ソファテーブルの上には、クッキーののった皿と果実ジュースの入ったグラスが並んでいる。
ステファンはこんなサービスがあった話をしてなかったので、おそらく噂の西の小公子と話をしたかったのだろう。ある程度有名なのだろうとは思っていたが、後宮の中でまでこれほど噂がまわっているとは知らなかった。
「それよりカタリーナ様のご様子はいかがですか? 昨日お部屋をお移りになったばかりでご不便なことなどございませんか?」
「は、はい! 昨夜はお疲れもあって、ぐっすり眠っておられたそうでございます」
「それは良かった」
ロッテがにっこり微笑むと、女官はポッと頬を染めて礼をして行ってしまった。
ロッテは女性の扱いが手馴れていた。
元が女性なのだから、当然だ。
何をされたら嬉しくて、何をされたら嫌なのかよく分かる。
しかも下心がないので、爽やかすぎるほど爽やからしい。
どんな理由であれ人に好かれるのは素直に嬉しいが、みんなを騙しているのだと思うと心が痛んだ。
(もしこの人たちが、私を女だと知ったらどう思うだろう。騙されたと怒るだろうか。気味悪がって避けるようになるんだろうか)
そう考えると、モテるたびにむしろ気持ちが沈んでしまう。
持て余すような時間があると、つい余計なことばかり考える。
六時間の勤務は、そうして何事も無く、女官が些細な用事であと五人ばかりやってきて終わった。
◇
正妃の塔専属の係は、王宮のルドルフ隊長の部屋に提出用の日報を持っていって勤務の報告をすることになっていた。提出を終えて王宮の中庭を歩いていると、女性の声に呼び止められた。
「フロリスさま」
振り向いて見ると、社交界デビューの日に会ったアルル嬢だった。
「アルルさま。今日もお美しいですね」
社交辞令だが、本心でもあった。
今日はパーティー着ではなく、胸元の閉まった紺のドレスだったが、むしろパーティードレスよりも色っぽく見える。日差しの下で見る黒い瞳は、どうしてもシエルさまを思い出した。
「あれからどこかのサロンでお会いできるかと思っておりましたが、全然お顔をお出しにならないのですね。姫君たちはみんな残念がっておりますよ」
「すみません。勤務にまだ慣れなくて」
「二十一部隊に配属になったとか」
アルルは意味深に微笑んだ。
「なぜそれを?」
「あら。それぐらい誰でも知っていますわ。姫君たちの情報網をバカにしてはいけませんわよ。姫君たちはみんな少しでも身分が高く、出世の見込みのありそうな殿方に見初めて頂こうと常に物色しておりますの。近衛騎士のどの部隊が出世頭かなんてご本人よりも知ってましてよ」
「そ、そうなんですか?」
なんだか顔も知らない姫君たちの獲物になった気分だ。
「二十一部隊は、姫君たちが今一番注目している部隊ですの。しかも不思議に品位のある見目のいい騎士さまが選ばれてますわね」
「それはただの偶然では……」
この姫君はいったいどこまで知ってるのだろうかと、ロッテはひやりとした。
「フロリスさまは姫君たちが一番興味を持っている騎士さまですのよ。気付いてらっしゃるのでしょう? それなのに、サロンにも顔を出さない。浮いた話もない」
アルルは肩をすくめて、おどけたように笑った。
「今は勤務に慣れるだけで精一杯なんです」
「それにしても気に入った姫君の一人や二人ぐらいいらっしゃるでしょう?」
「いえ、本当にそれどころでは……」
「あら、つまらない。わたくし、もっと期待しておりましたのに。あなた様が社交界に出られたなら、あちこちで恋のバトルが繰り広げられると楽しみにしておりましたのよ」
「そんなこと……」
人の恋路を面白がっているようなアルルに、ロッテは少しムッとした。
もっとシエル様に似て、思いやりのある大人の女性だと思っていた。
「ご不興を買いましたかしら?」
アルルはすぐにロッテの不機嫌に気付いたが、それでも余裕の微笑みを浮かべた。
「ねえ、フロリスさま。来週王宮のサロンで開かれる音楽会にお越し下さいな」
「いえ、だから私は……」
即答で断ろうとしたロッテだったが、それを遮るようにアルルが告げた。
「シエル王太子さまが、もうすぐ帰国なさいますわね」
「なぜそれを……」
まだ公にはしていないとルドルフ隊長が言ってたはずだ。
「シエルさまがなぜ隣国に行かれてたのか、フロリスさまはご存知かしら?」
「なぜ隣国に行かれてたのか?」
普通に外交や政治などの帝王学を勉強しているのだと思っていた。
「うふふ。やっぱりご存知ありませんわね」
「あなたは何か知ってるのですか?」
王宮の中心官僚である父は知っていると思うが、息子のフロリスの耳には入れてくれない。
それほどのトップシークレットをなぜこの姫君が……。
「わたくしの情報網は、姫君たちよりも更に細密ですの。お知りになりたいかしら?」
「それは……」
なんだか罠のような危険な香りがする。
戸惑うロッテを楽しむように、アルルはそっと耳元に口を近づけて囁いた。
「もしお聞きになりたいなら、今度の音楽会にお越し下さいませ」
そして体を離すと、丁寧におじぎして「ではごきげんよう」と何もなかったように去って行った。
次話タイトルは「王宮サロンの音楽会」です




