18、不機嫌なステファン
「なんて無茶をするんだ……」
その夜の西大公家の別邸のディナーは殺伐とした空気に包まれていた。
ロッテの父のウィレム大公は、ちょうどホーラントの領地に戻っていて留守だった。
二十人ほどが座れるテーブルにつくのは、ロッテと居候のステファンだけだ。
二人は、一番末席に向かい合って食べていた。
留守でなくとも、帰りの遅い大公と一緒に食事をとることは滅多にない。
だからほぼ定位置と言ってもいい。
いつもは今日あった出来事を楽しく語り合う時間だったが、今日は少し違う。
「帰ったら君がまだ戻ってないというから肝が冷えた」
ステファンはフリッツ(厚切りポテトフライ)を黙々と口に運びながら、これで三度目になる言葉を繰り返した。
そう。ヨルダンと別れて急いで帰ってきたロッテだったが、ステファンに一歩遅れた。
そして血相を変えて屋敷から飛び出してきたステファンとぶつかりそうになったのだ。
最初無事な姿を見て眉を下げたステファンだったが、ロッテがこの空白の時間に何をしていたのか聞いていくにつれて、すっかり仏頂面になり、静かに静かに怒っているのだ。
そのままディナーの時間になったからたまらない。
理知的なステファンは、父のように感情のままに怒鳴りつけたり暴力をふるうことなんて絶対ないが、ある意味怒らせると父より怖い。
「今日のフリッツのソースは絶妙だね。すごく美味しいよ」
ロッテはステファンの皿におかわりのフリッツを乗せる給仕係に笑顔を向けた。
急に話しかけられた給仕係は、困ったように苦笑して「料理長に伝えておきます」と答えた。
ステファンはすでにフリッツを三皿おかわりしている。
給仕係が後ろに下がったと思うと、ステファンの皿が空になっていた。
いつもと違って尋常でないステファンの食べっぷりに給仕係があわてている。
オレンジ国の料理の定番は、このフリッツに数種類のソースを添えたものと、エルテンスープと呼ばれる潰した豆とベーコンのスープ、それにパンとチーズだ。
あとは日によって肉か魚のメインディッシュが出るが、メイン以外は大皿でテーブルに並べて、食べる分だけ小皿に取るのが普段の食事風景だった。
食事を始めたばかりの二人の前には、てんこもりのフリッツと、三種のソースポット、焼きたてのパンが数種に、エルテンスープの入った大きな銀のスープ鍋が並んでいる。
「今日のメインは肉だっけ? 魚だったかな?」
「魚のパイ包みでございます」
給仕係は話しかけられて仕方なく答える。
「えっと……デザートは……」
「フロリスッ!!」
話をそらそうとするロッテを、ステファンの声が遮った。
「今日別れる時に言ったよね。変な誘いに乗らないでまっすぐ帰れと」
「そうは言わなかったよ。イザークの誘いには乗るなって言ったんだ。だからイザークの誘いには乗ってないよ」
「ヨルダンの方がなお悪いっ!!」
ステファンの皿が空になったのを見て、給仕係が大皿のフリッツをまた乗せた。
ステファンは怒ると大食いになるところがある。
こんなにフリッツ好きの男だとは、一緒に住んで初めて知った。
フリッツの大食い大会があれば出てみればいいと思う。
「心配させて悪かったよ、ステファン。でもヨルダンってみんなが思うほど嫌なヤツじゃないよ。ほら、護身石もこんなに大きいのをもらったんだ。リストシールドの魔法石も優先的にもらったから、もう安心だよ」
「なにが安心なんだっ! 紫の塔なんて、今この国で一番危険な場所じゃないか!」
「それはそうだけど、ほら無事帰れたことだし、もうその話は……」
「無事に帰れてなかったらどうなったと思ってるんだ! 君が紫の塔で命を落とすようなことになったら、西大公家は先陣をきって内乱を起こすことになったかもしれない。もっと自分の立場を考えて行動してくれ!」
「……ごめん」
しゅんとするロッテを見ると、ステファンはそれ以上責めることは出来なくなった。
だがまだ腹の虫はおさまらない。
「ヨルダンもヨルダンだ。君を紫の塔に連れて行くなんて、正気の沙汰じゃない」
矛先はヨルダンに向かう。
「ヨルダンは紫の塔のエマに会わせたくて私を連れていったんだ。私は会えて良かったと思ってるよ。紫の塔の実情もよく分かったし。ヨルダンを責めないでくれ」
ロッテがヨルダンを庇うことで、ステファンの不機嫌が加速することに気付いていない。
「君は何もわかってないよ。フアナ姫がなぜ君を殺そうとしたのか」
「え? ステファンはなぜだか分かるの?」
「彼女は近衛騎士のフロリスを殺そうとしたんじゃない。彼女は本能で分かってるんだ。君が本当は……」
ステファンはそこまで言って口をつぐんだ。
だがロッテには続く言葉が聞こえたような気がした。
――君が本当は大公家の姫君ロッテだということを――
「とにかく、僕はできれば二十一部隊をやめさせたいと思っている。ウィレム様にすべてを報告すれば、きっと同じ結論を出されることだろう」
ステファンの言葉にロッテはあわてた。
「待ってよ、ステファン。二十一部隊はシエル様の十七騎士への近道なんだ。もうすぐシエル様も戻って来られるのに、今やめるなんて絶対イヤだ」
「だったら、もう二度と紫の塔に近付かないでくれ。ヨルダンにもだ」
「でもヨルダンは同じグループだし、命の恩人でもあるんだ」
「この条件がのめないなら、ウィレム様にすべて話す」
ステファンがこう言うなら、たぶん本気だ。
「わ、分かったよ。言う通りにするから、お父様には言わないでくれ」
「もしこれ以上危険なことをしたら、すぐに言うからね」
ステファンは何度も念を押して、ようやくフリッツを食べる手を止めた。
給仕係はホッと安心したように、後ろに下がった。
てんこもりのフリッツはすでに半分ぐらいになっていた。
◇
「ははは。ステファンの意外な一面だね」
その晩ベッドに腰掛け、久しぶりにホーラントのフロリスに連絡をとった。
「でもステファンの言うことは正しいよ。紫の塔へ行くなんて、危険すぎる。んぐんぐ」
ラピはフロリスの声音で話しながら、今あげたクッキーを美味しそうに頬張っている。
手の平ぐらいの大きさのクッキーだが、小さなラピにとっては顔と同じぐらいの大きさだ。
それを両手に持って食べている様子が、なんとも愛らしい。
しばらくフロリスと連絡してなかったので、久しぶりのクッキーが待ちきれなかったのだ。
「本当はもう少し完成させてから渡したかったんだけど……」
フロリスがそう前置きすると、ラピの両手が緑に光り始めた。
ラピはあわててクッキーを膝の上に置いて、両手で何かを受けとめる仕草をした。
すると、光度を増した両手の中から、緑のハンカチのようなものが現れた。
「これは?」
ロッテはラピの手の中から、そっとその布切れを受け取った。
「防御の下着だよ。もう少し大きい物を作りたかったけど、そんなことをしてる猶予もなさそうだ。賢者さまの下着の上にかぶせるようにつけて欲しい」
それは賢者さまのベストの下半分を切り取ったぐらいの大きさの下着だった。
目は粗く、向こうが透けて見えるが、賢者さまのベストに合わせるとピタリと密着する。
「ロッテの話を聞いた限りでは、フアナ姫が本気を出せば護身石もリストシールドの魔法石も、一度に砕け散るだろう。でもこの防御の下着があれば、さすがに命までは奪えない。そして、少しだけど僕の魔力をロッテが代わりに使うことができるはずだ」
「そんなことが出来るの? でもそれでフロリスは大丈夫なの? 命を縮めたりしない?」
「うん、大丈夫。だから明日から身につけて欲しい」
「分かった。ありがとうフロリス」
それにしても、やっぱりフロリスの魔法は緑の光を放っている。
紫の魔法石と、緑の魔法の下着。
同じ魔法でもそれはとても異質なものに感じた。
そのことを聞きたかったけれど、さすがに物体を移動させたことにフロリスの魔力の限界がきたらしい。
「今日はここまでにするね。何かあったらまた連絡して」
フロリスがそう言うと、あっという間に緑に包まれて、ラピは緑の石に戻ってしまった。
食べかけのクッキーも跡形もなく消えていた。
次話タイトルは「正妃の塔」です